解かれゆく沈黙
【騒がしい自由】
NY——その名に夢と光を詰め込んで渡ったはずだったが、最初の一ヶ月は、ただの混沌だった。
マンハッタンの交差点は、歩行者も車も、信号という概念すら忘れているようだった。
郵便局の窓口では、書類をめぐる押し問答に職員と客が声を荒げ、後ろに並ぶ十数人の存在などどこ吹く風だった。
語学学校でもそうだった。
英語も覚束ない生徒たちが、授業中に平然と手を挙げては、関係のない質問や自分語りを始める。講師はそれに苛立つこともなく、じっと耳を傾けていた。
「他人に迷惑をかけてはいけない」
「空気を読むこと」
「輪を乱さないこと」
——そんな日本で刷り込まれてきたルールは、ここでは通用しないどころか、誰にも求められていなかった。
最初は戸惑いばかりだった。けれど、ふと気づく。彼らは「人に気を遣わない」のではない。
「自分の意見をはっきり言ってもいい」という前提があるのだ。
誰かの正しさが、別の誰かの間違いを意味しない世界。
それは不躾でありながら、どこか清々しかった。
何よりも美香を驚かせたのは、語学学校の授業中、先生が彼女の書いたエッセイに向かってこう言ったときだった。
「Your phrasing is beautiful. You think like a painter.」
そのとき美香の手元にあったのは、本来のテーマからやや逸れていた一篇だった。けれども彼女は、あえて自分の心に浮かんだ記憶を、そのまま文章にして提出していた。
日本であれば、「テーマと違う」と真っ先に減点されるような内容だ。だがアメリカでは、ズレよりも中身の魅力が優先された。美香には、それが少し信じられなかった。
日本では、まず欠点を指摘される。アメリカでは、何か光るものがあれば、それを真っ先に拾い上げて褒めてくれる。たったそれだけのことが、こんなにも嬉しく、心を軽くするなんて――美香はその日、教室を出たあともしばらく胸の奥がじんわりと熱くなっていた。
美香は、胸の奥に長いこと押し込められていた感情が、そっとほどけていくのを感じていた。
この街は騒がしい。無秩序で、喧しくて、自己主張ばかりで、疲れることもある。
けれどこの騒がしさは、静かに壊れていくよりも、ずっと生きている気がする。
美香は、通りすがりのカフェの窓辺に映った自分に、そっと目を細めた。
この騒がしい街で、ようやく自分の声が聞こえてきた気がした。
【沈黙の果てに】
NYの空は、どこまでも滲んだような灰色だった。
午後の語学学校から帰宅すると、留守番電話のランプが点滅していた。
ボタンを押すと、懐かしい名古屋の友人、真理の声が流れ出した。
「諏訪男、……ついに新聞に載ったって」
電話口の向こう、真理はどこか浮き立つような口調だった。
——複数の女生徒が、長年にわたり被害を受けていたこと。
——保護者たちが学校や教育委員会に訴えても、まともに取り合われなかったこと。
——最終手段として、新聞社に告発し、記者がようやく動き出したこと。
——そしてついに、その名が、新聞の社会面に活字として刻まれたのだと。
「美術教師・長野諏訪男、女生徒への猥褻まがいの“指導”を繰り返す——」
受話器越しにその名前を聞いた瞬間、美香の心臓が、何かに殴られたように跳ねた。
あの窓のない準備室の閉ざされた空気。
午後の光が揺れる、黄ばんだカーテンの向こうの匂い。
そして、あの指——。
忘れたはずの記憶が、泡立つように脳裏で弾ける。
遠いはずの過去が、まるで昨日のことのように、今ここで美香の身体に重なってきた。
——彼が裁かれた。それだけのことなのに、美香は自分の中の何かがほどけていくのを感じた。
赦されたわけではない。ただ、もう誰も、あの教室で泣かされることはない。それが、確かな「救い」に思えた。
だが、同時に、胸の奥に沈殿するような怒りがあった。なぜ、誰もあのとき彼を止めなかったのか。
生徒も、保護者も、教師も、PTAも、教育委員会も、誰も——見ていないふりをしていた。
美香が、必死に言葉を飲み込んでいたあの季節、誰も味方にはならなかった。報道という最後の祈り。それだけが日本社会の静寂を破った。それはまるで、張りつめた水面に投げられた一石のようだった。
だが、あまりにも遅すぎた。
事なかれ主義。
身内びいき。
沈黙による加担。
それは加害者一人の罪ではない。構造そのものが、見て見ぬふりをしたのだ。
日本社会は、真実に耳をふさぎ、被害者の声を「空気を読まないもの」として捨てていく。
NYの空を見上げながら、美香は、もう二度と日本に帰るまいと心に決めた。
自分があの国の「正しさ」からこぼれ落ちた者であるならば、ここから、世界を見つめてやる。
沈黙ではなく、言葉で。
羞恥ではなく、創作で。
その夜、美香は、静かにノートを開いた。震える指先で、最初の一行を書きはじめた。
——私は沈黙を破るために、生きていく。
【失った6年間】
美香は、自分のなかの深いところに沈んでいる記憶を、ゆっくりと手繰り寄せていた。
それはまるで、濁った湖底に積もった泥を、指先で掘り返すような作業だった。
人生で最も忌まわしい時間。
そう問われれば、即座に答えられる。——中学と高校の、あの六年間。
本来ならば、誰もが笑い声を重ね、友情を刻み、恋の切なさに揺れる季節。
だが、美香にとってそれは、**「檻」**でしかなかった。
それは個人的な不運だったのか?
自分に非があったのか?
長いあいだ、そう思い込んでいた。
底辺高校にしか進めなかったのは、努力が足りなかったから。
——そうやって、すべてを自責に変えてきた。
だが、NYに来てから、美香は初めて**「構造」というものを学んだ。**
1980年代。
管理教育という名の下に、制服の丈、髪の長さ、声の大きさ、視線の方向までも統制されていた日本。
そのなかでも名古屋は、突出して厳格だったことを、後に知った。
個性は「問題」とされ、異議を唱える者は「指導対象」となった。
——つまり、あの頃の自分は、抑圧の只中に放り込まれたひとりの子どもに過ぎなかったのだ。
もしも、あの六年間が、違う時代だったなら。
もし、違う都市で育っていたなら。
そして、もし、自由を学ぶ教育のもとにいたなら。
今の私は、まったく別の人生を歩んでいたのではないか——。
そう思うたび、美香の胸には、妄想と呼ぶにはあまりにも切実な、もうひとつの可能性が疼いた。
その痛みは、過去の傷ではなかった。
今を生きる自分が、過去と和解するための、最初の問いかけだった。
美香は、あの六年に奪われたものを、ひとつずつ言葉に変えていこうと決めた。
それが、自分の人生を「取り戻す」ということなのだと、ようやく理解し始めていた。
【描けなかった絵、綴られた記憶】
NYの風は、今もどこか不規則で、街角の匂いも雑多だった。だが、それが美香には心地よくなっていた。
あの街にいた頃の、粘土のように濁った空気と比べれば、ここの混沌は自由の証に思えた。
久しぶりに、キャンバスの前に立ってみた。
鉛筆をとり、線を引こうとした。だが、すぐに手が止まった。
あの頃のようには描けない。
かつてのような純粋な情熱は、どこかに置き去りになっていた。
中学の美術室、準備室、そして、あの人の目。
絵を描くたびに疼く記憶が、美香の指先を鈍らせていた。
数年の空白が、感覚の奥を鈍らせ、そして、何より、自分がもう**「突出した者ではない」**という確信が、静かにそこにあった。
その代わりに——
ノートを開くと、言葉が溢れた。
止めどなく、静かに、堰を切ったように。
自分が過ごした、あの六年間。
名古屋という土地。
日本という国が、管理教育に狂い、子どもたちを型にはめていたあの時代。
自分が体験した理不尽は、個人的な悲劇ではない。
構造の暴力だった。
それを、どうしても誰かに伝えたかった。
あの頃の自分のように、声を奪われた誰かの代わりに。
描けなくなった絵のかわりに、美香の内側には、綴るべき物語が眠っていた。
美香はふと、子どもの頃のことを思い出した。
弟に障害があるということで、家庭は常に緊張していた。
注目はすべて弟に向かい、自分は「我慢するほう」として育った。
ずっと不運だと思っていた。
だが——
もしあの頃の閉ざされた家庭でなければ、もしあの抑圧の中学・高校時代がなければ、
今、自分がこの異国の地で言葉を紡ぐこともなかったかもしれない。
「人生の運は、きっとどこかで帳尻が合う。」
誰かがそう言っていた。
信じるにはあまりにも苦い時間を過ごしてきたが、いまなら、少しだけ頷ける気がした。
絵筆を置いたその場所に、美香はペンを置いた。
これは敗北ではなかった。
絵から言葉へ——
表現が形を変えただけだった。
そして今、彼女は幸せだった。
そう思える瞬間が、過去すべてを昇華していくのだと、ようやく知った。
窓の外では、ニューヨークの風がビルの谷間を抜けていく。
喧騒の向こうに、かすかに春の匂いがした。
美香はペンを握りなおした。
今度こそ、自分の言葉で、自分の輪郭を描いていくために。
遠い国の、あの教室の沈黙に――
小さな声が、ようやく届こうとしていた。
【完】




