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記憶の水脈  作者: Patching a Poet
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彼女の一日

 朝六時。アラームの音に追われるように目を覚ます。

 昨夜遅くまでパソコンに向かっていたせいで体は重く、布団の温もりに後ろ髪を引かれる。けれど留まる時間はない。

 台所で電気ケトルを沸かし、冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。トーストを焼く余裕もない朝は珍しくない。ニュースアプリを流し読みしながら身支度を整える。

 通勤電車は混み合っている。押し合う人の波に身を縮め、今日の予定を反芻する。大切な会議、未処理のメール、上司への報告。窓の外はすでに明るく、眠気だけが自分を取り残している。

 会社に着けば、慌ただしさに飲み込まれる。メールを返し、会議に出席し、資料を直し、電話に答える。午前はあっという間に過ぎ去る。昼食はコンビニのサンドイッチで済ませることが多く、味を覚えている余裕さえない。

 午後はさらに忙しい。上司の言葉に気を配りつつ、同僚の意見を聞き、パソコンに映る数字を追う。気づけば窓の外は夕暮れに染まり、時間の速さに驚きながらも受け入れるしかない。

 退社は定時を過ぎるのが常だ。駅へ向かう道では、誰もが疲れた顔をして歩いている。自分もその一部に過ぎないと、群衆の中で知る。

 帰宅は九時を回る。冷えた部屋に灯りを点け、コンビニの惣菜を袋から出す。食卓に並べても特別な感情は湧かない。ただ空腹を満たすために箸を動かす。

 食後にようやく訪れる自由は短い。ソファに腰を下ろし、スマートフォンでSNSや動画を眺める。それは休息というより、時間を埋める行為に近い。洗濯機を回し、明日の服を用意し、熱いシャワーを浴びて体をほぐす。

浴室に入ると、冷たい空気が残っている。タイルの床は素足に冷たく、思わず肩をすくめる。蛇口をひねると、最初に冷水が出る。しばらく待つと徐々に温度が上がり、手のひらで確認してからシャワーを浴び始める。

 熱めの湯が頭から落ち、髪を濡らし、首筋を伝って背中へ流れる。仕事帰りでこわばった体が、少しずつ緩んでいく。シャンプーを手に取り、髪に泡を立てる。指の腹で地肌をこすると、一日の汚れや汗が落ちていく感触がある。

 泡を流すと、髪が重くなり、肩に貼りつく。もう一度シャワーを浴び、石けんで体を洗う。腕、胸、腹、脚の順に手を動かし、肌のぬめりを確かめながら洗い流す。

全身に湯をかけ終えると、汗も疲れも取れたように感じる。水を止めると、浴室は急に静かになり、耳の奥に水音だけが残る。鏡は湯気で曇っており、そこに映る顔ははっきりしない。

 タオルで髪と体を拭き、浴室を出る。外の空気は少し涼しく、肌に触れると気持ちが落ち着く。

 鏡の前で髪を乾かしながら、ふと「何のためにこの生活を繰り返しているのだろう」と思う。すぐに考えるのをやめるのは、答えが見つからないことを知っているからだ。

水を飲む。

冷蔵庫から取り出したペットボトルの水は、表面に細かな結露がついており、手に持つと冷たさがはっきりと伝わる。キャップを回すと、軽く空気が抜ける音がして、密閉が解けたことが分かる。ペットボトルを傾けてコップに注ぐと、透明な水が細い流れとなって落ち、ガラスの底で小さな音を立てる。注ぎ終えると水面は静かに揺れ、光を受けて反射する。

 コップを持ち上げて口に運び、一口含む。冷たい水が舌に触れ、喉をまっすぐに通っていく。乾いていた口の中がすぐに潤い、体の内側に冷たさが広がる。続けて二口、三口と飲むと、喉がごくりと動くたびに、自分の内側で小さな音が響く。

 途中で一度コップを口から離し、息を整える。冷たい水を飲んだあとの呼吸はわずかに楽になり、口の中には清涼感だけが残る。再びコップを傾けて残りを飲み干すと、喉の渇きはほとんど収まり、胃のあたりに水が落ち着いた感覚が伝わる。

 空になったコップを流し台に置くと、ガラスが軽く音を立て、動作が一区切りつく。残ったペットボトルの水を冷蔵庫に戻すと、冷気に触れた表面にすぐ新しい水滴が浮かび始める。台所の静けさの中で、飲み終えた後の涼しさだけが体に残っている。

ベッドに横たわると、外から車の音がかすかに響く。その音を聞きながら、彼女は静かに目を閉じる。眠りは浅くとも、明日もまた、同じような一日が待っている。


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