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婚約破棄された悪役令嬢ですが、薬草で領地改革します!  作者: しげみち みり


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第17話「布と鍋の評議、影の指先」

 王都の中央広場に、臨時の高座と長椅子が組まれた。

 布商会との公開協議――布告は昨夜から各街区の井戸端に貼られ、朝の鐘が三度鳴る頃には、広場はもう人で縁取られている。

 鍋の甘い匂い、灰の粉っぽさ、晒した布の白が風に翻り、その白が眩しく目に刺さった。


 高座の左右には、それぞれの陣がいる。

 右手はわたくし――薬草園と公共鍋場の人々、王都医官の若手、数名の文官、そして護衛にレオン。

 左手には、布商会のあるじたちが列を成していた。紺の外套に銀糸の縁取り、襟にはそれぞれの家印。商いの誇りが布目に縫い込まれたような整然さだ。


 開幕の鈴を少女が鳴らすと、ざわめきが波のように寄せては返す。

 まずは布商会側の代表、グラウ伯商が立ち上がった。布の扱いで成り上がり、今や王都の半分の反物を押さえる男――噂に違わず、声がよく通る。


「諸君! われら布商会は、王都の肌を守ってきた。冬の寒さから、夏の日差しから、そして礼節から!

 ところがどうだ――“無料の布配り”なるものが現れ、商いの秩序を乱している。これは善意の仮面を被った破壊だ!」


 観衆がざわつく。

 わたくしは一歩前に出て、布の束を差し上げて見せた。


「布商会の功を否定しません。むしろ頼っています。今日は、その頼り方を“見える形”にしに来ました」


 わたくしは合図を送り、鍋場の若者たちが、三つの台を運びこむ。

 一つには真新しい反物、二つ目には端切れの山、三つ目には使い古しの布を重ねて。

 その横に、三つの桶――清浄な水、煮沸した湯、灰水。


「これは“布の三段活用”です。

 一、反物は寝具や包帯に――高価ですが、命を直に支えます。

 二、端切れは口覆いに――薄くても、咳の飛沫を弱めます。

 三、使い古しは“二度目の働き”を――灰水で洗い、最後は火にくべて灰にし、井戸の清浄に使う。

 ……布は、一度で終わりません」


 わたくしは端切れを折り畳み、手早く紐で結んで簡易口覆いを作る。観衆の子どもたちが目を輝かせ、真似を始めた。

 グラウ伯商の眉がぴくりと動く。


「だが無料配布は市場を傷つける!」


「無償なのは“初動”です。鍋を回す初速に、貧しい家ほど布が足りない。そこで端切れを……ここで商会と『等価交換』を結びたいのです」


「等価交換……?」


 わたくしは文官に頷き、木札を掲げさせた。

 “端切れ買上券/口覆い納入票/反物割戻”――札の三種。

 説明は短く、だが明快に。


「端切れは商会の倉から“買い上げ”ます。量と品質に応じて定額で。

 市と鍋場に納められた“口覆い”の枚数を、札で管理し、一定数ごとに反物の“割戻”を。

 つまり――“布を回す仕組み”を共に作る、ということです」


 広場の空気が変わった。

 布商会の男たちが顔を見合わせ、そろばんの玉が脳裏で弾かれる気配がする。

 損ではない。むしろ、長く続けば続くほど“流れ”になる。

 グラウ伯商が、唇を細くして言った。


「……数字を、出せ」


「出します。誰の目にも、毎日」


 わたくしは地図板を示した。街区ごとの鍋と布の出入り、井戸の清浄回数、補水量、発熱者数。

 色札が日ごとに動く。数字は嘘をつかない。

 それでもなお、男の瞳に警戒の針が残る。


 そこへ――風が一枚、空気を切り裂く。

 黒い外套。隣国の使者だ。彼は観客の列からすり抜け、軽く礼をしてから口を開いた。


「興味深い。だが、布は国境を越えて流れる。君らの“割戻札”は、川を渡っても信用されるのか?」


 挑発。

 観衆がざわめき、布商会の数人はほくそ笑み、グラウ伯商の目に冷たい光が宿る。

 わたくしは、ふっと息を整えた。


「――信用は、煮沸と同じです。まず火を灯し、湯気を見せる」


 文官が合図で木箱を運ぶ。

 昨日、倉で見つけて晒した“甘味粉末”――救いの顔をした毒。

 わたくしは清浄な水に粉を落とし、沈殿する黒を観衆に見せた。


「これは“見せない取引”の末路。

 わたくしたちは、見える場で、見える紙で、見える鍋で取引します。

 札は“顔”を持ちます。毎日この場で、出入りを掲げる。

 川向こうで札が使われたときも、数字はここに戻る――誰でも見られるところへ」


 隣国の使者が目を細めた。

 グラウ伯商は、もう一度そろばんを弾き終えると、静かに言った。


「……よかろう。商会連合は“端切れ買上”と“割戻”に応じる。ただし、品質の基準は商会が立てる」


「基準を立てるなら、基準“表”も掲げましょう。民にも分かる言葉で」


 沈黙ののち、男は短く笑う。

 ――合意。広場に小さな拍手が広がり、やがて波になる。

 光の当たる場所で“利”を繋ぎ直すことに、わたくしは胸の奥でそっと安堵した。


 その時だった。

 舞台裏で、甲高い悲鳴。続いて、布の束が折りたたみ台ごと倒れる音。

 駆け寄ると、布束の下から若い見習いが這い出て咳き込んでいる。鼻と口を覆った布に、薄く甘い香り――昨日の粉と似た匂いだ。


「下がって! 灰を――!」


 灰水を撒き、布束を一つずつ解いていくと、中央の束の芯に、粉袋が縫い込まれていた。

 混乱の中、レオンが視線で周囲を掃く。

 隣国の使者は微動だにせず、布商会の端にいた下っ端が顔色を失っている。

 グラウ伯商が怒鳴った。


「誰がこんな真似を!」


 わたくしは布の縫い目を裂き、粉袋を掲げた。

 袋の印は王都の古参商会――先日、倉で汗をかいていたあの男の印。

 隣国の使者は肩をすくめ、無言で目を逸らす。


「見える場でやれば、手口は露わになります。……これが“見えない取引”の顔」


 観衆のざわめきが怒声に変わりかけたとき、わたくしは両手を上げ、ゆっくり下ろした。


「声を荒げる代わりに、“手”を動かしましょう」


 布束の周りで、即席の実演が始まる。

 粉の見分け方――水に落として沈殿を見る。匂い――甘さの奥に鉄の臭気。布の内側の縫い痕――不自然な返しを指で感じる。

 母親たちが真剣に見入り、若者たちが頷き、子どもが指先で縫い目をなぞる。


 わたくしは舞台へ戻り、短く告げた。


「――“検見けみ札”を増やしましょう。今日から、鍋場の横に“検見台”を置きます。民が自分で見分け、札に印を押して、商会に返す。

 商会も“良品札”を打つ。互いの札が合えば、市で流れる。合わなければ、鍋場で止める」


 グラウ伯商は深く頷き、隣国の使者は薄く笑い、レオンは周縁を警戒し続ける。

 小さな嵐は去り、代わりに“手順”が残った。

 それでいい。嵐は去るが、手順は残る。


 評議の終わり際、王都からの使者が駆け込んだ。

 王弟殿下の紋章をつけた従者だ。彼は膝をつき、息を整え、短く告げる。


「――殿下より、園丁長へ。今宵、貴族評議会にて“薬草園制度”の正式化を諮る。出席を求む」


 貴族評議会。

 布商会との合意すら、前段に過ぎない大きな盤。

 政治の息は、薬草の香りとは違う。乾いた紙と、古い木と、濃い香油の匂い。

 わたくしは短く息を吸い、頷いた。


「承知しました。……鍋の火は、任せていい?」


「任せろ」


 レオンの返事は短く、だが充分だった。


 夜。王城の回廊は、燭台の光が金の波のように壁を渡っていた。

 貴族評議会の扉は重く、音もなく開く。

 中には長卓がひとつ、椅子が十六。椅子の背はそれぞれの家の紋で飾られ、古い家ほど彫りが深い。

 席に着いた貴族たちの視線が、一斉にこちらへ刺さった。


 王弟殿下は卓の端、王の代理席に。

 わたくしは殿下の斜め後ろ、発言席へ。

 布商会のグラウ伯商も呼ばれている。隣には、王都の古参商会の長――粉袋の印の家。もう片方の隣に、隣国の使者が座る。

 ……舞台を離れても、同じ顔触れだ。


 最年長の評議員が、乾いた声で切り出す。


「“園丁長”。噂は聞いている。だが、ここは噂の場ではない。紙と印の場だ。貴殿の“制度”とやら、三つにまとめて述べよ」


「承知しました。

 一、“鍋場常設”――街区ごとに鍋場を置き、煮沸・補水・手洗いを“日課化”。

 二、“布の三段活用”――反物・端切れ・古布、用途と流れを明確化。商会と割戻で併走。

 三、“検見台と札”――民・商会・園で相互に検見し、札を突き合わせて流通を“見える化”。」


 わたくしは昨日から今朝にかけて起きたことを、過不足なく言葉にした。

 数字、札、地図。

 紙の上の物語が、暮らしの中で“惰性”に変わっていく経路を、できるだけ簡素に。


 最初の反応は、沈黙だった。

 次いで、古参の一人が鼻で笑う。


「民に札を渡すなど。無頼が増えるだけだ」


「札は信用ではなく、“見える記録”です。無頼は暗がりを好みます。札は灯です」


 別の貴族が眉根を寄せる。


「費用は膨らむ。王庫は無尽蔵ではない」


「費用を“常の細かな出費”に割るのが目的です。大火事のたびに城壁を築くより、日々の桶に金を出す方が安い。――病は国庫を焼きます。鍋は却って、国庫を湿らせます」


 言葉遊びに聞こえたかもしれない。だが、殿下は薄く笑い、頷いた。

 グラウ伯商が挙手し、短く補う。


「商会は“端切れ買上”と“割戻”に応じる。今日、広場で合意した。商いは、見えるところを好む」


 重い椅子がきしみ、古参商会の長が唇を尖らせた。


「見えるところを好む、か。……見えぬところにも商いはある」


 彼の指先が卓の下で蠢く。印章を撫でる癖――焦っている。

 そこへ、隣国の使者が笑みを湛えたまま、扇の縁で卓を軽く叩いた。


「園丁長。国境を越えた“札”は、風評に弱い。――今日、広場で粉袋を晒したね。あれは“国際”の場に晒したのと同じこと。覚悟はあるのか?」


 挑発。だが今度は、刃が見える。

 わたくしは一瞬の迷いも見せずに答えた。


「覚悟は、鍋の火と同じです。強ければ吹きこぼれ、弱ければ生煮え。――今日の火加減が正しかったかは、明日の舌が決めます。

 ですが、毒を甘味と偽る商いに、札を与えるつもりはありません。国境の内外を問わず」


 隣国の使者は、初めて笑みを消した。

 殿下が机に指を一本置き、静かに告げる。


「王都は“見える商い”を取る。影の指先は、焼ける」


 評議の空気が揺れ、古い木の匂いの中に、わずかに火の匂いが混じった気がした。


 最年長が杖で床を二度叩く。

 決を採る時だ。

 賛の手が上がり、反の手が上がり、数えられ――


「可決。王都直轄薬草園制度、これを正式に。鍋場・検見台・布割戻、順次施行」


 扉の外、遠くで鐘がひとつ鳴った。

 わたくしは深く礼をし、殿下と視線を交わす。

 ――制度は紙になった。これで終わりではない。紙を“惰性”に変える長い作業が、ここから始まる。


 評議の散会後、回廊で冷たい風が頬を撫でた。

 殿下と並んで歩く。レオンは半歩後ろ、足音を消す。


「よくやった、園丁長」


「紙が増えました。湯気で乾かさないと」


「湯気は任せろ」


 殿下の声に、わたくしは小さく笑った。

 その時、レオンが低く囁く。


けてきた影、二。壁際に。――離れて」


 わたくしたちは足を緩め、柱の影に入る。その瞬間、風より速い黒影が横切り、短いナイフが柱に突き立った。

 レオンが一歩で間合いを詰め、男の手首を捻り上げ、床に伏せさせる。

 もう一人は逃げかけ、回廊の角で兵に抑え込まれた。

 刃の柄には、あの古参商会の印――王都の古い金は、最後の牙を剥いたのだ。


 殿下の声が低く凍る。


「王都で刃に訴えるなら、商いの資格はない。――牢へ」


 影は連れ去られ、回廊に静けさが戻る。

 わたくしは、柱に刺さった刃先に指を近づけ、わずかに香りを嗅いだ。

 鉄と、微かな甘さ。

 毒の名残は、もう“匂い”で分かるようになってしまった。


「……光を当てれば、影は逃げる。逃げない影は、形が分かる」


「君はもう、戦士の目だな」


「園丁の目でありたいのですが」


 殿下は微笑み、わたくしの指先から刃をそっと外した。

 そのまま、短く言う。


「明朝、北門の先で“種箱”の列を迎える。隣国から“交流”の形で入ってくる。――君の言う“風”が試される」


 胸の奥に、小さな炎が灯る。

 風が吹くなら、種は飛ぶ。

 毒も混ざる。

 だから、鍋場を強くし、検見台を増やし、札に顔を持たせたのだ。


「行きましょう、殿下。壁は低く、長く」


「そして、明るく」


 王都の夜空に、薄い雲が流れていく。

 鐘楼が二度鳴る。

 鍋場の灯が遠くで揺れる。

 わたくしは、その灯の数を心で数えながら、回廊を歩いた。

 草は、今日も根を伸ばしている。

 明日も、鍋から始めよう。

 そして、風に、顔をつけよう。

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