13.屍達の舞踏会序幕−玖−
「『止まれ』」
修道女の動きがピタリと止まる。それはさながら凍りついたようで目を疑ってしまう。
「先生!」
「力也お疲れ。ここからは選手交代だよ」
廃ビルの屋上から颯爽と降り立った教師が一生徒に告げる。
そう言われても力也は首を縦には振ってはくれない。先程自分が殺すと誓ったのだから。
「嫌です。先生なら知ってるでしょ僕が性格悪い上に強情なの。絶対あいつは僕がぶっ倒します」
「自分のことを客観視出来てるなら今度は今の状況を客観的に見てみな。目の前には格上の敵、それも現状確認出来てるだけでも三人以上は確実なわけ」
力也の端末から通知を知らせる音が鳴る。首から上だけで見ろ、と合図を送る。
そこには『大会参加者の学生は至急、指定のポイントに避難するように』と他に現状を淡々と述べた文章があった。
「ってことだからお前には避難所の護衛を任せたい。お前がいればまあ被害は抑えられるだろうしこっちとしても動きやすい。だから早く行け」
逡巡の間が空いて力也はそそくさと避難所へと向かっていった。猿川はそれを見送り、赤に身を染めた彼女へ身を翻す。
いつの間に動けるようになったのか、彼女はえも言わさぬ速さで武器を振りかぶっている。
それを後ろ跳びで避け、手をついて着地をとる。
「ケヒヒッお前よぉアイツ逃してよかったのかぁ?せっかくS級二人が揃ったってのによぉ」
避けられたにも構わず修道女は語り出す。ほんの少し前まで苦しい顔を浮かべていたくせに軽々しい口振りで、余裕を持った顔で。
だが残念。彼の…猿川のボルテージはすでにフルスロットル。そんなもので心は揺れ動きやしない。
「驚いた。俺の能力がこんな早く解かれたのはこれが初めてだよ。で?それ誰から聞いた?『吐け』」
ドスの効いた92Hzの音が耳の中に届き、音は電気情報として脳へと運ばれる。魔力をのせて。
勝手に口が動く。本人の意思など顧みずに喉を震わせる。
「あたしの…仲間…の…オ…」
そして途切れた。その顔には『不快』が貼りついている。
(二回目か、これで確定だな。向こうに誰か俺の能力について知ってるやつがいる。心当たりがありすぎて困るな)
「ま、いいや。さっさとやろう」
腰に差した手鎌に手を掛け抜き出す。大したことはない、なんの変哲もない園芸用の草刈り鎌。
それを目の前の敵に向けて構え、姿勢を低く保つ。
彼女もまたいつでも戦えるよう整える。
姿勢は低く、鋸を持つその手はダラリと垂らし、脚は大きく開いて。
「『止まれ』」
口火はたった今切られ、戦火は静かに燻り始めた。
―――――――――――――――――――――――――
ー大会運営管理下避難所
気付けば今大会のほぼ全ての参加者がここに集まり異様な光景と空気を作っていた。
現状について理解が出来ていない者、理解はしたものの飲み込みきれていない者、焦り響動めく者、それぞれが混じり合わさり混沌とした空間を造っている。
無論、彼らー東間の者どももまた例外ではない。
「ひどいな…」
自らの顧問教師からここに向かうよう指示を受け走った青年は早くもここに辿り着き、ひどく荒れた避難所の面々を目の当たりにしていた。
(生徒も大人もみんな混乱してるな。無理もないか、こんな状況じゃ。でも、これを放置とはいかないよな)
自身に与えられた仕事はあくまでここの警備だけではあるのだが、それを果たすためにはまず皆に冷静さを取り戻してもらうことが不可欠であろう。もしかしたら一人で脱出を図りここから抜け出したりするかもしれない、いざこざが発生するかもしれない、あまつには徒党を組んで暴動を起こすかもしれない。こういったことは平気で起こり得る。なにせパニックに陥った人間が何をしでかすのかなんて人間にすら予測出来ないのだから。
「モスキュール」
人混みの中を掻き分けまっすぐに自分の仲間たちの下へと足を運び見つけたのはモスキュールが慣れないながらにも部員たちを宥めようと奔走している姿だった。
副部長であるひばりが棄権してしまっていること、どういう訳か力也がいつまでもここに来ないこと、顧問はどうせ来ないこと、以上のことから現状いまこの場において部内トップは彼であり皆を守る責任が伴われる。
力也が声をかけた時にはそれはもう顔を真っ青にしていた。疲れていたのだろう。誰もがパニックに陥っている中、自分は平静を着飾り他のメンバーにもこうすることを強いなければいけないのだから。
「力也か。すまないがお前の無事を祝ってやるほどの余裕はない。ここ、どうにかしてもらえないか?俺じゃどうも力不足みたいでな…お前らみたいにそううまくはいかないもんだな」
筋肉ダルマというあだ名に一切の異論が出ない大男がこんな雨に濡れた子犬のような顔が現場の過酷さ加減を物語っている。そして彼の表情を見て力也も生唾を飲み込んだ。
「分かった。なんとかするからお前はしっかりと休んでおけよ。これから何が起きるか分かんないからな」
筋骨隆々の大男は「ありがとう、助かった」と漏らして、ゆっくりと奥へ歩いて行った。
その姿を見送り彼もやるべきことを為そうと気持ちを切り替え、この人混みに目をやる。
腰に手を当てたった一言。
「さて、どうしたものかな」
避難所を一回りすると一緒に運営陣に事情聴取…とまではいかないが、今運営側はどういった対応をしているのか、今この場所に足りていないのは何か、自分に出来ることはあるかを聴き出すことに。
いざ行動してみれば見つかる大人たちは皆忙しく動き続け、とてもじゃないが話をしている暇なんてなさそうであるためやめておいた。
それじゃあどうするか。
自分に出来ることを自分で思いつく限りでやるしかないだろう。なにせここは避難所。足りてるものを探す方がよっぽど難しいのだ。
(まずはこの混乱を落ち着ける方法だよな。一人一人やってるようじゃ遅すぎるしまとめてやれる方法…俺がここを守るって言えばまあ解決か?ある程度は収まるだろ)
わざとらしく顎に手を当て思索にふける。
言ってることはほぼ天狗だが、少し前の彼なら枕言葉に『絶対』がついていただろう。それが『ある程度』まで下がったのは先の二戦の影響だった。
(敵は俺より格上が一人、同レベルくらいが一人。他にもいるんだとしたら絶対守ってやれるとは言い切れない。て言うかあの神具奪われてる以上、ここごとイかれる可能性もあるし…やっぱり先生が言ってた通り、警備に回った方がいいな。運営の方には俺の名前は勝手に使っていいって言っておけばいいか)
自分の中でそう結論を出したのなら時間もないのですぐに実行に移す。
人混みの上を軽く跳んでスタッフオンリーの管理室へと。スタッフではないがさっさと入る。鍵はかかっていなかったので躊躇うことなくヌルッと。
中から声が聞こえる。
女の声だ。それも二人。
何を言ってるのかはよく聞き取れないがまずは上に要件を、と上の者はと尋ねる。
尋ねてみれば「あちらに」と先程の部屋に手を差し出した。軽く礼を言ってそそくさと指し示された方へと。
部屋の前で一度立ち止まる。
(何か聞こえた)
聞き耳を立てると片方の声には聴き覚えがあった。最近聴いた声だ。
(これは…相川か?なんでこんなとこにいるんだ?)
「だか…!早…しな…」
何かを頼んでいるようだった。その声には焦りが伺えたがどこか冷静さもあるように聞こえた。ということは静もいるのだろう。よく聴くと静の声も微かに聴こえる。むしろこちらの方が戸惑っているように伺える。
「切頭くんが!紅葉が!」
気づいた時には扉を開いていた。目を大きく見開いて、扉を音を立てて勢いよく押し開ける。
この場の全員の視線は今しがた音の鳴った方へ。
一度か二度、視線が錯綜して口を開く。
「…俺の名前は好きに使ってもらって構わないです」
確実に出だしを間違ったのだけは理解できた。
―――――――――――――――――――――――――
身体が言うことを聞かない。こんな感覚を味わったことがあるだろうか。
所謂金縛りというものであろうか。意識は明瞭、しっかりとあるのに体は全く動かず声も出せない。唯一動かせるのは眼球だけ。
今、彼女はそんな症状に直面している。理由は金縛りではないがなんのせいなのかははっきりとしている。
(あんのヤロォ…!端からあたしとヤリ合うつもりはねぇってかよぉ!)
大急ぎで自身にかけられた能力を解く。だが、いくら解き方を知っていようとそれがすぐに出来るわけではない。
そうこうしているうちに気がつけばこの男は目の前に。
「どうした?解けるんだろ?」
手鎌は迷わず修道女の首に容赦なくかけられる。
すんでのところで体を動かすことに成功し、薄皮一枚切られるだけに傷を留めた。
「テメェワケわかんねぇ能力使いやがってよぉ…!アタマに来るなぁ!」
修道女はどうやら怒り心頭の様子。しかし、猿川の方へと近づく素振りはない。
(ちゃんと警戒はしてるのか。コイツ…相当慣れてるな)
「なんだ来る頭があったのか?てっきりお前みたいなのは頭よりも腹でモノを考える性格だと思ってたんだが」
嫌味満点の言葉を嫌味満点の声色で発する。
煽って向こうがこちらへ走り出してくれるなら重畳。お釣りが来るくらいだ。
「よし決めたぜぇ!テメェはあたしがぶっ殺してやっからなぁ!アイツの言いつけなんか知ったことかよぉ!」
地面から土埃が舞う。
修道女が叩きつけた地面が割れ、そこから埃が溢れ返す。
至って冷静。真っ直ぐに突っ込むようなことはない。
「『吹き飛べ』」
言うと同時に埃から一つの影が飛び出していく。飛び出した勢いそのままに壁にぶつかってようやく止まる。
再度近づこうと考えてもそこに土煙はない。今ので消し飛んでいたようだ。
(そっちもかよぉ)
衝突した時の煙に乗じて移動する。
移動する先は猿川の真横。柱の陰からこんにちわと修道女と鋸刃が顔を出す。
それを危なげもなく屈んで避け、頭上に来た彼女を蹴り上げる。
蹴られることで体勢は崩れども、受け身を取り着地することで素早く持ち直し、起き上がりざまにマグナムの銃身を抜き出しすぐさま発砲。反動を利用して何歩か後退し間合いを取る。
肝心の弾丸は手鎌によって軌道が逸らされ、目標の猿川には掠りもしない。
(あたしの能力はあたしの魔力が触れねぇことには使えねぇ…せめて今のが当たってくれりゃぁ楽ができるとこだったんだがなぁ…さすがS級。身のこなしまで完璧じゃぁねぇか)
(意外に冷静だな。能力のことは聞いてるし触れないようにはしてるけど、近接戦で完全にそれができたら苦労はしない。現に少しづつ靴とか手とか腐蝕してきてるし)
((ああ、メンドクセェ!))
やはり先制を入れるのは猿川の方。体を動かし相手に触れて初めて攻撃を為すことができる彼女と異なり、彼は口を動かすことだけで口撃ができるのだからそんなことは必然。
「『潰れろ』」
ぐしゃりと頭が地面にたたきつけられるも、持ち前の頑丈さで肉の形を保ち、ひるまず突っ込む。
しかし、数回斬りつけるよう鋸を振るうも掠りもしない。全て躱されるかいなされるかの二択。
「アメェんだよジジィ!」
いなし、払った箇所が紫に変色する。変色は魔力に触れた箇所に留まらず緩やかに広がっていく。
(あの一瞬でここまで!)
『腐蝕の血』の発動条件は彼女の魔力に直接触れること。それは先の連戦で明らかになっている。彼の予想の外だったのはそのスピードと、発動後は彼女の方で調節が可能であるということ。
「事実上の触ったら勝ちの能力か…強いなお前」
「蹴り避けながら言うことかぁ?!それがぁ!」
どんな感嘆の声も今この時では煽り文句にしか聞こえない。
修道女が地に手をつき、下半身を押し出すようにして放った蹴りを腰を反らしてゆうゆうと躱す。
(硬いな)
行き場を失い、そのまま振り下ろされる脚を手鎌で迎え打つが、切断までは至らない。切り傷一つついて反動で押し返されるだけ。
反動で浮いた脚に低姿勢から返す刀、卍蹴りで押し除ける。
(距離は取れた。今ならいけるか)
「『爆ぜろ』!」
一瞬、修道女の体から閃光が瞬いたかと思えば、光は熱を帯びた爆発へと姿を変える。
烈しい音と炎は彼女を包み、散らさんと躍起になっている。
「ほんとに硬いな…直撃のはずなんだが?」
爆発の後、吹き飛んだ勢いと煙に乗じて壁の後ろへ流れるように移動し、階段から二階、三階と上がっていく。
わざとらしくいくつか小石を落とす。まるで自分がここにいると主張するように。
「もう一回、『爆ぜろ』」
落ちた小石が爆発する。落下中のもすでに落ちたものも、どちらとも。
「ケヒッテメェイかれてんじゃぁねぇのかぁ?!」
(自分の周り爆散させて爆煙で目眩しとか思いついてもやるヤロォいるかよぉ!)
いる。それも目の前に。
相手の姿を目視で確認が出来ない以上ここら一帯を丸ごと魔力弾で攻撃するくらいしか彼女に有効打はない。しかし、そのための魔力は先の連戦でとっくに使い潰した。
「なら適当ォにやるしかねぇよなぁ!」
魔力弾を飛ばす。一つ、また一つ的確にしらみ潰しに飛ばし続ける。
それに相対するように小石が飛来する。狙いを定めた弾丸のように真っ直ぐに。
そして、彼女の耳元で爆ぜた。
「時限爆弾も出来るのかよぉ」
一度体勢は崩れたがすぐに持ち直し走り出す。
止まらない小石の乱射に捕まらないよう応戦する。勿論、その間も反撃の手を緩めるつもりはない。
魔力弾は廃ビルの中央。吹き抜けの底に向かって撃ち続ける。
(あんのヤロォはあたしの場所が分かってやがるんだよなぁ…魔力探知かぁ?いや、ないなぁ…だったら真っ直ぐあの鎌投げてくるだろぉ)
考える。何故猿川が、猿川だけが正確に自分の位置を把握し攻撃が出来ているのか。そして、一つ気づく。
煙が晴れない。
とっくに最初の爆発から五分は経っているだろうはずなのに、煙の量は減るどころか増えている。
そして他にも、小石の量が多すぎる。
飛んでくる間隔も早すぎる。
「まさか…!」
振り返りざまに鋸を抜く。切り返しのついた刃は確かに彼の手鎌を捉えた。
爆煙。それの発生に乗じて移動。彼女がいる三階よりも上、四階へ。そして頃合いを見て不意打ち。
「なんだバレてたのか」
口を動かしているのは見えるのになにも聴こえない。耳元で爆発させたのは聴覚を潰すため。
彼の能力は『絶対王政』。
放った言葉を相手に強制する能力。
それ即ち、彼の者が発した言の葉を聴き逃すことは―
―死に直結することを意味する。
手鎌は避けた。
問題はこの男をどう崩すかだ。
相手は空中。身動きは取れない。ならば―
抜き出したるはマグナム―デザートイーグル―、その銃口を彼の額に向け、迷わずトリガーを引く。
ほんの数秒の時間で放たれた弾丸が目と鼻の先の男に到達するのに秒は要らない。
刹那。
それさえあれば彼を、奴を貫ける。
しかし、微かに逸れた弾丸は猿川の脳天ではなく頰肉を貫いた。
「この距離じゃ顔動かしただけじゃ躱しきれないか」
言っているそばから追い打ち。踏み潰してやろうと足が飛んでくる。
体を右に転がしそれを躱し、足から順に立ち上がり、勢いを利用して拳を突き出す。
それも軽々しくいなされるも、手鎌と体術を混ぜ合わせ攻撃を続ける。
(コイツめちゃくちゃな能力してやがるくせに体術までいけんのかよぉ!)
外野が見ているよりも当の本人はいっぱいいっぱい。
(こいつ…連戦してるくせになんでここまでついて来れるんだよ!)
こちらはこちらで驚き戸惑っている。この女、なんでこんな無駄に強いのか訳が分からない。
今も猿川の攻撃の合間に足を払ってくるくらいには余裕がある。
足払いを軽く跳躍することで転倒を防ぐ。
跳んでいる間に身体を捻り修道女の頭のベールに目掛けて蹴りを放つ。
「『動くな』」
蹴りを受けよう、なんなら切りつけてやろうと鋸を振り抜いていた腕が、全身が止まった。
次の瞬間には側頭に猿川の脚が直撃していて吹き飛んでいた。吹き飛ぶと言っても一メートル程後ろに下がったくらいだが。
猿川がいない。
吹き飛び身体が動かせるようになって顔を上げるまでの刹那の間に目の前にいた男はどこかに姿を眩ませた。
「どぉこ行きやがったぁ?」
耳はまだよく聴こえない。
文字通り爆音をすぐそばで聴くことになった訳で、まだ耳から金属音が聴こえてくる。
頼れるのは視覚と魔力探知のみ。
その内の魔力探知は大雑把に場所が分かる程度で、アテにするには心許ないと来てる。
ならどうするか。
周囲の壁が床が天井が音を立てず崩壊する。
ヒビが入って、割れて、粉々に崩れて…
腐蝕はあらゆるものを塵と化す。
「ほぉらさっさと出て来ねぇとテメェまでバラバラになるぜぇ!さっさと出てこいよぉ!なぁ!」
全て見えるようにすれば問題はない。
「『堕ちろ』」
ボロボロの床は重力の何倍もの力で地面へと引き寄せられる彼女を受け止めきれず崩れ、彼女は地に落ちる。
「『集れ』」
小石が各階から引き寄せられる。
(さっきあのヤロォが投げた石かぁ…?!)
全ての石に僅かながらに猿川の魔力が込められている。ということは声を発すればこの小石たちは彼の言った通りに動く従順な僕となるということだ。
集まる先は修道女。真っ赤な彼女は目立ちやすい。
「集まるならランドマークのすぐそばだよな」
この女の周りにわざわざ石を寄せただけで決定打になる訳がない。そんなことは分かりきっている。
(力也のアレ喰らってまともに立ってるんだ。頑丈さは他と比べものにならないんだろ)
だったらと考え至ったのが『動かせない』という簡単で難しい結論だった。
(本当は俺の能力だけで十分だったんだけど対処できるようじゃ力業でどうこうするしかないだろ)
「『突き刺せ』!」
瞬く間に石の群れは無数の細長い針に姿を変え、彼女を遠慮なしに文字通り針の筵にする。
「挿入するんならよぉ!もっと太くて硬いの持って来いよなぁ!」
元がただの石じゃ大した効果はなく、順々に折られていく。むしろ槍投げの要領で利用される始末。
逆効果。
(このまま槍投げされ続けてたら困るのはこっちだな…やっぱ直接叩いた方が早いか)
「悪いが、生憎お前が満足するようなモノは提供出来ないんだ。せいぜい俺で満足することだな」
三階から飛び降りざまに手鎌を振り下ろしたが、これも鋸で受け止められる。
各々が武器に纏わせた魔力が衝突し、押しつけられ合うことで閃光となり明けの夜空の中で煌々と輝く。
「テメェとヤれるんなら十分だなぁ!来いよS級!あたしと死ぬまで踊ろうぜぇ!」
両者ともにその顔には笑みが見える。
油断、余裕?
そんなものはない。
互いにあるのは譲れぬ矜持と、身を焦がす渇望のみ。
鋸が狙いすました一閃。側頭に向かい来る刃を屈んで避け、低姿勢のまま足を払う。
転倒するかと思えば片腕を立てて側転し持ち直す。
持ち直した彼女の胴のすぐそばには鎌が接近している。
「『動くな』」
払い落そうとすれば体が硬直し、身動ぎが取れずに直撃を喰らう。
動けぬ間に連撃を叩き込む。
返り血が飛ぶ。体が灼ける感覚が肌に付く。
いつの間に解除していたのか修道女が斬撃の嵐の中、切り傷をつけながら猿川の肩に喰らいつく。返り血を浴び、腐蝕が進んだそこは彼女に噛み千切られ抉れる。
「ッ!『吹き飛べ』!」
苦悶の表情を浮かべながら能力を使い彼女を遥か遠く、大空へと旅立たせる。
まさか嚙み千切られるとは思ってもいなかった。
だが助かった。これなら治癒がしやすくなる。
治癒魔法は高度な魔法技術と医療知識が求められる。腐蝕なんて理解しがたいものより身体の欠損の方が彼にとってよっぽどやりやすい。
そして大空を飛ぶ彼女を目に据えてある物に目をつける。
高く聳え立つあのタワークレーンに。
「あたしはあと何回飛べばいいんだぁ?」
今日だけで空を飛んだのは三回目。いい加減にと愚痴をこぼすが相手には何一つ聞こえやしない。一人は自分で話ができなくしたし、もう一人はどこかに逃げおおせた。最後の一人は地表で彼女を待っている。
「いねぇ!」
はずだった。
彼女が見つめる遥か、大地には彼のものである魔力は感じ取れなかった。
それなら何処に?
少なくとも彼女の魔力探知の範囲の外か意識の外か。
その疑問もすぐにどこかへと消え失せる。巨大タワークレーンのフックにぶつかってしまえば悩みも身体もぶっ飛んでしまうことだろう。
「ガッ…」
意識がトびかけた。二十五トンのそれがライナー並みのスピードで突っ込んでくるのだ、今日一のダメージであっても疑問符はない。
「あんのヤロォ…!」
こんな芸当ができるのは今一人しか思い浮かばない。クレーンの方へ焼き付く視線を送る。
いた。
顔はよく見えはしないがつまらない顔をしたあの男の姿が、表情が窺い知れる。
鋸を振るい、魔力のたっぷり染みついた血を飛ばす。
あの体が自分好みに変わるように呪いを込めて。
「呆れた。あれ喰らってまだやる気かよ」
自分へと一直線に飛来する赤い弾丸を見つけて、その主人に驚嘆を通り越して呆れて溜め息を漏らす。
「『弾けろ』」
弾丸はクレーンに到達する前に姿形も無くなってしまう。これで防げたと心から言えたら良かったの、厄介なことに彼女の魔力はそこに漂っているのだ。
(残滓が残ってる以上そっちに突っ込む訳にもいかないし、さっさとアイツ片付けないとだし)
「ヴィルベルムさん。すみませんけどココ、もう使いもんになりそうにないです」
深く息を吸って…吐く。人は何故これだけの動作で心を落ち着かせられるのか、今からしでかすことがどんなとんでもないことであっても。
喉から発せられるのは毅然とした95Hz。
紡ぐ言葉は「『倒れろ』」。
高さ三十五メートル程度のそれは鈍い音を立て、豪快に修道女を迎えに行く。
次第に角度が鋭くなって猿川はクレーンの方へと移動しすぐに避難できる用意は…必要ない。『飛べ』と命じれば数羽のカラスが彼を宙に浮かしてくれるから。
「お前と遊んでやれるのはここまでだ。そろそろ教師に戻らないといけない」
飛ぶ直前、彼女が見えた。だから告げた。聞こえたのかどうかなど気にも留めちゃいやしなかったが。
「ーッ!!!!」
彼を見た。心の底から叫んだ。彼はこちらに目もくれなかった。
彼女は何を叫んでいただろうか。
酷く大きな鈍い音の中じゃ聖女の懺悔は響きやしない。
猿川楽:ランク S
能力『絶対王政』
魔力操作 S