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96.終わり

 するりと打撃が流された。力に対し真っ向から力をぶつけるのではなく、横から押すような動き。それによってライネの細腕は大した力みもなしにライオットの全力の拳を受け流してみせた。


(このやり方は)


 ダインの力押しを封じ込めた際の手法。そして組手ではついぞ見られなかった、あの場限りの妙技。何故それをライネが使わないのか──ともすればそもそも「使えない」ようにすら見受けられるのはどういうわけか、ライオットの観察眼をしても答えは出なかったが。今ここでようやくの推測が立った。


 二人いる(・・・・)

 ライネという少年の中には、二人分の技と戦い方がある。


 そう考えると本来ならあり得ない、魔術的な足し引きを無視しているとしか思えないような氷霧や、急激に増したキャパシティの謎にも説明がつく。


(推測ってよりも妄想だけど──しっくりくるな)


 掴まれかけた腕を引き戻しながら蹴りを放つ。それが肘で受けられたと同時、接点に極小の引を発生させて脚でライネの左腕を固定。そのまま飛び込むようにこちらも肘打ちをぶつける。が、腕を引っ張られて姿勢を崩しながらもライネは氷礫を発動。ライオットの肘へ先んじてそれをぶつけて僅かに勢いを落とさせると共に打点をズラし、肩で受けた。ダメージにはなっていない。


(これは見慣れたやり方だ)


 組手で見たことのある工夫。受けも回避も間に合わないと見て発生の早い氷礫を簡素な盾として用いる、咄嗟のそれにしては上手い術の使い方。手前味噌ながらに自分という強者と何度も手合わせをしてきたからこそ身に付いた応用だろう──これは逆に、ダイン戦では影も形もなかった手法だ。


 見られなかった部分とよく見てきた部分。それらが一体になっているような印象を今のライネからは受ける。それがどういうことなのか、何を表しているのかは定かではないが……彼を浚ったあの日、スイッチが切り替わるように気配や口調の変化があったことも踏まえると、ライネとはひょっとして。


「──はは!」


 肩を起点に凍結された。ズボン越しに表皮を僅かに凍らされただけだが、今の自分が斥壁どころか魔力防御すらろくに行っていないことを確認した上でライネは──かつては手で触れていなければ凍結は実行不可能だったというのに──肩からそれをやってみせた。


 ここまで戦闘規模が落ちても確かに見受けられる成長の足跡、そしてこの凍結で微かにでも動きを鈍らせらようという涙ぐましくも徹底した勝利の目指し方。肩で受けられようと凍らされようと構わず脚を振り切りながら、ライオットは高らかに笑う。


 どうでもいいことだ。ライネの秘密や、何をした結果の今なのかなど。一応は確かめたいと思っていた彼に関しての細々とした疑問などとっくに氷解しきっている。それは謎が解けたという意味ではなく、謎を解き明かしたいという気持ちがなくなった。そういう心境の変化だった。


 こうして強い術師と戦っている。雌雄を決しようとしている。それに比べれば他のどんなことも、どんな思想もしがらみも、今だけはなんの用もなさない。なんの価値も持たない──。


 この高揚以外は一切合切が。


「ッはぁ!」

「ぉおっ!」


 押された方向へ自ら体を流して素早く体勢を入れ替えたライネが、グローブ代わりに氷で覆った拳で殴りつけてくる。それに合わせてライオットも斥を乗せた拳で迎え撃つ。


 正面衝突。体格・筋量・術の破壊力で勝るライオットが力比べに打ち勝ち、突き進んだ打撃がごっそりとライネの右頬と耳を削り飛ばした。だがそれに怯まずライネはほとんど抱き着くようにしてライオットのリーチよりもずっと深くその腕の中へと入り込み、鋭く尖らせた氷の爪を彼の腹へと突き立てた。


 鮮血が舞う。己が血すらも氷術の糧としているライネの赤と青が交じり合うそれに、ライオットの昂りを表しているかのように真っ赤な、まったく深紅の血が被さる。


 薄青と金色の眼差しが交差し、互いにフックを一閃。双方が上体を傾がせて血反吐を吐き、しかしすぐさま次の攻撃へと移る。顔面目掛けて突き出された氷爪を魔力で固めた額で受け、止まった手を掴んで捻り上げる。


 ライオットの投げ。床に叩きつけられる直前でライネは息を吐き出し、額から零れ落ちるライオットの血を冷気で固まらせてその視界を奪う。強かに背中を打ち付けられてライネは呼吸もできない痛みに襲われるが、視野が狭まったことで続くライオットの踏み付け攻撃は精彩を欠いており、苦しむ体でもなんとか回避が叶った。


 起き上がり、小さな斥で凍った血を剥がしたライオットと向かい合い、また互いに攻め込む。


 血みどろのままに、けれど傷が増えれば増えるほど血気を増して組み合うその様は殴り合いというよりも食らい合い。獣同士の牙の立て合いのようであった。恥も外聞もなければ巡らす策や術数もない。ただ一発でも多く叩き込み、たった一滴でも多く血を奪う。思考よりも肉体の動くままに任せて、反射神経と殺意だけを武器とする。魔力という超常の理論を操りながら、しかしてなんと原始的なことか。


 だがこれも魔術戦。これこそが魔術師の戦いだと、高揚のままに剥いた歯はライオットもライネも同じで。


 逸らしたはずの拳が引によって角度を変え鳩尾に当たる。せり上がる胃液と血液を瞬間的に凍らせてライネは口から散弾のように放った。身を突き刺すその破片を気にすることなくライオットは追撃しようとするが、魔力の起こり。そう大きくもない、けれど現在の泥臭い肉弾戦においては無視できない程度の「術の起動」の気配を感じ取って攻撃を中断、防御に転じる。


「氷瀑」

「……!」


 思い付きで放った血の散弾から着想を得たのだろう。それを術へと昇華させて発射されたいくつもの氷弾は短射程ながらに爆発の如き勢いをもってライオットを強くたたいた。衝撃に後退を余儀なくされながら、守ってもなお受けた幾分かのダメージに顔をしかめさせる。しかし追撃せんとしている最中に食らっていたらこれで終わっていたかもしれない。そう思えばこの程度の被害は無いに等しい。


 また空いた距離。大きく息を荒げながら両者は油断なく相手を見据え、そして考える。


(クソ、今ので決められなかったのは痛いな。魔力量が本当にヤバい……それは向こうもだけど、同じような魔力の使い方をしていても一撃の重さで負けている以上は僕の方が沈むのは早い。何か……何か決定打みたいなものさえあれば)


(おいおいマジか。爪や散弾で食らった傷跡から内部が凍り付いている……これじゃもし治癒が行えたとしてもいつも以上に魔力を食うな。これ込みで戦うとなると身体強化の効率も当然に悪くなる……この土壇場にやってくれるねぇ)


 レッドアラームが鳴り響いている。魔力枯渇の症状と共に凍傷に苛まれているライオットも。ギドウスやテディを着込んだリントといった強度自慢の術師も殴り倒せる彼の拳を何度も受けているライネも。どちらも疲労困憊、失った血の量も多く、いよいよ手足に力を込めることさえ困難になっていた。


 ここに来て火力不足に悩まされているライネはなんとしても残り少ない魔力でライオットを沈黙させる手立てが必要であるし、ライオットもまた体内で軋む氷の残骸たちが自分を殺す前に勝負を決める必要がある。互いにとって時間は敵である。だから睨み合いは長く続かず、創痍の獣たちは共に仕掛ける。


「ライネ……!」

「ライオット……!」


 氷爪、いやその形状やサイズからして爪というより棘と言うべきそれを生やした手をライネが振り翳し、ライオットはあえてそれを掌で受け止めることで貫かれながらも急所を狙われることを阻止。その隙に斥、いやこちらも斥未満の弾く力をもう一方の掌に乗せて打ち込む。左わき腹に重い掌打を食らったライネは、しかし敵の腕に自身の腕を絡ませて体重をかけた。痛みで自身の足から力が抜けることすら利用した崩し。これに持っていかれてはどこを凍らされるかわかったものではないとライオットは抗い、結果として右腕を捨てることになった。


 左掌の貫通と右肘の破損。捥ぎ取ったそれらに対しライネが支払ったのは肋骨と内臓の損傷──これでは駄目だ、とライネは打たれた腹部にわだかまる灼熱以上に悔しさからギチリと歯を鳴らす。


(決定的な何か! 傷を増やすだけじゃなくライオットの命に届く何かがないと──)


 起き上がることすら難しい体に鞭打ちながら、背後からライオットが一歩また一歩と近づいてくるのを感じながら、必死にライネは考えて──けれどいくら考えても「自分にできること」の内にどうしても答えは見つからず。


 その果てに「それ」へと手を伸ばしたのは、ある種の必然でもあったのかもしれない。


(もう限界か? だったら終わらせるぜ……いつまでも続いてほしいくらいに楽しい時間だけど。どんなことにも終わりは来る。来なきゃいけないもんな)


 こちらに背を向けたまま蹲るライネへ鈍重な足取りで歩み寄りながら、最後の一撃としてライオットは魔力を練り上げる。不完全ではない、一個の術として完成された斥を血の滴る左拳に纏い、そして振り上げる。


 これで仕留める。そう決意して打ち下ろさんとした時、ライネにも反応があった。立ち上がると同時の振り向き様に攻撃を行なおうとしている。瞬時にライオットは悟った──こちらが残された全ての力を斥へ、この拳へ注いでいるように。ライネもまたこれが最後。そういうつもりで迎撃しようとしているのだと彼の動き、彼の肩越しの瞳を見て通じ合った。


 だが、打ち合いに強いのはこちらだ。斥は万全。体の方は万全に程遠いがそれはライネも同様である。ならばこの最後の激突において自分が後れを取る理由などない。結局のところ、そう。互いに追い詰められてしまえば地力の差がより際立つというもので。疑うまでもなくどちらが自力に勝るかなど明白で。つまりは術を凝らした機転の勝負の間に自分を仕留められなかったこと。


 それこそがライネの敗因である──。


「──ッ?!」


 違う。振り向くライネの、そのまま振り抜かれようとしている手。その内にある物を見てライオットは誤算に気が付いた。


 これで終わらせる。そう意気込んでいるのは互いに同じ、そこは間違いない。ただし彼らには決定的な違いがあった──自らの全てをそこに注いでているライオットと、自らのもの以外の「力」を手にしたライネという違いが。


(それは……!)


 ライネの手にあった物。しっかりと握られたそれは、刀。

 の、柄部分のみだった。


 ライオットはそれが何かを知っている。ライネが屋上にやってくる直前まで死闘を繰り広げていた相手。あのエイデンと同じS級という最高等級を持つ、その称号に恥じぬだけの強さを持っていた剣士リグレ・リンドルムが、己が手足かのように自在に操っていた武器である。


(何を──それが武器になるのはリグレの唯術があってこそ。君にはなんの役にも立たない無用の長物だろ)


 柄のみの刀は刀にあらず。リグレが己が唯術で生み出した切れ味鋭きかの刃があってこそそれは初めて武具となる。事実としてライネの手の内にある物はただの棒でしかない。リグレが自分用にと拵えたか用意させたか、いずれにしろテイカーの武器である以上は多少なりとも魔力との親和性は保証されているようなものだが、だとしても。現在の枯渇寸前の魔力を単なる棒切れの強化に費やすのは愚策どころではなく、策と呼べるものですらない。


 あり得ない選択。意味の解らない行動。本当の最後の最後、人生の最期になろうというこの瞬間によりにもよって何故こんな突飛なことをするのか。仮にも天才たる自分が認めた相手が──残念、失望、諦観。やけに時間の進みが遅い一瞬の間際にそれらの感情を味わいながら、けれどライオットは自覚してもいた。


 ネガティブな感情全てを合わせても足りないほど、届かないほど。「ひょっとしたら」という期待・・がまだ己の裡にあることを。もっと驚かせてくれるのではないかと──楽しませてくれるのではないかと。


 そうであってくれと、願っている自分がいることを。


「──!」


 果たして彼の願いが。祈りにも似たそれが天に通じたのかどうか。


 交錯の時、先に拳を届かせるはずだったライオットの全力を追い越して。ライネの持つ柄から生えるように出現した刃がリーチの差を覆し、首元へと食い込んだ。振り抜かれる。拳の命中寸前、それは真横に引かれ終えて──同じ軌道でライオットの喉仏に真っ赤な真一文字の裂創を刻んだ。


「か、ぁ……」


 本来の術者を失い、なんの力も持たなくなったはずの武器未満の道具。それがまるでなき術者の遺志に応えるように。新しい主を道具自らが選んだかのように、術ではなく魔力のみを媒介に刃を得てみせた。己を武具としてみせた、という、これこそあり得ない事態。起こるはずもない奇跡。


 しかしてあたかもそれが起きて当然かのように──奇跡が叶うと知っていたかのように刀を持つライネの姿は迷いなく、揺るぎなく。


 ライオットはもはや力も魔力も籠っていない手をだらりと下げて、地に膝をついた。そして己が命が助からないことを悟りながらも、口元には確かな笑みを作って。


「どうやら俺の……負け、みた──ぃ?」


 どすりと。

 胸から生えてきた誰かの腕に──そこにある自身の心臓に、言いかけた言葉を強制的に止められた。


「ああ、間違いなくお前の負けだな。終わりだよライオット。んでもって……俺とライネの勝負の始まりだ」




次回更新は二週間ほど後を予定しています

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