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あとがき

この物語に登場する「諏訪男」は、私の中学時代に実在した美術教師をモデルにしている。


彼が行っていた“異常な授業”は、この物語に描いた通り、事実である。


そして、それが全校生徒の間で噂になっていたにもかかわらず、他の教師たちは見て見ぬふりをしていた。これもまた紛れもない事実だ。


後に彼の「異常な授業」は問題視され、新聞にも取り上げられた。


それは私が二十代に入ってからのことである。その事実を知った時、私の中には説明のつかない安堵が広がった。「やっぱり、あれは間違っていたのだ」と、初めて誰かに肯定された気がした。


この小説は、そんな諏訪男をモデルにしながら、「官能」という切り口を通して、人間の欲望の脆さ、そして教育現場に潜む異常性に触れようとした試みである。


美香という人物にも、モデルはいる。


中学二年のとき、同じクラスにいた少女。骨格のしっかりした、健康的な足取りの子だった。彼女の外見や振る舞いを借りた一方で、その境遇には私自身の投影がある。


彼女をモデルに選んだ理由は、――たった一度かぎりだったかもしれないが、私のことをほんの少しだけ好いてくれていた(そう信じたい)からだ。たぶん、ただの気まぐれだったろう。それでも、あんな私にほんのひとときでも関心を持ってくれたことに、今でも密かに感謝している(笑)。


私は今さら諏訪男のことを恨んではいない。


ただ、彼は教師としてではなく、一人の人間として失格だった。それだけのことだ(笑)。


彼が今も生きているかどうかは知らないが、できることなら長生きしてほしい。――もちろん、自分の犯した罪の記憶とともに、生きながら罰を受け続けてほしいという条件付きで(笑)。


なお、作中に描かれた美香と諏訪男の関係は完全なフィクションである。創作の産物であり、現実とは異なる。


だが、それでもなお、もし現実にこんなことが起きていたとしても、私は驚かない。


この物語を通して、私が本当に伝えたかったのは、官能ではない。


むしろ、昭和という時代に蔓延していた「管理教育」の暴力性――そして、それに晒された子どもたちの、声なき痛みである。


中学生だった当時の私は、その異常さに言葉を与えることができなかった。


けれど、大人になり、広い世界を知った今だからこそ、ようやく言える。「あれは間違っていた」と、確信を持って。


だから私は信じている。

子どもたちには、安心して頼れる大人の存在が不可欠であると。


そしてその大人とは、権威や常識に寄りかかる者ではなく、子どもの側に立ち、想像力と優しさを持って寄り添える人間でなければならないのだ、と。


スワオ


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