28.火星のスケルツォ
「静かだな」
もうすっかり陽も落ちてここに押し寄せていた人の波も引いた頃、たったの三人だけが病室に残っていた。
当たり前にひばりはここに残っていないとおかしいのでベッドの上に座り、そのすぐそばに力也が居る。モスキュールは一歩、二人から引いたところに控えている。
思い出せば二人の会話はいつだって騒々しかったものだ。訓練中にも関わらずに何度も何度もいがみ合ったり、煽り合ったりしては怒られて、そのことで言い合ってまた怒られてを繰り返す。
教室でも下校中でもそれは変わる事はなくずぅっとそのままで何度呆れ返ったか覚えていないし、覚える気にすらならない。
それが今やこんなにも静かになった。
確かに「頼むから静かにしてくれ」とは思ったさ、毎度同じく叶うことなんてなかったけど。だけど、こんな形でなんて頼んじゃいない、寧ろ望んですらいない。
「そうか?意外とうるさいぞ、こいつ。まったく、元気出してやろうかと思ったらこっちが元気出てきちまった」
モスキュールのいる方へと体を向けたかと思えばホワイトボードが見えるように体を傾ける。ボードには丸みのかかった文字で“バーカ”と三文字が威風堂々並んでいる。
本人たちは彼が考えているよりも楽観的なようだった。これだから凡百の人間とは感性の異なる天才っていうのは困る。つい先日はここで玉の涙を流していたかと思えば、今やどうにかなるとでも思っているんだろうな。こちらの心配など他所に楽しくやりやがって。
「声がなくてもうるさいなんてどういう才能なんだろうな?僕じゃ思いつかないな」
笑う力也に「お前も同じ才能持ってそうだけどな」と伝えると「んだと!」と怒り出した。
“ざまーみろ”と線を残したボードが小刻みに揺れる。
医者が言うには寝たきりだった原因自体は純粋に身体に負ったダメージによるものであって後遺症とか呪いとかのせいではないらしく、呪いはどちらかと言うと喉の方に掛けられているようだった。
まあ、「そうだろうな」と言う感想しか抱かなかったが、今は命に別状はないことを喜ぶことにした。
先生が言うには「呪いが割に合ってない。声を出させないってだけのくせにやけに高度な術式が組まれてる」とのこと。おそらくこちらからの解呪は難しそうで、術者本人に解かせるか術者を殺すかでもしない限りは解けないだろう。なんでわざわざそんなことをしたのかは理解に及ばなかったが、現状は納得するしかなかった。
意外だったのは力也がこれを容易に飲み込んだことだ。
アイツのことだから「じゃあ今すぐにでも解かせに行こう!」とか言って飛び出すかと思ったが、すんなりと受け入れて出来る限りでひばりのサポートをすることを選んだ。
二人は夜が更けるまで話し続けた。側から見ればきっと力也だけがひばりに一人相撲のように言葉を押し付けているようにしか見えないだろうが、二人の間には確かに言葉が、会話があった。
“帰らなくていいの?”
先にも言った通り、夜が更けるまで話し込んでいた。外はもう真っ暗で、腕時計の長針が七をとっくに回り八に差し掛かりそうになっているような時間帯だ。
彼女としてはそろそろ帰らなくていいのか不安になってくる頃だろう。
「まあ大丈夫大丈夫。僕の親のことはよく知ってるだろ?多分笑ってくれるさ」
“それはそうなんだけど、お医者さんに怒られるんじゃないの?”
忘れてた。
そう言えば二時間弱前にはしれっと夕ご飯の入院食を食べていたし、あと一時間もすれば消灯時間にもなる。そろそろカンカンの医療従事者たちによる学生最強への迫害が始まってしまう。ただでさえ面会時間無視して居座っているのに。
これはもう笑って「うちの親なら〜」とか言ってる場合じゃないかも知れない。
「悪い、すぐ帰る!」
ドタバタと荷物をまとめてリュックに詰め込んで、肩に通して背負って急いで扉を開ける。「また明日な!」と勝手に言い放って何も言わせる暇も与えないまま行ってしまった。
去り行く人はひばりからしてみれば、寝て起きたら顔を出してきたいつも隣にいた奴であって、特別久しぶりに感じなかったし、寧ろ向こうがずっと帰ろうともしないのがむず痒いくらいに感じてたというのに、何故だか今になって胸に穴が空いたような感じがする。
その背中に何も語らず小さく手を振る。
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校庭の隅に人だかり。
決して授業中に勝手に抜け出して集まってるわけでもなければ作者に授業風景を書く力がないわけでもない。純粋にただ朝練の最中に部員約八名が集まっているだけだ。
「じゃあひばり先輩治ったってことですか?!それじゃ静ちゃん、早速!今日!なんだったら今すぐにでもお見舞いに行きましょ!」
「今すぐはさすがにちょっと困るかな…でも目が覚めたようで何よりです」
困ったようにも満更でもないようにも見える顔をした静が深雪を嗜める後ろでモスキュールを除く男共が武器の調整やら何やらを続ける。
昨日どころか連日連夜足繁く彼女の所へと通い続けていた男はと言うと「あーそういえば治ったのか、良かった良かった」みたいな興味ない感じを装っている。モスキュールはその様を見て心の中で微笑む。中身はあまり変わっていないのだと確信する。
透馬は透馬でここ数日で紅葉の分まであらゆる友人たちから絡まり過ぎたために首を突っ込まないように、突っ込まれないように身に付けた『気配を消す魔法』を全力で展開している。間違いなく静の次に絡まられるのは自分だという確信と、静よりも強くめんどくさいのに来られるという確信があるので、気配を殺し続ける。それが徒労に終わるとも知らずに。
結局のところ深雪に連行されるのが決まっていたのは静と透馬、それに加えて力也さえもが―首根っこをとっ捕まえられて引き摺られながら―決まっていた。
「透馬たちは毎日こういう目にあってるの?」
拒否権を奪われた力也が珍しく死んだ魚の目をしつつすぐ隣の透馬に問う。
「頻度は高いですけど毎日ではないですよ。昨日はシュン…友達が一発芸させられてましたけど」
顔を青ざめただけで結果を聞かなかったのはまあファインプレーだったと言える。透馬にしても出来ることならあまり思い出してやりたくはない記憶なもんで。
そんなこんなしてるうちにひばりの病室まで辿り着く。いつ来てもここは変わらない、そりゃあほぼ毎日人が出入りしていて且つ手入れがしっかり行き届いた場所がおいそれと変わる変わるしていたら一種の恐怖体験かもしれないが、生気の感じられない扉と壁が一層気分を沈ませる。奥には他でもない生きる者がいると言うのに。
能天気とは感染するものだっただろうか?
我々の知るところでは癖や仕草はある程度伝播するが性格が人から人へ伝わっていくなど聞いたこともない。
しかし現にこの女、相川深雪はなんの躊躇いもなく勢いよく扉をスパーンっと開けては「ひばりせんぱーい!回復祝いに来ましたー!」と言い放つ。
…回復とまではまだいかないかなあ
周囲もまたそれに続く。さすがに深雪レベルのテンションの高さはないが皆「お久しぶりです」くらいのテンションで、力也は少々ぎこちない笑みを浮かべながら。
ひばりは何も言わない。
何も言わないがその目で、表情で語る。振る手は小さく目立たない。
ひばりの網膜が順々に人物を捉えては脳がそれを解析していく。
(…足りない)
今いるメンバーを見れば、自ずとどういうグループが来たのかは大方察することは出来る。…力也が混ざっているのが若干の謎ではあるが、それを除けば今年の新入部員の『やかまし四人組』であることははっきりと。
そこに一人足りないのだ。
彼女が特別指導した後輩一人が足りない。
昨日も来なかったと思えば今日も?
確かに失礼なとこはあるかもしれないけど情がないわけじゃなかったはずだ。
(…何かあったのかな?)
最も、それが確信に変わったのは彼女らが何事もないように、平静であるように見せかけてひばりの方へと近寄ってきたときだ。何事もなかったように彼女のベッドの周りに集まっては果物やらなんやらを食べさせようとしてくる。
そんなに押し込まれても入らないものは入らないってば。
無言の抵抗虚しく口内に差し込まれた林檎は夏場にも限らず甘かった。
どうやら私が眠っている間に色んなことがあったらしい。
色んなことと言っても部員がほとんどいなくなってしまったことと、お陰様で部室は他に譲ってしまい今はグラウンドの片隅でひっそりと練習をしていることと、もうすぐそこまでにじり寄ってきた試験が大変だって言うことくらい。このわたしをゾッとさせるなんてなかなかやるじゃないか。
“今度わたしにもテスト範囲と内容教えてね”
いい笑顔でこのホワイトボードを突きつけられた彼は「しょーがねーな」と呆れたように笑う。多分もうしばらくしたら教科書全部持って来る、わたしには分かる。こいつはやる。
じゃなくて、肝心なことがまだ聞けてないんだけど?!
足りないよ?人数も、伝えるべきこともまだあるでしょ?
さては隠し通すつもりだな?そうはいくもんですか。静ちゃんとか深雪ちゃんとか表情からバレバレなんだから白状しちゃいなさい。
“ところでなんだけど”
全員の動きが一瞬ピタリと止まる。まるで四人だけ体が凍りついたみたいにピクリともしない。
ま、たかが一瞬なんですぐに露骨に話題を逸らし始める。なんて分かりやすいんだ。ペンは止めてやらないけどね。
“紅葉、どこ行ったの?”
あのみんなの苦い顔ときたらひどいもんだったよ。0点のテスト隠してたのがバレた子どもみたいなバツの悪い顔をみんなが浮かべてたものだから、わたしもちょっと問い詰めるように“なにがあったの”と聞いてやる。
まったく分かりやすい芝居なんてやらないでもらいたい。どうせすぐにバレるんだから変に隠したって無駄でしょうし、なによりあんたたちは何も悪くないじゃん。
でも、それはそれとして色々言いたいことはある。テレビニュースも久しぶりに見ると確かにそのニュースをやってるところがちらほらあったり、ネットには紅葉への誹謗中傷は掘れば掘るほどに出て来る始末。年々イクサビトが減っていく理由がよく分かるわ。
“なんで隠そうとしたの”
「先輩病み上がりなんで変な心がかり残すとどうなるかわかんないのと、何しでかすかわかったもんじゃなかったんで」
くそぅ、こう言われると確かにその通りと言いたくなってしまう。おのれ、なにやつだ?わたしの暴れん坊時代をバラしたのは。
まぁいいか、あいつがここに来なかった理由はもう分かったし、わたしが出来ることがなーんにもないことも十分分かった。それだけで良しとするか。
“一応聞くけど”
全員の肩が揺れたのを彼女は見逃さない。
“まだ隠してることないよね?”
これはまだ何かあるな。こらー、目を合わせなさーい。
「神河くんが…指名手配されて…逃亡中です」
おそるおそると手を挙げ語った静の言葉が冷たい部屋の中でこだまする。
いやこだまする、じゃなくて今なんて言った?指名手配?逃亡?冗談でしょ?
“どういうこと?”
たぶん、今日で一番ホワイトボードにわたしらしい言葉を書いたと思う。
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豪邸っていうのはどうして豪邸なのだろうか。
いや、ここで言うべきは豪邸っていうのはどうしてどいつもこいつもこんな無駄にデカいのか、だろうな。
紅葉は目の前にそびえ立つまあまあな高さの塀とその内側に広がるとんでもない広さの庭とその中央に控える噴水とか、なぜかいたるところに置かれた美術品の数々、四階建て部屋数二百を超えた時点で数えるのをやめたおよそ住宅には要らない機能ばっかりとしか思えない住宅と、屈強なガードの数に怯えるよりも前に若干の引きを見せていた。
「ほんとにここに潜入するんスか?どっちかっていうと侵入スけど…これ一晩でやろうとしてるんスか?」
視線の先には珍しく珍しくスカジャンを羽織っておらず黒服に身を包んだ慶猯、指の先には先程の豪邸通称『明星邸』。目がまんまるになるまで開いているが、この際気にするだけ無駄か。
「すまん、わしもちょっと誤算だった。まさかこんなにデカいとは思ってなかったわ」
多分ここにいる五人ほぼ全員がそう思っていただろう。「部屋数が多いけどその分一部屋の大きさはそこまでではないだろ」くらいの認識でいただろう。残念だったな、数も多けりゃ広さもあるぞ。その上、門扉から玄関までも結構あるぞ。敷地面積約18.8ha、読者諸君に分かりやすく言うと東京ドーム四個分に相当する。
ここを?一晩で?探し尽くす?
「やるかぁ…」
事実、逃げ出す一手は存在しない。
彼らにあるは常に前進のみ。
「とりあえズ、あの辺のザコは気にしなくていいでショ。ストさんがなんとかしてくれル」
とんがり帽子はそのままだがルターも今日は黒服に身を包む。ガードは確かに無視しても構わないし、最悪誰が相手しても脅威にはならないだろうが、極力戦闘は避けたい。バレたら潜入の体裁が崩れ去ってただの強盗になる。そしてそのまま…なんてこともあり得るかもしれない。できたら「バレなきゃ犯罪じゃない」の精神でいきたいのだ。
「ええオレェ?!」
だがしかし、その罪の一切を被らされるであろう男はストたった一人である。驚嘆の声をあげているが割といつも通りなのでぶっちゃけわざとオーバーにしているとの声有り。
とか言ってふざけている場合ではない。今は作戦決行直前の確認の段階である。
「屋敷の西側からはスト・ルターの二人、東側は残りの三人で行く。庭は最短で突っ切って屋敷の中に突っ込め、いいな?」
慶猯による最終的な作戦行動の詳細な指示が下される。
「屋敷内に入ったらストとワシは四階まで上り、ルターとサカズキ、それと紅葉は一階から調べていく。言っておくが無理な侵入はするな、見つかるリスクを高めるだけだから」
全員の顔を見渡す。無理しそうなやつらがちらほらと見当たるが念押しはしたということでこれ以上は何も言わないことにする。
「それと、紅葉はサカズキと一緒に行動しろ。この中じゃこいつが一番経験値あるんでな。何がどうあれ、お前が捕まったらゲームセットだ、絶対に逃げ切れよ」
「うす」
簡単に頷き、顔を引き締める。覚悟はとうに決まっているが、念の為な。
慶猯もそれを見ると号令をかける。
「作戦は全員頭に詰め込んだな。それじゃ各々持ち場まで移動、決行は25時丁度にする!」




