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・まだ全体として説明文章が多いです。
・主要な地域の解説がありますが以降では場所の表示のみとなっているため、参考にしてください。
ルクシール大陸の中央からやや南東にある内陸国《チュオット王国》。その領土内にある自治を約束され、大勢の冒険者が夢や野望を賭けて挑む大迷宮【執政官コーニスの副都】と併存する“自由の街”クラブリエルは冒険者ギルドの総本山として機能していた。
場所はそんなギルド施設のギルド長の執務室。
断絶した家系に仕えていた使用人一家の次男坊だったカプリッツォ・フォグスの心は動揺の嵐だった。
部屋の中には彼の他に、完全に目がイっているギルド長と口をあんぐりと開けたままの秘書官が居るのみだ。
こうなる訳も必然で有り、今しがたギルド長から政敵の暗殺を仄めかされたからだ。
「ギルド長・・・ 正気の沙汰とも思えません。暗殺にギルドが関与したとバレたらどんな騒ぎになると思います!? 第一、フォグスさんだって素人で部外者で伝手だってない。露見どころか実行する前に失敗するリスクが大きすぎる」
「歴代のギルド長だって度々やってきたことじゃないか。専門の暗殺役がいた時期もあったろ?」
「ええ確かに。でも全て一時的な処置でした。継承させず、その時々の人間が皆口を噤んで死んだからバレなかった。それに、こうした事例は冒険者を脅かす外敵組織や内部の不穏分子の抹殺です。我々ギルドが公権力、しかも国王から直々に称号と権威を委譲された者を相手取るということは愚の骨頂だ・・・」
「だからカープに頼んでるんだよ。こいつならギルドでも存在を知らない奴が多い。それに素人も素人。どいつもただの下っ端だってことをすぐに見抜く。失敗? 露見? 上等じゃねぇか。それぐらいの大博打を打たないともう冒険者ギルドはもたんのはあんたが一番知ってるじゃないか」
「政治闘争に介入するなんて馬鹿げてる」
秘書官が吐き捨てるように言葉をぼやいたが、消え入りそうに小さくて追い詰められているのが傍目から見ても分かった。
なんだか使い捨てにされる立場に追い込まれている気分だが、ギルドが潰れるとコネで入ったカプリッツォ如きなど簡単に失職するだろう。そうなると今度こそ何処かの最前線に雇われに行かないといけないかもしれない。
カープはこう考え、ことの重大性をいまいち認識していないにも関わらずその場の雰囲気に根負けしたのである。
「予算を付けてくれるならメッセンジャーの役は受けますよ・・・」
2人がゆっくりと視線を彼に合わせて数秒がした。ギルド長が指で近くに来いと指図する。秘書官は蒼白な面持ちで椅子を2つ用意し片方に自分が腰掛け、もう片方にカープが座るよう促した。
「なあ、お遊びで言ってるんじゃないんだぜ・・・ てめえも気づいてるだろうが下手打ったら切られるのも知ってるだろ? 命とか家族とか未来とか大切じゃないのか?」
「勿論大事ですよ。でもね、仕えてた貴族領地ごと断絶して家族も知り合いも散り散りですよ。使用人経験の浅い奴は資金繰りの厳しい王国ではどこの領地や宮廷だろうと雇いません。兵隊になっても多分、この時期には東部か開拓地に派兵されて死ぬかもしれない・・・ 金もそんなに貯めてないし、下宿先だって怪しい質屋の2階だけど、賃金は安定してるんです。それがなくなるってのは、こっちも死活問題だ・・・ そんなんなら最期は何かの為に危険を犯すのも悪くないでしょ」
秘書官が目を見開いて横からカプリッツォを凝視している。ギルド長もいかつくこわばっていた顔が揺れ動いている。
「キンダそっくりだ・・・ あいつの息子なのは確かなんだな」
「5歳の時に死んだ母はよくは知りませんよ」
「あの人はサッと決めると、一直線に突き進むことが多かったんです。それで渦中に飛び込んで幾度も職員や仲間に心配を掛けてましたよ」
「同郷の奴にバッタリ出会って、勢いで結婚するって言い切った時には何故だかホッとしたのを覚えてるな・・・ ようやく死地から遠ざかれたと思ったらスタンピードを食い止めるのに志願してよ・・・」
「死体も見つかりませんでした」
「ええ、そう聞いています。こちらもギルドを抜けた者の葬儀に押しかけるのは野暮だということで差し控えましたが・・・」
「母だけじゃなく、領民も兵隊も行商人も物乞いも皆んな死にました。俺たちはあの襲撃の後片付けの陣頭に立ったんです。あんな死に方は御免です」
「だからやるのか? 矛盾してるな。まあ、それはいいか」
あえて避けていた母の話が場の雰囲気を落ち着かせたことはカープにとって複雑だったが、ようやく本題に入る運びとなった。
「秘書、説明しろ」
「また都合のいいことを・・・ さておいて、目的の人物についてから始めましょう。名前はハイン・ビゴ。人種で44歳、市議会のメンバーであるアネルセン・レッシャー氏の相談役を務めている人間です」
「意外と地味な人なんですね」
「とまあ大抵の人間が思うもんだから好き勝手できるんだ。とんでもない食わせもんさ」
拍子抜けした声を出したカプリッツォに釘を刺すようにグルド長が乗り出した。
「現時点で冒険者ギルドが完全包囲されている、ということではない。この街が誕生して安定的に運営され生き延びてきたのはやっぱり冒険者とギルドの力が大きかった。これを忘れてない奴が大半だ。今騒いでるのは冒険者にお鉢を奪われていた連中だ。勝手に嫉妬して踏ん反りかえっていたが、情勢に反応して攻勢をかけてきた」
「今の市長であるウラン・ベンテーダル氏は伝統的に市の官職を世襲で引き継いできた家柄の出です。しかし故にバランス感覚に優れていますし、若い自分に身分を偽ってギルドの冒険者教練棟に入り込んでもいました。心情的にはギルドを擁護したいのです」
「レッシャー家は、まあさっきの奴よりも格上で、ずっとクラブリエルの要職を一族で抱え込んでいた名門なんだ。それが先代が不倫騒動で評判を潰され、娘も嫁入り先で肩身の狭い扱いにキレて出奔したり、後見者候補が2年前の戦で死んじまったりでガタガタなんだ。アネルセンの奴は巻き返しを図ってる。ここまでは分かるな?」
2人から聞いた市議会の内情は概ね市中の噂と一致している。下宿先の質屋は胡散臭いが老舗であり、一定の学がある人間や噂や情報に聡い人間が屯って来るのだ。
「街中の噂も大体その通りですよ。でも、アネルセンだってギルドの大切さがわかっているはずでしょ?レッシャーの一族だって歴代の要職の他にも冒険者で名を挙げたのもこれまでに何人もいたと思いますけど・・・」
「ああ、全くな」
「ここで登場するのがハイン・ビゴです。戦役のせいで1年前に市の財政が悪くなり、人材の不足に喘いでいたところに王都から派遣された人物です。登用体制の見直し・財政難の緩和・治安悪化への対策・殖産業の改善で辣腕を振るいました」
「有能な官吏なんですね」
「こういうやつで頭がいいのに限って俺たちのような冒険者を邪険にするんだ。少しずつ包囲網を作っていやがったのさ・・・」
「明らかに何者かの意図の下に動いています。たかだか官吏1人がここまでクラブリエルの政治に関与できる筈がない」
ギルド長と秘書官の焦った顔を見てカープは事態の深刻さがひしひしと身に迫っているのを感じた。
「ギルドの方でも調査したんですか?」
「冒険者にそこまでの政治力はない。ギルドが長年培ってきた信用がモノを言ったんだ」
「市議や御用商人や神官の方々が密かに教えてくれたんです。レッシャー氏の巻き返しは表面上で、彼を旗印に反ギルド派の人間が集結しつつあると。その調整と事実上の急先鋒を担っているのがビゴでした」
「悔しいが気づいた時にはなんとやら・・・ 先手が大事な冒険者としては失格だな。市議会内で現市長のパージを狙う動きが加速して押し留めるのは厳しい。アネルセン側が座を奪えばギルドは間違いなく粛清対象になる。前の自警組織を騎士団に押し上げたのもビゴだった。これを狙ってたんだな・・・」
「ビゴが回し者っていうのは?」
「資金力です。レッシャー家は指導者不在で資産運用が割れている。アネルセンが金策に駆けずり回った形跡がないのに莫大なカネが流れています。おかげでかろうじて我々が繋ぎ止めていた人々も見かぎり始めた」
「どこも今は貧乏だからな。そのカネの受け渡しを直接間接で行なってるのがビゴだった。多分宮廷に飼われてるんだろう」
「王都にもカネはないんじゃないですか?」
「ああ、でも連中の狙いは迷宮だよ、迷宮。それしかない」
カープも頷かざるを得なかった。
魔界や迷宮は人類の生存領域を永く脅かしてきたが、同時に資源庫として生活向上や技術発展に帰依している。大迷宮【執政官コーニスの副都】も例外ではなく、冒険者やその他大勢の探索者が回収する品々は法外な利益を国やクラブリエルに齎していた。
ただしこの街が特権として与えられているのは原物の売り買いと加工品の製造だけであり、加工品の販売権は《チュオット王国》の中で王族しか保持していない。この構造の中での利鞘が冒険者ギルドの主な資金源になっていたが、ギルドを廃して王族が直接大迷宮を統治すれば当面の財源は確保でき諸侯や宮中の不穏分子にも面子が保てるということだろう。
「それで・・・ 具体的な手段はどうします? 簡単に暗殺だって言っても向こうだって警戒してるでしょうし」
「フォグスさんのご指摘通りビゴはレッシャー氏の相談役に収まってからは決して予定は公にせず人前にも姿を現すことがないように動いています。しかし3日後の市長が登壇する恒例の講談には出席するでしょう。市議の方々が皆来られますから、動静を注視している彼は参加せざるを得ない」
「チャンスはそこだ。そんな顔をするな。急な話なのはわかってるよ。こっちだって急だったからな。いや、最悪失敗しても圧力をかければそれでいい。奴は用心深い。しばらくは息を潜めるだろう。それが突破口だ」
「やる人間はどうするんです? ギルド長やギルドの伝手は使えないんでしょ?」
全くおかしな話だが、このクラブリエルで戦闘のプロと言うと冒険者が群を抜いている。無論、組織的な暴力では騎士団が上だが、そこらの盗賊騎士・魔導士・暗殺者・傭兵崩れ如きが太刀打ち出来ない戦闘力を持っている。
けれども今回の場合、出所がギルドだとバレたら水の泡に消えるどころの話ではなく、正直どこまで被害が及ぶのか全く分からないのが怖いところなのだ。
要するに、選択肢は限られ贅沢を言ってられない。
「だから余所者を使うんだ。戦争で棲家や職を失って押しかけてきてる連中がわんさかクラブリエルの外に屯ってるだろ? 東部の戦況が安定して《チュオット王国》が派遣してた連中も帰還し始めてるが、それにくっついて経験豊富だが頭がイカれた連中も入ってきてる。こういう奴を狙うんだ」
「金品巻き上げられそうですけど・・・」
「ふん。前金と後払いで凌げ。連中も流石に街の中には入れないだろ。それに接触するのはお前さん直接じゃなくてもいい」
「どういうことです?」
「俺との直接の面識は無いが、2流の情報屋で副業にごろつきやらマフィアやら元締めへの人材斡旋をやってる男がいる。本名は知らんがアンドフという通り名の斬雲種だ。性別は男で翼無しだな」
「そいつに接触をすれば良いと・・・ 場所とか手数料については」
「手数料は今から渡す銀袋の3分の1を持っていけ。お前への前金で、企てが成功したらもう1つ渡す。資料庫への予算代わりだな。多分、実行する連中への支払いで釣り上げられるだろうから金貨も忘れるな。ただし、全部はもつな。それからひとつどころに纏めるなよ。いいな?」
「アンドフは私も顔は知りませんが、ちょくちょく違法冒険者の情報を卸してくれるのです。こっそりね。向こうからしか近付いてきませんが、こちらだって調査はしています。昼の時間はリトロ地区のホッチ亭という洒落た酒場にいるでしょう。最近、報酬をもらったばかりらしくて」
「さあ、あとはお前次第だな。念の為に言っとくが裏切ったらただじゃ済まん。当分は知らぬ存ぜぬだがギルドの総力を上げてフォグスの一族を苦しめる。分かるな?」
ギルド長の凄みに気押されたわけではないが、カープは聞くことはもう無いと判断し席を立った。秘書官がゆっくりと扉を開けてくれ、その合間を潜り抜けると先程までの沈み切った空気が嘘のような喧騒と真っ昼間に差し掛かる陽の光が彼を出迎えた。
その背後でドアの閉まる音が響くと、心臓の鼓動は一瞬不均一になったのが不気味だった。
カープは相変わらず喧しい冒険者が詰めかける大ホールと専門気質な職員の小気味いい作業音が響く廊下を抜けてまた資料庫へと戻る。
夢のような時間だったが、資料庫の山のような古びた記録と独特な匂い、そして崩れた木造の棚が魔法の光に照らされると現実が頭に張り付いたのだ。
階段下にあるいつかは使うはずだった作業台の前に立ち、早速銀貨と金貨の仕分けを行う。不揃いの100枚の銀貨から30数枚を小袋と大袋に仕舞い込み、残りは作業台の引き出しの隠しスペースにそっと置く。見つけた時は無邪気に喜んだが、こんな使われ方とは少々複雑になる。
金貨は裾の隅に2枚縫い込んだ。1枚は小袋へと入れる。
カープは準備が整ったのを感じると、自身でも驚くほどのゆったりさで施設外へと脇目も振らずに歩んでいった。
“自由の街”クラブリエルは王や諸侯の権限から離れている自治都市ではあるが、大陸の他の迷宮都市と同じく極めて武骨な容姿となっている。周囲には空堀が張り巡らされ、申し訳程度に監視櫓がちょこちょこと建っている。
外壁は建設されず、その代わり市内の建物は幾つもが軽い要塞化を施されていた。迷宮内部からの魔物の氾濫をいなす為であり、市民の安全を確保する目的もある。魔物が河川に流入しないように川から離れたところにあるが、生活には困らない。【執政官コーニスの副都】から汲み上げる水が浄化されてそのまま生活や経済に転用されるのだ。
街は迷宮を西端と捉えるとそこから東に長く発展している。氾濫が食い止められないと、魔物は市を飛び出て野生化する危険がある。これが怖い。迷宮産の魔物は外気の中では免疫が持たずに数ヶ月で死に絶えるが、野生の中で死んでは疫病の元になり土地の荒廃に繋がるからだ。
だから魔界や異種族といった人種の力を上回る勢力地域へ追い出せば被害を緩和できるという発想だ。
とはいえ今では初期に増築を繰り返した東側よりも、迷宮対策のノウハウを身に付けた冒険者とギルドが危険を抑制させた西側が発展しており、西が新市街、東が旧市街と皮肉られているのは誰も予期しなかったろう。
そんなクラブリエルは11の区に分類されている。
・市議会の中枢であり市庁舎と裁判所と布告台があるデラ地区
・地下迷宮に蓋をする形で建設された簡易砦と出入りを監督する検問所があるノズ地区
・市が借り上げている農地に繋がる街道が通り、地主と使用人の住居と契約農民向けの居住区や施設があるシャニンダス地区
・金融・両替・高級商館が犇めいている市の財政の実権を握るポルサ地区
・高級住宅地と貴人向けや御用商人向けのクラブと宿泊施設があるタールダ地区
・街道が通り、尚且つ冒険者ギルドの本山と周辺設備と施設があるマリノー地区
・街道が通り、職人や店持ちが多く集まる商業地域であるリトロ地区
・街道が通り、複数の信仰組織とその下部組織である治癒団体が受け持つイルヤ地区
・迷宮付近に陣取り、街道にも繋がっている警戒が一際厳重な加工業者専門のワッツハイム地区
・迷宮付近で発達し主に冒険者向けの商売が売りのコンサルタル地区
・歓楽街と貧民街が連結しているアンドーリョ地区
・公式には言及や記載されないが、廃れた街道が通り都市民の帳簿に記載されない名無しが大勢集まり屯している行政から完全にパージされたニオ地区
これらで構成された街は常に地区同士の利権や部外者から持ち込まれる厄介ごとや隣人問題に悩まされながらもバランスよくクラブリエルを支えてきた。
カープはマリノー地区からリトロ地区までを内心の焦燥を悟られないように散歩するかのような歩調で進む。迷宮周辺は軍事用に整備された歩道が水捌けを担っていたが、少しでも外周に出ると都市独特の汚さを持った地面に変わる。
ちなみに彼の服装は簡易のズボンと安物のシャツをベルトでぐるぐるに縛った胡散臭い従業員感が抜けきれない様相だ。ギルドの職員は正装が支給されるが、カプリッツォを始め数合わせで雇われるものも多く、間に合わせか自腹が定番だ。靴は下宿先の質屋で購入した迷宮産のもので一番高価である。
財布を兼ねる小袋はベルトにくっついているポッケに放り込み、大袋は肩掛けの中に資料庫から見繕ったガラクタの山と一緒にして持ち歩いている。精一杯の偽装だった。
人口の小川がいくつも流れるリトロ地区というのは活気にやや欠ける職人街と日用雑貨・特産物・旅支度品を揃える大通りと路地が混在する独特の地区である。喧騒や商談に満ち溢れているがその分トラブルも多く、騎士団の詰め所や衛兵所が細かに配置され、クラブリエルの市民からすると緊張感を持たざるを得ないのだ。
カープは地区境界に立つ衛兵所でホッチ亭の場所を聞き込むと、商談をしに行くような態度で足早に向かった。
読んでいただきありがとうございます。




