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8.実戦

 正直言って怖かった。殺し合いに臨もうとしているのだ、恐怖はあって当たり前。だというのに、シスはそんな僕をせっついてくる。


《何をカマトトぶってんです? 初めての殺しってわけでもなし、慣れたものでしょうに》


 いや──いやいや。確かに僕はやむにやまれず人を手にかけた。かけてしまったが、それはあくまで不意打ちかつ一撃で仕留められる状況だったからやれたことであって、言ったようにその幾度かの経験を除けば僕は喧嘩のひとつだってしたことのない、言わば争いごとの素人である。そう簡単に殺し合いのスイッチなど入るはずもない。それは魔力のオン・オフ以上に切り替えの難しいものだ。


《そう思うからそうなってしまうんですって。というか、これから不意打ちに怯えなくちゃいけないのはあなたの方なんですよ? それに対処できません、じゃあとてもとてもテイカーなんて務まりませんよ》


 常在戦場、という心意気などなくともいつでもどこでも戦えるようにならないといけない……ミーディアの話を聞いた限りではまさにその通りっぽいけど、だからって人はすぐに変われるものではない。どちらかと言えば僕は事なかれ主義なのだからなおのことに。


《本当に事なかれ主義ならあんな仕出かし方はしませんよ……ほら、ぐだぐだ怖気ている間にあちらさんは殺る気満々のようですよ》


 動かずにいる僕に対し、山犬は喉奥で唸りながら一歩二歩と近づいてくる。こちらがどう出るかを窺いつつ距離を詰めてきている……その目付きには殺意が満ちていた。角に爪に牙。山犬が持ち得る命を奪うための武器を全て向けられて、けれど僕はそんな敵の姿に違和感を覚えた。


「シス。何か変じゃないか?」

《変とは?》

「いや、自分でもよくわかんないんだけど……」


 ミーディアが倒した山犬。そしてシスが倒した山犬。あの二匹とはちょっと違うというか……あまり怖くない、というか。見た目の上ではまったく差異なんてないように思えるので、いったいどうしてこんな風に感じるのかは不明なのだが。


《ああ、それは山犬じゃないですよ。原因はあなたの方です》


 僕?


《潜在的に理解できているんですよ。力の自覚を持った今となっては、山犬がもう自身の命を脅かせる存在ではなくなっているということを。そしてその見立ては正しいものだと私も保証しましょう》


 相対した山犬は想定よりも小さく見える。その事実とシスの言葉に僕は勇気づけられた。戦おう。そして勝とう。それはきっと僕が思うほど難しいことではないのだ。


 身構えた瞬間、そのアクションを契機としたように一際に体勢を低くした山犬が跳びかかってきた。


「うっ……」


 機先を制された。けれど体は反応している。喉元を狙った山犬の牙を、左腕でガードした。腕でも構わずに食い千切ろうと顎へ力を入れた山犬は──けれど思ったように牙が食い込まないことに戸惑っている。それが僕にもわかった。


《魔力によってあなたの身体は頑丈になっている。その上で被弾箇所への魔力集中も行っているんですから、こうなっては如何に山犬がそこらの動物の比ではない咬合力を持っていようとどうにもなりませんね》


 ガードだけでなく、それに合わせての魔力操作も間に合った。僕はそのことに嬉しくなったが、腕の感触からするにわざわざ集中させなくても噛み付き程度なら防げたかもしれないな。そう思えるくらいには噛まれている痛みなどなかった。


 僕の肌を食い破れないと結論したのだろう、パッと口を放した山犬はその代わりとばかりに前脚を振るってきた。正確にはそこにある巨大で鋭利な爪を、だ。やっぱり牙だけでなく爪も武器にしてくるか。だけど僕にはしっかりとその攻撃が見えている。躱せる。


《躱すだけじゃなく打って出ましょうか。避けざまに一発、行けますよね?》


 ああ、いける。


 爪を掻い潜り、こちらから距離を詰める。山犬の顔に目掛けて拳を打ち込む。それは見事に命中した、が。

 山犬は多少後退しただけ。目立ったダメージは見受けられなかった。効いていない?


《インパクトの瞬間に魔力が合っていませんでした。身体強化の分だけ響いてはいるでしょうが、それだけじゃ殺せませんね。今のあなたは強化効率もそこまでですし》


 とにかくシスは効率を求めるんだな、と思いつつ。彼女がやったような致命の一撃には程遠い拳だったのだと理解する。攻撃がヒットするのに合わせてそこに魔力を集めれば、威力は何倍にも増幅される。軽い一発に見えたシスの打ち下ろしが山犬の頭を粉砕したのはそのためだ。そうなるように魔力を操ったつもりだったが、やはり実戦となると難しい。タイミングが遅れたようだ。


《慌てることはありません。硬いけれど攻めは大したことない。と、山犬は判断したのでしょう。逃げようという気配が一切ありません。じっくりと付き合ってもらおうじゃありませんか》


 シスの言葉通り、山犬は顔を打たれたのもなんのと位置取りを変えながら僕を見据えている。まだまだやる気だ。それは初の実戦訓練の継続を意味している。さすがに逃げの一手を打たれては実戦形式とは言えなくなってしまうので、山犬がこちらの実力を測りかねているのはありがたいことだった。


 修行のために一個の命を使う。そこに罪悪感はなかった。テイカーになるのならいずれ狩る存在。というだけでなく、この世には消し去らねばならない命もあると僕は思っているから。僕が人である以上──人の形をしていて、人の中でこれからも生きていくからには、人に仇成す魔物という生物は率先して殺さねばならないだろう。それはテイカーになるとならないとに関わらず、あるべき不文律だ。もちろん僕だって魔物と同じく挑む相手の選択くらいはするが……山犬に対してそういった計算はいらないと、今。精神でも肉体でも理解できた。


 次こそ決める。


「しっ」


 短く息を吐き、今度は僕の方から攻めた。山犬の踏み込みを確かめて行ったそれはうまいこと意表を突けたようで、予定通りに前へかかるか後ろへ引くかの選択。咄嗟の判断を要されて山犬の身体は硬直した。固まるのなんて所詮は一瞬。深く物を考えるだけの知能もないだけあって精査などせず、山犬はすぐにも次の行動へ移るだろう。が、一瞬あれば充分だった。強化された脚力が僕を山犬の眼前へと運んでくれている。拳は既に振り被られており、確信もあった。今度はズレない。打撃に魔力が乗る、その確信が。


 めきり、と十日前にも耳にした鈍い音と共に、あの時よりもしっかりと手に伝わる感触。それは一個の命を閉ざした実感だった。


《お見事。一撃目でそうできていたら言うことなしでしたね》

「そこは大目に見てよ。これでも上手くいった方なんだ、僕にしては。緊張しいだからね」

《ですから本当に緊張しいだったらあんな大それたことは……あー、いいですいいです。それより魔石もちゃんと回収しておいてくださいね》


 絶命により消失した山犬の死体があった場所に転がる小さな石ころ。陽に透かせば虹色に輝くそれを拾っておく。これで魔石はシスが倒した山犬の分と合わせて二個目だ。邪魔にならないサイズなので二個くらいポケットに入っていたって構いやしないのだが、けれどシスが魔石を今後どうするつもりなのかは気になるところだ。


《テイカー資格を得てから協会に差し出せばいいんじゃないですか。下級魔物のそれでも数が集まればそう悪くない金額に換えられるみたいですから》

「それってテイカーになってからじゃないとダメなの?」

《テイカーしか魔物蔓延る未開域への立ち入りを許されていないからには、原則としてテイカー以外が魔物を狩る行為も推奨されていないことも明らかでしょう。破れば罰則がある、というより単純に危険な上、魔石の加工技術をテイカー協会が独占・秘匿しているために儲けるには協会に卸すしかないので、密漁する旨味がないんですね》

「じゃあ、僕のやっていることってもしもテイカーに見つかったら……」

《厳重注意を受けるでしょうねぇ。それだけで済むならラッキーだと思いますが》


 露見したとしてもガチの密漁の如くに法律で裁かれるわけではないのなら助かるけれど、そうなった場合、もしかしなくても試験の印象面ではだいぶ不利になるだろう。テイカーには協調性も大事だとミーディアから聞かされている。ならば勝手な行動に出る奴だと思われればその時点で落とされてしまうかもしれない……少なくとも歓迎されないことは間違いない。見つからないに越したことはなさそうだ。


《魔物だけでなくテイカーの気配も探ってみますか? 少々大それてはいますが良い訓練になりそうですね》


 気配の隠匿を知らない魔物とは違ってテイカーは狩りにおいて当然に自分の気配を殺す。僕がやったように魔力を漏らさないのは前提で、息遣いや足運びでもそこにいることを教えないようにするのだ。などと聞いてしまえば今の僕じゃあ一方的に探知されて終わりとしか思えないので、訓練もクソもあったものではなかった。薄々と思っていたことではあるが、揶揄するような物言いが多い割にシスは僕に期待を持ち過ぎる節がある。要求がいつも少し大きい、というか。


《正当な育て方をしているつもりですが? ほんのりとスパルタくらいがちょうどいいんですよ、あなたには》


 あっと、聞かれていたか。独り言のつもりだったんだけどな。ここら辺の調節が難しい……思考を小声にする感覚がどうにも掴みづらく、またシスが耳を澄ませているかで伝わりやすさが変わってくるものだから、なかなか聞き咎められないようにするのは大変だ。


《まず隠す必要がないんですよ。あなたは私に全てを曝け出しておくべきなんです。でないと助言にも齟齬が生じてしまいかねないでしょう?》


 それはまあ、その通りかもしれない。僕のことを僕よりも把握してくれているシスだからこそ頼りになるのだ。変に隠し立てしてシスが僕の現状を正しく認識できなくなったりすると、切実に困るのは僕の方である。場合によっては彼女の言う齟齬が生死を分けかねないからして、小声での思考の紡ぎ方を練習するのは良くない結果に繋がりそうだと僕自身も思う。そうは言っても、脳内が何から何まで見通されるのもそれはそれで我慢のならないことではあるが。あまりにも風通しが良すぎる。


《さ、次の練習相手えものを探しましょう。何事もレベルアップには経験を積むのが一番。どんどん戦ってどんどん実戦に慣れちゃいましょう》

「ホント、軽く言ってくれるよね」


 特に苦戦なく勝てた、とはいえ命のやり取りを通して少なからずの疲労感がある。それを承知していないはずもなかろうに、いや、承知しているからこそシスは先を急がせる。これが彼女なりのちょうどいいスパルタ具合なのだろう。有無を言わさないケツの叩き方に結局のところ僕は反論も浮かばず、唯々諾々と次の標的探しを始めるのだった。



◇◇◇



「何をやっているのかと思えば。やっぱり正気じゃなさそうだなー、あの子」


 周辺において一際背の高い木の上。バランスの悪いそこでも直立不動の姿勢を崩さない、驚異的な体幹の良さを発揮しながらミーディアはそうぼやくように言った。片手の指で円を描き、その中を望遠鏡でも覗くようにして確かめているのは森を一人彷徨うライネの様子。常人の視力では影すら見えないような遠方にいる彼の仔細を、ミーディアはしかとその目で捉えていた。


「でも面白い。どういうカラクリなのかな?」


 十日前、出会った当初のライネは確かに魔力の扱いを知らない、どこからどう見ても非魔術師でしかなかった。そこはミーディアもエマと意見を一致させているし、より長く行動を共にしていることもあってエマ以上の確信も持っていた。己が見識には絶対に近い自信を抱いてもいる、だというのに現在のライネは魔力を操れている。それも、下級とはいえ魔物を単独で屠れる程度には上等にだ。


 言わずもがな、まったくズブの素人が十日でこのレベルにまで達するなどまず考えられないことである。魔力及びに魔術がそこまで簡単な代物ならば誰も苦労しない。つまりライネは、ミーディアを始めとするテイカー諸君の常識からしてあり得ない成長の仕方をしていることになる。


「現実味を帯びてきたじゃん……テイカー試験の合格」


 山犬を倒せたところでテイカーの最低条件にもならない。ライネに告げた言葉に嘘はなかったが、しかし約束の期日まではまだ二十日ある。十日でこれなら、合計三十日が経過したとき。果たしてライネがどれだけのものになっているか。それを純粋に楽しみに思ったミーディアは修行の邪魔はすまいと成り行きを見守ることにした。


 たとえ大望果たせず道半ばで死んだとしても、それはそれ。少なくとも自分が期日までにライネを助けることはないだろうと、どこか客観的に彼女はそう考えた。



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