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98.合流

 撫でるように触れた炎。粘性を持って纏わりつくそれが瞬く間に皮膚を焼き筋肉を焼き、骨まで焼き溶かそうとしたところで腕を引っこ抜いて後退。ハワードは我武者羅に自己治癒を施し、いずれも焼け爛れている四肢を治した。完全回復。魔石がもたらす高速再生によって傷も火傷もなくなった──けれどその時にはもう次の炎が眼前に迫っており。


「ぐぅうう! てめぇっ、このアマ!!」


 顔を焼かれ、即座に回復。しかし吠える怒りも虚しくハワードは何もできない。イリネロが操る粘炎の量、速度、精密性を前に唯術を行使する余裕もなくただ焼かれ、ただその回復に魔力を費やすのみ。それしかできていない。


 治癒の魔力は魔石が賄っている。実質的に魔力切れはないも同然であり、実験を兼ねてそれを埋め込まれている彼には魔力供給の途切れという『安全装置セーフティー』があえて取り除かれてもいる。イオの計らいであるその行為の理由は当然に、魔石の影響が行き着く先を知ること。そのためのひつじにして実験動物モルモット。そんな立場に自ら望んで成り下がったのがハワードという男だった。


 まだやれる。いくらでも戦える。魔力が枯渇するのは女の方が先、焼かれる速度とそれが治る速度はほぼ同等、ならば焼かれ過ぎることさえなければ現状の拮抗は続き、やがて女には術を使えない時間が訪れる。反逆の時だ。好き放題にしてくれた礼を倍返しにしてやる、と。


 治癒に頼る回数が爆発的に増えたことで回らなくなってきた頭でもその程度の策は練っていたハワードであるが、やはり急速な魔物化・・・の影響は深刻だったようで、彼が完璧な計画と信じて疑わぬそれには大きな穴があった。


 まず第一に。


「唯術拡充──『焔魔相』」

「うぅ!?」


 イリネロがまだ本気でないこと。姉ダンネロより力を受け継ぎ進化した【業炎】の唯術の本域をまだまだ見せていないことを、まったく察せられなかった。その戦闘勘の鈍りがハワードの目論見を狂わせる。


 生み出された自らの背丈にも与する炎の巨人の、見かけに寄らない素早さでの抱きつき(クリンチ)。通常なら攻撃にならないそれも全身が粘性の炎で出来ている巨人が行えば立派な、否、非常に殺意の高い攻撃になる。まんまとその餌食になってしまったハワードはこれまで以上の広範囲をこれまで以上の高火力で焼かれ、己が誤算に気付くより何より、突如訪れた命の危機からとにかく必死になって逃れんとする。


 自己治癒を可能な限りの速度で全身に渡って行いながら力の限りに藻掻き、炎の巨人を振り払って──。


 第二の穴。イリネロは一人で戦っているわけではなく、他にも仲間がいたことを逃げた先にいる人影を見て彼は思い出した──が、時すでに遅く。


「【境界】!」

「【切断】」


 進路上に現れた魔力盾。宙に浮かぶいくつかのそれらに動きを止められた一瞬を狙って、駆けてきた少女の短剣。二振りの刃に両腕を落とされた。


 治癒はまだ実行中だが無い腕を生やすのは流石に一瞬で、とはいかない。かといって落ちた腕を拾って繋げるのはもっと時間がかかる。それには盾が邪魔だし、まず拾うための手がない。であるなら多少以上の時間と魔力を用いることになっても一から両腕を再生する方が得策だろう……しかし。


 自らの前に立つ人影の最後。跳躍して剣を翳すその姿に、ハワードはもはや自分に時間が残されていないことを理解した。ボロボロの身体を治す暇にしても──人生の残りにしても。


「ちくしょうが」


 最期に漏れ出たのはシンプルなまでの恨み節。それがハワードという一人の魔術師の全てをよく表していた。自分勝手で独りよがりの、あまりに向上心が強過ぎた男。自己顕示欲に才覚が釣り合っていなかった悲しい人物。その命が終わるところを、かつて彼とコンビを組んでいたガントレットが静かに見ていた。


「──極斬り」


 剣閃が光る。ミーディアの全魔力が集められた刃はその軌道にある何もかもを切り裂いた。音も、空気も、ハワードの首も。


 今度こそ一刀のもとにそれを両断せしめたミーディアの着地と同時に、胴体の上から頭も落ちた。もはや変化が進み過ぎて人ならざるものの色味と形相となった彼の頭部へ、油断なくトドメの一突き。完全に頭蓋を砕いて、再生の予兆がないことも念入りに確かめて後に……ようやくミーディアは息を吐いた。


 協会本館、玄関前広場での長い戦いが幕を下ろした。



◇◇◇



「参ったね。ここで途絶えちまってるよ」

「ユイゼンS級でも追えないということは……」


 逃げたティチャナを探して下の階にまで下りてきたユイゼンとコメリは、しかしエントランスから通じる二階で彼の気配の残滓すらも消えたことで追跡の手掛かりを一切なくしてしまった。


 ティチャナからすれば【同調】で壁抜けをした結果の微かな「残り香」でこうも的確に追われていること自体が予想外だろうが、けれども敵はS級。そういう事態が起こっても不思議ではないという想定が頭のどこかにはあったのだろう──それ故の工夫。闘争中の彼の思考を推量して、ユイゼンはコメリの問いに肯定を返した。


「だろうね。あたしらを振り切ったと判断した時点で魔力を使用しない逃げ方に変えたんだ。あるいはに何かしらの目当てがあったとも考えられるが……」


 五人のS級の内の一人、エディク・フォーゲンの亡骸を眺めてそちらの可能性も低くはないとユイゼンは考える。エディクがこのエントランスでティチャナの仲間と思しき異形の大男と戦闘中であったことは確認している。その彼がこうして伏しているからには、大男に敗れたか相打ちになったか……あるいは辛くも勝利したものの、そこにやってきたティチャナにより殺されてしまったか。


 追っている最中にそれらしい魔力の動きを感じなかったことと、エディクの遺体の傷からしておそらくは前者のどちらかだろう。つまりティチャナは決着後に立ち寄り、仲間と連れ立ってどこかへ消えた。もしくはその死体だけを持ち去ったかだ。


 敵戦力が一人減ったという意味では、勿論のこと死んでくれていた方がいい。死したエディクの奮闘が無駄ではなかったと思うためにも。しかしティチャナが、あの冷酷で合理的な印象を受ける男がわざわざ「仲間の死体を回収した」のだとすると、それはそれで不気味なものを感じさせる。ともすれば敵の頭数の多寡よりもよほど重大で嫌なものを──。


 やれやれ、とユイゼンは頭を振ってそれ以上考えるのをやめた。どれだけ推量を重ねようが確実な解など見つかるはずもない。そんなことに時間を費やすよりもまずは、だ。


「行くよコメリ」

「はい」


 階段など使わずに一階のエントランスへと降り立ち、そこで迎える。ちょうど今し方玄関前の広場から建物内へと入ってきた数名に、ユイゼンは視線だけで誰何する。それに応じるべく一同を代表して進み出たのは、まだ少女と呼ぶべき年若い女性──ミーディアであった。


「A級現場員のミーディア・イクセスと申します。私たちは一人を除いてルズリフ支部の所属で、別作戦で行動を共にしていたオルネイ特A級の唯術で応援に駆け付けました」


 オルネイが戦闘には参加できないが協会員の救助のため生き残りを探すべく現在本部内にいること、そして自分たちが裏切って敵方についたと思しき特A級テイカーのハワードを排したばかりであることを端的に伝えたミーディアは、そこで口を閉ざしてユイゼン側の立場と持ち得る情報の開示を求める。


 一方のユイゼンは面々の顔を眺めて、唯一見覚えのある男性。ガントレットに視線を定めた。本来は代表者として受け答えすべき彼は未だハワードによって負わされたダメージが抜けておらず、本部前からエントランスまでの移動ですら大きく息を荒げている状態だ。それでも久方ぶりに顔を合わせた大先輩の眼差しへできる限り丁寧に目礼を返した彼に、ユイゼンもまた頷きで応えて。


「S級のユイゼンだ。この子はA級のコメリ。あたしらはシオルタのもんでね、ライネっていうおたくらのとこの坊やと一緒に本部へ警戒態勢を敷くように進言しにきたんだ。結果は御覧の通り遅きに失したわけだがね」


 ふんと鼻を鳴らすユイゼン。正しくは本部に籍があるはずなのに堂々とシオルタ所属だと嘘をついた彼女の後ろでコメリが微妙な顔を見せていたが、S級という肩書きに驚いて色めき立っているガントレット以外の四名はそれに気付かなかった。


「敵の一人を追っているところなんだが、あんたら青い肌の男を見なかったかい?」

「いいえ、私が知る限りでは」

「そうかい……ハワードの加勢に来たってわけでもないってことだね。一応は共有しとこうか、青肌の男はあらゆるものと一体化できる面倒な術を使う。幸いにもあたしらはどっちもそれを防ぐ手段がある。もしも見つけたら対処は任せな。くれぐれも迂闊に仕掛けるんじゃないよ、奴の一体化は人に対しても有効なようだからね」


 ミーディアを始めとする五名がしかと了承の意思を示したところで、それ以上は話すこともないとばかりに「ついてきな」とユイゼンは歩を進めた。その向かう先はミーディアたちが来た方向、つまりは玄関前の広場を目指していた。


「どちらへ」


 思わずそう訊ねたミーディアへユイゼンは振り返って片眉を上げた。


「どちらも何も現状、行くべきはひとつだろうに。あんたらも感じているだろう?」

「はい、屋上ですよね。でしたら直通のエレベーターが──」

「知ってるさ、本部ここの造りくらいはね。エレベーターなんぞまだるっこしいと言っているんだよ。とにかくおいで」


 有無を言わさぬユイゼンの様子に、それに慣れているコメリ、知己であるガントレットが従い、それから他も続いて一同は建物を出た。先ほどまで戦っていた広場へと逆戻りして──そこの片隅にはテイカーの死体と、イリネロの手によって念入りな焼却処分の施された元ハワードだった黒ずみがあるがそれらには誰も目をやらず──しばらくは困惑を隠せずにいる少女たちだったが、すぐに納得を見せた。


「【氷天】」


 事も無げに呟かれた唯術の名。ユイゼンはどこまでも自然体であったが、しかし気力を感じさせない佇まいながらに練り上げられた魔力のなんと凄まじいことか。それがひとつの術へと費やされて形となれば、そこには巨大な氷の竜が鎮座していた。


 ライネと共にシオルタを発った際に足として使った竜よりも一回り、いや二回りは大きなその創造物で彼女が何をするつもりなのかは明白であった。


「これだけの人数となるとちと骨が折れるがね。まとめて運んだげるよ」


 ライネに直通エレベーターを勧めたのは彼が建物の構造に明るくもないのに単身で屋上へ向かおうとしていたためだ。それならエレベーターの存在を教えてやった方が一番間違いがない。ただし今はわざわざこれだけの人数で建物内を行くよりも、この場から直接屋上を目指した方がずっと手っ取り早い。ユイゼンはそう考えたのだ。


「ガントレット。あんた随分とボロボロだが、乗るのかい」


 屋上では先刻から信じられないほどに重く濃密な魔力が膨らんでは弾けている。それは一角以上の力量を持った魔術師同士の戦いが行われている証拠。


 すっかりと静まり返っているこの本館においておそらくはそこだけが最後の激戦区だ。襲撃犯たちも介している可能性が高く、だからこそユイゼンは──青肌の男もその場にいるだろうと当たりをつけて──屋上へ向かおうとしているわけだが。それはつまり襲撃犯一同との過酷な戦闘を前提にしているということでもある。


 大した怪我も疲労も負っていない他の面々はいいとして、どんな戦い方をしたのかガントレットほどの男ともあろう者が相当に苦しそうにしている。この様子では青肌クラスの敵との戦闘では役に立たないだろう。ユイゼンの長い実戦経験から来る冷徹なまでの分析力が、明白にそう告げていた。


 共に来ればほぼ確実に死ぬ。

 それでも行くと本人が言うのなら殊更に止めるつもりもないが、その確認に対してガントレットは。


「いや……ユイゼンさん。あんたがいるなら俺の引率はいらねえだろうよ。俺はオルネイと合流しようと思う。万一の時の備えはあった方がいい」

「そうさね、そうしな」


 オルネイは今ここにいる全員を一斉に本部から脱出させられる「生きた逃走経路」である。彼が控えているのといないのとでは戦いの矢面に立つ者たちにとってもまるで違う。いざという時に尻をまくって逃げる準備もやっておくに越したことはない、とユイゼンは賛同を示した。


 そうしてガントレットは踵を返して本館内へと戻り、ユイゼン一行は氷竜の背へと乗り込んだ。彼と彼女らの間に別れの言葉はなく、されど再会の約束もなかった。それはわざわざ言葉にするまでもないことだったからだ。



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