84.二手
「むしゃくしゃ、だって?」
ゼネベンにはハワードの言葉の意味がまるで解せない。
全てのテイカーの頂きにいるS級、その中でも最強であるとまことしやかに語られる男がエイデン・ギルフォード。その傑物と同系統の唯術を持っていることは喜びこそすれ苛立ちを覚えるような要素は何もないはずだ。
これは単に「同じだから嬉しい」という話ではなく、基本は手探りで切り拓いていくしかない唯術の発展において最高のお手本がある。教材が用意されている、という点にこそ価値があるのだ。これを喜ばない魔術師はいない……と、ゼネベンはそう思うのだが、生憎と彼とハワードの思考はまるきり逆のようで。
「わかんねえだろうな。わかるわけがねえ。俺の半分も生きてねえようなガキのくせして『特A最強』の称号を掻っ攫っていったお前だ、そりゃあ俺が何を考えてるかなんて想像もつかねえだろうよ」
「何を、言っているんですか。同等級の現場員の間には立場の高低も貴賤もありませんよ」
特A最強云々というのは周りが勝手に言っているだけで、それだって協会員同士が休憩時間に交わすちょっとした話の種のひとつでしかない。そういった称号が本当に与えられているわけではないのだ。それの有無を特に重視していないゼネベンにとっては掻っ攫うなどと言われてもナンセンスなことだとしか返せない。
だがそのテイカーとして実直とも言える在り方が、余計にハワードの笑みを──厭らしさを感じさせる口元を深くさせる。
「ご高説をどうもよ。だがそいつはお前の理屈だろ。俺にとっちゃ高低もありゃ貴賤もありありさ。なんたって俺は、最強になりてえんだ。それだけがテイカーになった理由なんだぜ」
「……子供のようなことを」
ゼネベンが思わず吐き捨てるように言ってしまったのは、いよいよハワードという人間の考えることが自分とはまったく相容れない、ちっとも噛み合わないものだと薄々ながらに感じ始めたからだ。
この男には言葉が通じない。そう思っているのは向こうも同じなのだろう。だから彼は最初から伝わるようにと話してはいない。これはただの独白であり、恨み節でしかない。返事も理解もハワードは元より必要としていない──。
「子供でけっこう。こちとら最強だけを目指して四十年生きてんだ。テイカーになれば持って生まれたこの力をより良く、より強く使える。そう信じていた……だがS級っつー規格外の化け物にはどう足掻いたって敵いっこねえ。それどころか苦心して収まった特A最強のポジションすら下からせっつかれて追い落とされる始末。肉体の衰えも無視できなくなってきた今日この頃、俺のお先は見事なまでに真っ暗だったってぇわけさ」
まだ四十歳。九十歳を過ぎても一応の現役の座にいるユイゼンから先ほど隠れた若輩の身としては口幅ったいことではあるが、いくら魔術師がその持ち前の生命力によって老いに強いとは言っても限度というものがある。
ユイゼンが百歳の大台も近づいて未だに壮健なのは彼女がS級という常識の外にいるからだ。大方の魔術師は三十の半ばにもなれば大なり小なり身体機能の衰えを自覚するものだし、どんなにその進行を引き延ばしたとしても五十から六十歳くらいを目途に現役を、戦線を退くのが現場員の常となっている。
ハワードは才能に恵まれた術師だ。幼い時分よりそう自負して生きてきたし、今でもその認識は覆っていない。それでもあと十年もすれば満足に戦えない時がやってくるという予見があった。人並みに落ちていく己と、そうでない者と。おかしいのはどちらか──などと考えるまでもなく答えは出ている。
「てめえらだよ、おかしいのは。世の法則を乱しやがって。てめえらみたいなインチキがいなけりゃ今頃は俺の天下だったんだ。そうなってなきゃおかしいんだ。だから決めたのさ。お行儀よく鍛錬だの任務だのに時間を割くのはもうやめだ。俺は俺自身の手で光を、栄光への道を取り戻す! てめえらっつー俺の人生に影を落とす腐れ外道共を取り払ってなぁ!」
「っ……血迷ったな、ハワード! もはや聞くに堪えない、今ここで私がお前を! テイカーとして倒す!」
これ以上この男に時間を使えない。ゼネベンは本部の応援に駆け付けたのだ──彼が本来打ち倒すべきは裏切った味方ではなく正体不明の襲撃者。
まだしも一縷はあった(と愚かにも信じようと思ってしまった)改心を促す機会も与えるだけ無駄だと考えを変えて、彼は敵を無力化すべく自ら打って出ることを選んだ。
いつ電撃に襲われてもおかしくない。という状況下でもゼネベンが前進できるのは、前述の通りにハワードの能力についての知識を有しているからだった。
(ギルフォードさんの【雷撃】は唯術固有の挙動が多く見られる複雑なもの。ハワードの【放電】はそうではない)
魔力から生じる超常的な現象、でありながらその性質は現実の自然現象である電のそれに似通った点が多々ある。【放電】とはそういった唯術であると記憶している。
雷という現象。落雷に類を見るそれは、派手で豪快なその見た目とは裏腹に極めて繊細な性質を持つものでもある。勢いよく無軌道に落ちているようでその実、雷の進路は酸素を始めとする空気中の成分のバランスにも多大な影響を受ける上、微細な塵や埃にも反応して──正確にはそれらを「伝って」と言うべきだが──如何様にも進む方向を変えていく。
重力という力場もまた雷に影響を及ぼす要素のひとつ。そして、ゼネベンの【加重】が効果対象とするのは何も人間だけに限らない。
(ハワードの雷は指定された対象に向かって進む。挙動としては極単純! それでいて先行放電という『予告』までもが現実の雷同様に行われる……回避はそう難しくない)
この状況で言うなら、ハワードが放つ電気は【加重】によって狙った対象の下へ逸れることになる。それを見越して対象の「上」へと【放電】で攻撃することは不可能。少なくともゼネベンの直上に攻撃対象にできる物体がなければそういった狙撃めいた工夫もできない。
真っ直ぐに飛来してこないこと、そして本命の電流の前に雷の通り道を示す小電流が必ず先行すること。これらの情報を前提にすればゼネベンにとって【放電】は大して恐ろしくもない唯術となる。
油断や見落としさえなければ即行かつ無傷で制圧できる。
その自信を持って向かっていったゼネベンは、しかし次の瞬間に予想を裏切られた。
「望むところだぜゼネベン。アンダーとしててめえをぶっ殺してやる」
ハワードは唯術を使う素振りも見せずに自らも前へと打って出る。これは彼が取り得る選択肢の中で最も道理の通らないもの。ゼネベンにはそう思えた。
何せ現在のハワードは全身に十倍近くの重量が圧し掛かっている状態なのだ。どういったカラクリなのか以前までの彼ならこの時点で這い蹲って動けなくなっていてもおかしくないところを表情すら歪めずにいるが、それでも【加重】から逃れられているわけではない。
重力はハワードを縛っている。その確かな感触をゼネベンは得ている……なのに遠距離攻撃を行なえる唯術に頼らず、格闘戦に臨もうとしているのはどういうわけか? それはこちらの土俵で戦うようなもの。そんな真似をしてはさしものベテランテイカー──という肩書きはもう彼に相応しくないが──であってもどうしようもないはずだ。
この絶大な不利を撥ね退けられるような実力があるのならそれこそ、ハワードはゼネベンに特A級における最強の座を明け渡していない。要するに。
(失策だ! 逆恨みにも等しい動機で離反した興奮そのままに、テイカーらしい戦い方までも忘れてしまったと見える)
望むというのなら望み通りに、その性根ごと叩き潰してやろう。決意のままにゼネベンは殴りかかる──【加重】の拡充術で重量を増している彼の拳は、そうと知らずに受けようものならたとえ防御していてもそれごと粉砕されるだけの威力を発揮する。
無論ゼネベンがハワードの唯術をある程度把握しているように、ハワードもまたゼネベンのできること・できないことを概ね知り得ている。本来なら術者自身には効果のない【加重】も拡充によって都合のいいポイントでのみその作用を得られることも当然に承知しているだろう。
故に、いくら血迷った行動と戦法を取っているとはいえこの一撃をまともに食らおうとはすまい。ハワードが回避、あるいは咄嗟に唯術を使用することを想定してゼネベンはそこを討つつもりでいた。つまりこの初撃は全力を込めていながらもフェイントに同じ。……なのでそれがまんまと炸裂したこと。ハワードが腕一本のガードでこちらの拳を受けたことで、思わずゼネベンの思考と肉体は硬直した。
何故、これを止められる?
「ハッ、重たい拳だ。文字通りにってやつだな……感動するぜ。魔力防御だけで俺がこいつを防げているって事実にな。聞いた通りに『変化』はもう始まっているらしい」
「……!」
「おうゼネベン、そんな顔せずにじっくり付き合ってくれや。練習台にてめえは丁度いい相手だからなぁ」
S級を超える、その一歩として。この憎き若き才者──特Aの頂点にいるゼネベンは、恰好の獲物にして踏み台である。そうニタリと笑うハワードに言いようのない怖気と共に強烈な違和感をゼネベンは抱かされる。
この異様な感覚。様子のおかしなハワード。自分は何かを致命的に見誤っているのではないか。いや、そうだったとしても。
すべきことは変わらない。
「はぁあああ!!」
ゼネベンは身に纏う魔力の密度を更に引き上げ、追撃の拳を放った。
◇◇◇
氷竜の上から本部エントランスの様子を確かめたユイゼンは、そこで敵の一人と見られる赤い肌の大男と交戦中のエディクと視線を交差し、互いに頷きひとつ。「ここは自分に任せろ」と眼差しで訴えてきた同僚を信じて氷竜を止めず、先へと進む。
エントランス奥の中央階段が通じている中で最も上階となるフロアに辿り着いた段階でユイゼンは氷竜を掻き消し、慣性と落下に身を任せる。特に合図は出さなかったが他二人も心得ていたようでしっかりと彼女の後ろで着地していた。
「ちっ」
舌打ちは広く魔力反応を探ったことで敵側の一人が思いの外にマズい部分にまで侵入を果たしていると悟ったが故のものだ。そこからわかるのはおそらくS級の一角であるロコンド・ミリオネンが死亡ないしは戦線を離脱していることと、間もなく協会の頭が取られること。
まさに最悪。そうと言っていい事態は、現役最古のS級テイカーである歴戦のユイゼンにすらもこれまでに味わったことのない焦燥を抱かせる。
「二人ともついておいで──坊や?」
同じく魔力を感じ取って状況を探っていたであろう連れの一人、ライネがにわかに漂わせた只ならぬ雰囲気。まるで自分の意思がないかの如くに──勿論これはこの場においては誉め言葉だ──ユイゼンの言葉に頷いたもう一人の連れであるコメリとは違って、ライネにはハッキリと異議を申し立てようという気配があった。
「上に『あいつ』がいる……どうしてもこの手で倒したい奴が、います」
俺はそこへ行きます、と。許しを得るのではなくそう断じた彼の意外なほどに満ちた様子にユイゼンは少しばかり目を丸くして、それから「ふん」と鼻を鳴らした。
「ついておいで」
「っ、でもユイゼンさん──」
「いいからさっさとおし。あんた上までの行き方も知らんだろう」
「!」
驚くライネに構わずユイゼンは背中を見せ、老齢を感じさせない健脚で先を行く。それになんら言葉も疑問も挟まずに追従するコメリに続き、慌ててライネも走り出してその後を行く。
「ユ、ユイゼンさん」
「おそらく屋上だろうね、あんたの『想い人』は」
本館の屋上は空を行けるテイカーのための発着場になっており、その効率的な利用のために屋上まで直通の専用エレベーターも用意されている。そうユイゼンはライネに教えてくれた。
どうせ途中までは道も同じなのだから案内をしてやろう、という彼女にライネは精一杯の感謝の印としていつか必ず恩を返すと約束し、それに対してユイゼンはにやりとシニカルな笑みを肩越しに見せた。
「あんたにしてもらいたいことなんて思い浮かばないがね。ま、忘れないでおこう。何かあれば遠慮なくこき使うからそのつもりでいるんだね」
「はい!」
やがて分かれ道に差し掛かり、ユイゼンとコメリは右へ。ライネだけは屋上直通のエレベーターが先にある左へと道を曲がり、互いの健闘と無事を祈って彼らは別行動と相成った。
先の約束は、生きて再会を果たすためのものでもあった。