第5話「召喚状と、薬草園の誇り」
朝の空気は冷ややかで澄んでいた。井戸は新しい板に替えられ、水は陽光を反射してきらめいている。補水液を匙で与えていた殿下は、今や自ら椀を持ち、ゆっくりと口に運べるまでに回復していた。
「……喉を潤すたび、体が生き返るようだ」
「殿下がそう感じられるのなら、もう峠は越えた証拠ですわ」
わたくしは熱を測り、記録帳に書き込む。脈は落ち着き、発疹も薄れてきている。病の影はまだ残るものの、命の灯は確実に強さを取り戻していた。
殿下はしばし黙し、やがて真っ直ぐにわたくしを見た。
「……君のおかげだ、リリアーナ。私の命は、この鍋と草に救われた」
「わたくしひとりの力ではありません。村人も兵も、皆が手を動かしたからです」
「だが、導いたのは君だ。――王都は君を追放した。その王都が、命を救った君をどう扱うか……」
殿下は目を伏せ、微かに唇を噛んだ。
ちょうどそのとき、広場に甲冑の音が響いた。王都からの使節が、羊皮紙を掲げて進み出る。
「薬草師リリアーナ・フォン・グレイス。王都より召喚状が下った。即刻、王城へ参れ――とのことだ」
広場がざわめいた。村人たちの顔に不安と恐れが走る。
わたくしは一歩進み出て、羊皮紙を受け取った。そこには王都の封蝋とともに、冷ややかな文言が並んでいた。
「……なるほど。“功績を確認し、必要とあらば処罰も辞さず”」
声に皮肉を乗せると、村人の誰かが小さく笑った。
その日、薬草園にひとりの村男が訪れた。
「リリアーナ様……実は、以前はあんたを笑ってました。泥にまみれて草をいじるなんて、貴族のすることじゃないって」
彼は膝を折り、深く頭を下げる。
「でも、あんたの薬でうちの子が熱を下げた。……笑ったことを、謝りたい」
わたくしは静かに頷いた。
「笑われても構いません。けれど――救われた命があれば、それで十分ですわ」
男の目に涙がにじんだ。
「ありがてぇ……。もう、あんたを笑う奴はいねえ」
それは小さな“ざまぁ”だった。
けれど、王都で浴びた冷たい嘲笑よりも、はるかに胸に沁みる報いだった。
夜。焚き火のそばでレオンが言った。
「召喚状……行くつもりか?」
「はい。殿下が証人となり、村人が事実を語れば、王都も無視できません」
「だが王太子が待ち構えている。お前を取り戻そうと」
わたくしは炎を見つめ、はっきりと答えた。
「取り戻される気はありませんわ。薬草園を捨てるくらいなら、たとえ王都を敵にしても」
そのとき、殿下が寝台から声をかけてきた。
「リリアーナ。……ならば私が証言しよう。君が命を救ったことを、王城の前で堂々と」
わたくしは思わず息をのんだ。
――王弟殿下が、わたくしの盾になる。
その瞬間、婚約破棄という屈辱が、確かな“力”へと変わった気がした。




