③
・クラブリエル内への通行は比較的自由です。大迷宮と共にあるため、死亡率や失踪が王国各地の平均よりも高く人では常に欲しいからです。しかし、市内での不貞な行為や生活は推奨されないため度が過ぎると検挙され追放されます。
リトロ地区は“自由の街”クラブリエルを象徴するかのような伝統を持っている。氾濫していた大迷宮が現在のように抑制されるまでは冒険者や兵士の重要な兵站基地として機能していたため、技術を受け継ぎ同時に磨きながら自慢の品を造り出す職人と品物を捌く商売人の溜まり場として栄えていた。
とはいえ、冒険者ギルドの組織体制が固まり冒険者の活躍の方に人々の関心が向けられ始めると、少しずつではあるもののヒト・モノ・カネが流出し嘗ての朗らかさはなりを潜めている。
しかし依然として職業別のギルド集団や傘下の人員とその徒弟達は常に強い誇りと意地をもって居場所を守っている。固定の客や冒険者ギルドが入手不可能な物品や技を提供することで地位を保っているのだ。
街の各所に配布される酒の製造はここが一手に担っているから、市民や旅人や冒険者からの評判はいい。
また、市を訪れる者の大半が迷宮目当てとなったご時世でも普通の旅人や通りすがりの行商人や団体にはこの地区の市場が利便性が高く、この流れに乗っかって今では娯楽施設が主力に躍り出てきているようだ。
カープが向かうホッチ亭は娯楽施設の筍式の誕生で隅に追いやられた酒屋の1つだった。けれども、都市民しか知らない穴場のように振る舞い、出される品物の質も高く、客層を財布が重くなった市民やあまり人の群れに馴染めない職人や気の利いた商人で固めて成功しているらしかった。
場所は職人街の外輪に位置する建物群の間にあり、みすぼらしい感じだが、周囲の手入れを怠っていない様にカープは少々気圧された。
「入るよ」
意外にうるさくなかった扉の開閉音を背景に彼は店の中に滑り込む。
居心地の良い店内の様相は見事だったが、客達はあまりカープに注意を払わずにお喋りや相談事に熱中していた。反応したのは寧ろ給仕係には見えないがっしりとした男で用心棒か何かかもしれない。
「新顔さんだね？ この店がどういう店か知ってる？」
「誰もが飲み食い出来る場所だってうのはね」
「それじゃ足りない。物には値段があるぜ。あんた、そっちも足りなかったりするかな」
こうした緊張感に欠けるようだが、気を抜いていない刺々しさが端々に滲み出る口調をカプリッツォは嫌でも毎日聴いている。間違いなく目に前の男は冒険者崩れだろう。
全く大した警備体制だ。
「評判は知ってるさ。もちろんそれが目当てでもない。多分あんたと共通の知人を探してるんだ。上手い話があるからね。なんとかならないかい？」
傭兵や正規兵と一緒に行動し、騎士を間近で見ていたカープは当初は冒険者という存在を恐れたが、ギルドに属したことで彼等の人柄や常識や世界観がなんとなく分かってきたため臆することはなかった。
小袋からさりげなく銀貨1枚を男に渡すことも忘れない。
「誰が目当てだ？」
「アンドフって奴だ。顔は知らない。ここで会えると聞いた。俺も使いなんだから手早く済ませたい・・・」
素早く銀貨を確かめた男は切り返した。
それに応えたカープは手際良くもう1枚の銀貨を掌に押し込む。
「あいつ、確かに稼ぎがいいもんな。おかげで店も潤ってるよ。でもそれがこっちに響くとも限らない」
「ああ、そうだろうね。でも勿体つけるからじゃないか？ あんたが」
用心棒もどきはさらに要求しているようだが、付き合っている暇はないし、足元を見られるわけにもいかない。
カープは一歩引いて店中に声を轟かせる風な態度を取ると、男は諦めて2階の壁際にいると答えた。
しかし、彼には階段を登る時にしっかりと銀貨を握らせておいた。口止め代わりだ。
ホッチ亭が洒落た店なのは間違いないが、1階は上品な客向けで、2階は別世界だった。日光も最小限にしており物置を改造したのか急拵えの机や椅子がそのまま客席の役目を果たしている。簡単な囲炉裏が設置されているが十分な光源ではなく客同士の顔も認識するのは難しく、胡散臭い連中が密談に使うにはもってこいだと一目で分かる。
「あんたがアンドフ？」
壁際にフードを被った男が座っているが、嘴は隠せない。
「いきなりきて聞かれてもな。お前はアンドフを知ってるのか？」
「翼無しなのはね」
今度こそフードがカープを正面から見つめる。人間と鳥が混ざったかに見える容貌。斬雲種の特徴だ。世界に散らばる人間が幾つも種族を持つ中で、斬雲種は自力で空を飛べる珍しい種だ。しかし昔から人攫いの象徴のように扱われてもいる。
近年は人種との混血が増えてきたことで彼のように種族の誇りだとされる翼が退化或いは欠損した個体も多く誕生し、共同体から放逐される例が増え、珍しいものの驚くことはない。
「俺はお前を知らない。それが怖い。誰の使いだ？」
「情報屋なら自分で調べることだ。それとも儲け話を不意にするのか？」
「それなら紹介料が代わりがいるな・・・ うんと高いと思うが」
コツコツと鳥の爪で机を叩く。カープは無造作に、だがあまり音が鳴らないように5枚の銀貨を積む。
アンドフは嘴で音を確かめてカプリッツォと銀貨を見比べる。
「ただ事ではないな。情報が目的でもないか・・・」
アンドフは椅子に座るように促す。
「俺の主人はあんたが情報屋だということを知っているが、もう1つ、おたくが人材の紹介も手広くやってると言っていた」
「ああ、確かに人を見る目はある方だ。で、誰か紹介して欲しいのか？ あんた、それともあんたの主人に」
「必要なのは仕事の斡旋だ。どうしても目障りな奴がいる。どこか遠くへ行って欲しい。あんたなら得意な連中を知ってるんじゃないか？」
「お眼鏡に叶う奴はゴロゴロいる。安い連中、高い連中と分かれるが」
「高い連中に用がある」
「相手は大物だな？ するとそうだな俺が被るリスクはデカい。こんな端金じゃ・・・」
言い終わらないうちにこっそり取り出した金貨1枚を差し出した。
アンドフはギョッとした表情になり、鳥目を忙しなく動かし嘴で噛んで感触を確かめている。
「本物とはね・・・ お前のことをみくびってたぜ。いいよ。渡をつけてやる。それでお目当ては誰だ？」
「ハイン・ビゴ」
その斬雲種は、目を瞬かせうっすらと口を開けて目の前に座る粗末な男をみつめる。
「ハイン・ビゴ・・・ お前が言ってるのは、市議会の一員レッシャーの側近の奴か？」
「そうだ」
「冗談だろ？」
「極めて本気だ」
何度もアンドフは顔を横に振るがカープは畳み掛けた。
「アンドフさん、確かに奴のことでそうなるのは分かるよ。でも、こっちだって収穫なしじゃ主人に叱られる。手数料は払ったし、あんたは受け取った。返したりしてもいいが、そうすると私は別のところへ行く。そしたらあんたのことが漏れる。どんな面で次の日から通りを歩けるかね？ 又は、あんたのライバルかボスがどう出てくる？ なあ、主人はあんたを指名した。その信用を裏切ってもいいのか？」
「たかだか使用人が偉そうに・・・ それに俺にボスはいない」
舌打ちをしながらアンドフは切り返す。厳しい目付きでカープを突き刺すも、彼だって覚悟をもって来たのだ。意地でもその視線を外さなかった。
しばらくの睨み合いごっこは情報屋が不意に立ち上がったことで終わりを告げる。
「あんたの主人はいい目の付け所をしてるよ。ただし、お前は随分軽率だな。ここで奴の名を出すのはまずい」
「河岸を変えるのか？」
「それも危ない。下っ端は状況が本当にわかってないな。歩きながらだ。街を一旦出るぞ」
言い終わるのを待たずにアンドフは斬雲種らしい身軽さで席を抜け出し階段に向かっていた。カプリッツォが大慌てで後を追うが、追いついたのは彼が店の外で待ち構えていたからだ。途中ですれ違った用心棒の男は目を細めて見送ってくれた。
2人はリトロ地区から市街に出るための大通りへ向かうべく歩調を合わせる。商業地域に足を向けるが、狭い職人街を歩き回るのは骨が折れる。
カープはアンドフの態度の変わりように不安が増大したものの、職人街の作業音や怒声や独自の異臭に包まれると懐かしい昔を思い出し、心の平静を保った。
「馬鹿野郎が！！ いい装飾なのは認めるが刀身が折れたのは使い物にならねぇと何処も断ったろう！ ウチで多分7軒目だな？ 次の奴は間違いなくギルドに通報するぜ。そうなればお前1人どうとでもなるんだ！！」
左側の鍛冶屋からボロ切れを羽織り、髭を生やした茶髪の男が文字通り蹴り出された。老けて見えるが身なりの酷いせいで実際は30歳かそこらだろう。肉付きで間違いなく高位の軍属だとカープも情報屋も察する。
「なぁ、頼むよ。もう食い物も尽きたんだ。折角騎士の誇りを売るって言ってるのにそりゃないだろ」
食い下がる男を徒弟と思しき小僧2人が棍棒で小突いて出入り口から遠ざける。奥から頭の禿げた、それでも肩幅と胸板の鋭い店主が半裸で姿を現す。
「お前が騎士だってことは誰が証明する？ 後ろから物を奪う傭兵の話はよく聞くぜ？ ここいらは信用が第一だ。誰も知らないお前さんの物なんて買わんし寧ろ迷惑だ。逸品は逸品だが、扱うことは出来ん。カネがないなら裏の連中に話を付けるか、強盗でもするんだな。足元見られるか、騎士団に捕まって武勇伝の1つになるぜ。そら、丁度そこに人買いの斬雲種がいる。買い取って金を恵んでやれよ」
まあ、店主の反応は平均の人種そのものだ。騎士崩れはどうしようもない視線を向けるがアンドフは唾を吐いて踵を返す。カプリッツォも見ないフリをした。
「あんなのは使わないのか？」
「逆に危ない。騎士だってことはどうも本物くさいが・・・ ああいうのは御託が多くて面倒だ。どっかでいつも衝突を起こすから目立ち易い。そうだろ？」
「おっしゃる通り」
それから何ごともなく歩く2人はすぐに商業地域の雑踏に溶け込んだ。
「で、どういうことだ？」
「お前の主人は間抜けか、敢えて情報を漏らさなかったかだ。ビゴは俺のような界隈じゃ有名人だ。一方で、大物と即座に懇意になって堀を埋めるのも上手かった。折角の落ち着いた店だったが、不味い塩梅になった」
さっきの店にもビゴに近い人間がいたのか。
街道に通じた大門に近づくが、花売りの少女がカープの側によって来て施しを乞う。アンドフにも同じことをしようとし無視されていた。
カプリッツォは無造作に背中側に視線を向けると案の定2人の少年が腰の物を狙って近寄っていたため手を払う。
「馬鹿なガキだ」
「戦災孤児だ。この街だって犠牲を払った。職を探しにきたり親族を頼ってきても、受け入れてもらえなかったり馴染めなくて飛び出た連中さ。一応は都市民だから捕まらない限り追い出せはしない。まあ、ああして表に出てる連中はいいけど消えた奴らも多い」
「その含み、お前も似た境遇か」
「ああ、今の主人に拾って貰って助かってる。だから危ない橋を渡ってるんだ」
情報屋は改めて依頼主を上から下まで目を通して薄笑いをする。
「見返りは釣り合わないと思うが・・・ まあいい。主人は力を持っているか？」
「かなりね。でもビゴにお鉢を奪われつつある」
「冒険者も大変だな」
「俺が冒険者に見えるか？ 迷宮にさえ入ったことはないぜ。変な勘ぐりは辞めてくれないか。主人はギルドとは付き合いは確かにあるが、図々しい奴らだとことあるごとに言ってる。今の情勢には大賛成だ。でも」
「その後か？」
「ああ。アネルセン側が実権を握るのは問題ない。でもビゴの思惑が分からないのが心配なんだ。特に彼のギルドを潰すような勢いは気に食わない。ギルドもあって初めて街が成り立つとおっしゃったよ」
「奴を退かせば、チャンスがあると？」
「それだけの政治力がある。それは俺が保証する。あんたにポンと出した報酬も裏づけだろ？」
アンドフは視線を大門に向けながら唸る。
2人が潜る際に、騎士団の検問を通過するがいくら出る時とはいえ顔パスなのには驚いた。
「顔が広いな」
「ああ、美味い汁は皆で分けないと」
「なるほど。で、どこまで行く？ 悠長に付き合うのも飽き飽きだが」
「カッカされても困る。あの木の所までだ」
目を凝らすと確かにクラブリエルの防衛線をギリギリ過ぎたぐらいに朽木があった。開拓の初期に植林が失敗して放置された跡だろう。聞かれたくない話には好都合だ。
読んでいただきありがとうございます。
