8.屍達の舞踏会序幕−肆−
『術式結界』結界術に術式を織り込んだもの。外界と内界を分ける高等術に術式を織り込むという業であり、実際に出来るものは限られる。
「『黄昏の舞台』」
大地に陣が描かれたと思った次の瞬間、周囲にサーカスの幕のようなものが降りる。周りに階段状の客席が現れ、中央の舞台がせり上がる。数羽の白鳩が飛び立ち、スポットライトの当てられた舞台の中央に一人の人物はハット帽を片手で抑え立ちふせている。
「淑女&紳士!少年&少女!今日もまた私の舞台へお越しいただき誠に感謝する」
ハット帽を脱ぎ、胸に当てて深々と腰を折り礼を述べる。どこからともなく、いないはずの観客の響かないはずの歓声が響き渡る。
「今宵は、こちらの青年−西園寺力也くんをゲストに迎え、舞台を盛り上げていただく手伝いをしてもらおう」
勝手に奇術師のゲストに選ばれたことにも、謎の歓声にも、舞台が出て来たことにも、何よりここが『術式結界』ということに驚き戦慄く身体を落ち着かせる。
(どういう能力かは知らないがこの感じ、相当強いな。一歩間違えれば全滅必須か)
「面白いな」
ニッと笑い最強の学生は覚悟を決め、型を取る。
いつでも戦える。必ず捕える。強い意志を眼の奥で燃やし、構える。
「さあ始めようか…
血のマジックショーを」
数枚トランプが宙を舞う。トランプたちは力也の近くを通過したとこで爆ぜた。
煙の中を迷わず奇術師目掛けて駆け抜ける。そこまで距離は空いていない、すぐに詰められる距離だ。
「短慮は崩壊を招く。もっと慎重に動きたまえ、青年」
煙の中から大鎌が姿を覗かせ、首を掻っ切ろうと狙う。それを紙一重、仰け反らせて躱わす。
忘れてはならない。この男もまた、どうやったのか力也の能力を貫き、切り裂くことができるのだと。
もう一度爆発。今度は煙を起こすためのものじゃなく、力也自体を狙ったものだった。爆炎は力也に近づいて、止まる。どうやら炎自体にはさほどの殺傷能力はないと見られる。
「『ハートのカード』はご満足いただけたか?」
「これに満足するのはどんな欲しがりだ?教えてくれたら僕の方からもを『ご褒美』をあげたいね」
無駄な問答。それでも無視する訳にはいかない。相手の一挙一動が少しでも止まってくれているなら、それに越したことはない。是非に恩恵を受けさせてもらう。
文字通り皮の厚い面をしているせいで表情を読むことは出来ないが、爽やかな笑顔が目に浮かぶ良い声に多少のイラつきを感じたのも事実だ。
「充分。さて、次は…」
バラバラと小気味のいい音を立てて札を切る。何かの準備であることに間違いはないだろうが、下手に動くことはこちらの不利に働く可能性を考慮して待つ。
「こちらのカードの中から一つ、お好きなものを」
目の前に出されたのは53枚のカード。何が起きるかは分からないがとりあえず一枚を選ぶ。
「『ダイヤの8』か…まずまずだね」
カードが泡沫となって消え、奇術師の上に巨大な宝石が落ちる。カードの効果だろうか、引いた者がその効果を発揮するといったところだろう。
巨大な宝石が真っ二つに割れ、中から奇術師が現れる。
その手には『スペードのJ』がー
背後にジャック―騎士―が首斬り役人が如く立っている。その剣が狙うのは首ではなく腕だったが。
「潰れろ」
強力な引力に騎士はなす術なく捻り潰され、無くなっていく。元は魔力の塊、潰れれば塵となって消えるのがオチだ。
それなのにあの騎士が苦し紛れに放った剣は肩を貫いていた。
「すまない、カードの予想を立てるのがまだだったか、手順を間違えたな」
その声色で言われても説得力がない。「説明する気なんてさらさら無かった」なんてニヤけた顔がすぐに思い浮かぶ。
だが今の発言だけでも今の能力に大体の予想はつく。
(予想したカードと当たってたら避けられる感じなんだろうな、マジック関係あるか?それ)
「予想せずに引きまくりゃいいのに」
嫌味ったらしく、嘲笑するような発言。少しでもあれ―紳士の皮を被った怪物―の化けの皮を剥がしてやろうという腹だ。とてもじゃないが、やりにくい。やり口が巧妙かつ狡猾な貴族たちのように痛いとこをついてくる癖にやり返そうと思ったら飄々と躱される。
こういった相手は情緒を乱して仕舞えばいい。毅然としたその態度をバラバラにしてしまえばいい。
「それでは少々、華に欠けるだろう。私が一方的に暴力を振るったとして観客は満足などしないだろうからな」
何の嫌味も響かずに言い返して来た。しかも、「手加減してやってる」なんて丁寧にリボンまでついたおまけ付きで。
この結界に入った頃からだろうか、どちらかの攻撃が決まると大きく、血が流れればさらに大きく歓声が湧き上がるのは。
なんとはなしに聴こえないフリをしてはいたが今の話を聞いて無視を貫くは難しい。「観客も何かしらの関係がある」と言われたようなものだ。
「あっぶな!」
大鎌が頬を掠めた。危うく口と鼻がサヨナラをするとこだった。ブリッジの要領で身体を反らし、反動を活かしたサマーソルトを一発。
一際大きい歓声が湧いた。舞台全体が熱狂に包まれ出した。
「やはりいい動きをするな。流石と言ったところか」
「よく言うな!バケモンみたいな体幹しやがって!」
手応えはあった。それどころかかなりいいのが入ったはずなのに、肝心の相手はすこし仰け反る程度の威力ときた。
(クソッタレもいいとこだな)
「フル回転で行くか…!」
パァン…
小気味よい音と同時に、奇術師の顔が歪む。能力を使い加速した拳に引き寄せるようにして、逃れようのない暴力が襲いかかる。
そのまま一撃、また一撃と様々な箇所に打ち込んでいく。次第に、はたまた最初から慣れていたのか対応して切り返してくる。速度、技量共に両者互角。
片手でトランプを捲り、唱えるのは―
「クラブの3」
力也の声。カードの予想を立て、少しでも攻撃を減らす、当たればラッキーの適当な予想。返答は、
「残念、ハートのAだ」
目の前で特段大きな爆発が起きる。それに加え三本の棍棒による大振りの殴打が来る。
(予想が外れれば『引いたカード』と『外したカード』の効果がセットで来るのか、ハイリスクハイリターン、期待値低めのギャンブルだな)
防御の能力を切ったために爆発のダメージは貰ってしまったものの棍棒は能力で壊した。そちらのダメージはない。寧ろ、斥力の威力を奇術師の方が貰ったのであればお釣りまで来たようなものだ。
爆煙の中、両者動く。奇術師は大振り、殺りに来る構えで。力也はそれに相対するように。
(大振り…来る!)
歓声が、熱が沸き上がる。
身体を捻るようにした蹴りの動作に入る。
加速する。鎌も、脚も。
激しい衝撃が走り、纏った魔力は弾け、燃え、閃光を放つ。
攻撃が逸れる。どちらの攻撃も決定打たり得ず、再度動く。動こうとして―
転んだ。蹴り上げた脚を下ろして動こうとした筈の脚が…
ない。
(脚。切られた。転んだ。攻撃。来る!)
止まりかけた思考を無理くり動かして身体を引き寄せるようにして距離を取る。
「どんな能力だよ…」
「人体切断マジックはショーの目玉だろう?わざわざくっつけられるようにしてあげたんだ、感謝したまえ」
また相手のペースに。一度互角に持っていったと思ったら戻されてしまった。切断された脚は無惨に転げ落ちている。
「感覚あるのか…気持ちわる…トカゲのしっぽみたいになってるじゃんか」
「せっかく目玉のショーのゲストになれたんだ。楽しみたまえよ」
ハット帽におもむろに手を突っ込み、取り出したナイフが飛翔する。
「残念だけど俺はチケットを買った覚えはない…な!」
無理やり身体を起こし、能力を使って脚を引き寄せる。
引き寄せた脚を走り出した自身の身体に押し当てるようにして治す。
その足で奇術師に向かい、低い蹴りを見舞う。飛翔したナイフは軌道から逸れ、外れていった。
「能力での防御に戻したか。判断力は鈍ってないようで安心したよ」
自身の能力を貫通することができる相手の戦闘、リソースを攻勢のために使いたいが為に防御は頼らない判断をしたが、打って変わって能力頼りの防御に戻す。結局のところこれが最も信用できる確実な方法なのだ。
低い蹴りは奇術師の身体を浮かせ、動きを縛る。停滞した身体に打ち込むのは全霊のー
「『逆式』」
奇術師の眼前で空気が爆ぜた。否、空があらゆる物を拒絶し弾き飛ばした。弾け飛んだそれは激しい音とともに彼の、奇術師の顔を吹き飛ばした。
「ふう…」
ようやく一息つけると、溜めこんでいた空気を吐き出した。勝ったとはいえ、正直なところかなりギリギリだった。『最強』もあくまで学生の中では、の話な訳で、経験はまだ浅い方だ。経験値の積んだ蘊蓄のある大人の方がよっぽど強いことだってしょっちゅうある。
(あいつかなり強かったな…低く見積もってもA級はあるんじゃないか?)
激戦の後、少々気分も高揚し、冷静さを取り戻すために、と改めて強敵に思いを馳せて―
―違和感。
確かな違和感を覚える。何かがおかしいのだ。
吹き飛ばしたのは頭のはず。即死、良くても暫くはまともに意識も帰ってはこないはずなのだ。そして、結界術とは、術者本人が亡くなる、ないしは意識を失えば、形を保つことが出来ずバラバラと崩れていってしまうのだ。
「幕が上がってない…!」
結界はある。ということは、あの男には
(あいつは…奇術師は生きてる!)
何事もなかった。響きもしなかったということだ。
「よく気付いた!」
吹き飛んだ身体はバラバラと音を立ててトランプとなって崩れていく。偽物だった。
「だが少し遅かった!」
そう語るその男の手にはジョーカー。効果は。
「何が遅いってんだ!」
腕を構え、思考性を持たせた能力はそこに引力を生じさせる。異常なほどに強力な引力は空間を歪ませ、奇術師を呑み込む。しかし、そこにあるべき男の半身はまたバラバラと崩れ去っていく。
「ジャックポットだ」
瞬間、力也の身体に大きな十字の切り傷が刻み込まれた。首じゃなかっただけマシなものかと、思い込むことにするも、崩れたカードが爆発し、切り刻み、殴り、宝石を降らせる様を見れば分かる。
「確かに切り札…だな」
辺りは大きな歓声と熱に、粉塵に包み込まれた。
爆風が辺りに吹き荒れ、金糸の髪がなびき、ハット帽は抑えなければ何処かへ飛んでいってしまいそうだと軽く抑える。
クククッと奇術師は笑う。何がそんなに可笑しいのか、どうしてそんなに笑えるのか。
それはやはり、目の前のあの男によるものだろう。
「なかなかに『最強』だな、君は」
「ああ、それが取り柄なもんでな」
煙は一箇所にまとめられる。引力は煙までも飲み込んでいく。
真正面。遮蔽物、小技はなし。両者、再び相対する。
互いに目の前の怪物をどう討伐するか、それだけを考えて。
どちらが早いか。先に動いたのは…否、同時か。
素の敏捷性で言えば奇術師の方が上である。しかし、能力を使えばその差など、簡単に埋められる。
先刻は競り負けた大鎌に、果敢にも突っ込んで行く。体勢は低く、少しでも狙いを鈍らせるために。脚は止めず、ただ叩き込むことだけを考えて。
力也の掌が鎌を捕らえた。その脚は止まることなく、背後へと身体を運ぶ。
「チッ」
(さすがに取らせてはくれないか)
目的を太刀取りから背後からの打撃に切り替え、素早く幾つか叩き込む。その間、ただ立ち尽くしてくれる訳じゃない。奪われた腕の自由を取り戻すために彼自身も回転する。
「君がこんなにも粘着質な男だとは思わなかったな」
あまりにもピッタリとくっついてくる相手に一抹の不快感を感じたのか呆れたように彼は口を開いた。
「しつこい奴は嫌いか?」
そんな彼とは裏腹に、ようやく澄ました顔を歪められた、少なくとも柔和な声から怒気の混じった声に変えられたことに「してやったり」なんて表情を浮かべて、挑発するように応対する。
「さあ、どうだろうか」
グンッと鎌を引く力が増す。
(こいつスピードタイプのくせにパワーまであるのか!)
あまりの勢いに手が離れる。奇術師は回転の勢いを殺さず、そのまま、否、それ以上の速さで鎌を振るう。
腰を目掛けて高速で駆ける鎌は、力也に傷をつけようというところで当たることはなく、すり抜ける。
奇術師の動きが微かに止まった気がした。
「これには驚くんだな。一個前には驚かなかったからどっかで知ってると思ってたんだが」
その隙は見逃されることはなく、力也の拳は奇術師を確かに捉えた。今度はバラバラに崩れることなく、一撃の重さに後退する。
左右からの発破。斥力によって作り出された衝撃は逃げる隙を与えずにダメージを蓄積させていく。まだまだ、決定打にはなり得ない。加速させた拳を顔面に叩き込み、がら空きの胴体に鋭角のアッパーを差し込んでいく。
よろけた。先程まで悠々と相手されていた敵が、確かによろけた。
ペースをモノに出来たならば後はもう叩き込むのみ。
頭に踵、肩に掌底、正拳、手刀、肘、背刀。止めどなく叩き込んでいく。
ここまでの刹那の間に彼は既に正気に戻っていた。この手を止めるのに最適な手段は何か、そうだ。
53枚のカードの束に手が伸びる。カードを引けばそれに準じた効果が発動される、どんな攻撃が来るかは分からない運次第のハイリスクハイリターン、期待値低めのカードゲーム。但しそれは攻撃を受ける側に限る。
この男は奇術師なのだ。相手が考えているカードを当て、それを引き抜くことなど造作もない。無論、その逆も然り。
「さあ、カードは!」
カードが捲られる。完全に捲られれば攻撃が来るのは確定事項となり、距離を取られる。取られなくとも、ペースを戻されるのはほぼ確実。力也にとって、今ここでこれが繰り出されるのは、あまりにも厄介と言うに他ならない。
両者の思考が錯綜する。
どれが来るのか、どれを叫べば防げるのか。
どれを引く。この男は今、どのカードを思い浮かべている。
勢いよくカードが一枚、束から引き抜かれて―
拳槌が奇術師の手の首にかかる。カードが落ちる。
「スペードの5!」
少年の口から叫び出されたのは、スペードの5。カードが裏返ればもう効果は発動される。それよりも前に少年は叫び、53分の1に可能性を賭ける。
カードが裏に返る。役は、数字は。
スペードの5
―しかし、何も起こらなかった…
「ジャックポット、でいいよな?」
大きく振りかぶった正拳の突きが奇術師の胸部に一閃。溢れ出した魔力は赤く輝き、空間は割れる。
―顔をあげた力也の目の前には奇術師の姿はいなかった。
代わりにいたのは鎌を杖に、身体を支えるボロボロの紳士が一人、立ち尽くしていた。
―――――――――――――――――――――――――
―数分前
「『ホール』内部、特殊エリアにて結界発生!魔力、登録なし!侵入者によるものと予測されます!」
「結果の形状は赤と白のサーカスの劇場のようなもの!特殊形態を取ることから術式結界だと思われます!」
「結界外縁に西園寺力也の魔力の残渣を確認!内部に取り込まれた模様!」
けたたましい声々の中から一際大きな声で伝達されたのは更地と化した塔だらけの特殊エリアの中心に異様な影を落とす劇場、結界とその周辺の様相。
この場にいる誰もがそれの危険性をよく知っている、理解している。
それは高度な結界術に加え、卓越した術式運用が可能な者だけが扱える異能戦における切り札と言えるもの。
扱える者の中にちょっとやそっとで敗北を喫するような未熟者はそういない。
しかし、結界内部にいるのがあの西園寺力也だと分かり、安堵の声をあげる者も幾らかいた。「あの子が相手ならなんとかなるだろう」とは一職員の言葉だ。そんなことが漏れ出るくらいにはあの青年は『最強』なのだ。
「総員気を抜かず警戒を続けろ!探索班は引き続き侵入者の捜索を続けろ!敵が一人とは限らんぞ!」
ヴィルベルムの指示を受け全員、持ち場に着き直す。
危険。ただそれだけが彼女の脳内に鳴り響いていた。おかしいのだ。西園寺力也がまだ学生であるとはいえ、既にイクサビトとして活動することが許されるその強さは一般の人間でも知ってる人の方が多い。寧ろ、ここに忍び込むのであれば真っ先に調べをつけ、一切の接触もないように避けるべき相手のはずなのに、これは―
(あの青年を飲み込んだ。集団でかかったとて負ける可能性の方がよっぽど大きい相手に、これだけの時間がかかっても結界が消えない。これは皆が思っている以上に…)
「…難敵だね」
術者は、S級を相手にこれだけの時間戦い続けていることを考えると相当厄介な能力を持っているか、最低でもA級以上の実力を持っているか、はたまたその両方か。いずれにしても面倒であることは確実である。
溜め息の一つや二つ、漏れ出るというものだ。
しかし、だからと言って投げやりになるのも、責任を放棄するのも、あまつには気を抜くことさえもすることはない。
「猿川!君は急ぎ目標まで移動せよ!姫路、彼に座標を」
「はい!猿川楽の端末に目標座標、及び経路を転送…完了しました。エージェントは早急に目標地点まで移動してください」
「…ていう訳だから先生は仕事に戻らせてもらうな」
東間の生徒たち…特に3人が死亡したことを目撃している子たちの下から離れるのは少々、いやかなり気が引ける。いくら高校生といえどまだ心身ともに未熟、目の前で人が死ねば狼狽し、パニックに陥るのが当たり前。
それでも仕事は仕事。こうしている間にも他の場所で被害が拡大してしまう。
(…それだけは絶対に防がねぇと)
「先生がいなくなる代わりにここに護衛のイクサビトを何人か置いて行くし、なんだったら『ホール』の外に出てもいい。というか先生としてはそうすることを勧める。俺が残るならまだしも他の人じゃあ不安も残るだろうしな」
(もしくは西園寺がここにいてくれたら…まあ仕方ないか)
慌てる生徒たちを落ち着かせるため、というより冷静さを保っている子らに分かってもらうために説明する。そんな子は両の手で数えられる程にしか見当たらないが、それでいい。大人から説明されるよりも冷静な同年代からの説明を受けた方が良いように動いてくれることの方が多い。特にこの多感な時期は。
「先生…今ここで何が起こってるんですか…?」
相川深雪…最近部のマネージャーになった新参者。普段から突拍子のないことをする神河を抑えていたり、血気盛んな部員にも劣らない胆力で部を支えてくれている、そんな彼女の手には微かな震えが見えた。その手の奥にいる本間を守ろうとしているからか、人死にが出たためにただならぬ恐怖を感じ取ったのかは分からないが、その表情からは緊張が読み取れる。
「すまん。そのことは今みんなには教えてあげることは出来ない」
酷な事だ。余計な混乱を起こしてしまうことになりかねないとはいえ、目の前で事件が起きてその被害が自分にも来るんじゃないか不安で仕方ないであろうはずの子らに「言えない」としか伝えられないのだから。
―恐怖に囚われた雛鳥が空を駆けることが出来ないことを知っていてとしてと、今はまだ籠の外に導く時ではないのだから。
ただそう吐いた後、猿川は地面を蹴りだした。
―――――――――――――――――――――――――
(もう目は離さない)
奇術師は舞台上にうつ伏せに倒れ込み、動くことはない。まだ軽く意識はあるのか、幕はまだ上がらない。それが上がり出すまでは二度と慢心はしない。
静かに、冷ややかに彼の足は歩み出した。
(死んではない。多分死なないだろ、こいつ多分S級クラスだろうし)
まだ歩みは止まらない。
(知りたい…吐かせたい情報が山程ある。死んでもらっちゃ困る)
足の間隔が閉じてゆく。
(でも結界の外には早いうちに出ておかねーと)
歩みが止まった。彼の足元には漆黒に身を包んだ奇術師が転がっている。
「……ぁ…が…」
呻き声。特段、身体が動くことはなく、ただどうにもならない声をあげただけ。そこに大きな意味などありはしない。
鈍い音がなり、奇術師が完全に意識を手放した。
幕は上がり、会場から贈られるは拍手喝采。最後の最後まであの観客たちがなんだったのかは終ぞ分からなかった。
そして、幕が上がれば見えてくるのは更地と化した特殊エリアと、ゾーラ…先程闘った相手だけ―
目を疑った。あり得ない、と。
身体が動いた。どうにかするために。
その全てを嘲笑うように、鮮やかな赤は大鎌を伝う。
「遅かったじゃないか、青年」
辺りには駆けつけた大人たちの骸が転がり、ゾーラは大鎌に腹を突き刺されている、その光景が彼の眼に焼き付けられた。
「もう少し早く出てくると思っていたんだがね、あまりにも予想から外れてしまってね。少々、暇を潰させて貰ったよ。ああ、だが、彼…猿川が来る前に出てきてくれたことには感謝しよう。こちらとしても今はS級二人を相手する気は起きないのでね」
考えるより速いか、力也の拳が奇術師の無駄に気に障る仮面を砕き、貫いた。
しかし、やはり気がついた時にはトランプの音とともに男は姿を消してしまう。
「なんだ、出来るじゃないか。まさか先程までの私には手加減でもしてくれてたのかね?それなら不躾にあれこれと言ったことを恥じ、改めなければな」
「黙れ」
もうそこに好青年の姿は無かった。過剰なまでの怒気と猛烈に襲いくる殺意を隠しもしない鬼神だけがそこにいた。
「お前は何がしたい。どう生きれば人を殺し、傷つけた後、ヘラヘラと笑って息をする傲慢さを身につけられる」
「それは君たちにも言えることだろう。悪人とは言え人を殺し、あまつにはその戦果を誉として意気揚々と語る。そこになんの違いがある」
先程までの飄々とした雰囲気は一変、時の権力者のような冷たく、静まり返った声が帰ってくる。
「悪人を殺し、善人の為の世を築く。その為のイクサビトだ。自分の身勝手な欲を満たすだけに殺しをする貴様らとは根本が違う」
「それなら暴力が肯定されるからなどという理由でイクサビトに入るのは善ということか。それなら次からはそうすることにしよう。それであれば私刑も認められるだろう?」
「くだらない理屈を…」
力也が走り出した。今度こそ、その男の息の根を止めるために。
しかし、何も起こらなかった。
正拳は空を斬り、奇術師は姿を消した。
「今一度、よく考えるといい。どちらが空虚な理想論で戯言を述べているのかを」
そう言い残してどこかへと姿を眩ました。
西園寺力也:魔力操作 S
能力 万有引力
ランク S
所持ポイント 43点
特記事項 また主役取られた気がする