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2.続チュートリアル

「なんでもない」


温厚な紳士は、静かに答える。


「法律で禁止されていることだ。だからといって不可能ではない。妄想の中で人は人を殺して鬱憤を晴らすこともある。でも可能性がある限り、実際に挑戦することは可能だ」

「挑戦……チャレンジですか?」

「追われるスリルを楽しむ者にとってはそうだろう。タブーは魅力でもある。しかし、視点を変えてみれば、戦場で兵士は人を殺す。ただ違うのは、戦場での秩序が、一般生活では適応されないと言うだけのことだ」

「あなたは実際に殺したんですね?それもおそらく、複数の人間を」

「私にとっては、殺したくない人間を探すほうが難しい」


柔和な笑みと違って、目の輝きは嘘くさい。手元の湯呑みを引き寄せる。


見方を変えれば、これも武器になる。


「あなたの基準はなんですか?」

「色々さ。あえて言うなら……法律には触れないが、無礼な人間」

「無礼、ですか?」

「知性に対する冒涜、美術に対する無理解、情熱に対し嘲笑して辱めることを喜ぶもの」

「ご自分が、自分の正義感に従っていると?」

「殺人が正義となるのは戦場か、映画の中だけだ。殺人を選ぶ時点で、それも正義に対する冒涜だ」

「好き嫌いで殺しているんですか?」

「見つかりやすくなるのは、百も承知だが、不快を溜めるのは、精神衛生上よろしくない」


まるで幸せになるための講義だ。元凶を永遠に取り除く外科手術。


「完璧主義者なんですか?」

「それほど人生に期待を持っているとでも?世直しをするならば、もっと大多数が死ぬのを望んでいる人間を殺せばいい。私の美学に反しただけだ」

「どのように殺したんですか?」


自分でも驚く。殺人犯に、そんな質問ができる自分に対して。


「サバイバルナイフで、胸から下腹部にかけて一直線」

「どうしてナイフにこだわるんです?」


博士は、ワイシャツの袖を正した。


「社会的な営みを構築するにあたって、エゴを振り回す人間は最も原始的な動物と変わらない。ただ目先の、自分の快楽のために他者を攻撃して悦に入る。彼らは気に入らない人間を選んでいるように見えて、その実自分よりも立場の低い人間を選んでいる。権力を誇示して地位の低い人間を攻撃して自分の力を確信するのであれば、より大きな力の前に跪かせるのが当然と思ってね」


どこかに矛盾が潜んでいる。一貫した考えの中に、何かしらの矛盾がある。


しかしそれがなんなのかわからない。


「博士。僕はあなたの弁舌の巧みさに、呑まれようとしています。納得しかけている自分がいる。でも、それも博士の手口の一つであり、上手く言いくるめられているように思えてならないんです」

「君は若い。そして、人生は二元論では語れない。今は私の考えに賛同するかもしれないし、生理的嫌悪から非論理的に反発するかもしれない。しかしそれはすべて、君自身が選ぶことだ」

「教師も上司も、散々言ってきた言葉です。ですが僕にはそれが、彼ら自身の逃げか、あるいは彼ら自身の信念のなさに思えてなりません」

「面と向かって、それに立ち向かおうとするのは苦しいことだ。だから多くの人間が逃げ道を見つけ出してそこに縋る」

「少なくともあなたは行動したことになりますね」

「礼を逸することは、私には耐え難い。これも私のエゴだろうが」


ゆったりとしたスーツ。落ち着きのある物腰。滑らかに語られる哲学と、消えることのない笑み。


計算づくしとわかっていても、彼を肯定したくなる要素が詰まっている。


「あなたにとって、対等な人間、尊敬すべき人間とは誰を指すのですか?」

「難しい質問だ。人類愛を目指す人間からすれば、すべての人間に当てはまることだろう。とはいえそんな彼らでも、殺人鬼というのは神が与えた役割ではないと言うだろうがね」

「博士。……貴方が実際に臨床に携わっていた医者だと仮定して……患者は尊敬に値しましたか?」

「いちいち指示を仰ぐ人間は、そうとはいえない。医者に頼り切り、ひたすらに助けを求めてくるものは論外だ。尊敬できる患者がいるとしたら、揺れ動く自分を見つめ直して、葛藤を受け入れ、受容しようとする患者がそうだと言えるだろうね」

「あなたにとって、他の多くの人間は取るに足らない存在なのでは?仮にパーティー会場の人間が皆死んでしまったとしても、あなたは顔色一つ変えないような気がする」

「想像するのは、もちろん君の自由だよ」


質問に詰まった。僕はカウンセラーでも心理学者でもない。


セラピストでもない。話を聞こうにも、彼はむしろ、こちらのことを知りたがっている。


手元のお茶を、一気に呷る。


「貴方が無礼に感じた被害者たちですが、貴方にとってはどんな存在ですか?」

「無礼な人間。……答えになっているかな?」

「では、死んだ後はどうです?死体となった彼らは、貴方にとってなんですか?」


彼は微笑んだ。


「死体は死体。そのうち腐っていく、人間だったものに過ぎないよ」

「その死体から、なにか得るものはありました?」

「秩序の回復。肩の重荷か取れたような、心地よい疲労感」

「死体を、何らかの記念品や、戦利品にしようと思ったことは?」

「死んだ人間の後処理は厄介だ。そのまま放置すれば見つかる。隠していても、何かの拍子で見つかる。唯一の救いは、死体は口をつぐんでくれているということだ。もうおべっかも、ごますりも、卑屈な声も、尊大な声も聞かずに済む」

「死体の処理はどうしたんですか?」

「できるだけ身元がわからないようにした。一部は警告の意味合いであえて放置した」


博士はゆっくりと、左右の手の指を絡めた。


「他になにか聞きたいことはあるかな、マヨイ?」

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