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89.強敵

「ぬぅ……」


 吹雪を受けた肌が凍った。この明らかな異常事態にティチャナは混乱しながらも唯術を再起動。既に同化を終えているはずのユイゼンの【氷天】が生み出す氷に対し再度のシンクロを行なう。すると。


(……! まさかと思えばそのまさか。なんということをする老婆だ)


 食らうはずのない攻撃を食らったのだからその時点でわかりきっていたことだが、しかし発動し直した【同調】によって解析と同化が完了したことで、そして問題なく肌に張り付いた雪も霜も振り払えたことで何が起きたのか明確となった。


 ──ユイゼンは己が唯術の生み出す氷の組成を変えたのだ。


空気・・を凍らせたな? それを自身が生み出す氷と混ぜ合わせることで私が適応した元の術とは別物へと昇華させた……否、この場合は凝華させたと言うべきか)


 氷の術となれば操れる、または周囲へ作用させられる限界温度は水が凍る零度近辺と見るのが魔術的な常識であるが、ユイゼンの【氷天】はあくまでも「氷を生み出す」ものであってただ水を凍らせて氷を作るのとは訳が異なる。最古参のS級という彼女にしか持ち得ない経歴、その長い戦いの歴史によって磨き上げられた唯術が表出させられるのは零度などという生温い・・・温度が限界ではなく。


(マイナス百度、いや二百度……もっと下か? なんにせよつくづく恐ろしい奴だな、ユイゼン・ロスフェウ)


 冷気によって酸素や窒素を凍らせたばかりか、それを自前の氷と混合させて一個の術としてしまう。おそらくは思い付きのアドリブで行っているであろうこの新たな工夫、などと軽く言うにはあまりに行き過ぎた器用さにティチャナも舌を巻かずにはいられない。


 イオにも呆れられる持ち前の鉄仮面によって感情を隠しつつも今、彼は確かに興奮を覚えていた。


 先ほど殺した防衛専任のS級とはまるで異なる手応え。あるいはあの男の【遮断】ならばユイゼンがどれだけ攻め立てようとその全てを防ぎ切るのかもしれないが、しかしそれはティチャナにとって「強さ」ではなかった。


 やはりテイカーとは、魔術師とはこうでなくては。こちらの命に届く牙を有していてこそ戦闘は成り立つ──でなければ一方的な殺戮になってしまう。役目とあらばそういった行為にも粛々と手を染める彼ではあったが、それを楽しいと思うような心はなかった。


(いかんな。だからと言って窮地を喜ぶのではイオに叱られてしまう……ダルムの悪癖が移ったか)


 窮地。そう、窮地だ。現状はそう評して差し支えない。


 工夫が活きたと見るやユイゼンは再び氷狼の群れを呼び出した。その一体一体の色味が微妙に異なっているからには、ご丁寧にも個体ごとに構成を変えているのだろう。つまりティチャナは絶え間なく【同調】を発動し直すことを余儀なくされた。結果、そもそも【同調】が通用しないことから依然として始末優先度の高いコメリを排除する道のりがますます遠ざかってしまった。


「ふん……」


 飛びかかってくる狼にすかさず同化、差し込んだ腕で崩壊を誘う。直ちに切り替え、次の狼にまた同化、崩壊させてまた切り替え──全身の硬直。コメリの【念力】。ティチャナは当然に腕力で強引に枷を解いたが、その僅かな間にも三箇所ほど狼に食い付かれてしまった。


 彼の肉体強度は常人のそれではなく、魔力を纏っていることもあって本来なら噛み付いた部位ごと持っていく氷狼の咬合力を前にも僅かに牙が刺さった程度の被害しか受けていない……だがダメージはダメージ。【同調】を持つが故に傷を負うこと自体が非常に珍しい彼は、けれど痛みをまったく感じさせない素早い処理で噛み付く三体の狼を次々と屠った。


 まだ何頭も残っている狼たちに急き立てられながら、ひとまずユイゼンとコメリから距離を取りつつティチャナは微かに眉根を寄せていた。


(あの女の見えないエネルギーは、影響を与える物を取捨できるようだな。これはいよいよもって──)


 拘束越しにユイゼンの氷狼が噛み付きを成立させたからにはそうと見て間違いないだろう。【氷天】と【念力】は互いに邪魔をしない。どころか、それこそ一体となって襲いかかってくる。実にマズいことだ。どちらか一方だけでもティチャナにとっては充分に面倒だというのに、その相乗で戦況は大分にあちら有利となっている。流れが、できている。少なくとも今のままの戦い方では彼にこの流れを引っ繰り返すことはできない。


 今のままの戦い方では。


(──致し方なし。使うか)


 狼を全て壊し切ったところで足を止める。するとティチャナの様相の変化を悟ったのか、追加の氷狼に加え小型の竜のようなものまで生成したユイゼンはしかしそれらをすぐに差し向けようとはせず、警戒の眼差しでティチャナを見つめる。コメリも同様だ。いつでも【念力】を発動できるようにしながらユイゼンとタイミングを合わせるべく、また敵の次なる手に備えるべく油断を見せない。


 やはり歴戦。彼女たちの優れた危機察知能力にティチャナは再び舌を巻いた。


 その出自からして仕方ないことではあるが、ティチャナの戦闘経験はごく浅い。訓練のために適当な魔物と遊んだことを戦闘と称しないのであればほぼ皆無と言っていい。無論のこと対人戦闘の機会にはもっと恵まれず、唯一の経験はフロントラインとの初接触時に起こった()()()()で力を振るったくらいだ。それもちょっとしたことでしかなかったために大仰に戦闘を経たとは言い難い。


 生まれ持った性能で唯術の扱いや肉体強度には恵まれていても、ティチャナ自身はまだまだ「鍛えられた戦闘者」に程遠い。そのせいだろう、彼にはユイゼンたちがいったい自分のどこから何を嗅ぎ取ったのか理解できない。


 ──そのまま調子付いて攻め込んでくるなら都合がよかったものを。


 あるいはそう誘う気持ちがどこかに漏れ出てしまったのかもしれないが、まあいい。それならそれでやりようはある。


 パンッ、とティチャナは横にした掌同士を合わせて構えを取る。それは彼が設定した唯術を拡充させるための特定行動ルーティーン。距離が空いたまま追撃が来ない状況故に、落ち着いて術を練り上げることができる。ユイゼンとコメリ、双方の顔付きに変化が生じたのを確かめたティチャナは「さて」とここからを考える。


(対生物向けに遠距離から行なう強制シンクロ。これによって二人まとめて動作と思考を止め、その隙に仕留める)


 考慮すべきはこれの効き目がほんの一瞬に限られるであろうこと。現在は彼の助けになっている距離が術の精度を減衰させ、更には対象となる両名が共に著しい警戒状態にある。これではどれだけ術を練ろうとも刹那のひと時しかティチャナに好機は与えられない。


(殺せても片方のみ。最悪は殺し切れずに術が解ける……ふむ)


 そうなればティチャナはただ拡充の負担を背負っただけとなり、ますます戦況が不利になる。強制シンクロの二度目を決めるチャンスは決して与えてもらえないだろう点も含めて、術の作用後にどう動くかは非常に重要なことだった。


(先に解けるとすればより優れた戦士であるユイゼンの方か。ならば当初の予定通りにお付きから狙うが吉……と思いたいが)


 ユイゼンの術と違ってコメリの術はまったく認識できない。ティチャナはコメリの身に例のエネルギーが纏われていないかを危惧する。確殺のためには急所をこの手で──強制シンクロの適用中は通常の同化による内部からの崩壊が実行できないために──直接叩く他ないが、頭や首や心臓といった狙いやすい急所は当然にカバーされている可能性が高い。するとコメリはユイゼン以上に短時間で殺し切るのが難しい……かもしれない。


(なんということだ。どちらに的を絞っても結局は一か八か。博打にしかならんとはな)


 奥の手を切ってこれなのだから、なんともこの二人とは相性の悪いことである。命懸けの選択。そこに高揚を覚える──が、ティチャナはふと気付く。


(……私としたことが、なんと間抜けな。やはりダルムの考えなしが移ったな)


 実に簡単なことではないか。窮地を解決する最も冴えた一手を見つけたティチャナは口元に小さな笑みを携えて魔力を解放。強制シンクロの発動へと踏み切った。


「コメリ!」

「はい」


 大技の炸裂。それに合わせて対処と迎撃を行なわんとした二人のテイカーの意識が、まるで停電のようにぶつりと途切れた。──これよりの一瞬は、ティチャナだけの時間になる。


 彼が選んだのは。



◇◇◇



 認識が甘かった。そう認めないわけにはいかないだろう。


 攻防に優れた術師であるガントレットが敵に張り付き、その隙を窺って要所でミーディアが刺す。シンプルながらにだからこそ完成されたこの布陣に単独で対応でいる者などそうはいない。怪しげな雰囲気を漂わせるハワードの異様も含めて「問題なし」と判断を下したミーディアの戦術眼は、概ね正しかった。


 実際に戦闘が始まってしばらくの内は押していたのだ。ガントレットの唯術【剛拳】はギドウスの【強靭】を両の拳のみに絞ったスケールダウン版のような効果をしており、その代わりに強化幅で言えばギドウス以上。よって彼が繰り出す拳打は持ち前の筋骨隆々の肉体も相まってその一発一発が凄まじい威力を誇る。また強化された拳は硬度も上がっており防御手段としても有用である。本人の気質もありめっぽう殴り合いに秀でているガントレットが、今は怒りによって拳の勢いが更にブーストまでされている。


 意気込んでいたハワードがすぐに守勢に回った、回らされたのは当然の結果でしかなく、そうなることを見越してサポートに徹したミーディアの切り込みも意識から外せない彼は、当初まったく自分からは手が出なかった。


 そうして守りばかりに専念していながらも受け切れずに次第に傷を増やし始めて──しかし事態が転じたのはそこからだった。


 傷が治りはじめたのだ。打撲痕に裂創。どちらも戦闘行為に支障が出ない程度のあまり深くない傷ではあるが、けれど魔術師特有の高い治癒力でも回復しきるには日を跨がねばならない、そのくらいの怪我ではあった。なのにそれが戦闘中に消えたとなれば考えられるのはひとつ。


 自己治癒術。ハワードの唯術はミーディアの【回生】のように再生力を持つ代物ではないために、これは確定的である。


 だからこそミーディアは戸惑った。

 果たしてハワードとはこのレベルの自己治癒が可能なテイカーであったか?


 答えは否だ。他者を癒すのに比べれば自前の魔力で自身を回復させることは確かに、大きくハードルが下がる。それは意識するとしないとにかかわらず魔術師であれば誰もが「自然治癒力を高める」という形で行っていることもであるからだ。が、決して軽くはない傷を戦闘の最中に、他の魔力操作と並行しながら実行させるとなると話は別だ。


 ミーディアのように唯術の助けもなくそんな真似ができるようであればハワードは今でも特A最強の座から陥落していなかったろう。それだけ急速度の自己治癒とは高難度の魔術なのだ──なのに、彼はそれを間違いなく身に着けている。それもミーディアの観察眼が確かであれば。


(『たった今』身に着けた! そういう風にしか見えない……!)


 交戦当初に負った傷もあったというのに今になって急に治癒を行なったこと。単に治癒の機会を一度にまとめたくてタイミングを待っていただけという可能性もあるにはあるが、交戦者としてのミーディアの所感はそれに否を訴えている。


 ついさっきまでは、できなかったのだ。


 だからゼネベンから貰ったと思しき傷もそのままに自分たちと戦い始めたに違いない。……しかしこれが事実とするならば。


(思った通りに、そして思った以上に! どんどん人間離れしていくッ! この男はいったい!?)


 負傷がなかったことになっただけではない。段々と、着々と。ハワードの変容。元の彼からかけ離れていく変化が止まらない。


 一打受けるごとに、一刀避けるたびにその動きにはキレが増し、力強くなり、顔付きにも余裕というものが生まれてきている。目に見えての強大化。その現出は彼の戦い方だけでなく、外見上にも表れ始めていた。


 ──ハワードの肌が、どんどん黒みを増していく。まるで恨みに染まったような、あるいは恨みから解き放たれたような。人以外の何かに変わっていくような、奇妙な現象。あまりの異様さに戦慄を覚える二人とは打って変わり、当の本人の魔力は心地良いとばかりに躍った。


「はっはぁ! これか! これが! 俺の授かった新たな力ってわけだな!? ──いい気分だぜ! てめえはどうだよ!? ガントレットぉ!」


 ボッッ、と。

 空気を引き裂く音と共に放たれたハワードの拳が、ガントレットの腹部へと突き刺さった。



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