18.散ル火花ハ誰ガ為
流れるのは水音。
清流のせせらぎとはまた違った地下洞を流れる小川の音、落つる雫の音がこだまする。
ここは何処かの下。
ホールは何も地上だけに広がる訳ではない。地下にだってしっかりとその手を伸ばしているのだ。
ここはホールの下、アンダーグラウンドな輩が集まる場所。
「お前らぁ!今回の仕事よくやった!上出来だ!」
その中で一際体躯のデカい男が叫んでいる。辺りにいるのは数名、その全員の視線が彼に注がれる。
250はありそうな上背に筋肉質…と言うより筋肉ダルマ。焼けた肌が余計にそれを際立たせる演出をしている。髪は短く粗く切られ、目は細く、顔の彫りは深い。下顎にはどんな意味があるのか理解に苦しむ鉄仮面。
もう一度言う、下顎にだけ鉄仮面。そこまでして守る下顎に迫り来る脅威とは何なのだろうか。極めて理解できない。
「おう親分!報酬は?!カネ!」
ジェフリー、この男はこんなことに使う脳みそが無さそうで羨ましくなる。
同類にすら見える修道女すらあの下顎には懐疑の眼差しを向けているというのに。
目を輝かせて親分と呼ばれた筋肉ダルマに擦り寄る姿には尻尾すら見える。ハイテンションの犬と同じ尻尾が。
「まあ待てだジェフリー。その話はアイツからブツを受け取ってから…奇術師!ブツは?!」
奇術師は振り向きもせずに物を筋肉ダルマに投げつける。
受け取ったソレは手の平に収まるサイズの懐中時計。特別変わった様子の見られないソレに皆が違和感を抱く。
「ホントにこれがお前の言ってた『S級遺物』なのか?ただの時計にしか見えねえんだが?」
事実、その懐中時計には特別変わった機構が見られる訳でも、莫大な魔力が見られる訳でもなく、ただの普遍的に見られる古ぼけた懐中時計だと言われても何の疑念も抱かない、抱きようのない代物だった。
長針は八、短針は一を示す場所で止まったままでいる。
「あぁ、間違いない。但し『曰く付き、故障済み』のだがね。…だが闇市に流せばかなりの値がつく代物だ。感謝はされこそすれ、憎み口を聞く理由はないと思うがね」
故障済みの一言を聞いた瞬間、奇術師の首にギラつく矢じりがかかる。鋭い眼光を覗かせる少女が限界まで引き絞った弦がキリキリ音を立てる。
「…子犬の教育はもっとしておくべきではないのかね?ボス」
男は何も言わず、鉄仮面をしゃくって見せた。引かれた弦は静かに鳴りを鎮め、少女も身を引く。
「悪かったな奇術師、コイツは一際俺に懐いてるもんでな、嘘をついたと思えばすぐに手が出ちまう。許してやってくれ」
上げた手はそのままに首を振り「やれやれ」と言ったジェスチャーで答える奇術師に今度こそ撃ち込んでやろうかと言わんばかりに睨みが向く。
そうなれば奇術師も黙ってはいない。
手を大きく広げると気づけばそこには大鎌が現れて、回転とともに首を刎ね飛ばす。
「アルナ!」
その前に静止が入り、首も血飛沫も飛ぶことはなく、殊更に大鎌が姿を現すこともなかった。
ヴェールの奥の深紅の瞳が鎮めるように奇術師を見つめる。
従者の名を叫ぶ主君の声で少女は目を背けた。
しかし、血は飛んでないのに赤に濡らした修道女はその中に嬉々として介入していく。何を考えているのか。どうせ殺り合うこととヤり合うことだけだろうが。
「ケンカッパヤいのはいいなぁ。どうだぁ?あたしと一発ヤってみねぇかぁ?」
「遠慮するわ。あなたと戦ってると頭が足りなくなりそうでイヤなの」
肩を組む修道女に目も向けず冷えた視線と態度だけを投げ飛ばす。
流石のこの対応には修道女もお手上げの様子で「やれやれ」というジェスチャーだけで会話を切り上げる。
流れる水音だけがこの場を支配している。
錆びた蝶番が音を立てながら開く。
重たく閉ざされた扉の向こう側は開かれるまでは相見えることはなく、開かれた今ですら奥の明かりは薄く足元を見ることで精一杯である。
六人の人影が中へと進む。
最後に人が入れば蝶番は一人でに折り畳まれる。中は余計に暗く、閉ざされる。
足音だけが響いている。
長く続く階段を降りる足音だけが響き、耳の中をこだましている。
燭台に火が灯る。
段々の床を降り切った途端に燭台が煌びやかに輝く。全く熱を持たない火をてっぺんに付けて燦然と主張する。
「そこら辺の椅子にでも腰掛けててくれ。あんたらは大事な客人だからな、しっかりともてなさせてくれ」
男は深く一人用のソファに座り込み、アルナ、ジェフリーも慣れた様子でカウンター席に着いたり、ソファに雑魚寝を始める。
もてなすと言った割にはまともな席が残っていないようにしか見えないのは部屋がまだ薄暗いせいだろうか。
「おもてなしであれば先程たっぷりと貰ったと思うが?今度はどうもてなしてくれるのかね?」
「あたしはなんでもいいぜぇ?ほら、お客様がお通しをご所望だぁ、さっさと通すもん通せよぉ!」
「………いらない」
残りの三人は各々で、奇術師は壁にもたれかかり、ヴェールの少女はその隣に、修道女はカウンター席に腰を下ろす。
その態度は大きく、全くもって遠慮の心を持ち合わせていないのが伺え知れる。
「ひでぇ言われようだなボス!やっぱコイツら受け入れんのやめとこうぜ!なぁ!」
「いいや、お前らは今回よく働いてくれたからな。改めて、俺たちと今後ともよろしくお願いしたい。受けてくれるんなら今より金は出す。正式加入してくれんならより高待遇だ。お前たちにはそんくらいの価値がある」
雑魚寝中のジェフリーにフルのシカトをかまし、鉄仮面を指でなぞりつつ男は言う。
彫りが深い目のせいでその奥になにが映っているのか、それを通して何を見ているのか分かりにくいのだけが残念だ。
「俺たち『烈火ノ天』は今はまだ小っこいグループだがいつか必ずこの国にとって一番の脅威となるギャングスタになれる。そこにお前らがいるとなおのことだ」
言ってしまえば「今のこのグループは弱いから強くなるまで面倒を見てくれ」とのこと。
正直、奇術師側に全くのメリットはない。
今は雇われの身ではあるものの、この男の腕は確かなものだ。単身で十分この三人よりも、この場の五人よりもよっぽど。
それこそドラゴニアの脅威たる程に。
そんな男がわざわざ面倒を見てやる必要があるか?ないだろう。結果ははっきりとした。この先に出るセリフはただ一つ、突き放すだけの拒否だけだ。
「……いいわ」
だが残念。出でるは肯定の言葉。
それもヴェールを身に纏い、緋色の長髪を靡かせた少女の口から出た言葉。
深紅の瞳は真っすぐに鉄仮面の双眸を見据える。
「…貴方たちからの提案を呑むだけよ、何をそんなに驚くことがあるの」
『開いた口が塞がらない』とはまた違ったポカンとした様子で、語り出した少女を皆が注視し続けていることに我慢できなくなったのか、それとも本当に理解できなかったのか、淡々と固く結んだ口をもう一度解いた。
「彼女からの君たちへのささやかなプレゼントだ、有り難く受け取ったらどうかね?勿論、辞退したくなったようであれば自由に手を引いてもらって構わない」
壁にもたれかかったままの奇術師は仮面の下から催促の言葉を放つ。
烈火ノ天にとって三人の戦力が手に入る、これ以上何を望むことがあるだろう。
明確に二人はS級を相手にとって生還、うち一人は無傷と来ている。一騎当千、千軍万馬の国家戦略に並ぶ怪物を相手に取って一切の不足なし。
それが今手の内に入ろうとしている。これを逃す手があるか?
無自覚に口角が上がる。鉄仮面の下、顔の筋肉が痙攣している気すらする。
今流れるこの汗は何処からだろう。今を喜ぶ歓喜?それとも興奮?なんでもいい。気にするところはそこじゃない。
怪物二人が手の中に入る。
真っ先に脳内を駆け回るのはこの事実。
「あ…ああ!断らねえ!断る道義がねえ!お前らがうちに入ってくれんなら願ったり叶ったりだ!歓迎するぜ!なぁおいアルナ、ジェフリー!」
「えぇ、ボスが喜んでるならそれで構わないわ」
「オレも歓迎するぜぇ?ツラの良い女も入るってんなら大喜びだぜ」
上気したボスとはまた理由は異なりはするが概ね歓迎はしてくれている。
ジェフリーの下卑た舌舐めずりだけが不愉快に映ったか何処からかとても似つかわしくない舌打ちが鳴った。
奇術師とヴェールの少女はこの談合が終わり次第住まいに戻るらしくさっさと荷をまとめ出て行った。唯一修道女だけはここ、アジトでの生活を始めようとしていた。
男と寝させろとでも言うかと思えば口にしたのは「あたしにも相手は選ぶくらいの脳みそは残ってるぜぇ」と、ソファのジェフリーを蹴下ろして寝転がり出す。
何か下の方から文句が聞こえた気がしたが右耳から左耳へと通過するだけでまともに聞こえなかったのでやはり気のせいにした。
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実際にこの目で見たひばりは思っていたより綺麗だった。それは本当に彼女が動かなくなってしまったのかどうかさえ疑ってしまう程に。
しかし、それを否定するかのように巻かれた包帯と貼り付けられたガーゼが、彼女に繋がれた細く赤いチューブが、取り付けられたコードが全てを物語っている。
「治療魔法っていうのは凄いよな。もう傷自体はほとんど残ってないらしい。この病院に使える人がいて良かった」
隣に立つ青年も同じことを考えたのか言葉を漏らす。
静寂に包まれていた病室では聞こえていないフリも出来ない。
「じゃオレのこと治してくれたのも多分その人っスね。普通じゃ死んでたらしいんで。でもそれって使える人ってそんな少ないんスか」
身近なところに平気に使っている人間がいるせいか紅葉の中で治療魔法は一般的に使われているものであると刷り込まれてしまっているが今の話ではそうでもないらしい。
寝台の上の少女は天真爛漫さを失ったまま。
そう言えば教えてもらっていない。
「少ないよ。しかも使う人によって全然違うしでメチャクチャなんだよ。僕も傷埋めるくらいしか出来ないんだから。詳しいことは猿川先生にでも後で聞くか君の幼馴染ちゃんに聞くなりした方が良いよ」
「はは…センパイに教えてもらった方が身につきそうっスけどね…」
これも我儘になるだろうか。でも教わるならやっぱり教え方が上手い人より自分に合った方法で教えてくれる人が良い。
その点で言えばひばりの右に出る人物は居なかった。
やり方はメチャクチャでも、いきなり実践に移されても、痛みを覚えても、分かるまで教えてくれた。分かるまで身体に叩き込んでくれた。
やはり教わるならひばりが良かった。
爪が食い込んで痛い。
「すみません…勝手なこと言いました」
我儘。ないものねだりの身勝手な我儘。
「じゃあ僕も勝手なこと言っても良いか?」
シーツに玉状の染み。微かに震えた声。
「しばらくの間、一人にしてくれ」
少し光って見えたのは彼がつけた指輪ということにした。
「…外、見ておきます」
今できる精一杯の気遣い。
それだけを残してスライドドアの外に立つ。
この病室は壁が厚い。中から聞こえる嗚咽も啜り泣く声も通さない。
通さない。
だから、見張っておこう。
月が見えない夜のことだった。
もう五月も終わるというのにまだ少し肌寒さが残るのは薄い患者衣のせいか。
目を覚さない白雪姫。
白馬の王子もドワーフも慌てて泣き喚く。
「神河か、どうしたんだ?そんなところで」
しばらくして訪れたのは筋骨隆々、モスキュールだった。
「先客がいるんスよ。だから出て来るまでここで待っておこうかと…」
ああ、とどうやらこの一文で納得してくれたようですぐそばの長椅子に腰を掛けちょいちょいと紅葉を手招く。
促されるままに隣に腰を掛ける。冷えた身体に丁度いいくらいの熱を放っていて意外と居心地が良い。
「すまないな、後輩にこんな所を見せることになって」
驚いた。正直、謝るところはこちらの方がよっぽど多いから。
「いや、全然っスよ!むしろ、オレの方が弱っちいのに出しゃ張って大怪我負って迷惑かけちゃって…謝るならオレの方っス」
低い腰で更に腰を下げる紅葉に微笑みを浮かべるモスキュール。確かに可笑しいのは認める。
「お前くらい前に立つ勇気がある奴はよっぽどいない。むしろ、お前はあの戦果を誇っていいくらいだ。俺はあまりお前の面倒を見れなかったが、明星の代わりに俺が褒めてやる」
雑に置かれた大きな手は温かった。
奢ってもらったホットミルクに連れてようやく眠気もやって来た。
「ちょっと寝てていいスか…?眠たくなって来ちゃって…」
言い切る前に紅葉の意識が離れていく。硬い枕でも高さは丁度いい。
(指輪…ひばりセンパイも着けてたな…)
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夜の街を飾るのはなんだろう。
闇の中で絢爛と存在する花々か。
一日の全てを終え浮かれた千鳥足を絡ませ行く人々か。
忙しく猛進を続け目の端を点滅する車の前照灯か。
香り立つアルコールの匂いに混じる香水の匂いが鼻をつく豪華絢爛ネオン街か。
「…私はオッドだと思うんだけど」
質素な部屋。二人用にしてはやや大きめのソファとローテーブルも、雑に並べられた本棚の中の書物も、決して豪華とは言い難い。
電気とガスが通り、雨風を凌ぐためだけの部屋。そんな印象を受ける1LDKの玄関口に立つ少女には何処か場違い感。異世界の物語を読んでいたのに急にリアリスティックな話が出てきた時に感じるあの異物感によく似ている。
玄関口からベランダへと向かうオッド―奇術師の問いに答えている。
「俺が用意した選択肢は不満だったかな?それともお気に召すものは無かったか?」
乾いたスライド音を響かせオッドは窓を開け、敷居を跨ぐ。夜の街を見下ろす高層マンションからの景色は正しく絶景。煌びやかな街並みによく映える金の絹を靡かせ街を望む。
自身の用意した選択肢を選んでくれなかったことには別に悲しむ素振りは見られない。だからといって嬉々とした表情をした訳でもない。
「ううん。だってオッドは私に取って一番綺麗で一番大切で…一番愛してる人だから。だからそんなものなんかよりよっぽどオッドの方が輝いてるの」
ベランダに一つ置かれた木製の椅子に腰を掛ける。腰を掛ければ鳴るのはいつもの木と木とが擦れたあの音。
その膝の上に更に一人の腰が降りる。
心臓に耳を傾け音を聞かれる。
…聞かれたのは本当に心の臓が鳴らす拍動音だったのか。それとももっと奥深いものだったのか。また今度改めてみることにしよう。
「それは実に…光栄だね。折角ラックに認めてもらえたんだ、俺がこの夜を彩って見せようか」
「それはダメ。オッドは私だけの人なの。他の誰かの為に輝くのはイヤ。私の目の中でだけ輝いているだけでいいの。私だけの光じゃないとダメ」
揶揄うつもりで放った言葉であろうが彼女はそうは捉えず、瞳の奥燻らせた欲を、ドロドロに溶けた欲を吐き出しぶつける。
ヴェールがなくとも長い前髪の影で表情が分からない。笑顔でないことだけは確かだ。
「それがお嬢様の思し召しであれば慎んでお受けしよう。俺がラックだけの一番の光であることを君に誓おうか」
前髪の下は随分と嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。
心臓の脈打つ音が小さくも確かに頭の中をくすぐる。
それが、それだけが私たちが私たちである証明だから。確かめるように調べるように聞く。
私の音も確かめて欲しいけど彼はこの角度を嫌うから寝ている隙にでも聞くのだろう。
愛しい人よ、貴方は私を聞いて何を思うの。
「…もう少しだね、オッド」
独り言。すぐそばの脈拍の変わらない彼にすら聴こえるか疑わしいくらいに囁いた声。
独り吐き出した淡い期待。
「あと少し…あとちょっとで私たちの願いが叶うね」
緋色の髪の上を五本の指が滑る。
傷まないくらい柔らかく、崩れないくらい優しく冷えた指先が彼女をなぞる。
「あぁ…そうだと良いな。これで終わってくれれば、それで…」
夜の闇に囁く。
宵闇は二人の音すらも吸い込んで、挙句には心さえも溶かして連れて行こうとしている。
「だいじょーぶ。そうに決まってるわよ。だって私がついてるもん」
確かめるのは心臓。
改めるのは彼の心の所在。
何処にいるの。
何を想っているの。
私を見ているの。
私を想っているの。
私だけの光。
私だけの王子様。
連れて行くなんて許さない。
「そうだな。ラックと俺がいて敵わないものなどあるものか。失念だったな」
そう、貴方の居場所はここ。
真っ暗な闇の中は似つかわしくないの。
ここにおいで、ここにいて。
私を…照らして。
私だけじゃ歩けない。
ここは夜。二人だけの世界。
輝く街並みを背に受ける彼女の深紅の瞳に引き込まれるのは何故。
この夜を彩る灯火たちよりも目の前の緋色の彼女が美しいのは何故。
「ねぇオッド」
「何かな、ラック」
「私のことは自由に使って。オッドの為なら私なんでもする。召使いにだってなるし邪魔になるなら捨ててもいい。慰めに使っても良い。だから…」
お願いね。
二つ重なるのは仮面とヴェール。
今夜は新月。二人だけの闇。二人だけに当たったスポットライト。
どう踊ろうか。




