第12話「港を覆う疫病と、草の陣」
東の港町は、すでに病の影に覆われていた。
波止場に並ぶ倉庫は臨時の隔離所に変えられ、咳と呻きが通りを満たす。人々は口を布で覆い、互いに距離を取って歩く。
恐怖が、町そのものをひび割れさせていた。
「……これではいずれ王都にまで広がりますわね」
わたくしは港を見渡し、深く息をついた。
このままでは、草の芽吹きすら絶える。だからこそ――草を陣に変える必要がある。
まずは広場を選び、鍋をいくつも並べた。
「火を絶やさず、水を煮沸し続けてください。飲ませるのは薄い甘塩水。吐く者には匙で少しずつ」
兵も町人も、皆が頷く。
次に布を干す場所を決め、井戸ごとに灰を撒かせた。子どもたちには走り回って紙札を配らせる。そこには絵で描いた「煮沸」「隔離」「手洗い」が記されている。
「難しい言葉は要りません。目で見て、真似すれば伝わりますわ」
わたくしの声に、動きが生まれる。
混乱していた町に、少しずつ秩序の流れが戻っていった。
だが、その場に医官たちが現れた。
「勝手な真似をするな! 港は我らの管轄だ!」
「素人の薬草で人を惑わすなど、国法に背く行為だぞ!」
人々の動きが止まり、恐怖が戻る。
わたくしは一歩進み出て、彼らを見据えた。
「――ならば、証をお見せしましょう」
わたくしは隔離所の一角に横たわる男を指した。昨日まで痙攣に苦しんでいた彼は、いまは穏やかに眠り、呼吸も安定している。
「この方は薬草と補水で命を繋いでいます。医官殿、あなた方の手では救えなかったでしょう?」
沈黙。民衆の視線が医官に集まる。
彼らの顔から血の気が引き、言葉は続かなかった。
そのとき、群衆の中から声が上がった。
「リリアーナ様に従う! 俺たちはあの鍋で救われた!」
「医官よりも、薬草令嬢だ!」
声は波となり、広場を揺らした。
夜、仮設の焚き火のそばでレオンが呟いた。
「……医官たちは完全に面目を潰されたな。あれで王太子の後ろ盾はさらに薄くなる」
「病は権威を選びませんもの。どれほど位が高くても、命を救えなければ意味がありません」
わたくしは炎を見つめ、拳を握った。
――薬草園は、もうわたくし一人のものではない。
人々の手と鍋と声が集まり、国を支える“陣”になりつつある。
その頃、王城の一室。
王太子は荒れ狂い、机を叩き割らんばかりに怒声を響かせていた。
「なぜだ! あの女が民衆に持ち上げられている! 本来なら辱めを受けているはずなのに!」
側近たちは沈黙し、冷や汗を流すだけだった。
彼の瞳には焦燥と恐怖が宿り、その影は深まっていく。
翌朝、港町に小さな歓声が上がった。
幾人かの患者が立ち上がり、歩けるほどに快復したのだ。
その姿を見て、民衆は一斉に「薬草令嬢万歳!」と叫んだ。
わたくしは深く息を吸い、空を仰いだ。
――恐怖はまだ去らない。だが草は芽吹き、陣は広がる。
そしてこの力は、いずれ王都全体を覆うことになるだろう。




