19.飛ビ火ハ誰ガ下へ
紅葉の入院から一週間。意外と退院までは早く、傷もさほど残っていなかったのだから当たり前かと手続きを済ます。
この日ばかりはさしもの両親も祖父母も迎えに来てくれる。入院中に揃って来ることはあまりなかったのはあくまで家が巷でそれなりに人気のあるパン屋であるからであって仲が悪い訳じゃない。祖父母は頻繁に訪れてくれたがあくまで二人が現役引退済みだからであって、断じて親子仲が悪い訳じゃない。
別に寂しがっている訳でもない。
手続きにもさして時間はかからず、母がさっさと片付けてしまった。隣に父が立たなかったかのは、のんびりしている人だからどうせよく分かってないかららしい。
ひどい言われようだがこれもまた事実なので、大人しく車にエンジンをかけに戻されて行った。
「はいお待たせ、じゃあ車に戻るわよ…って、おじいちゃんとおばあちゃんはどこ行っちゃったのよ?」
「なんかお菓子買って来てあげるって、ばあちゃんが。じいちゃんはそれに着いてった」
待合室の長椅子に一人でポツンと座り呆ける紅葉の姿を発見した母からの当然の疑問に、さも当たり前のように答える。
その直後に雪が紅葉の好物の菓子を持ってやって来た時にはちょっと怒られてた。
(かわいそうでしょって、あなたの息子は今15ですが?留守番で寂しがったりしないんですが?ていうかお菓子もらえてラッキーとか思ってましたが?)
最後のところだけ母に伝えると「ならいいでしょう!」と言い放って車に戻ることにした。
どこで溜めたか思い出せない疲労感と神河家全五人を載せた車は自宅へと走り出した。
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アラームの音で目を覚ます。
そしてまた眠る。
朝食を知らせる母の声と焼いたパンとコーヒーやらココアやらの香りで再度目を覚ます。
「あら、今日は早いのね。ココアぬるくないから飲めるうちに飲んじゃって〜」
温かく湯気立つカカオの香り。口に含めばやって来るチョコレートにミルクを混ぜただけの甘味。
そして同時にやって来る母の催促の声。しばらくの間中途半端に冷めた本来の味を失ったものばかりを飲んでいたからかようやく美味しい朝食を食べてもらえて喜んでいるのか、はたまた純粋に珍しく早起きした息子に早起きの徳を覚えさせたいのかは知らないが、それに応じることにする。
「いただきまーす」
焼きたてのトーストはこんな味なのかと思いながら音を立てつつ口いっぱいに頬張る。小麦とイーストが織りなすふんわり食感と薫りに満たされる。
朝のお天気ニュースには今日のお天気占いが流れている。訳あって紅葉はこれに対する信憑性を疑っているので『しし座のあなたは今日、空を飛ぶような気分を味わうことになるでしょう』などと宣っているのに諦観した目を向ける。何も順位が低いことに一抹の不満を覚えた訳ではない。
ココアを飲み干し、トーストを味わい尽くしてカップや皿を母に預ける。
その一方で制服の袖に腕を通し、ジャージを鞄に詰め込む。忘れてはいけないのは筆記用具。学生の本文は勉学である。決して紅葉は戦闘に首ったけの戦バカでは…あ、教科書忘れてた。
テレビのニュース番組には今世間を賑わせているネズミを報じられている。どうやらあのホールの一件はとっくに大衆からの興味を失ったようだった。
(入院中はこぞってやってたのにな)
鞄を持ち上げつつ少々思うところを隠す。何せ今日からようやく朝練に行けるのだから。そんなことを考えている暇などないのだ。
「はい!今日のお弁当!気張って行ってらっしゃい!」
「お弁当って、またパンじゃん。行ってきまーす!」
いい笑顔で見送る母を背に紅葉は学校への道のりを辿る。
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人気のない校庭の一角。
一週間前まで四十人近くの生徒たちが血汗滲む、弛まぬ努力を積み重ねていた場所。
「…朝だからかな?」
違和感があるどうこう以前に、目に見えて人数が少ないそこに踏み入る。
踏み入った途端に聞こえてきたのは誰かの溜め息。
続け様に暗い声。
「…減りましたね」
「うーん、それも結構ね」
「ここまで減るとはな…」
「流石にこれは予想外かな…」
透馬、力也、モスキュール、猿川の男四人衆が発する声と雰囲気に気圧される。だが、言ってることも言いたいことも分かる。分かってしまう。だって目に見えて違いが明瞭だから。某八番出口を目指すゲームならボーナスステージにされるぐらい分かりやすい。
(声を掛けるべきか…?いや、この中に入ったらオレまで呑まれそうなんだけど。一人で素振りしてる方がいいか…?いいのか…?)
有無を言わずそそくさと木刀の入った箱の方へと体を向ける。答えはとっくに出ていたようだ。
ただし、思い通りに動かせてもらえるか否かは紅葉が決めることではない。
捕まった。
「なぁ、神河くん。君はこの状況をどう思う?僕らが非常にヒジョーに憂いているこの状況を」
肩をガッチリホールド。これだけで分かる。
(この人、逃がすつもりないな。てか力強っ!)
十センチ近い身長差から繰り出されるホールドは意外とかもなしにちゃんと強い。体幹もしっかりしているために振り解けない。これが部長の行うことだろうか。
「とりあえず純粋に退院を祝って貰いたいです」
そう、本来部員の怪我が治ったのであればしっかりとアフターケアがあるべきなのではないか。言ってしまうと、今のところちゃんとこれをしてくれたのは数えられるくらいしかいないのが一番憂いている
「私たちは今危機的状況に置かれている。さぁ神河お前はどうする」
だめだ。教師まであっち側にいる。顧問教師と肩を組んで並んで歩いたことがある人間がどれだけいるだろうか。
(オレは別になりたくなかったんだけど…)
だが残念。紅葉の思惑とは関係なく数少ない人間の仲間入りを果たす。
「それは先生が考えてくださいよ。どうすんすか新人の一年にそれ聞いて」
「すまんな神河。止められなかった」
助け舟のモスキュールの登場だ。
なんとか紅葉を回収とまではいかなかったがこの流れを終わらせてくれるキッカケにはなってくれた。
(…の割に離れないなこの人たち)
モスキュールの顔を見るにさっきまでターゲットだったのだろう。
(もうなんかすっごい疲れた顔してるくらいだし相当メンドウだったんだろうなぁ)
最早呆れ果ててしまった。退部しようかと頭をよぎった。
「僕ぁモスキュールセンパイが一番好きっス」
愛するセンパイ(若干一名)のためにやめておいた。
話をしっかりと聞くとどうやらあの一件を受け、異能部の多くの部員が辞めていってしまったらしく男子部員は今ここにいる四人に加えてあと四人居るくらい、女子部員は五人まで減ったらしい。
一番影響力があったのはやはり女子部員の中の最たる実力者であり、東間高校のヒロインと名高い明星ひばりの負傷だろう。本来、大事をとってあまり情報が回らないようにはしていたらしいがどうしても噂を止めるまでには至らず結局図らずとも事実と同じように伝わってしまっていたらしい。
お陰で部員数は元の四分の一程までに減少。後ろ指刺されるまでに至る。
「とりあえずは分かりましたけど…練習はしないんですか?」
「お前本当に分かってるのか…?」
確かに練習をしに来ているのは理解しているし分かりきっている。だと言っても今聞いた情報を受け取ってすぐに「じゃあ練習しましょう」が出るとは思えない。
自分が命をかけて戦ってその結果何も知らず帰ってきたら後ろ指を刺されてるのだ。それもひばりを守れなかったとか言う当てつけみたいな理由でだ。それにも関わらずこれは言えないだろう。怒鳴ってもいいくらいだ。
「んーあんまり」
潔し。
これまでしっかり聞いた上で分からないと胸を張ってキッパリと言う紅葉の姿は最早輝いて見えた。四人の目は輝く紅葉をしっかりと捉えるため大きく見開かれている、口まで大きく開けて。
「もちろん、んなもん知ったこっちゃねーって言いたいけどオレ一つ分かったことがあるんスよ。今のオレは全然強くない。そんなオレがどれだけ喚いても意味ねーって。だからオレは今は少しでもいいから早く強くなりたい」
(もう、オレの前では誰にも泣いて欲しくないから…)
握った拳に勝手に力が入る。マメができた硬い手の平に爪が入る。
思い出すのはあの日の病室。
自分が知る『最強の先輩』も本質では自分と変わらない『一六の少年』であると知ったあの日のこと。化け物だと思っていた、負けるところなんて想像だにしなかった。それでもやはり『人間』で、ちゃんと負けるのだ。
唇は何度噛み締めたか。何度木刀を振るったか。何度拳を振ったか。何度脚を振り上げたか。何度、何度、何度。
それでも足りない。足りない。全然足りない。一人じゃ、紅葉一人じゃ限界がある。
「オレは能力のことも魔力のことも魔法のこともよく知らないし、頭もそんなにいいわけじゃない。だから誰かに頼りたい。オレを強くして欲しい。他のことは正直どうでもいい」
白銀の髪の隙間からチラつかせる朱色の瞳の奥に灯した小さな火は燻り続け、今も燃えている。
「分かった」
小さな火は伝染する。一本の蝋燭からまた隣の蝋燭へと。この男に着いた火がそう簡単に消えてたまるものか。
「神河。お前の面倒は先生がしっかりと見てやる。その代わり、途中で逃げることも弱音を吐くことも許さないからな、覚悟しておけよ」
期待に満ちた猿川の瞳に映る少年は気合は十分。
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机の上にべったりとくっ付いて離れない頭は授業内容も碌に迎えてくれず、眠気と疲弊だけを受け入れる。
「…ケテ…タスケテ…」
「モミジー!ボクはお前が戻ってきてくれて嬉しいぞー!」
「…揺ら…すな…」
一切紅葉の状態を顧みない瞬による脇腹へのダイブと揺さぶりはかなり効いた。脳が震えるかと思った。
悪気がないと分かっているのが余計に辛い。
「こいつ今散々シゴかれて疲れ切ってるからそんな揺らさないでやって…いやほんとにやめてあげて。もう意識トビそうになってるって」
貴重な友人の腕が高速振動機能付きという新事実の発見に伴い紅葉は半酩酊状態に陥った。
毎秒何回揺れたかは分からないがそのお陰か今はすこぶる元気になった。友人たちの憐憫の目と一人だけ目を逸らしているのだけが気がかりだがとりあえず今は良しとした。
(…別に怒ってはない)
「でもさーあの神河がこんなヘットヘトになるとか何があったんよ」
当然の疑問が湧き出るが断じて口を割ろうとする者はいない。当事者であるはずの二人もそれを近くで見ていたはずの二人も、双方が押し黙ってしまった。
ここからだけでも非常に恐るべきことが行われていたことが推測出来る。
一時間ほど前…
「鍛える…とは言ったものの正直神河の体自体はとっくに結構完成されてるんだよ。明星仕込みだしな。体術についてはお前に教えることはほとんどないかもな」
校庭、練習場の真ん中で猿川はそう呟く。話に聞くとどうも体の使い方自体は悪くないらしい。問題は…
「実際の扱い方、それとお前も言ってた通り魔力関連の雑さだな」
要するに自分の実力を発揮しきれていないということ。
実際の扱い方は実戦での身のこなしが物語っている。それに加え、体術に慣れすぎたせいで本来の間合いを見失ってしまったらしい。先程の組み手で紅葉だけボロ雑巾にされたのはどうやら腕の長さが違うからではなかったようだ。
魔力関連は言わずもがな。魔力硬化だの身体強化だのといった基礎的なことすら紅葉は知らないし、扱えない。それどころかまともな能力の扱い方もよく分かっていない。自分の能力がどういうものかは理解できるが扱いきれてない。そんな状態である。
「…これであそこまでやれるようになってるんだから不思議だな。相当教え方が良かったんだろうなぁ」
「それにはオレも賛成しますけど、オレの出来がいいっていう路線は…?」
速攻でないと切り捨てられたのはいい思い出。ここまでバッサリと来るとかえって清々しい。
そしてそれを皮切りに猿川が身構える。
「可笑しなこと言える元気があるようならさっさと始めるぞ、練習」
紅葉も釣られて身構える。
しかし、感覚はあの時に似ている。恐怖で体が震えたあの時に。
勝手に体が強張る。
拳が大きく振りかぶられ真っ直ぐに突き出される。
狙うは心臓。紅葉の正中。
咄嗟に腕で守るがどうも痺れてしょうがない。腕がピリつく感覚が残留する。
「これからこれが痛くないくらいの魔力硬化を覚えてもらう。それと同時並行でこれに反撃を決めれるくらいの身体強化も行う」
(まさかとは思うけど…これをずっと受け続けろとでも言わないよな…?まさかな…?)
出来ればこれをまともに受けるのは今の一発が最初で最後にしてもらいたい。折角動けるようになったのに今度は腕が使い物になりそうで恐ろしい。
「別に感覚で全部教える訳じゃないし、脳筋でお前を鍛えるつもりもないから、そんなに怯える必要はないよ。寧ろもうちょい気を引き締めてくれ、こっちが拍子抜けするから」
「はい!」
返事を返してすぐにもう一度構えを取る。一瞬緩んだハチマキも再度しっかりと結び直す。
「よし、それじゃまずは魔力の基礎中の基礎からな。まずは魔力の世界はイメージの世界だ。想像できることは割となんでもできるし、出来ないものはキッパリ出来ない」
魔力は基本として定型を持たない、それどころか通常目で見ることも叶わない。
しかし、それが故に魔力は人が望むように姿を変え望むように動くのだ。だからこそ、想像できないものは全く出来ない。
「じゃあ、魔力硬化は魔力が固まるイメージってことっスか?」
「まあそこのイメージはお前に任せるけど、一般的には鎧を着るイメージの方が多いかな。魔力操作は魔法と違ってイメージの正解がないからお前のやり易いようにやるのが一番かな」
イメージは悪くなかったようで安心した。だが不定形の魔力を固めるイメージは上手く出来なかったのでまた今度しっかりと考えてみることにした。
「今度は身体強化。言っちゃえばこれはドーピングみたいなもんだよ。自分の筋肉に魔力を使って本来の何倍の力が出せるようにするってやつ」
これで合点がいった。
力也の何倍も力強そうな筋肉を持つモスキュールよりの方が威力では劣る理由が。力也はこの技術が卓越しているが為に筋肉を大きくする必要がなかったのだ。
ひばりの拳が痛かったのも同じ原理だろうか。
「これについては日常生活に完全に馴染むまでやり続けることだな。イメージが難しい分、量やって補うしかない」
地獄のような文言の後紅葉の腕に再度高威力ゴリラパンチが突っ込んできた。
そして現在に至る。
「っていうとめちゃくちゃに殴られた挙げ句今も魔力操作に集中してるせいでこんなヘットヘトなのね。ご愁傷様」
両手を合わせる凛とは打って変わって純粋に憐れむ瞬からの労いの声をもらって少し救われた気がした。
正直この練習の効果を実感はほとんど出来なかったが今日は一先ずそれでいいことにした。
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電話の奥から聞こえてくる男の声は怒ってもいないのに大きく耳が鳴る。
「…取り敢えずこっちから渡せる情報はこれくらいだよ」
声も落ち着きを取り戻し、静けさを持った声に変わった。
「ありがとさん。そんで、そっちはどんな対策をしてる訳?あいつら最近好き勝手やってるらしいじゃん」
情報の交換は終わったはずだがまだ聞きたいことがある。それは昨今の世の中を賑わせている怪盗団のこと。悪徳貴族や富裕層の罪を暴き、そこから金品を盗みこの短い期間で市民からの認知を上げ、応援を送る者まで姿を現すようになった。
「困ったことに対策はほとんど出来てない。予告があったりなかったり、実際に来たり来なかったりでこっちも思うように動けてないのが現状だな。強いて言うならターゲットになりそうな家にはこっちから警備を願い出たりとか?」
校舎の裏、溜め息一つ。
「分かった。こっちもこっちでやれることはやっておくけど、早いとこどうにかしないと止めようがなくなる。一般市民を味方にされえこっちがまともに動けなくなる前に」
電話の向こうからも溜め息が一つ。どうやら考えていたことは同じなようでこれから先を案じているようだった。
「全くだよ。けど、こっちはこっちで動くからお前は無理しない範囲で動いてくれ。相手の目的が不透明な以上、闇雲に動いても煙にまかれるだけだろ…」
会話はここで途切れている。というより途切れさせた。おそらくしばらくしたら「おぉーい!」と連絡が入るだろう。ほらきた。
止まってなどやるものか。
余裕など与えてやるものか。
ネズミは最後には捕まって喰われるのがオチだ。お前にもそれに相応しい最期を飾ってやる。
一教師でしかない猿川に出来ることは限られている。その際限の中で確実に、着実に追い込んでやる。
例え窮鼠に噛み付かれることになったとしても。




