第一部 第一巻 第二章:最初の仲間
翌朝、黎明は井戸端で顔を洗いながら、昨夜の発見を反芻していた。
術式は最適化できる。
無駄を省けば、自分の貧弱な霊力でも使える。
冷たい水で顔を拭い、空を見上げる。雲一つない青空。試験まで、あと二日。
「さて、と」
今日は町に出る予定だ。試験の申込みと、もう一つ目的があった。
昨日、教本を見ていて気づいたことがある。『陰陽道基礎』の巻末に、参考文献として挙げられていた書物。その中に『術式構造論』という本があった。もし町の書店にあれば、立ち読みでもいいから内容を確認したい。
朝餉を済ませ、外出の準備をする。
懐には銀貨が五枚。受験料でなくなる金額だ。
「行ってきます」
返事はない。父は部屋から出てこない。
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町への道は、昨日の記憶――いや、黎明の記憶を頼りに歩いた。
土埃の舞う街道。すれ違う農民たちが、荷車を引いている。朝市に向かうのだろう。黎明の痩せた体を見て、憐れむような視線を向ける者もいた。
没落した陰陽師の息子。
町では、そう認識されているらしい。
陰陽寮の出張所は、町の中心部にあった。
二階建ての建物の前には、既に何人かの若者が並んでいる。皆、受験生だろう。
列に並んでいると、後ろから声をかけられた。
「おい、お前も受験か?」
振り返ると、同い年くらいの少年が立っていた。
短い黒髪、日焼けした肌。道着を着ているが、サイズが合っていない。袖が短く、手首が出ている。
【佐々木小太郎】
HP: 120/120
MP: 8/8
Status: 緊張
解析眼が、自動的に情報を表示した。
「ああ、そうだ」
「俺もだ! 佐々木小太郎っていう。東町で道場やってる佐々木の息子」
小太郎は人懐っこい笑顔を見せた。白い歯が眩しい。
「結城黎明」
「結城って、まさか、あの陰陽師の?」
「......一応」
小太郎の目が輝いた。
「すげぇ! 本物の陰陽師の息子か! 俺なんて、剣術もできねぇ落ちこぼれだぜ」
自嘲的に笑う小太郎。しかし、その笑顔に暗さはない。
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受験手続きは、思いのほか簡単だった。
名前と住所を書き、銀貨五枚を払う。それだけ。
受験票として、小さな木札を渡された。番号は「四十三」。
「試験は明後日の朝、辰の刻に陰陽寮にて」
受付の老人は、事務的に告げた。
建物を出ると、小太郎が待っていた。
「なあ、黎明。この後、時間あるか?」
「特に用事はないが」
「じゃあさ、一緒に勉強しねぇか? 一人じゃ、さっぱり分からなくて」
小太郎は懐から、ぼろぼろの教本を取り出した。『符術入門』。表紙が半分破れている。
「古本屋で買ったんだけど、読んでも意味不明でさ」
ERROR
また、あの赤い文字が視界に現れた。今度は、小太郎の教本の上に。
「......いいよ。どこで?」
「マジか! じゃあ、うちの道場でどうだ? 誰もいないから」
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東町の道場は、想像以上に小さかった。
十畳ほどの板の間に、木刀が数本立てかけてあるだけ。壁には「佐々木道場」と書かれた看板が掛かっているが、文字が薄れている。
「親父は出稼ぎ、お袋は内職、妹たちは寺子屋」
小太郎が説明する。
「だから昼間は俺一人。気楽なもんさ」
二人で板の間に座り、教本を広げた。
「火炎符」のページ。基礎的な攻撃符術だが、それでも複雑な文様が描かれている。
「これ、全部描かないといけないのか?」
小太郎が困った顔をする。
黎明は、術式をじっくりと観察した。プログラマーの目で、構造を分析する。
「......いや、違う」
「え?」
「この部分と、この部分。同じ動きを繰り返してる」
指で文様をなぞる。
「プログラミングで言えば、ループ処理。同じことを何度も書く必要はない。一度定義して、それを参照すればいい」
「プロ......なんだって?」
「いや、なんでもない。つまり、こう描けばいい」
黎明は、紙を取り出して簡略化した術式を描いた。
線の数は、元の三分の二。
「これで同じ効果が出るはずだ」
「マジかよ......でも、教本と違うぞ?」
「教本が正しいとは限らない」
ERROR
赤い文字が、また現れた。教本の方が、間違っている。いや、非効率なのだ。
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小太郎は、半信半疑で簡略化した術式を描き始めた。
不器用だった。線がガタガタで、何度も描き直す。それでも、諦めない。
「くそ、また失敗だ」
「力を入れすぎだ。筆は軽く持って」
「こうか?」
「そう、その調子」
十五回目の挑戦。
小太郎が描いた符から、小さな火が灯った。
「お、おお......できた! できたぞ!」
指先ほどの炎。すぐに消えたが、確かに火炎符が発動した。
小太郎の顔が、子供のように輝いた。
「すげぇ! 本当にできた! 黎明、お前天才だな!」
「いや、ただの......」
言いかけて、止めた。「最適化」という概念を、どう説明すればいいのか。
「とにかく、ありがとう! 初めて術が使えた!」
小太郎は、黎明の手を握って激しく振った。
その手は、厚く、温かかった。
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夕方まで、二人で練習を続けた。
明かり符、火炎符、水符。どれも簡略化して、消費霊力を抑える。小太郎のMPは8しかない。黎明より更に低い。しかし、最適化すれば、なんとか使える。
「なあ、黎明」
休憩中、小太郎が言った。
「お前、本当に落ちこぼれか?」
「......霊力は、一般人並みだ」
「でも、頭はいい。術式の無駄を見抜けるなんて、普通じゃねぇ」
小太郎は、真っ直ぐな目で黎明を見た。
「俺、お前と友達になれて良かった」
友達。
前世でも、今世でも、久しぶりに聞いた言葉だった。
「......俺もだ」
そう答えると、小太郎は嬉しそうに笑った。
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道場を出る頃には、日が傾いていた。
「明日も練習しようぜ」
「ああ、いいよ」
「じゃあ、今度は黎明の家で。陰陽師の家って、どんなだろう」
「期待するなよ。ボロ屋敷だから」
「かまわねぇよ」
別れ際、小太郎が言った。
「なあ、黎明。俺たち、試験に合格できるかな」
「分からない。でも......」
「でも?」
「諦めなければ、可能性はある」
「......そうだな!」
小太郎は、拳を握った。
「よし、明日も頑張ろうぜ!」
そう言って、走り去っていった。
一人になって、黎明は空を見上げた。
ERROR
赤い文字が、空に浮かんでいた。いや、違う。空の向こうに、薄く赤い靄が見える。
【異常な霊気の集積】
原因:不明
危険度:上昇中
推奨行動:要警戒
解析眼が、警告を表示する。
何かが、起ころうとしている。
試験の日に、何かが。
でも、今の自分には、準備することしかできない。
黎明は、家路についた。
明日は試験前日。小太郎と、最後の追い込みをする。それが今、できる精一杯のことだった。
次回、第一部 第一巻 第三章:入学試験。