1-1 うんこ踏まないように案内する係
1-1 うんこ踏まないように案内する係
空にはお日さま。
足下に人糞。
通勤通学に行き交う人々の中、まだ踏まれずに初夏の日差しを浴びるそれは、多分、落ちて間もないのだろう。
三弥栄 文楽は、今を生きる。
彼は日払のアルバイト警備員。
巡回中に発見した、誰がために堕とされたこの汚物。
決して踏ませるわけにはいかない。人々への奉仕、尊き仕事、彼の使命である。
知らずに足を踏み入れてしまいそうになる通行人へ声をかけ誘導する。
ここに立つ彼は、うんこ踏まないように案内する係。
ライ麦畑でつかまえて。
自分の仕事に価値と意義、そして誇りを持たせるべく、昔読んだ小説に思いを寄せて通り行く人々に声をかける。
「足下にお気をつけください」
仕事は分担。清掃は別の担当が行う。
三弥栄は人を導く。身体で「それ」を囲み片手を広げながらも、もう片方の手で無線を操作。速やかにセキュリティセンターへ汚物発見を報告。
「センター、センター、こちら三弥栄。1階外周南デッキにて、うんこ発見。お客さま案内実施中。至急清掃手配願います」
清掃が終わるまで誰にも踏ませない。
役割を分け、それぞれが仕事を全うすることで世界は回る。もがきながら美しく歪んで円を描いて行く。
駅直結型商業施設エキナの外周デッキ。通勤通学の人通りは駅改札口内外へと雪崩れて行く。デッキで朝日を浴びながら三弥栄は清掃員の到着を待ち、壁際に添えられた汚物を踏まぬよう、行き交う人々へ声をかけ続ける。
「そこうんこありますよ」とは言わず、
「足下にお気をつけください」と。
事実をありのまま伝えてはならない。互いに妥協できる落とし所が重要なのだ。探り合う優しさが必要なのだ。清掃員は忙しいのか、まだ現れない。
制服を着て駅周辺の通路に立つと忙しい。よく道を訪ねられる。業務は輻輳する。道案内をしながらも行き交う人々に気を配り、誰も踏むことのないよう誘導を行う。
壁を背に右へ体を向けてご高齢の女性にバス停留所の説明を終えたところで、
「ポンポン」
反対側から誰かに肩をたたかれる。この方向、踏まれたかもしれない。嫌な予感がして足元を確認しようと振り返る。
案の定、うんこは踏まれていた。黒い靴を履いた女性の脚。追って顔を仰ぐ。透き通る青白い肌、眼鏡越し、黒い大きな瞳でこちらを見つめ、凛とした姿勢で佇む。目が合うと微笑みを返した。
彼女はうんこを踏んでいる。
三弥栄は任務に失敗した。
慌てて謝ろうとするより先に、
「私、施設管理部の智川と申します」
踏んだ物を意に介さず彼女は名乗った。
通勤通学者が行き交う中、小さな声がはっきり響く。声ではない声に聴こえた。
彼女は続ける。
「13時に施設管理部までお越しください。地下4階の高電受電設備室の隣の部屋です。よろしくお願い致します」
そう言ったところで今度は清掃員がやって来て声をかけてきた。
「おつかれさまです」
三弥栄は声に振り返り清掃員の到着を確認すると、
「おつかれさまです、こちらをお願いします」と言って清掃箇所を示そうとまた振り返る。
施設管理部の智川と名乗った女性はいなくなっていた。周囲を見渡しても姿はない。
そして、踏んだはずのうんこは元の形のままそこに残っている。何度もうんこを凝視したが間違いない。そのまま残っている。
三弥栄は不思議に思いながらも、仕事に取り掛かる清掃員に通行人の邪魔が入らぬよう、慌てて誘導に戻る。
「足下にお気をつけください」