9.締めくくり
突然だが僕の服装は機能的だ。軽くて動きやすくて丈夫な造りになっている。これも僕の新しい体と一緒で特別性なのだとシスが教えてくれた。体、衣服、そしてシスは異世界に投げ出される僕への選別。言わば三種の神器であると彼女は言った……自らを神器と呼称する大胆さには憧れすら抱いてしまうが、けれど適切な表現だろう。神のような何かの導きで第二の人生を始めようとしている僕もまた、シスの言う通りに「神の使い」であることを自認すべきなのかもしれない。
ちょっと本題からズレてしまったが、言いたかったのはこの服には収納もそれなりにあって便利だという話。おかげで山犬を倒すたびにドロップする魔石もあちこちのポケットに分けて仕舞うことで特に邪魔には感じていなかったのだが、とは言ってもそろそろじゃらじゃらしてきたな、というタイミングで僕たちはソレを見つけた。
《荒霊、ですね》
息を潜めて観察する僕にシスはそいつの名を教えてくれた。短い脚と太く長い腕、真っ白な肌。全体的に筋肉質。頭部は肩に埋もれるようにしてほとんど露出していないが、ギラギラした両の目だけが獲物を探すように忙しなく周囲をねめつけている。──山犬とは違う、新たな魔物。骨格や挙動が犬らしかった山犬に比べてこちらは二足歩行であり人に近いフォルムをしているな。だが遠目からでもこれを人間に見間違える者はいないだろう。荒霊か……。
明らかに山犬以上に強そうな魔物の存在感に気圧される僕とは異なり、シスの声は弾んでいた。
《もう山犬から得られるものもなくなってきたところですし、実践編の締めくくりに大物が出てきてくれたのはラッキーですよ。しけた場所だと思っていましたけど十日も探せば見つかるものなんですねぇ》
敵としてより優れた存在の出現をシスは喜んでいるようだった。狩りを行なうようになって今日でちょうど十日目、近場の山犬を仕留め尽くしては湖畔に戻ってしばし瞑想、また仕留め尽くしては瞑想。この繰り返しで実戦経験を積んできたが、それもそろそろ作業化し始めていた。山犬相手には緊張もしなくなり戦闘における収穫も少なくなっていて……確かに上位の敵へ挑むには適切なタイミング、と言えるのかな?
いいだろう、挑もうじゃないか。だけどその前に、荒霊とやらが山犬に比べてどれくらい強いのかを聞いておこう。
《テイカーからの扱いは山犬に毛が生えた程度ですね。そこら辺にいくらでもポップする雑魚モンスターですよ。だから呼び名も付いているんです》
ということは、本当に強い魔物には名前がない?
《うじゃうじゃいる雑魚種か、討伐に際して呼称が必要になるレベルの大物個体か。ネームドはこの二極です。言ったように荒霊は前者のタイプですから怖がらなくても大丈夫。今のあなたならまず間違いなく倒せる相手です》
シスの断言に励まされつつ、ふと思う。彼女の魔物に関する知識はどこからくるものなのか。やはりそれも神のような何かから与えられているのだろうか?
《そうですね。正しくは私に知識があるのではなく、知識を得るための機能を与えられていると言うべきでしょうが。ゴアです》
ゴア?
《ゴッドアーカイブ。神のような何かが用意してくれた、言うなれば擬似的な辞書。私はそれを開いて必要な知識を都度に引き出している。これが最もわかりやすい表現だと思います》
略してゴア、か。シスの命名も僕に負けず劣らず単純みたいだ。だけどこれで納得できた。魔物だけでなくテイカーの情報についても、やたらと詳しく教えてくれながらも常に伝聞形式であった奇妙さはこのせいだったのだ。シスは僕が疑問を持ったり迷ったりするたびに辞書を引いてそれに答えているに過ぎず、何もかもがわかっているわけではない。検索機能の有無の差だけで、ある意味では僕と似通った状態にあるわけだ。
《あなたの先導の任がある以上、大まかにはこの世界について把握してもいますけどね。けれど何もかもを知っているなんてことはない、それはその通りです。ですので私という脳内生き字引を上手く使いこなせるかどうか。それもあなたに求められていることをどうぞお忘れなく》
シスは僕に備え付けらえた機能とも言える。つまり彼女に備わっている機能は僕に備わっている機能も同じ。ただし直接では手に余るに違いないそれを、シスという情報の整理と取捨を行なってくれるフィルターを介すことで使いやすくなっていると。
まあ、カーナビだって音声ガイドがあるだけで相当にわかりやすくなるのだ。そこに自我が宿っており、シームレスな受け答えをしてくれるというのは破格な補助だと言える。神のような誰かさんは僕の限界というものをよくわかってくれているし、その上でとても気の利いた人物であるようだ。や、「人物」という言い方が実態に即しているのかはさておくとして。
「じゃあ……やるか」
《ファイトでーす》
身を潜めていた草むらから出る。やりようによっては荒霊に察知されぬままもっと近づいて、不意打ちの一撃を開幕の合図にもできたかもしれないが……そして魔物狩りを生業とするテイカーを目指すのならそういった戦法こそを積極的に取るべきだったのだろうが、僕がやっているのは修行である。戦闘に慣れること、なかんずく魔力操作の充実こそを目的としているからには大きな有利を作って戦いに入るのはあまり望ましくない。そういうのは基礎が固まってから覚えていけばいい、とは言うまでもなく僕ではなくシスの考えだ。
正々堂々に下す。そのために僕はあえて自身の存在を誇示するように歩く。そうすれば当然、荒霊もすぐに振り返ってこちらを向く。──視線が合った。その瞬間に僕は理解する。山犬より強いのはもちろんのこと、荒霊は更に好戦的であり、更に迅速果断であると。
「ッ」
目算二メートル強の上背。それでいて分厚い体付きという巨体ながらに、荒霊は一足飛びで距離を詰めてきた。途中で当たる枝葉のことなどお構いなしに、まるで進路上の全てを削り飛ばすような勢いで僕の目の前へと着弾。地面を叩いた平手から痛烈な音が響く。
危ない、一歩下がっていなかったらモロに食らっていた。魔力防御でも受け切れるか定かではない一発。咄嗟に後退を選べたのは上々の反応だったろう。
《体重と慣性を利用しての強攻撃。しっかりと受けの姿勢を取った上で全力で守ればまあなんとかなるでしょうが……追撃まで対処できるかは怪しいラインですね》
シスの見解も僕と同様のようだ。荒霊の攻撃の全部が全部この威力、というわけではないだろうが、しかし山犬に比べてかなりパワフルな奴だ。基本的に受けに回るのは悪手と考えて間違いない。ならばどうするか。
攻めあるのみ。相手を問わず大方の正解がそれであることを僕はシスから教わっている。
薙ぎ払うような裏拳をしゃがむことで掻い潜り、足払いを仕掛ける。魔力を乗せて行ったそれはちゃんと手応えならぬ足応えを感じさせてくれたが、荒霊は見かけ通り……いや見かけ以上に重かった。腕を振り抜いて重心が甘くなった状態でも少し傾いだ程度で耐える。これは予想外、おかげで振り下ろされる拳底に対して僕の対処は若干だが遅れた。
《右に転がる。大きく離れようとしないで》
考えるよりも先に動く。短く差し込まれる指示には一も二もなく従うこと、それが最善と刻み込まれている僕の体は右手を支えにして横転、奴の拳すれすれを行違うようにして回避に成功。だからとて急いで距離を取ろうとはせず、指示通り荒霊と至近の位置を維持したまま立ち上がる。
下手にこれ以上離れようとしていたら身構える前に一気に詰め寄られ、手痛い一撃を貰っていただろう。荒霊にはそれができるだけの俊敏さがある。本能的に危険地帯と感じるこの位置関係を保ったのはきっと正しい。シスに感謝する。彼女の助言なくしてこの判断はできなかった。
連続で振るわれる太い腕をスウェーで躱しつつ考える。デカいながらに山犬並のスピードがあってリーチはもっと長い。そして攻撃力、防御力共に高い。この中で特に問題となるのは防御力か。軸足を刈るつもりで放った蹴りが素で受け止められてしまった。僕としてはタイミングも魔力も申し分ないものだったと思うだけに、それが通じなかった事実は重い。
《もっと強力な攻撃でないといけないようですね》
強力な攻撃。こちらも荒霊に負けないだけのパワーを発揮する。そのためには。
《どうすればいいか、あなたはもう知っている》
ああ、わかっている。いきなり僕の筋肉が急成長してくれることはないが、打撃の威力を上げる方法ならある。魔力だ。一撃に乗せる魔力の供給を増やせば、その分だけ攻撃力を得られる。だがこれには欠点もあって、荒霊にはそれが致命的なものともなりかねない。
躊躇する気持ちはあったが、それしか手がないからには臆していたって仕方ない。仕掛けるなら早い方がいい。攻防の均衡が崩れる前に攻めるのだ。
「ふー……」
少しばかり大きく躱し、荒霊の手の届かない立ち位置へ。そこで息と気を整えてから、僕は全身に巡らせている魔力を解いた。荒霊にはそう感じられたことだろう。実際には肉体の外に漏れない程度の最低限の強化だけ継続させているが、魔力量が減っただけに強化率も落ちている。機動力はもちろん耐久面も同様で、この状態では荒霊の腕に掠っただけでも大怪我を負いかねない。そういう危険性を背負ってでも全体強化の出力を落とした訳は。
「……まあ、そうだよね」
僕の弱化を受けて一気呵成に攻め込まんとする姿勢を見せた荒霊が、途端にその攻勢の気配を萎ませた。それは脅威に気が付いたからだ。僕の右拳。そこに集まった魔力量に、警戒を示している。
手段としては単純明快。インパクトの瞬間に魔力を乗せる、だけでは不足だというのなら、最初から乗せられるだけを乗せておく。それが手っ取り早く威力を上げる方法である。
今の僕に露出できる魔力の八割方が右拳のみに集中している。ここまで偏らせれば好戦的な荒霊であっても迂闊には踏み込めないようだ。それはつまり充分に通用するということ。この一手が荒霊に有効である保証を得られて僕は安堵する。だが、奴も直に理解する。右拳以外への魔力供給が減っているからには即ち、自身の攻撃もどこかに当たりさえすれば決定打になり得る──『先に一発ヒットさせた方の勝ち』。そういう状況になっていることを殺しの本能で読み解くだろう。
じり、と互いの足が鳴る。慎重に間合いを測り、最も己の能力を活かせるタイミングで仕掛けねばならない。さながら銃や刀の抜き合いの如くに僕と荒霊の間には緊張した時間が流れる。
《目だけでなく感覚の全てで敵を見るんです。魔力によって五感も強化されていますから集中力が増せば増すほど鋭敏になっていきますよ。拳に回しているせいで五感の強化も率は下がっていますが、それでもあなたがあなたの肉体のポテンシャルを発揮できればなんの問題にもなりません。いけますよ》
ありがとう。頑張ってみるよ。
背中を押されたような気持ちで前に出る。それに合わせて荒霊も迎撃の乱打をお見舞いしてきたが、当たってはやらない。死が眼前で暴れているからには恐怖心もあったが、しかし荒霊の攻撃速度は落ち着いていれば躱し続けるのにも苦労しない程度。そして創意工夫もなくやたらめったらに力を振り回すだけの単調なものでしかない。読み切るのは容易く、残り二割の魔力による強化だけで懐に潜り込むのもそう難しいことではなかった。
無駄な動きを極力なくし、すれ違う腕の風圧を感じながらも僕は荒霊へ肉迫。ここまでくればリーチの差はむしろ僕の優位になる。ぎょっとする気配が伝わってきたが当然手心なんて加えない。右拳は既に振り抜かれている。
固いものを打ち砕く音が鳴って、荒霊の体がくの字に折れ曲がった。腹部にクリーンヒットした僕の拳は深々とめり込んでいる。勝った、と打った感触がそう教えてくれる。
《トドメはさっさと、確実に。鉄則ですよ》
了解。仰向けに倒れた荒霊にもう一発、今度は通常の強化を施した右足で踏み付けることできっちりと殺し切る。勝利の余韻に浸るのは相手を仕留めてから。これもシスに教え込まれた戦闘の心得のひとつだ。
《荒霊撃破。またひとつ強くなりましたね》
ころんと転がる魔石が僕の勝利を祝福してくれているようだった。