21.導火
もう六月下旬になると言うのに、いや寧ろだからこそか廊下はすっかりと冷え切り、手に持つホットのコーヒーだったものも随分と温くなってしまっていた。
廊下に革靴の音が一定のリズムで鳴り続ける。どうやらその音はこちらに近づいているようで、そちらに目を見やる。
「田白か…ホシの容態は?」
静かに歩いて来た夏場にも限らずコートを羽織った若輩は何も言わずただ首を振る。
何も言わずに目を落とす。ただ「そっか」とだけ誰にでもなく呟いてまた口を結んで、また紡ぐ。
「悪いな、ボクがもっと早く来れてればなんとか出来たのに」
生温いコーヒーを一口、二口飲み込んで口回りを無駄に目立つ橙色の外套で拭う。拭ってからその行為を後悔する、つい最近クリーニングに出したばかりのコートだったのに。
それを知ってか知らずか、田白はふっと微笑んで見せる。
「そんなの天峯さんが気にすることじゃないっすよ。こっちはこっちの仕事、天峯さんは天峯さんの仕事しただけっすから」
何もない救護施設の廊下、天峯の横に田白が並んで寄りかかりおもむろに携帯端末を取り出す。
「それでも一応取れる情報は全部取って来ましたよ。聞きます?どうせ明日署でも共有されますけど」
正直もう端末の画面はこちらの方へと向けられているのだから断ったとて、とも思うが「頼むよ」と答える。
答えればすぐに端末は天峯の前から離れ田白の手元に戻る。
「そうですね…まずはホシの名前はジェフリー・ゲイシー、年齢は三十六、身長体重それぞれ184の96、出身は稲走の…」
「ちょ〜っとその辺はすっ飛ばしてもらえる?所属グループとから辺まで」
全くもって理由の知れない不服気な顔を浮かべてすぐに「はいはい」と了承してはサラサラと得た情報を述べ始める。
「ホシが息を断つ前、なんとか聞き出した言葉…と言うより単語の羅列ですが『マジシャン、裏切り、遺物』それと…最期にボスへの謝罪を吐いたことくらいですかね」
今の情報から大したものを精査することは難しいが、唯一飲み込もうとした天峯の喉に引っ掛かったのは『裏切り』だった。
(裏切り…となると例の龍田ホール襲撃事件時点ではホシの所属グループとオッドマウスは協力関係にあり、その後スピード裏切りを果たした訳か。通りで義賊紛いをやってる時の人数が少ない訳だ)
上を仰いでも視界の中に広がるのは随分と見慣れた天井。
「ですけど一番大きかったのはコレですかね。相手も大分キレイにやったものですよねぇ、傷一つないどころか新品同然ですよ」
再度目の前に突き出された田白の携帯端末の画面上には携帯端末が表示されていた。「これは?」と問えば「ホシの遺留品ですよ」と返ってくる。だがこれが大きな情報を持っていることだけは確かだ。
「パスワードの解析は三日以内に終わらせるように依頼しましたけどもっと早めに頼みましょうか?」
確かな一歩を踏み込んだことを噛み締めつつ静かに首を振る。
「いや、そこまで急かす必要もないだろ。三日以内にこっちもこっちで片付けたい案件もあるだろ」
「それもそうっすね」と天峯の左から呟く声を目を向けずに聞く。
そうして二人の間に暫しの沈黙が訪れる。
沈黙を破ったのは天峯だった。
とっくに冷たくなった缶コーヒーでは口が満たせなくなり、タールとニコチンを巻いた悪影響の塊でも蒸しに行こうかと田白が立ち上がった丁度その時だった。
「…お前はさ、オッドマウスを『正義のヒーロー』だと思うか?」
独白に近しい静けさと哀しさを纏う問い掛けは田白の耳の奥までちゃんと浸透していった。
柔らかい笑みを浮かべ、口を紡ぎ先程までのポジションに戻る。
「…コーヒー一本分だけっすよ」
天峯の隣で腕を組んで思考を巡らせる田白が呻る。
「自分はアレを正義とは認めたくないっすね。実際のところどうとか、世間がどう言ってるかとか関わらず、認めちゃいけないもんだと思いますよ」
頭を過るのは両の手を失い、胴が別れ、内臓が流れ出るあの死体。胃袋も腸管までも裁たれ、内容物が溢れたあの体。
「最近は新聞もニュースでさえもアレを持ち上げる記事書いてますけど、実際ジェフリーの容体を見たらゾッとしましたよ…あんなことが出来るような人間が市民を味方につけようとする意味が想像できなさすぎるんですよ」
事実、警察の対応が遅れる理由として目的の不透明さが大きかった。件の新人戦襲撃に始まり、各貴族襲撃に此度の街中にて勃発した戦闘も、その全てから目的が推測出来ず、オッドマウスという人物が孕んだ不透明さに迷わされていた。
そんな得体の知れない怪物が民衆を味方につけ始めれば警察としても政府としても表やりに立たせにくくなる。彼が『正義のヒーロー』として活躍すればするほどに公的権力は失墜する。
不透明、故の透明。
先手を打って初めて後手の対応が可能となる。故にいつまでも不純物を取り除けないままでいる。
月明かりに照らされた黄色の髪が揺れている。
―――――――――――――――――――――――――
生徒が笑い合い語らう校舎の裏、人気のない場所に彼は立つ。
生徒たちにこんな血生臭い話聞かれても困るからとわざわざ貴重な休憩時間にも関わらず時間と場所を確保した。
遠くで二階堂を叱る声が木霊する。それに釣られて神河の名前を叫ぶ声も。たった今、放課の練習メニューが倍になることがあっさりと決まった。
「―っていうのが警察側が手に入れた情報とこれからの対策案。どうせ何もするなって言っても聞かないだろうから共有しといたけど、念押しな。絶対余計なことすんなよ」
流石は長い付き合いなだけ良く理解してくれているようで。だが一つ間違ってるな、念押しされれば先生は余計にやる気が出てくるもんだ。
「はいはい、天下の警察さまの天峯警部補さんの言う通りになさいますのでご心配のないように」
だが体裁上、便宜上は下手に出ておくことにする。向こうは向こうで聞く気がないのも重々承知のことだとは思うが一応ね、一応。
「お前マジ…まあいいや。お前はそう言うだろと思ってたし」
飲み込みが早くて助かるよほんと。今度は飯でも奢ってやるか…半分だけ。
じゃあと通話を切ろうとした瞬間だった。耳に当てた端末からけたたましい喧騒が突き刺さり耳を鳴らす。
画面越しの彼の声が僅かに淀んだ。どうも煮え切らない内容なのか、まさかとは思うが自分に関係のあることなのか。どちらにせよ早いとこ共有してもらいたい。状況が分からない。
「…何かあったのか?」
「………今、オッドマウスから予告状が出された」
予告状、今の今まで出して来なかったくせにどういう風の吹き回しだ。
理解に苦しむ。
「そこにはなんて?」
淀む。相当口にしずらいことなのか、それとも重要機密事項でも含まれているのか。
…どちらにせよ俺たちには関係ないだろうに。
その油断が命取りだ、S級。
強者を殺すのは弱者の努力でもなければ友情でもない、ましてや愛なんてものでもない。
いつだって貴様らの弱点はつまらない矜持とクソみたいな驕りだと決まっているのだ。
「お前の高校の生徒の家が次の標的にされた」
さぁ、どうでるかなS級。
―――――――――――――――――――――――――
時刻は昼。全日制全ての時限を終え子供たちは思い思いに居場所を、姿を変える。勿論、大人たちも例外ではないがここでは省くことにしよう。
或る者は帰宅し我が家の子に、或る者は青い春を共に生きる友と共に街を巡り、或る者は仲間と共に研鑽し、或る者は眠る。
もうすぐ夏も本番だというので日が傾き出しても気温は高く、湿った空気が肌につく。
ここでは加えて汗に泥にも塗れる。気づいた時には地べたに転がされている。
「イってぇ…トーマ!もう一本!」
もうよっぽどの物でない限り何に塗れても気にならない。そのくらい泥だらけになることに慣れてしまった。脳裏に愚痴をこぼす母の言葉が過りほんの少しの居た堪れない気持ちになるが。
「元気だな…勘弁してくれ、そろそろ水くらい飲ませてくれ。このままじゃぶっ倒れる」
顔を見ずとも分かる、明らかな『足りない』、不満足を全面に出している。声に出してるのだからそれは見ずとも分かる。無論、紅葉の意見は流されて透馬の身を案じ休息を取ることとなった。
(こいつ、随分と体力お化けになりやがったな。先生が直接相手してんだから当たり前か、当たり前だよな?)
成長したのは体力だけでなく基礎的な技術も十分に底上げされ、能力にも応用も効かせるようになってきている。
この日は猿川が急用により不在の為、急遽紅葉と透馬による模擬戦が行われることになっていた。結果は紅葉の二勝六敗二引き分け、散々だ。
しかし、うかうかしていられるだけの余裕はない。ほんの数日でここまでの成長を見せたのだからのんびりしていたら簡単に追いつかれる、場合によっては追い抜かれる。
(こっちはこっちのことだけで手いっぱいだってのによくも面倒増やしてくれましたね)
水分補給、同時に身体の冷却を済ませもう一度模擬戦へと戻る。
「モミジ。やるぞ」
蛇口から落ちる水滴。
乱反射する陽光に照らされる瞳の奥に映し出された青髪の彼が告げればすぐに輝く。
「おう!」
何も減ったのは部員だけじゃない。
部員が減ればその分マネージャーの仕事も減る。仕事がなくなれば必然、数も減る。結果、残ったのは四人のみ。
大きかったのは安全地帯だと信じられていた場所での死傷者の発現。それにより戦闘能力の持たない者どもも生死の際に立たされることが浮き彫りとなってしまった。
だと言うのにも限らず残った四人のうち二人、深雪と静は長いこと止まない友人間に散る火花を眺め続けている。
呆然と眺めるだけの深雪の横で一戦一戦の記録を正確に残し分析する静が対照的に映される。
「静ちゃんよくそれやるわね。私にはサッパリだわ」
深雪の投げた問い掛けにさも当然かのように仕事を続けながら答える静、「仕事だから」と優しく微笑んで。
「それに私からしたら相川さんの方がすごいと思う。私は料理も洗濯も上手くできなかったから。だからすごく憧れるから…」
静は静の、深雪は深雪の可能なことを行う。これはマネージャーが減ってしまった時に取り決められた二人の約束だった。それを聞いていた先輩からは「二人とも全部やれるようになってもらえると助かる」と苦笑されてしまったが、現状はこれで上手く回せているからと許してもらった。
「でしょ?!それなのにあいつらと来たら好き放題言ってくれちゃって…まったく、これからは静ちゃんだけにご飯作ってあげないんだから」
それは嬉しい提案ではあるが、それはそれで皆が可哀想だから他の人たちにも作ってあげるように促しておく。
深雪は静が憧れる人物像にそっくりだった。何より自分自身に絶対的な自信を持っている所が。
整った容姿に器用な手先、歯に衣着せぬ物言いも、崩れることない絶対的で圧倒的な自信も、好きな人の隣に自然に立つことが出来ることも全部が羨ましく映っていた。
仲良くなったらそんなことあまり考える暇も無いくらいに毎日が忙しくて、楽しくて気付けば忘れていた。忘れていたのに。
龍田ホール襲撃事件で浮き彫りになってしまった、あっという間に突き放されてしまった。自身はビクビク怯えてまともに動けなくって、口から音も出せなくなって何もできなかったのに、深雪はあんな時でもキッパリと口を割らせ、先輩たちと同じくらい、下手したらそれ以上にハキハキと動いて周りも見ていた。避難所に紅葉と透馬がいない事にいち早く気付いたのも深雪で、それを運営に訴えかけに連れ出してくれたのも深雪だった。
それを凄いと思った。どれも自分には出来なかったから。それを憧れた。あんな風になりたいと心から願った。だから残ることにした。生まれて初めて両親の反対を押し切ってまで。
異能部には好きな人がいて、自分の理想がいて、ここで逃げたら一生変われないと。
「あ、一本取った」
画面越しに映った二人の姿は重なり、覆い被さり鼻先に切先を突きつける。
「俺の勝ちだな」
歯を見せて笑う白髪に滲んだ汗が余計に輝いて見えた。
―――――――――――――――――――――――――
仲間の半数が逃亡し一人が死亡したためにか烈火ノ天は危機的状況に陥っていた。
残されたのは二人、ボスと戦闘員の少女のみ。
「クソッ!あんの奇術師がぁ…!よくも俺たちの計画をメチャクチャにしてくれやがったなあ!」
遺物を失い、棚からぼたもちで強奪した神具すらもない事に気付いた挙げ句にジェフリーは件のあの男によって息絶え、鉄仮面が赤く熱するほどに激昂している。
「消息不明、残渣なし、追跡は不可能。私たちが持っている情報はほぼゼロね。ボス、この後は?私はどう動けばいいの?」
アルナもジェフリーと同じように仕事をこなしていたが生憎得られたものはなく、寧ろ同僚を失う結果となった。何も感じていない訳ではないがボス程に興奮している訳でもない。血生臭い仕事を生業としているのだ、そんなこともあるだろうと割り切っている。何より左程付き合いがあった訳でもあるまいし。
だか流石に次の指示には驚いた。てっきり同じようなものが飛んでくるかと考えていたし、その準備だって済ましていたから。
「あんの野郎共の追跡は打ち止めだ。しばらくの間は烈火ノ天の立て直しを進めるぞ」
その眼の中には炎。最終目標は据え置きの「裏切り者の処刑」。唯、時期をずらすだけ。盤面を整えるだけ。この男は雑に見えて冷静である。
「奴の実力を測り間違えたのは俺の失態だ。せめてものジェフリーへの手向けとして奴の死体でもくれてやらねえと俺の気が済まねえ、何が何でも狩れるだけの準備を整えるぞ」
そうだ、だからこそこの男に着いて行くと決めたのだ。
いつまでも熱を忘れない瞳に彼女は灼かれてしまったから、その背中に乗せられて歩いたあの日から誓ったから。
「了解しました、ボス」
だから返事はいつだってYES or はい。NOなど最初から選択肢に入れる必要がないのだから。
―――――――――――――――――――――――――
記録、水無月二十四日未明
ドラゴニア国立旧都心病院
モノクロの監視カメラが残した映像の中に一つの人影有り。上背は推測170前半程、普通体型。歳は十代後半から二十代前半。深く帽子を着用している為、顔は映らない。
エントランスのオートドアが開く。消毒用アルコールのノズルを無視して中に入っていく。
だだっ広い料金所を抜け受付の方へ。
ウォーターサーバーから受け取る水を飲み干して、安いカップをゴミ箱に落とす。
受付を全て無視して電源の落ちたエスカレーターを上る。消毒の臭いが鼻につく病室が並ぶ場所を通り抜ける。
真っ暗な階段を下る。
リニアックが二つ三つ並び、三つ羽の扇風機によく似たDANGERマークが刻み貼られた場所を巡る。
エレベーターは動かない。
手術中のランプは無点灯。扉は大きく開く。
中から這い出る人物をモノクロの映像が捕捉する。
ガラス越しに映る少女はまだ眠り姫。脈拍、血圧ともに安定。バイタル正常値。点滴内容量…不足。翌朝の交換必須。
スライド扉開閉。人物捕捉。人相から高校生と推測。
上背170前半普通体型、エントランスにて記録された人物と同一人物と推定。
一分強寝台の真横に立ち尽くす。
バイタル異常を記録。脈拍分間百三、最高血圧百八十最低血圧二十四を記録。
魔力刻印確認。
懐から取り出したのはメス。切り裂いたのは自らの手のひら。
病人衣の胸元を開き血で何かを描く。
寝台の隣から一歩引く。バイタル正常、脈拍血圧共に基準値内。
モノクロの画面に不気味な横顔を残す。口角を吊り上げ嗤うその眼は輝きを失っている。
人物逃亡。画角内に不審人物無し。
「 」
カメラに残された最後の記録。
気味の悪い笑顔の少年が監視カメラを破壊する瞬間。
映像記録より不審人物を東間高校一年生の男子生徒と推測、並びに重要参考人として捜査依頼発行。
神河紅葉を捕らえよ




