82.対決
「おぉ? 来た来た、お前S級だな。見ただけでわかんぜ、強ぇってな!」
「黙れ、クソ野郎」
にべもなく返された言葉には怒りが溢れていた。四階まで吹き抜けになっている協会本部のメイン玄関であるエントランスフロア。無惨にも崩落したそこには、実に四十を下らない屍が無造作に転がされている。
平時から人が多く行き交う場所故に被害に遭った不幸な面々の内訳は現場員と事務員がおおよそ半々。それはこの惨状を作り出した赤い肌の偉丈夫にとって戦闘員・非戦闘員の区別などどうでもよく、またそれを歯牙にもかけないだけの暴力的な強さを持っていると。そう証明していた。
小さな支部であれば全滅を余儀なくされるだけの人数が、異常を察してここへ駆けつけるまでの数分足らずで殺された。それを許した己への、そしてそれを仕出かした者への激しい怒りに顔付きを歪ませながら歯を剥く彼──S級テイカーの一人エディク・フォーゲンに、赤肌の男も獣の牙のような歯を見せてからからと笑った。
「黙れとはつれねぇ。そうカリカリせずに楽しもうじゃねえか。こちとら邪魔が入らねえようにと掃除を張り切ってたんだぜ!」
「お望みとあらばいくらでも戦ってやる。まずはその子を放せ」
下手人とエディク以外で唯一このエントランスにいる生者。頭を掴まれたまま呻き声を漏らしている、おそらく年若い事務員と見られる女性を解放するようにエディクが告げた途端、ぷちんと冗談のような軽い音を立ててその頭部が弾けた。男が握り潰したのだ。
「これでいいか?」
「──ぶっ殺す」
明らかにただの人間ではない敵。他に何人いるのか、ここ以外は無事なのか、エイデンに並ぶ自由人であるS級の「あの男」は果たして今どこにいるのか。浮かぶ疑問や懸念は数知れず、されどエディクはそれらに悩むことを無駄と判じて考えるのをやめた。
余所へ思考を紛れさせてはならない。目の前の敵はたったそれだけの脳の容量すら惜しい相手だと悟っているから──。
「【踏破】拡充……『睡蓮』」
「!」
──故に、初手奥義。
効けば良し、効かねば効くまで叩き込む。その心積もりで放たれた彼我の距離を問題としない無数の衝撃波が、あたかも空間に絵を描くように赤肌の男の周囲へ満ちる。
回避不能。逃げ道も死角もなく満遍なく散りばめられた技が炸裂する寸前──赤肌の男は迷わなかった。ごくシンプルな物の考え方しかできない彼は、だからこそ咄嗟の場面においても選択肢を前に立ち往生することがない。
避け切れないのなら受けるのみ。
彼はただ守りを固めた。肉体と共に魔力を小さく密にし、瞬間、爆ぜた衝撃に埋もれる。
ただの魔力防御で耐えられるようなものではない。エディクの【踏破】は彼の望む他の物体がない座標へ、彼が『花』と称する衝撃の塊を設置する唯術。それらは同一座標でさえなければいくつでも設置でき、また炸裂までの猶予もある程度任意に操作できる。その上で拡充術によりエディクは同一座標にまで花を重ね置く──これを『重花』と呼ぶ──ことが可能。
彼の奥義のひとつである『睡蓮』は攻撃対象を埋め尽くすように重花を置き、その全てを一斉に起爆させる術だ。単体を相手取るにあたって最強威力の技であり、また花はたった一個だけでも常人であれば全身がバラバラになるほどの破壊力を有している。
無事では到底済むまい。身を守る以外の行動が取れなかった敵の襤褸になった姿を期待したエディクだったが……それはあえなく裏切られる。
「痛ぇじゃねえか」
男は無傷だ。大きく露出している彼の肉体からは、どこを見ても血の一滴も流れていない。真っ赤な肌を持つこの男に果たして何色の血が流れているのかは定かではないが、少なくとも『睡蓮』の一発ではそれを拝むに値しない。ということが判明した。
そしてそれは男を一目見た瞬間からエディクが覚悟していたことでもある。
「衝撃波の唯術。ってことはお前、エディク・フォーゲンだな? オレはダルムってんだ。よろしくなぁ!」
律義と言えばいいのか、名乗りと挨拶を済ませた赤肌の男──ダルムがこれで心置きなくやれるとばかりに動き出した。
殺し合いに興じる興奮を全身から嬉々として溢れ出させながら迫ってくる敵へ、エディクはその進路上に重花を並べて設置。自分以外にも薄ぼんやりと視認できるそれはダルムにもしかと見えているはずだが、しかし言動から予想した通り彼は足を止めることも進路を変えることもなくお構いなしに突っ込んで来た。
(『睡蓮』にも耐え得るのならそうするだろうな。だがその分は食らってもらうぞ!)
ダルムと重花が重なるタイミングを見計らって次々に炸裂させる。先の防いだ感触から食らいながらでも己ならば前進できる。そう見込んでいたであろうダルムの勢いが、目に見えて落ちた。
「『椿』」
一座標へ重ねる数に重点を置いた拡充術。一個当たりの威力で言えば『睡蓮』の四、五倍にも相当する重花を連続で浴びたとあれば、本人が受けるつもりだった破壊力の想定を超えたこともあってさしものダルムもたたらを踏み──そこへエディクが急接近する。
遠距離に徹することのできる唯術を持ちながら、自ら距離を詰める。その選択にダルムは尋常ならざる何かを感じたが、彼の口角は吊り上がる。何を思ってのことだろうと近づいてきてくれるならダルムにとっても好都合。
唯術【好調】。いついかなる時でも、どれだけのダメージを受けようと肉体のベストパフォーマンスが維持される、言うなれば健康優良児になるための力。何も気にかけることなく常に健康体でいられるとなれば羨む者も多いだろうが、こと戦闘においてはただコンディションを保つ以外の能力を持たないこの唯術は作用の手堅さとは裏腹に、活躍の度合いにおいてとてもピーキーである。
攻撃にも防御にも直接は役立たない。それでもなお事足りるだけの強者が持ってこそ戦いの場に役立つ力。──取りも直さずダルムは勿論、【好調】の恩恵をこの上なく預かれるとびきりの強者。
「はっはぁ!」
半端な姿勢ながらに放った迎え撃つ拳。むしろ歓迎するように打たれたそれをエディクは予見していたかのように無理なく掻い潜り、敵の懐へ。ぴたりとダルムの腹部へ添えられた彼の掌から音もなくそれは咲いた。
「『薊』」
「ッ!」
体の内側から衝撃が発生した──拡充術『薊』は術者であるエディクが触れている物体のみに限り、それと重なる座標。つまりは内部に花を設置できる対人・対魔物の双方において強い力を発揮する殺傷力の高い技だ。他の物体と重ねることができないという制約を取り払うことに力を注いでいるために重花こそ使用できないが、単一の花でも肉体内で炸裂するのならその被害は甚大だ。外から咲く花になら耐えられたとしても内に咲く花には耐えようがない。
例に漏れずダルムも口から──意外なことに人間と同じ色味をした──血を吐き出している。このまま畳みかける、そう意気込んだのは欲が過ぎた。吐血もなんのと唸りを上げて繰り出された蹴りによってエディクは失策を悟った。
「っぐぅ……!」
回避は不可能、故の全力の防御を彼も取らざるを得なかった。だが交差させた両腕の上から押し込まれたダルムの足裏。そこから伝わる彼の力は常識を外れており、S級テイカーの魔力防御を以てしてもまるで堪えることができずに吹っ飛ばされた。そのまま地を舐める、ことはなく素早く起き上がりはしたものの。
たった一撃。
それも防いだはずの一撃で負ったものとしては信じられないほどのダメージがエディクにはあった。
対するダルムはと言えば。
「くっくく……やってくれるじゃねえか。今のは痛ぇどころじゃなかったぜ。流石はS級ってところか? ここに転がってる連中は何十人がかりでもオレに傷ひとつ付けられなかったってぇのによ」
上機嫌に口元の血を拭う、その姿に、エディクはますます顔付きを険しくさせる。
確かに『薊』をまともに食らったはず。決まったという手応えもあった。だというのに、即座に反撃を行なったばかりか大した痛痒も見せていないのは……もしや「痛い」だのなんだの言っているのはふかしであってこの男には痛覚の類いが一切働いていないのではないか。
そんな風にエディクが思ってしまうのも無理からぬほどにダルムの「応えなさ」は異常だった。
ダルムが痛みを感じない、などということはない。【好調】にそのような効果はなく、彼はしっかりと苦痛を味わっている。そして如何に肉体的な好調が維持されていようと精神面が削がれればその影響は免れず、動きが鈍る。それは【好調】があっても逃れ得ない知的生物としての道理。なのにダルムが『薊』による内部破壊という極度の痛みを味わわされつつも動けたのは、こうして笑っているのは、偏にその心の強さ故である。
あれこれと考えない、考えたがらない単純明快な精神構造に加えて、敵から与えられる苦痛すら戦いの喜びと思える戦闘狂としての在り方。それらが【好調】と噛み合いダルムは一人の戦士として完成された存在となっている。
ただ強いだけではなく、それ以上に手強い。
赤肌の大男はそういう敵であると、彼の唯術を知らぬままにエディクはそう認識した。認識させられたのだ。
喉奥からせり上がった血を飲み込み、流れる冷や汗を隠すように構えを取る。そんなエディクにダルムは両手を広げた。
「悪ぃなエディク。いくらお前がS級、人類最高クラスのつわものだって言ってもよぉ……地力ってのが違う。なんせオレとお前じゃ肉体の造りからしてまるで異なってんだからな。あー、形の話じゃねえぜ? 持って生まれた素質が違う、そういう話だ」
オレは強い、とダルムは言う。そしてエディクを指差して。
「お前は弱い。のに、オレを殺し得る力を持つに至っている。オレが感謝してんのはそこさ」
「感謝だと?」
「おうよ。だってつまんねえだろ? ちょいと力を入れりゃ壊れちまう奴しか敵にいねーんだったら……そりゃ敵じゃなくただの蟻んこだろうが! オレの楽しみにはなりゃしねえ。だからよぉ、感謝だよ。お前の才能と研鑽に。弱っちいなりに頑張ってくれた『遊び相手』に敬意を表してんのさ! エディク、お前はそこらのゴミとは違うからな!」
「ゴミはてめえだ! くたばりやがれ!!」
駆ける。と同時に『睡蓮』を設置、即起動。しっかりと当てることよりとにかくダルムの気を紛らわせるために放ったそれに間髪を入れることなく『桜花』を設置。自らの足元に置いて踏み出しに合わせて炸裂させることで高速移動を行なう技。その使用によって一瞬にしてダルムの背後に回り込んだエディクは、反応して振り向かんとする敵の動きに重なるように『椿』を複数設置、これも即起動。
その最中に伸ばした腕でダルムの背中に掌を押し当て──。
「『大薊』!」
内部発生の『薊』の巨大化版。ダルムの腹の内にも収まらないだけの大きな花が弾ける。今度ばかりは即時反撃とはならず先以上の量の血を吐き出しながら、しかし笑みを消さずにこちらを向いたダルムへ。
「感謝なんて言葉を忘れるくらいに! 生まれてきたことを後悔するくらいに! 【踏破】がてめえをぐちゃぐちゃにする! 精々覚悟するんだな、屑野郎!」
「かっか──いいぞいいぞ、そうこなくっちゃあなぁ!!」
互いに最高潮。フルスロットルにギアが入ったところに──瓦解したエントランスフロアの一部、建物の外にまで通じているその大穴から、一頭の氷竜が姿を現した。
◇◇◇
「おんやぁ?」
協会本部の屋上。特A級テイカーのオルネイより(強引に)貰った、彼の力が込められた棒手裏剣。一人だけを決められた地点にのみ移動させられる使い切りのそれを用いて現着した彼の前に、まるでその到来を予期していたかのように一人の男が立っていた。
「どちらさんかな」
「やあ、俺はライオット。フロントラインのリーダーと言えばわかりやすいかな」
「おー、君が。それはそれは」
着流しの男は顎の無精ひげを撫でながら得心いったように頷いた。瞼すら下ろしている彼の姿は一見して隙だらけ。だが、ライオットでも迂闊に仕掛けられないだけの妙な迫力がその洒脱な様子にはあった。
「そんじゃあ俺も名乗っておこうかね……リグレ。リグレ・リンドルム。S級の末席を預からせてもらってるよ」
顎から離された手が下がり、腰元へ。腰帯に提げられた刀と呼ばれる剣の一種、その傍へと寄せられた。
「それでライオットくんは──俺に斬られたいってことでいいのかな?」
緩やかに、しかし物理的な圧すら伴うほど濃厚に滲み出す剣気。冷涼なそれに中てられてライオットは裂けるような笑みを口元に作った。
死の恐怖は、ない。
互いに。