99.魔人
「魔人の……人外の世、だって?」
イオの最終目標。耳にしたそれが信じられない、というよりも理解しがたい様子でおうむ返しに呟いたライネは、続けて問いかける。
「そんなものをどうやって……君の仲間は、その二人だけしかいないんだろ」
今し方自分でそう言っていたはずだ。イオ自身も含めてたった三人しか存在しない種族となれば、いくらなんでも数が少なすぎる。仮にイオを頂点とした人間のいない世界になったとしても、それを「人外の世」などと称するのは些か以上に誇張が過ぎるようにライネには感じられた。
それとも先の発言は「戦闘を見越して連れ歩く部下」がこれだけしかいないという意味であって、魔人は他にも大勢どこかに潜んでいるのか。その存在が表に出てくることをイオは目指しているのか──という飛躍しかけた思考はイオ本人によって否定される。
「ああ、これだけだよ。一人を失って今はこの三人だけ、確かに少ないな。とてもじゃないがこの身体で『産めよ増やせよ』したってそれだけで人間に取って代わろうってのは無茶どころじゃねえ。無理筋が過ぎるわな」
まーそもそも俺に生殖機能があるかは怪しいとこなんだが、などとどうでもよさそうに付け加えてから「だがな」と少女は立ち上がって。そうして蹲るライネを見下ろしながら、まるで絶対者の如くに言葉を続けた。
「だがよ、んな非効率なことをしなくても仲間なんざいくらでも増やせるんだぜ。実験体一号君がそれを証明してくれた。生憎とそいつもテイカーに殺られかけてるっぽいが、構わない。フィードバックはしっかりされてるしな。本当に死んだって無問題だ」
「実験……?」
「人を材料に魔人を量産する。その第一歩が成功したってことさ」
人を、魔人の材料にする? そんなことが本当にできるのだろうか。荒唐無稽にも聞こえるイオの発言をライネはどこまで信じたものか迷うが、しかしシスからその真偽を疑う声は上がらず、また彼自身、イオが操る【同調】によって筆舌に表せない体験をしてもいる。できっこない、などとはとても言えなかった。
「当然に材料は厳選させてもらうがな。おそらくだが実験の感触からして優れた魔術師ほど優れた魔人になる。つまり俺としちゃ──」
「お戯れが過ぎるのではありませんか? イオ様」
と、まだまだ語って聞かせるつもりで話していたイオのセリフを遮ったのは彼女の部下の片割れ、黄色い肌をした細身の男だった。それに対していの一番に反応を示したのは、その横にいる青い肌をした男で。
「トリータ、何故口を出す? イオが楽しんでいるのだから邪魔をするべきではないだろう」
「ティチャナ、これは忠言ですよ。あなたやダルムがイオ様を甘やかしてばかりいるからこうしてわたしくめが嫌われ役を買って出ているのではありませんか」
「む……」
不愉快そうに戒めてきたティチャナなる人物を逆に一喝して黙らせた黄肌の男、トリータはその涼やかな目を再びイオへと向けた。
「イオ様、彼へそこまで話してしまう理由はなんなのです? この場で始末するので冥土の土産に教えてやっている、ということでしょうか」
「うんにゃ? 今ライネを殺すつもりはねーよ。情報をくれてやってんのはそうしないと盛り上がらないからだ。俺が何をしようとしてるのかもわからないまま決戦に入ったって楽しくねーだろ、お互いに」
それに、とトリータにはとても共感できない理由に付け加えてイオはもうひとつ。ライネを親指で指し示しながら、こちらは少なからず理解のしやすい「殺そうとしない」理由を口にした。
「こいつを見ろよ。これだけ疲れ切っててもひっそりと魔力を練ってやがる……会話しながらも命懸けの『何か』を狙ってやがる。虎視眈々。死にかけの獣ほど恐ろしいもんはない。見かけに騙されんなよ? 簡単に殺せそうだからって考えなしに手を出せば──最悪、諸共に死ぬぜ」
トリータはライネを見る。確かにイオの言う通り、ライネの瞳はただ死に行くだけの者のそれではない。現状を勝ち目無しと認識しながらも諦観を浮かべていない。「何か」をしようとしているのは確実であり、下手をすればその牙はイオの喉笛を嚙み千切るかもしれない。そう警戒させるに足る気配が、既に死に体であるはずのライネからは感じられた。
「……恐れ多くもイオ様と同等の存在であるという彼のことを、侮ってはおりません。限りなく敗北に近しい状況からライオットを下してみせたことも含めて彼の秘めたる牙は脅威でありましょう。ですのでわたくしめにお任せを、と申し出ます」
「うん?」
「わたしくならライネがどのような手立てを持っていようとも回避が容易い。仮に【吉兆】すらも超えて殺されるようなことになったとしても、身命に代えてわたくしこそ彼を諸共として涅槃へ旅立ちましょう。この身ひとつでイオ様の宿敵を討ち果たせるのなら安いもの」
「はー、よせよせ。お前のそういう覚悟ガン決まりのとこは嫌いじゃねえが、言ったろ? こう見えてもダルムを失ってへこんでんだぜ。トリータまで失うのは始末に負えねえって」
ダルムの【好調】がもう二度と再コピーできないように、現在はストックから消えているトリータの【吉兆】も彼が死ねば二度と手に入らないのだ。生きて傍にいるだけで仮ストックされているようなものなのだからイオとしては部下の損失は二重の意味で痛い。
トリータの言う通りに相打ちでライネを殺せるのなら「ゲーム」としての利害は多分に優れている。武器のひとつを代償にプレイヤーを排せるのだから損得勘定などするまでもない──が、イオは元より今回の協会潰しでライネをどうこうする腹積もりなどなかった上に、そもそもトリータが一方的に殺される可能性もごく普通に「起こり得ることだ」と判じてもいる。ここでGOサインなど出すわけがなかった。
という諸々を考慮しての制止であるとはトリータも把握しているが、それでも我が身を案じて主が犠牲を止めてくれたこと。それに彼は深く感じ入り、ティチャナの呆れたような視線も受け流してイオへ頭を下げた。
「忠言などと差し出がましいことを申しました。どうぞイオ様のご随意に」
「おう。ま、手ぇ出すにしてもどのみちタイムアップだがな」
その言葉と共に空へ氷竜が舞い上がる。そして視線の交錯。屋上に立つ三者と竜の背の六名が互いを見やり状況を解する。その状況でただ一人、ライネだけが微動だにしない。
「ティチャナ、こちらへ」
誰よりも早くに動いたのはコメリ。動いた、と言っても彼女自身は指一本動かしていない。まったくのノーモーション。精度やパワーよりも速度を優先させてひとまずティチャナを捕まえんと発動した【念力】は、しかしトリータがティチャナへ声掛けして移動させたことで拘束が不発に終わった。
術者だけにしか認識できず決して見えないはずの力場が見えているかのようなトリータの反応にコメリと、彼女の術をよく理解しているユイゼンが一気に警戒度を引き上げた。
「厄介者の仲間も厄介者かい。道理と言えば道理だね」
ユイゼンが追加で術を発動させようとする。それは同乗者たちを屋上へ安全に降ろす時間を確保する牽制のためのもの──だったのだが、敵の接近を存じていたイオがそれよりも一歩先を行った。
「こうかな」
伸ばした腕で先の空間を示し、引×引。【離合】初の試運転でいきなり拡充へと手を出したイオは過たず術を成立させ、氷竜の眼前に設置された重引が周囲の物を圧倒的な引力で吸い寄せる。
引もまた目には見えない強大な力。けれどユイゼンはそれの発生を察して叫ぶ。
「竜から離れなっ!」
もはや安全な着地などと贅沢は言っていられない。一も二もなく発した指示にコメリを始め少女たちは全員が素早く従い、逃げるように竜の背から飛び退いた。
途端、とりわけ重引の近場にいた竜が図体の大きさもあって完全に引力へ捕らわれ、なす術もなくその中心へ引き込まれ──瓦解。S級テイカーが敵陣へ乗り込むために一際丹念に力を込めて作った、空飛ぶ兵器と称して差し支えないような氷の巨竜が、あたかも玩具のように呆気なく壊された。その事実にテイカー側は否応なしに緊張を強いられる。
(自動操縦ならばともかく氷竜は明らかにユイゼンS級の手動操作下にあった。それでこの結果とは……少々マズいですかね)
師弟関係(らしきもの)であるだけあってユイゼンの術に詳しいのはコメリも同じ。術理において術そのものが指定された命令を下にして行動するのと逐次術者が操縦するのとでは動作の精密さで大きな差が生じるのは一般的であり、中には術の強度にも比例・反比例の相関があるといった例も少なくない。
ユイゼンの【氷天】が生み出す氷のしもべもその法則に漏れず、彼女得意の生物を模した氷術は押し並べて彼女の手を一度離れると──それでも十二分に強力なのがS級のS級たる所以だが──操作下にあるのと比べて相対的な弱化を余儀なくされる。
氷竜はコメリの推測通りユイゼンの操作下にあった。つまりは弱化しておらず術として万全の状態にあったというのに、それが力負けした。S級最古参、唯術の練度で言えば他のS級をも圧倒するユイゼンの術が、である。
コメリの警戒はミーディアたちよりも深く、切迫している。ここで追撃が来たら全滅もあり得ると想定し、ユイゼンと共に知り合ったばかりの少女たちを守らんと備えるが──。
「……?」
一同は無事に着地を終える。追撃が、来なかった。再び今の術を使われれば最低でも一人か二人は窮地に陥っていただろう。なのに、術者と思われる白肌の少女は己が手を見つめて首を傾げるばかり。その様に戸惑ったのは敵側も同じようで。
「イオ。どうかしたのか?」
「……いや、別に。やっぱ扱いが難しいなって。すぐに慣れるさ」
手を握ったり開いたりしながら調子を確かめるようにして、再びその手を前へ。向けたのは着地と同時に駆け出していたミーディア。近づいてくる彼女とちょうど重なるように斥を設置。目に見えない引き離す力によって彼女はまんまとカウンターを食らう、かと思いきや。
「おっ」
ユイゼンのように術の感知は、間に合っていなかった。魔力の変化から「何かをした」ことは察していてもどこに何が起こるのかをミーディアは理解できていなかった──が、それでも彼女は当てずっぽうか天性の勘か、完璧に斥を躱した。ステップで僅かに進路をズラしたその判断はイオが狙う場所を正確に読み切ったとしか思えないような堂に入ったものだった。
それを面白がる少女へ、ライネの横を通り過ぎたミーディアは接近と同時に鞘から剣を抜き切りつける。回避と同様に、否、それ以上に攻撃もまた一切の容赦も躊躇もない「様になった」もの。まだ年若いが優れた魔術師のようだとイオは迫る彼女を見て判じ、だからこそ横合いから割って入る影もあった。
「【同調】拡充」
「!」
立ちはだかった敵へ標的を変更、素早く袈裟懸けに振り抜いた剣がなんの手応えもなく青肌の男の体内へと埋まり、そしてそこで止まってしまった。剣が止められたことでミーディアも止まる。その一瞬の隙へティチャナは己が腕を彼女の腹へと差し込んでいた。ずぷりと、またしても水と水が混ざるようになんの違和感もなく溶け合う二人の体。
しかし次の瞬間、彼女の肉体と自身の一体化をティチャナが解いたことで彼の腕は異物へと早変わりし。
「グっ……」
咄嗟にミーディアは剣を手放し、ティチャナを蹴りつけることで腹に埋まった彼の腕を引き抜いた。結果、彼女の腹には大穴が生じた。
心臓や頭といった魔術師にとっての即死ポイントこそ傷付けられてはいないが、充分に致命傷である。これだけの大怪我を負って生き延びられるのはライオットが行うレベルでの自己治癒による急回復が必須。彼並みの術師でなければ死は免れず、また彼並みの術師などS級以外にはテイカー側に存在し得ないだろう。
つまり目の前の剣士の少女はもはや終わったのだと、ティチャナは勿論のことイオやトリータもそれを確信していたが……そこでミーディアの特性を目の当たりとする。
──【回生】。彼女はそれが致命の傷だろうが、それこそ即死しようが自動的に発動する唯術によって決して死なないのだ。魔力さえあれば、いやたとえ魔力が枯渇していても【回生】は何がなんでも術者を救う。救い続ける。
まるで呪いのように。
「──ほぉ」
ひと息の間に胴体を貫通していた傷が塞がり、徒手空拳で構えを取るミーディアを見て。極めて興味深げにイオがその目を細めた。




