85.見立
《あくまでも一人で相手取る、と。その心意気には感服する他ないですが……いいんですね? それはあなたを死地へ追いやる選択でもありますよ》
ユイゼンとコメリ。S級とA級のコンビという貴重な戦力から離れて単独行動を取る僕に告げられた苦言……というより確認には、淡々としていながらもしかと感じられるだけの真剣みがあった。
だから僕も同じだけの重みを言葉に込めて返事をする。
「自分の生存。それに確実にライオットを仕留めることを優先するならあり得ない選択をしているっていう自覚はある……でもこれは必要な取捨だ。だって敵はライオット一人じゃないんだから」
廊下を駆けていても誰ともすれ違わない、これ自体が現状の火急ぶりを表していると言っていい。砲弾の到来から現時点までに経った時間は精々が十五分そこらといったところ。だというのに──本部には支部とは比較にならないほどの人員が常にいるという話なのに──ここまで人気がないのは、協会職員のほとんどが既に避難しているか……あるいは死んでいるかのどちらか。
そのどちらにせよ、こうも事態の進展が早いのはそれだけ襲撃犯の行動が早いから。被害の広がるペースが尋常ではないからだ。
「ライオット一人にユイゼンさんやコメリさんの力まで借りていたら手が足りない。理想は僕だけであいつを止めること──倒すことだ」
《ええ。叶うのなら間違いなくそれが理想でしょう。しかしできますかね?》
「やると決めたんだ。もう迷わないよ」
素晴らしい、とごく軽く言ってからシスは。
《ですがひとつ訂正、よろしいですか?》
「え?」
《あなた『だけ』ではないでしょう。微力ながら私も力添えをします。──二人であの男を倒しましょう。そして、あなたの真の敵たる例の少女も》
二人で倒す。その物言いはなんだかシスらしくないものであるようにも聞こえたが、そう言ってもらえて僕は純粋に嬉しかった。
ライオットに喫した完膚なきまでの敗北。ザッツやギルダンが犠牲になったことも踏まえればアレは本当に手痛い、僕にとっての消えない傷だが……けれどそれを切っ掛けに得たものもある。
シスとの間にある繋がりがより強固になったこと。このことだけは素直に喜ばしいと思える。一蓮托生の相棒がいるからこそ、僕は奴に立ち向かえるのだろう。
一人じゃないというのはそれだけ心強いことなのだ。
「ありがとう、シス。そうだね。僕と君の二人で勝とう。フロントラインにも──イオにもね」
元男にして現少女、そして僕と同じ『プレイヤー』だというイオもまた、ここにきているはずだ。フロントラインとはまた違った目的意識からだろうが、彼女もテイカー協会を機能不全に陥れることには相当な力を注いでいる口振りだった。
だったらいよいよその本番、というところで全てをフロントライン任せにはしないはず。少なくとも僕はイオからそういう印象を受けた。肝心な部分では自らしか信用しない、そういう印象を。
《イオ側の最終目標はあなたの逆。つまりは人の世の終焉です。それを阻止することが即ち『世界を救う』ということ。ライオットがどこまでイオの思惑を嗅ぎ取っているかはともかくとして、彼を打ち倒すことは間違いなく対イオの局面においても大変に有意義な一手となるでしょう》
選ばれた人間だけの……より正しくは現社会に選ばれなかった人間だけの楽園を作りたがっているライオットと、人類という種そのものの生存にまるで頓着していないらしいイオでは、手段こそ共用していても最終的な目標では決して相容れない。いつか反目し合うのは確実、だがそれまでに協会や社会が負う被害を思えば黙ってその時を待つことなどとてもできない。
仮にイオとライオットが殺し合うにしたって、その日が来る頃にはとっくに世界中がどうしようもない状態になっているのだろうから。
止めるなら今。
倒すなら今日、ここでだ。
最低でもライオットは確実に、僕が。
そう改めて決意を固めたところで、見つけた。ユイゼンが教えてくれた屋上まで通じているという専用のエレベーターだ。迷わずここまで来られたことにホッとしつつ、自分の喉が鳴ったのを自覚した。一度足を止めてエレベーターを見据える。その地獄の門めいた扉を。
《乗れば死闘が待っています。今ならまだ引き返してユイゼンたちを手伝うこともできますが……どうします?》
「迷わない、って言ったろう。──覚悟はとうにできている」
ボタンを押す。丁度ここに停まっていたようですぐに扉が開き、僕は白く無機質な箱へと一歩を踏み出した。さあ、連れて行ってもらおうか。ライオットのいる場所まで。
◇◇◇
「良かったんですかね。彼を一人にしてしまって」
とコメリは自分の少し前を走る大先輩テイカーの背中へ、あたかも独り言を呟くかのように言う。
「死んじゃいますよ。十中八九……いえ、九割九分九厘」
「ふん。妥当な見方だろうね」
彼、即ちライネが目指した場所。この建物の最上部にあたる屋上にて蠢く魔力の質はハッキリ言ってS級にもなんら劣らない、コメリからすれば人外のそれとしか思えない常識外れのものだ。
さすがにこの位置からの探知では大雑把な感覚でしか掴めないが、しかしそれだけでも充分に理解できる程度には「強い」──途轍もなく強い敵の下へ、ライネは単身向かったのだ。
ライネだって強くはある。それは彼の佇まいから見て取れることであり、外見からすると十五にも届くかどうかという少年の身としてはいっそ異様なまでの完成度だと。魔術師として相当な高みにいると評してもいい逸材ではあるが……だとしても如何にも相手が悪い。何やら因縁めいたものが両者の間にはある様子だったが、コメリの見立てからすればライネが屋上の存在に打ち勝てる可能性は限りなくゼロに近いと言わざるを得ない。
故に、ほぼ確実に訪れるであろうライネの死を、珍しく一目で彼を気に入ったらしいユイゼンが許してしまうのか。死そのもの以上にそこを気にしたコメリは続けて言った。
「ユイゼンS級も同様の見立てだというのなら、急ぎ連れ戻してきましょうか」
「やめときな。あの子もテイカー、手前の命の懸け時くらいわかってるさ。覚悟に泥を塗るのは良くないことだよ」
それにあの目は死にに行く目ではなかった、とユイゼンは喉奥で笑う。
「賭けるならあたしは一厘だね」
「賭け事からっきしじゃないですか。不安になること言わないでくださいよ」
「おだまり。あんたも集中しな、この先にいる相手だって只者じゃあないんだ。坊やに気を取られているとあんたの方が死ぬよ」
「──ですね。了解」
ユイゼンの言葉通り、彼女らが向かう先。テイカー協会の最高意思決定機関である上座の面々が座する本部の心臓にして頭部であるエリア。本館奥部の最も入り組んだ通路を経た更なる奥にあるその部屋は、普段ならば本部自体を守っている障壁とはまた別にロコンドが独自の守りを敷いて許可なき者の侵入を許さないようになっている──が、こうして手続きを踏むことなくユイゼンとコメリがこの場所を自由に駆けていることからも明らかな通り、現在は一切のセキュリティが働いていない。
復旧の兆しもないことからやはりロコンドは死んでいる可能性が高い。エディクも敵の一人に苦戦していた上、屋上にてライネ因縁の相手と交戦していると思われるリグレもかなり手こずっているようだ。
揃いも揃ってS級がボロボロの現状、こうなると頼みの綱はS級最強と呼ばれるエイデンであるが……彼がどこでどんな任務についていたとしても未だにここへ来ていないのはおかしなことだ。なんと言っても彼にはオルネイという協会最高の「足」があるのだから。
なんとも雲行きが怪しい。これより目の当たりにするであろう惨状も踏まえて既に自分たちは負けているのではないか。などというそら恐ろしい考えに蓋をして、とにかくユイゼンは走る。
そうしてコメリと共に辿り着いた目的の部屋、開け放たれている扉から中へ飛び込んだ彼女が見たものは。
「チッ……わかっちゃいたが遅きに過ぎたね」
「いいや。こちらの予想からすれば随分とお早い到着だよ」
振り返ったその人物。背の高い青肌の異形人の足元、そして室内の壁という壁が真っ赤に染まっている。それらは無論血によって彩られたもの。この部屋の主たちである上座七名の命の素が飛び散っているのだ。
生存者なし。火を見るよりも明白な殺戮の現場にて、その惨劇を引き起こした張本人は、そのこと自体にはなんとも思っていない様で朗々とした語り口のままに続けた。
「彼らの救命が目的であったろうお前たちからすれば遅きに失したというのは事実だろうがな。しかし私の計算ではこの場を去るだけの時間的余裕があるはずだったのだ……それを考えればお前たちの行動は迅速だと言ってもいい。とはいえだ」
ロコンドと上座の処理。それを終えた彼、ティチャナに残された仕事は多くない。仲間であるダルムは決して助太刀など歓迎しないだろうし、仲間ですらないライオットに関しては──少なくともその命さえ失われなければ──ティチャナの知るところではない。
イオの到着を待つか、あるいは他のS級を狙うか。それくらいしかやるべきこともやりたいこともないのだからこの状況は彼からしても渡りに船というものだった。
「老人とは思えぬ眼光、充実した魔力。S級のユイゼン・ロスフェウで相違ないな」
「自分で言うならともかく他人から老人なんぞと銘打たれるのは癪だね。それもあんたみたいな気色の悪いガキからとなると──縊り殺したくなるよ」
「是と受け取ろう。では、殺り合おうか」
ロコンドのみならず上座の老人共もティチャナからすればそこらの一般人と変わらぬ者たちであった。手応えがなく、一仕事を終えたという達成感もない。イオに頼まれた最重要任務を無事に終えられたことを喜ばしく思うと同時に物足りなさが我慢ならなくなってきていた。
そこにやってきた獲物、いやさ歯応えを予感させてくれるようやくの「敵」。
昂るティチャナはその興奮のまま動き出そうとして、しかし思うように体が動かせないことに気付く。
「む。これは……」
「いやですね、青いお兄さん。私のことも見てくれなくては」
唯術【念力】。予備動作なしで発動されたそれがティチャナを拘束している。彼がユイゼンにばかり気を取られていなければ魔力の起こりくらいは感知できただろうが、けれど飢えた彼には豪華な主菜の横に添えられた小鉢の如き副菜などまったく目に入っていなかった──それが隙となり、コメリは機先を制することができた。
彼女のイメージとしては筒状の力場。それをティチャナの全身にすっぽりと被せている。指先くらいならともかく、腕も脚もまったく動かせはしない。それくらいの力が【念力】には宿っているはずだが。
「目に見えずこちらからは触れられもしないエネルギーとは。なかなか面白い……だが」
触れないからといって必ずしも破れないものではないらしい、と。両腕を強引に広げながらティチャナは凄絶に笑う。
自らの力場が単純な腕力に押し負けようとしている。抑え込みたくても抑え込めない。こめかみに血管を浮き上がらせながらコメリはそれでも無表情に、しかし声を低くして告げた。
「ユイゼンS級。こいつ弩級にヤバい奴です。膂力が人のそれじゃありません」
「見た目通りってわけかい。わかりやすくって何よりだね」
ユイゼンの目から見ても男は異常そのものだった。大して魔力に頼っているようにも思えない、というのに、人を何名も楽に持ち上げられるパワーを持つコメリの唯術が力負けする。確かにそれは人の身では得られない膂力だ。
「どれ、試してみようかね」
コメリの拘束が外れようかという寸前でユイゼンが腕を一振り。その軌道に合わせて飛び出たいくつもの氷塊が室内を横断する。鋭い先端が出来ているそれらにあっという間に男は飲み込まれた、かに見えたが。
「私はティチャナだ。そちらにも名乗ってほしいな……名も故も知らぬまま殺すには、少々惜しい」
自身の【氷天】が生み出す氷とは色味の違う青が浮き出てきた。まるで氷の中を自在に移動しているかのように見えるその現象に目を細めつつも、ユイゼンは鷹揚に頷いた。
「あたしはお察しの通りにユイゼン、S級テイカーだよ。こっちがコメリA級。あたしのお付きみたいなもんだと思えばいい」
「ほう、なるほど。ならば他のA級よりも味があるものと期待していいのだな」
「どうだかね」
「そこはお墨付きを与えるところなのでは?」
憮然とコメリが言葉を言い終わるか終わらないか、というタイミングで三者は同時に行動を起こした。




