第一部 第一巻 第三章:入学試験
試験当日の朝は、霧が深かった。
まだ暗いうちに起きて、身支度を整える。古びた道着に袖を通し、懐に最適化した符を数枚忍ばせる。昨日、小太郎と作った分だ。
「行ってくるぞ」
父の部屋の前で声をかける。返事はない。ただ、微かに咳き込む音が聞こえた。
外に出ると、冷たい朝露が草履を濡らす。霧の向こうから、誰かの足音が近づいてきた。
「おはよう、黎明!」
小太郎だった。緊張した顔つきだが、いつもの明るさは失われていない。
「早いな」
「眠れなくてさ。それより、これ見ろよ」
小太郎が空を指差す。霧の上に、薄く赤い靄が漂っている。昨日よりも濃い。
ERROR
解析眼に、また警告が現れた。
【異常な霊気の集積】
原因:不明
危険度:高
推奨行動:警戒最大
「......急ごう」
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陰陽寮は、町の東端にあった。
普段は寂れた印象の建物だが、今日は違う。門の前に、五十人近い受験生が集まっている。皆、緊張した面持ちで、誰も口を開かない。
受付で木札を見せ、中庭に案内される。
そこには、既に試験官が待っていた。
「時間だ」
痩せた中年の陰陽師が、受験生を見回す。安倍家の紋が入った狩衣を着ている。
「私は試験官の安倍清正。まず、第一試験を行う」
清正が手を挙げると、中庭の四隅に立てられた柱が光り始めた。そして、その間に薄い結界が張られる。
「この結界の中で、指定された術を使ってもらう。成功すれば次に進める。失敗すれば、その場で不合格だ」
受験生たちがざわめく。
「最初は、火炎符。威力は問わない。とにかく火を出せ」
火炎符か。教本で見た基礎術式だ。でも、なぜ結界の中で? プログラミングなら、テスト環境を作る理由は......制御? それとも......
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一人ずつ、結界の中に入っていく。
最初の受験生が、震える手で符を描く。霊力を込めるが、何も起こらない。
「不合格。次」
清正の声は冷たい。
二人目、三人目。誰も成功しない。皆、緊張で手が震えている。
いや、待て。みんな同じように失敗している。まるで、何かが術式を妨害しているような......
ERROR
解析眼が反応した。結界を見つめると、情報が表示される。
【試験用結界】
効果:霊力を撹乱
強度:中
弱点:北東の柱
なるほど、結界が霊力を撹乱している。これはバグなのか、それとも意図的な仕様なのか。
「次、番号四十二」
小太郎の番だ。
「......行ってくる」
小太郎が結界に入る。深呼吸をして、符を描き始める。
昨日練習した、最適化版の術式。線の数は少ないが、それでも丁寧に、慎重に描いていく。
最後の一筆。
ボッ、と小さな火が灯った。
「......合格」
清正の声に、驚きが混じっている。周りの受験生もざわめく。最適化版は、霊力消費が少ないから、撹乱の影響も少なかったのか。
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「次、番号四十三」
黎明の番だ。
結界に入ると、空気が重い。確かに、何かが霊力の流れを乱している。
普通なら、これは不利な条件だ。でも、プログラマーとして考えれば......
バグがあるシステムは、逆に利用できることもある。
解析眼が示した「弱点:北東の柱」。そこに向けて術式を展開すれば、もしかして......
黎明は、北東の方向に体を向けた。そして、最適化した火炎符を描く。ただし、通常とは逆回りに。
これは賭けだ。もし失敗したら、ただの間違った描き方になる。
霊力を込める。すると、予想以上の反応が起きた。
轟、と音を立てて、人の背丈ほどの炎が立ち上がった。
「なっ......!」
清正が目を見開く。他の受験生もざわめく。
まずい。目立ちすぎた。
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「......合格」
清正が、じっと黎明を見つめながら言った。その目に、警戒の色がある。
結界から出ると、小太郎が駆け寄ってきた。
「すげぇな! あんな大きな火、どうやって」
「たまたまだよ」
残りの受験生も次々と挑戦するが、合格者は少ない。五十人中、十二人だけが第一試験を通過した。
「第二試験は、式神の作成だ」
清正が、紙を配る。
「この紙で、動く式神を作れ。形は問わない。ただし、私の命令に従うものでなければならない」
式神? 黎明は記憶を探る。紙に霊を宿して使い魔にする術......でも、他人の命令に従わせる? それって、プログラミングで言えば、アクセス権限を他人に渡すようなもの。セキュリティ的にありえない。
ERROR
また、エラー表示。何かがおかしい。
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黎明は、配られた紙を手に取った。
普通の和紙に見える。しかし、解析眼で見ると......
【仕込み済み和紙】
効果:術者の霊力を吸収
目的:受験生の霊力測定
ああ、そういうことか。これは試験じゃなくて、測定なのか。霊力の量を調べるために、わざと霊力を吸い取る紙を使っている。
プログラムで言えば、メモリ使用量のベンチマークテスト。
なら、霊力を最小限に抑えて、紙自体の仕組みを利用すれば......
黎明は、紙に簡単な術式を描いた。鼠の形の輪郭と、その中に動作を司る基本的な文様。黎明の記憶にある、最も単純な式神の形だ。
次に、「命令受付」の術式を追加する。ここが問題だ。通常なら、術者本人にしか従わないようにセキュリティをかける。でも、今回は逆。誰の命令でも受け付けるように......
プログラミングで言えば、パブリックアクセスを許可するようなものか。セキュリティ的には最悪だが、試験ではこれが求められている。
霊力を込める。ほんの少しだけ。すると、紙の表面が微かに震えた。
まだ動かない。紙は、ただ震えているだけだ。
「......起きろ」
黎明が小声で命じると、紙の端がゆっくりと持ち上がった。そして、不格好ながら、四本足で立つ形になる。鼠というより、紙を折り曲げただけの何かだ。
清正が近づいてきた。他の受験生の式神を見て回っているようだ。
「ふむ、これは......」
清正が黎明の式神を見て、眉をひそめる。
「前へ進め」
清正が命令する。
紙鼠は、一瞬震えた後、よたよたと前に進み始めた。紙の足が、ぎこちなく交互に動く。まるで、生まれたての子鼠のようだ。
「止まれ」
紙鼠が止まる。正確には、バランスを崩して倒れそうになりながら、なんとか静止した。
「......合格」
清正の顔が曇る。きっと、霊力測定の数値が異常に低かったのだろう。
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第二試験の合格者は、七人。
黎明、小太郎、そして五人の受験生。その中に、一人だけ異彩を放つ者がいた。
長い黒髪を後ろで結んだ、細身の少年。品のある顔立ち。着ている道着も、明らかに高級品だ。
【月読静夜】
HP: 95/95
MP: 156/156
Status: 冷静
MPが、黎明の十倍以上。これが、本物の才能か。
「最終試験は、実戦だ」
清正が、不気味な笑みを浮かべた。
「今から、下級妖怪を放つ。それを倒すか、あるいは一定時間生き残れば合格だ」
受験生たちが青ざめる。
「ちょっと待て! 妖怪と戦うなんて聞いてない!」
一人が抗議する。黎明も同感だ。いくらなんでも、これは......
「陰陽師になるということは、命を賭けるということだ。怖いなら、今すぐ帰れ」
誰も動かない。ここで帰れば、全てが無駄になる。
でも、本当にこれが普通の試験なのか? 黎明には分からない。ただ、ERRORの表示が激しくなっていることだけは確かだ。
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檻が運ばれてきた。
中には、犬ほどの大きさの黒い影。形が定まらず、うごめいている。
【下級妖怪・陰獣】
HP: 200/200
MP: 30/30
弱点:光属性
初めて見る、本物の妖怪。
黎明の記憶にも、こんなものと戦った経験はない。父から聞いた話でも、妖怪退治は熟練の陰陽師の仕事だと......
ERROR
ERROR
ERROR
解析眼が、激しく警告を発する。空の赤い靄が、急速に濃くなっていく。
檻が開く。
陰獣が飛び出し、最も近い受験生に襲いかかった。
悲鳴が上がる。
「散れ! 固まるな!」
誰かが叫ぶ。その声の主は、月読静夜だった。
彼は、素早く明かり符を取り出し、投げる。光が陰獣を照らすと、動きが鈍った。
「光が弱点だ! 明かり符を使え!」
解析眼の表示と同じだ。彼も、何らかの方法で弱点を見抜いたのか。
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しかし、明かり符を作れる者は少ない。
黎明は、懐から最適化版の明かり符を取り出した。そして、小太郎に一枚渡す。
「これを使え」
「でも、お前の分が」
「大丈夫だ」
黎明は、残りの符を構えた。三枚。これで、どこまで持つか。
陰獣が、こちらに向かってくる。
明かり符を投げる。光が陰獣を包むが、効果は薄い。最適化版は、光量が七割しかない。
「くそっ!」
小太郎が木刀を抜いた。いつの間に持ってきたのか。
「光で怯ませて、物理で殴る!」
理論的にはめちゃくちゃだが、プログラミングでも時には力技が有効だ。
二人で協力して、陰獣と対峙する。黎明が光で攪乱し、小太郎が打ち込む。
しかし、ダメージは少ない。HPが200もある相手に、これでは......
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その時、月読静夜が動いた。
彼は、複雑な術式を空中に描く。黎明には、何をしているのか分からない。ただ、膨大な霊力が集まっているのは感じる。
「月光掌」
静夜が陰獣に掌を向けると、強烈な光が放たれた。
陰獣が悲鳴を上げ、形が崩れ始める。そして、黒い霧となって消えた。
一瞬の静寂。
これが、本物の陰陽師の力か。圧倒的だ。
「時間だ」
清正が手を叩いた。
黎明は周りを見回す。小太郎は無事だ。月読静夜も立っている。他には......三人。一人は気絶して倒れている。もう一人は、恐怖のあまり結界の外に逃げ出したようだ。
「倒れている者は失格。逃げた者も失格」
清正が冷たく言い放つ。
「合格者は、最後まで戦い続けた五名だ。明日から、陰陽寮での授業が始まる」
五人。黎明、小太郎、月読静夜、そして名前も知らない受験生が二人。
「たった五人か......」
誰かが呟いた。五十人から始まって、五人。合格率一割。
清正は、それ以上何も言わずに去っていった。
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「大丈夫か?」
月読静夜が、黎明に声をかけてきた。
「ああ、なんとか」
「君の符、興味深いな。見たことのない術式だ」
静夜の目が、鋭く光る。
「ちょっと工夫しただけだよ」
「工夫、か。いや、これは......最適化?」
静夜が、ボソッと呟いた。
「私は月読静夜。君は?」
「結城黎明」
「結城......」
静夜は、何か言いかけて止めた。そして、手を差し出してきた。
「よろしく、黎明」
この世界の身分制度は、黎明の記憶にもあまり詳しくない。でも、高級な道着を着た静夜が、ボロを着た自分に握手を求めるのは、きっと普通じゃないのだろう。
黎明は、その手を握った。
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試験が終わり、帰路につく。
小太郎は、興奮冷めやらぬ様子だ。
「俺たち、合格したんだぜ! 信じられねぇ!」
「ああ」
しかし、黎明の心は晴れない。
あの試験は、絶対におかしかった。ERRORの連発、異常な霊気、そして妖怪との実戦。
これが、この世界の「普通」なのか? それとも、何か異常事態が起きているのか?
転生してまだ三日。分からないことだらけだ。
ERROR
解析眼が、まだ警告を発している。
空を見上げる。赤い靄は、まだ消えていない。むしろ、濃くなっている。
明日から、陰陽寮での生活が始まる。そこで、もっとこの世界のことを学べるだろうか。
そして、このERRORの正体も。
黎明は、不安と期待を抱きながら、家路を急いだ。
次回、第一部 第一巻 第四章:陰陽寮(上)。
妹系キャラ、登場。