86.露払
「がはははは! いいなぁお前! 本当にいい! 楽しいぜ、エディク!」
「気安く俺の名を……呼ぶなっ、化け物めが!」
協会本部のエントランスにて互いに傷だらけ、血だらけの男たちが吠える。浮かべた表情、剥き出しの歯の意味は違えどもその由来が闘志にあることはどちらも同じ。戦局はまったくの互角であった。
手数とそれに端を発する攻撃を届かせた回数はエディクの方が遥かに多い。だが一撃の重さで言えばダルムの方が上で、肉体の頑強さも彼が大きく勝る。食らった数で言えばほんの数発ながらにエディクの背負うダメージはダルムに与えたものととんとん、もしくは微不利といった具合である。
技にも素早さにも長けていながらこの始末。つくづくダルムという異形の男の異形ぶりを恨めしく思いつつ、されどエディクに尻込みはない。『桜花』を連続で用いた複雑な軌道の高速移動でダルムの視界から逃れ、死角から『椿』を叩き込む。ダルムはダルムで優れた直感から見えずともエディクの攻撃タイミングを読み、そこに反撃を繰り出している。このせいでなかなかクリーンヒットが取れず、下手をして自らの方が傷を負う場面も何度かあったが、けれどこれでいい。
この自分不利のダメージレースを続けるのだ、とエディクは己が被害も度外視で、覚悟の上で腹をくくっている。
全ては確実にこの化け物を仕留めるため。
(最も忌避すべきはこいつを殺せず、取り逃がすこと。待たなければならない。こいつの命に手が届くその瞬間を!)
ダルムを生きて帰せばまた同じことが起こる。ここに散らばる同胞たちの死が無為となり、悲劇が繰り返される──そんなことには絶対にさせない。我が身の傷を省みずにこの獣同士の喰らい合いめいた戦い方を続けているのは、そうしてでも確実にダルムにも傷を、深手を負わせるため。そうして然るべきタイミングで決死の一撃を食らわせてやるためだった。
ここまでの言動でおおよそダルムという異形の性格は把握できている。この男がこんなにも意気軒昂に喝采を上げているのは互いが血塗れのこの戦闘の有り様が彼自身の好み、嗜好と非常によく噛み合っているからだ。
楽しいのだ、死の天秤がどちらにも傾き得る死闘が。
拮抗した果し合いというものが楽しくて楽しくて仕方がない、こいつはそういう野蛮の徒である。
正直に言うならエディクとてその気持ち自体はわからなくもない。彼もテイカー、日常が死の傍らにあり、そんな日々を生き残る自らの強さに誇りを持たぬわけもなく、また強者である自覚を持つからこそ自身に比肩する強者へのリスペクト。そういった傑物と腕試しを行なうことに高揚を覚えないわけでもなかった。
認め難いがこれは魔術師としての性にも等しく、そういう意味ではこの人外の化け物と自分との間に、自分が望むほどの乖離はないのだろう──根底には同じものが流れているのだろう。エディクからすれば腹立たしいその事実を、利用する。不覚にも熱いものを感じてしまっている自分が想う激闘とは、ダルムが想う激闘でもある。
ならばそれを演出してやればいい。引き返せないほど夢中にさせ、死へと追いやればいい。
(こいつは俺が死の淵へ飛び込まんとすれば喜んで自らもそれに続くだろう。ああ、共に来い。だがそこへ落ちるのはお前だけだ……!)
心中などするつもりはない。ダルム一人を殺せればエディクの仕事はそれで終わり、ではないのだ。ただし現状の最優先は何よりもまずこのふざけた悪漢を殺し切ること。もう他の誰も殺させないことだ。その任を全うするには、忸怩たることに、エディクは自身の命をチップとして賭けに打って出る必要があった。
見るからに単細胞の、戦闘以外のことに関してはまるで頭が回らないであろうダルムには予見できまい。仮にできたとしても賢しらにそれを回避したり逆に利用したりはしないだろう。そういう決着を好む男ではない、それをエディクは重々に理解できている。──きっと逆もまた然り。
ダルムとてエディクに死ぬつもりがないことはわかっているはず。何を狙っているにせよ望む結末はひとつであるとも、当然に。
命懸け、ながらに死なぬ決意。その矛盾を感じさせるエディクの覚悟は「強敵との戦いの果てならば自らの死すらも歓迎すべき」だとしているダルムのそれとは一線を画すもの。共感はできないが、けれど自分とは違う戦士としての在り方であると認めることはできる。その矜持に対し力で以って勝りたいと、彼は思っている。
それがイオの配下たる己に相応しい……よく似あった勝ち方であると。
互いが互いの思惑をある程度以上に読んでいる。均衡の取れた勝負を最後に自らの下へ手繰り寄せる、その算段を立てていると知りながら。知り得ながら共に「それでいい」と結論している。
衝撃波による内部破壊がいよいよダルムの身体へ深刻な損傷を与え、それに負けじと繰り出した豪脚の蹴りが掠っただけでエディクの右手を完全に破壊した。──終わりは近い。そう悟り両雄は更に気迫を増して打ち滅ぼすべき敵へと向かっていった。
◇◇◇
物理的な距離を飛び越えて移動できるオルネイの【標点】が作り出す通路。空間を越えての移動には特有の酩酊に似た感覚が伴い、それは術者であるオルネイの丁寧なサポートがあったとしてもある程度は避けられない。
特に現在の彼が肉体と精神、どちらの面においても損耗があることを思えば利用者に降りかかる空間酔いの作用は無視できないレベルのものとなっている──が、「そんなもの」で僅かなりとも調子を崩すほどこの二人は軟ではなかった。肉体と精神、どちらの面においてもだ。
「なんっ……」
だからこそガントレットは絶句した。通路を飛び越えて真っ先に目に飛び込んで来たその光景が、自身の空間酔いから来る真っ赤な大ウソであることを。くだらない白昼夢を見ているのだと切に願った。ひとつの支部の長として合理も実利も伴った考え方のできる、できるようになった彼がそれでも、そんな馬鹿げた空想に縋りたくなるほどにもっと馬鹿げた光景。
かつての相棒が、仲間であるはずのテイカーを殴り殺す場面がそこにはあった。
「な、にを……何をしてんだっ、ハワードぉ!!」
「ああ? ……ガントレットか。なんだよ、お前まで来たのか」
へらへらと笑いながらも呆れたように嘆息してみせたその男は、やはりどこからどう見てもハワードであった。顔付きや体格に微妙な違和感があるものの、その表情や仕草、喋り方は間違いなくガントレットがよく知る彼そのものだ。そしてその傍らで力なく横たわる青年にも見覚えがある。
本部在籍の時期が被っていないために直接の面識はないが、しかし噂には聞いている。規格外の速度でC級から特A級、そのトップにまで駆け上がった麒麟児。S級に昇り詰める者と似たような経歴であることから次なるS級昇格者に最も近しい人物として支部にまで名が聞こえる期待の若手の筆頭──ゼネベン。その彼が、口からは多量の血を零し、何も見えていない目を見開いて横たわっている。
死んでいる。殺されたのだ。ハワードに……先輩であるテイカーに。
殺し合いの現場になったであろう本部玄関前の広場には、もうひとつ頭の潰れた死体がある。これもおそらくは。
(……いや。妙でしょ、これ)
親しい間柄であるが故に「友人が凶行に手を染めた」という情報にばかり目が行き、上手く事態が処理できずにいるガントレットとは異なり、本部にいた頃も今もハワードとは知人の知人以上の関係ではないミーディアには凶行それ自体よりも「それが成された」という事実にこそ違和感が鼻について仕方がなかった。
ミーディアはゼネベンと友人だ。と言っても歳が近く、本部在籍の期間が重なっていたために少しばかり縁故を持っただけの浅い関係ではあったものの、少なくとも──彼が特A級に上がるよりも前のこととはいえ──ガントレットよりも正確に、知識ではなく体験として正しくゼネベンの実力を把握できている。
彼女からしてもゼネベンの強さは本物で、異例の早さで特A級に上がると耳にしても納得しかなかった。唯術の性能と練度、肉体的な強さ、それらを底上げする魔力操作の技量。どれを取っても一流と言っていいゼネベンならこの昇級速度にも納得だ、と。
それくらいにやる奴なのだ、彼という男は。
対してハワードはどうかと言えば……勿論、弱くはない。むしろこちらも超一流、ゼネベンにはまだしも不足している要素と言える「経験」の面において特段に勝り、それでいて任務にも旺盛な絵に描いたようなベテランテイカー。ミーディアが本部で活動し始めた頃から特A級の重鎮として扱われていた彼は、同等級の友であるダンネロやマーズ以上に「特A級の顔」としてミーディアは認識していた。
しかしそれは強さだけを見ての評価ではない。まさに経験からくる戦士としての成熟した佇まいや知見。そういった見てわかる戦闘力とは別の強味を有しているからこその顔としての立ち位置に彼はいたのだ。それもまた立派なことではあるけれど、だがそういった面で評価しなければ特A級の代表にはなれない、つまりハワードとはただそれだけのテイカーでしかなかった。
無論、若人に追い抜かされる古豪。そのポジションを貶める意図をミーディアは持たない──彼女にあるのはただただ純粋な疑問。
特A級の筆頭の座からとうに追い落とされ、戦士としての過渡期も過ぎつつある……否、既に過ぎ去ったと見られるハワードが、如何様にして活躍目覚ましい若き英傑であるゼネベンを屠れたのか。
しかも彼はゼネベンのみならずもう一人、この場所で死んでいるからにはおそらくオルネイのような転移系の唯術持ちと思わしき者までまとめて片付けている。……あまりにも妙だ。奇妙と言ってもいい。これはどんなに上手く襲ったとしてもハワード一人で出せる戦果を超えている。
誰にも肩入れしない、極めて客観的な目でこの状況を見るミーディアにはそう思えてならなかった。──まあ、何はともあれ。
「どういうつもりで顔出したんだ? ここは戦場だってのに、現場員を退いたお前がよぉ!」
「どういうつもりはこっちのセリフだろうが。質問に答えやがれ、ハワード! なんだってその二人を手にかけた!?」
あるいは差し引きならない事情の末のことではないか。ゼネベンともう一人こそが敵であり、それを知ったハワードが苦渋の決断の末にその命を奪ったのではないか。既に事が終わった現場を目にしているだけなのだからガントレットにはそういった可能性だって思い浮かぶ。だがそんな一縷も、ハワード本人がすげなく否定する。
「決まってんだろ、ガントレット。特A級の最強サマと転移使いのコンビだぜ? 生かしておいたら邪魔で仕方ねえ。俺の進言に確かにそうだと『今の上司』は頷いてな……その露払いを命じられたってわけだ。実験の結果を試す意味も込めてな」
結果は上々だ、と力を誇示するように握った拳を掲げてハワードは続ける。
「いい具合だぜ。まだちぃと慣れない部分もあるがやはり爽快だ。これぞ俺が望んだ俺ってもんよ……!」
「……てめえ」
ハワードが何を言っているのか、その全てが理解できたわけではない。だが何かしらの訳あって何者かに強要されたのではなく、進んで仲間を殺した。自らの意思で協会を裏切ったことは彼の態度からして瞭然であった。
いよいよ現実を受け止めざるを得なくなったガントレットは──ハワードに対抗するように両の拳を握り、構えを取った。
「ミーディア。俺が前を張らせてもらうぜ」
「了解」
確かな覚悟を感じさせるガントレットの指示に、薄く笑みを作ってミーディアは応を返した。
そう、何はともあれだ。ハワードにどんな事情があろうとなかろうと協会から離反したのであれば対応はひとつ。即時の無力化、これに尽きる。
本部の襲撃犯並びにフロントラインとどんな密約があってのことか、そこの裏を探りたくもあるためにできれば生かしたまま倒したいところではあるが……ハワードも実力者であり、現在はいつもと様子が違うために尚更に油断がならない。本部の建物内で今まさに襲撃犯たちが暴れているであろうことを思えばここは生け捕りに拘らず、殺せるタイミングで殺してしまうほうが望ましいかもしれない。
つまり、加減無用。魔鋼製の愛剣を鞘から解き放ってミーディアはじりじりと立ち位置を移していく。正面から敵に対するガントレットを援護するために下がり気味に、少しずつ敵の死角を目指す。そんな二人を前にハワードはまったく怯まない。
「ゼネベンだけじゃどうにも物足りねえと思ってたんだ。足掻いてくれよ? じゃなきゃ慣らしにもならねえからなぁ!」




