①
・全体的に物語世界の補完のための説明が多いです。
・作中では数字や暦が地球世界の感覚で使用されていますが、無理やり異世界の感覚に落とし込んだものであるため、大雑把な指標として理解してもらえれば幸いです。
「おいおいおい・・・」
思わずため息が出る惨状である。
カプリッツォ・フォグスはギルドに出勤すると早々に目を覆わなくてはならなかった。
彼の仕事場は冒険者ギルドの資料管理部であり、目録係を務めている。貴族の使用人あがりである故に読み書き計算を一通りこなせるからこそ抜擢されたのだ。
正確には彼自身は貴族に仕えたことがなく、それは父と従者だった兄をいずれは継ぐことで果たされる筈だった。ところが2年前の戦争、彼が所属するギルドの総本山を内包している《チュオット王国》は27年前に誕生し電撃的に大陸の均衡を破った《四頭顕現連帯》に敗北したことで途絶えてしまう。
参戦した主人一家は戦死し家名が断絶。使用人達は散り散りとなってしまい、人種のフォグス一家も長男が死んだだけでは済まなかった。
父親は行商人に弟子入りし自立することに成功したが、次男のカプリッツォは食い詰めた。にっちもさっちも行かずにいると、亡くなった母が冒険者であることを思い出しギルドに顔を売りにいった。
母を覚えていた職員にギルド長を紹介してもらい、なんとか懇願した末に現在の職を得たのだ。
ただ運がよかったというのではなく、戦争で人死が出て、急遽ギルドの運営に不備が出ないように人手を求めていたからでもある。
「いやしかしだからって、これは怠慢もいいところだ」
半地下の職場は地上に面した光窓から日光と空気を取り入れており、壁には簡単な術式で発光が施してある。だが埃やカビは容赦なく侵食し、虫やその他の有象無象も居座っていた。
ここに務めて4ヶ月経ったが、その間の彼の仕事は清掃と乱雑な山と化していた資料を分類することだった。これをさらに整頓し目録で纏めなくてはならないが、それは夢のまた夢も同然。
「ギルド長、何が必要な資料の迅速な選別と提供はギルドの使命だから励んでくれだ。断言してもいいよ。絶対にここ20年は人が入ってないじゃないか」
途方に暮れる独り言は窓から漏れ聞こえる雑踏の喧騒や生活音にかき消される。
今、カプリッツォが目にしているのはある程度分類し終えた資料を保管していた蜂の巣状の棚が虫食いか何かの原因で崩れ落ちている光景だ。
「あの親父、これは自腹でやれというかもな・・・」
あまり建設的でない予想を思い浮かべながら、石造の階段を登り資料室から退散した。
資料室がギルド施設の奥深い場所にあるからか、廊下を進むと冒険者やそれに応戦する職員の勇ましい掛け合いや専門の人間が行う機械的で精緻な作業音に包まれていく。
自分の役割は違うにしても、なんだか嬉しい気分に彼はいつもなるのだった。
ギルド長の部屋は3階部分の施設から一部突き出た構造になった部位が丸ごとそうだ。
「何故だ!? アンリケは前も約束したじゃないか! 必要になったら反対に回ると・・・ 今になって保護だと。尻尾振るところを間違えてるんじゃないか!?」
「どうしようもないです。クルダ判事が釘を刺したようで・・・ どうにも出来ません」
「それをどうにかするのがギルドの意地じゃないか。まあいい。オーニルはどうだ?」
「居場所を転々と変えて姿を現しません」
ペンがへし折れる高い音が耳に飛び込みながらカプリッツォは入室した。
「ほう、カープじゃないか。吉報でもあるのかな?」
引き攣った声で愛称で呼ばれることに嫌な予感がした彼は秘書官に目配せすると肩をすくめられる。
まずい時に入り込んだようだった。
「はあ、いやあの・・・」
「俺が問題を先に言わないのが嫌いなのを知っていて焦らしてる?」
「例の部屋ですが、北の壁の棚が丸ごと崩れました」
「えっ!!」
唖然とした顔のギルド長を見たのは初めてだったが直ぐに頬が膨らみ始めると空気がヒリついた。
「金をせびりに来たか・・・」
「資料室はギルド長直属です。いつでも相談に乗るとおっしゃってましたよね?」
「ううん?」
しらばっくれようとするギルド長の横で秘書官が帳簿の記載を指でなぞっていく。苦虫を噛み潰した顔になったギルド長は腕を組んでしまった。
「弱ったなぁ・・・ ひでえ惨状なのは薄々予期してたが、こうも金食い虫になるとは想定外だ」
「ですね。魔術紋の補修・修繕や衛生環境の整備だけでも予算オーバーでしたが、ここまでとは・・・」
冒険者ギルドきっての実力者のギルド長と側近の秘書官の悩ましげな姿にカープは幾らか毒気を抜かれる。
「そんなにギルドって予算ないんでしたっけ? 繁盛しているように思うんですが」
「そりゃあ冒険者が溢れてる広間や英雄譚とか凱旋を見てりゃそうなるわな」
「実態は火の車です。ギルドがどれだけ周辺の方々に気を配っているかは貴方も流石にわかってるでしょ?」
秘書官から言われて、改めてギルドの立場の複雑さを思い出したカープだった。
「冒険者」という枠組みが誕生したのがここ400年の間である。原型となる集団はその200年前にルシャル辺境公国が“魔界”に呑まれてしまい、周辺国が慌てて募集した数合わせの傭兵達であり、事態が落ち着いた後の開拓民兼衛兵となった者達を指す。それまで国や権力者や首長に雇用され戦時に活躍する人々ではなく、アウトサイダーや流民や略奪者崩れの多種多様な種族や立場の人間が混ぜ合わさった集団だった。
そんな者達があれだけ死活問題だとこれまで思ってきた魔界の拡大を食い止めただけでなく、逆に押し込んだのだから、権威を持った人間からすれば恐るべきものだったのだろう。あまり漬け上がり過ぎるのも困るので各地で魔界の攻略や防波堤としてのみ使い倒すことが相次ぐ。当時は、大陸中の異種族の移動期とも重なっていたので、はみ出した者達が挙って志願したため供給力は尽きなかった。
有力者達にとってはただの便利な駒だったかもしれないが、月日を経るごとに政治力や地域に根付いた信用と資金源を蓄積し無視出来なくなった。その頃には冒険者の中からいくつもの逸話や異名を持った英傑が誕生し各地で伝説を生み出してもいた。
数十年に及んだ冒険者の排斥活動が続けられたが、めぼしい成果を得ず、コストばかり掛かり、かといって冒険者側でも民草からの評価は激減した。両者が折れて、冒険者の身分と責任を担うギルドを各地に建設し国の傘下に収まることで合意した。この時に冒険者は国同士の戦争行為へは不介入であるとの鉄則が生まれる。
さて、カープ達がいるのは冒険者ギルドの総本山と呼ぶに相応しい施設であり、“自由の街”クラブリエル自体のことと言っても過言ではない。けれども全てを統括している訳もなく、政治の実権は市長と有力者の連合である市議会が握っている。また、《チュオット王国》から派遣された廷臣が居座り、王権の委託を受けた業者の監督権を握ってもいる。裁判権にしても国王が指名した行政官が責任者だし、逮捕権にしても市議会が独自に運営する騎士団に優先権がある。また、冠婚葬祭は教会に主導権があるかギルドお抱えの部署と人員が責任を持つかでグレーのまま燻っているのだ。
つまり、冒険者ギルドの総本山とはいえ裸の王様に毛が生えた程度の存在でしかないことをカープは就に就いて1ヶ月で思い知らされたのである。
「雇ってもらった俺がいうのもなんですけど・・・ どうして資料室を今更整理するんです? しかも1人ですよ1人。あの規模を片付けるには5〜6人はいるでしょう」
「出来るだけ内密に進ませないといけないのです」
軽口を叩いたが秘書官に釘を刺された。
「今揉めていることと関係があるんだ。お前は身元が確かだから任せられるんだ。いいか、今このギルドは存亡の危機にある。真面目な話、翌年には倒産だってことにもなりかねん・・・」
いつも覇気が籠るギルド長の顔が青白く歪むのを唖然としながら見ていると秘書官が説明してくれた。
「戦争のせいですか?」
「そうです。あれで風が変わりました。貴方もここに入った原因でもある2年前の戦争で《チュオット王国》はガタがきましてね。御用商人への借金返済の行き詰まりや税収の破綻、賠償問題を巡って諸侯と宮廷の関係が悪化の一途で王のすげ替えの噂すらある。何処も実弾が欲しいのです」
「それでギルドに目を向けた?」
「そうだ!!」
拳がわなわなと震えていたギルド長は苛立ちに越えて吠える。
「くそ商人どもめ! 今まで散々未来ヘの投資だっていう超長期の貸付だって豪語してたのをあっさり反故にして、どこから拾ってきたのかもわからん借款証明で俺を脅しやがる・・・ 宮廷は今まで散々搾り取ってきたクセに別枠でもっと寄越せというし、従わないなら特権の白紙化も選択肢にあるなんてほざきやがって! 教会もそうだ! 鐘塔で毎日毎日カンカンカンカン鳴らすしか出来ない能無が、何が各種支援を打ち切られたくなければ御寄進に色をつけろだ!」
「拒否はできないんですか・・・」
「裁判所がやる気なんです。判決は間違いなく反ギルドに有利となるでしょう・・・」
「そんな時のためにギルドはお偉いさんを囲っていたでしょう」
「そう上手くはいきません。彼等の忠誠はギルドにはありません。請負業者もそっぽを向け始めています。買い付け先も値を釣り上げてきましたし・・・ 元冒険者達に口利きを頼んでもいいでしょうが、リスクが大きい」
秘書官の気抜けした声でカープはお先が真っ暗になるのを感じた。
ギルドは役職に王侯貴族の師弟・お抱え官吏・市政の有力者の身内を起用したり顧問につけていた。関係作りの筈だったのだろうが今回は裏目に出たのだ。
他にも加工品の製造や購買力に弱いギルドは専門の業者や職人を外の団体から借り受けて常駐させていたが、一気に離反する動きもあるのだろう。外部から仕入れる物品もお得意先が権威に屈したり戦争の影響で経営悪化や離散や買収により滞りがちだ。通行路の整備もままならないのが王国の現状である。
さらに昔、ギルドが独自の通貨を鋳造しようとすると、既存の銀行業や金貸や両替商の猛抗議に遭い王宮の仲裁で準備金や支度金の体で援助を与えられる形で収まったが、本来はリターンの必要のない約束事が今になって牙を剥いてきたのだ。
「こんな時代の波ってヤツに対抗する為にお前さんの資料庫整理が必須なんだよ・・・」
「冒険者や職員を信頼していないわけではありませんが、口が硬いのとなると数は限られています。いつ何処から漏れるかわからない。耳が早い連中はギルドの焦りを悟るとこれまで以上に漬け込むでしょう。契約や権利の証明が見つからないと、あっという間に財産の差し押さえもあり得るのです」
「王国は何を考えてるんでしょう? いくら戦争に負けて資金繰りに困ってもギルドを弱体化させると“迷宮”を抑止できなくりますよ」
「自分達の手駒の兵隊や軍事力で片付けられると踏んでるんだろ。奴らが狙ってるのは冒険者じゃなくてギルドだからな。いまだにお偉いさんは冒険者なぞ自分達の靴を舐めるだけの存在だと思ってるんじゃないか? ここ100年で登用して臣下に就かせることが成功して調子に乗ってんだろ。まあそうだとして、しかしあまりにも迷宮を舐め過ぎてる。うまく蓋をしてるのはギルドのサポートあってなのにな・・・」
この大地がある大陸ルクシール、そこに蔓延る人類の大きな課題が魔界と迷宮の巨頭だった。
誰もが知っている御伽噺だが3000年前に大陸やその外の世界を巻き込んだ衝突があった。今ではただ“献神戦争”とだけしか知られていない出来事は、異邦の神々との戦いに勝利した世界の守護神達が疲弊し、何も得ることなく終了した。この後遺症が魔界や迷宮といった人間の常識の範疇にある超常の領域である。
「フォグスさん、貴方もご存知のようにこの冒険者ギルドがあるクラブリエル市は大陸でも有数の大迷宮【執政官コーニスの副都】と併存する形で今まではもってきました。ギルドがこの迷宮の開発に費やした時間は170年にも及びます。国が目を向けてこなかったことを私達は先人の知恵を引き継ぎながら懸命に行なってきたのです。これを奪う或いは破壊されることは断じて許されない!」
「君がそんなに熱くなるなんてね」
「失礼。柄にもなかったです。しかしギルド長、もう問題の対処は限界です。フォグスさん1人に任せるのではなく、人員を募りましょう」
ギルド長と秘書官の議論に加わる場を得られなかったカープは一歩引いて物思いにふける。
冒険者ギルドの総本山がある街、即ち“自由の街”クラブリエルがあるのは《チュオット王国》の南西部だ。ここ周辺は800年前までショロ共和王朝という人種の統一を唱える大帝国の領土だったが軍事力に過信し周辺に戦争を幾度も吹っ掛けていた。この国が恐ろしかったのが、迷宮を人為的に制御出来るダンジョンコア技術を保有していたことだ。
現代の考えでは到底有り得ないが当時はダンジョンコア技術の戦争利用はごく当たり前だったため、要塞や前線拠点を軒並み迷宮に仕立ててショロ共和王朝は統一を有利に進めていた。だが、軍事技術の研究が過熱し自分達ですら制御不能な知性兵器を生み出してしまい、王都を含んだ主要地域を焼き尽くされ内戦に突入。
周辺国が報復に領土を奪おうとするも人口迷宮に阻まれ手のつけようがない。【執政官コーニスの副都】は内戦の最中に自身も研究者で知性兵器の開発メンバーでもあったコーニス執政官の都市型研究施設が何かの手違いでダンジョンコアの暴走に巻き込まれたことから誕生した。
執政官本人は生き延びて知性兵器の対処法と性能を各勢力に伝え終わると、故郷の奪還を娘に託して自決する。
結論から言えば当人の願いは叶えられることはなく、800年近く経っても地下都市はルクシールでも有数な迷宮として残存している。
《チュオット王国》や隣国のほとんどがここ2〜300年の間に冒険者と常備軍と専門兵を活用しながら魔界や無法地帯を征することで台頭した国々だ。
そんな時に既に大所帯となり、ある程度統率出来る組織を生み出すに至った冒険者達は調子に乗って権力者に喧嘩を売ったが仲間内の密告により防がれ、ビビった宮廷が褒賞として与えたのが“自由の街”クラブリエルでの自治権だったのだ。
「なあ、秘密資金とかなかったか? ギルド長を拝命した時にチラリと漏れ聞こえたが」
「ええ、有りますよ。微々たる額ですが」
秘書官が肩掛けバッグほどの魔導具を操作する。高価な品で、入力されている情報を専用の石板に複写して提供するのだ。ちなみに、石板の技術は冒険者ギルドの信用の屋台骨である冒険者登録書に応用されている。冒険者個人個人の登録情報はこれによって保存され更新されている。
門外不出の技術で有り、ギルドがギルドたり得る所以なのだ。
「ええっ!? これだけ? こんなのあるか・・・」
「そう、これだけです。そもそもギルドの懐は6割がよそ様の金です。その他に必要経費や手数料と心付けでずいぶん少なくなり・・・ 何よりも職員や冒険者の放漫散財が大きいですね。歴代のギルド長も色々手を出してきたので、こういうザマです」
「ちょっとはリターンで膨らむんじゃないのか」
「福利厚生への支出と遺族援助と市政への救恤費用で差し引きゼロですよ」
冷静になった秘書官にピシャリと事実を突きつけられたギルド長はジッと黙りこくり机に視線を向けている。話しかける雰囲気ではなかったが、勇気を出して自分の将来を尋ねなければいけなかった。
「結局・・・ 話が大きくなってますけど、修理代は出すんですか? 出さないんですか?」
フッと顔を上げたギルド長の瞳の中に不気味な光を感じたカープは後退りし、部屋から出る選択肢を考える。だがギルド長の冒険者時代に鍛えた瞬発力は衰えず、予備動作無しで立ち上がりズイと接近された。
「まあ待て。出す。出すぜ・・・」
彼は横の壁の調度品をスライドさせて奥の金庫を弄ると硬貨が詰まった袋を2つ取り出した。
「この袋は俺のポケットマネーの銀貨で一杯だ。これを託すかどうかはフォグス、お前次第になる」
不吉な言葉で締めたギルド長は袋とは別に小型金貨を5枚取り出す。秘書官もカープも唖然とした。
当然だ。
金貨は勿論冒険者ギルドに籍を置く人間なら目にすることが多い。しかし、それを個人が所持したり使ったりすることは砂上の楼閣だった。英雄だろうが職員だろうが冒険者だろうが、庶民が多数派なのである。
「どうなさるつもりですか?」
「まあお前さんにも噛んでもらうことにはなるが、カープの方が重大だ。いいか、今俺たちが恐れているのは時間がないことだ。お偉いさんを焚き付けている奴がいて、目の上のたんこぶも同然なんだ。時間さえあれば交渉やこれまでの信用と実績でいくらでも挽回できる。そうなればお偉いさんの下で働いてる元冒険者どもも風を呼んで口利きするようになるだろう。カープが整理してる倉庫で吉報が見つかるかもしれんしな」
「けれど時間がないんですね」
「ああ、そういうことだ。神々が授けた神力やイカれた女神どもの理力だろうと時を巻き戻せない。だが状況を鎮静させることは出来る」
低く押し殺しながら喋るギルド長にカプリッツォは気圧される。秘書官は心配そうに装飾型の魔導具や部屋を見渡して機密保持機能の確認をやっていた。
「何をして欲しいんです?」
「簡単だ・・・ こっちの金貨で腕の良い奴を雇え。余所者で身内以外のな。そして・・・ 目障りな瘤を切り取ってもらおうってんだよ」
カプリッツォ・フォグスの顔は拍子抜けしていた。あまりの突拍子な内容に目を瞬かせ、大真面目なギルド長を凝視する他なかった。
しかしとにかくこれが全ての始まりとなるのである。
読んでいただきありがとうございます。