79.再出動
カモフラージュしていたのだ。ユイゼンが地上より氷竜が目に付かぬように工夫していたように、氷竜の進路上のどこかにあった砲台。イオが用意したと思われるそれにも魔術師や魔物から発見されないようにとなんらかの隠蔽が施されていたに違いない。自分たちが来た方向から砲弾が発射されたことでライネはそれに気付いたが、しかし今更のことだ。
発射前に砲台を見つけられたなら。その発射に人の手が必要であるのあなら傍にいるであろう誰かを倒すことであるいは発射そのものを止められたかもしれないが──止められたのならそれが何よりだったのだが、事はもう起こってしまったのだ。
今になって砲台を探しに引き返すことに意味はない。その場にまだ人がいるとも限らない上に、砲弾が撃ち出されてしまった以上は協会本部こそが鉄火場だ。そこには確実にライオットやイオがいるに違いないのだから、ライネが目指すべきは変わらず本部である。
ユイゼンも同じ考えなのだろう。フロントラインとは別の組織が魔石から作った砲弾と砲台で本部の結界を壊そうとしている。その情報はメリオスより共有されており、たったいま横を通り過ぎていったのがその件の砲弾であろうことは察しつつも、ちらりとも後ろ髪を引かれることなく氷竜を前へ前へと動かす。いるかもわからない敵を探しに戻るよりも、ここは急ぎ本部へ助勢すべき。と彼女は考えるまでもなく結論したのだ。その無言の決定にライネは無論のこと、コメリも異を唱えずに従う。
果たして氷竜が大都の敷居を空から跨ぎ、やがてその中央部のこれまた中心地に建てられた協会本部の建物を視界に収め──三名は、特にライネはその顔付きを険しいものとした。
本部本館。最もテイカーが集まる場所。
そこには大穴が空いていた。
◇◇◇
「まず知らせておかねばならないことがある。時間もないので手短に伝えさせてもらう」
オルネイの唯術【標点】によってまとめて帰還したミーディア一行には、死亡者も含めた戦闘続行が困難な者たちをマーゴットの待つ治療室へ押し込めた後、ひと息をつく間すらもなく次の作戦行動についてグリンズより通達が行われた。
帰還者で場にいるのは深い傷を負ってはいるが命に別状のないオルネイと、軽傷のイリネロ、無傷のミーディア。それから傷こそないがアイアスの魔力譲渡弾を受けた副作用で現在魔力が上手く練れない状態のアイナとモニカ、この五名だけだ。アイアス曰く限界時間まで作用していないこともあって両名の復活には三十分もあれば足りるとのことだったが、しかし魔力が戻ってきたとて流石にこれ以上の参加を認めていいものかどうかグリンズには、そして彼の傍らに立つガントレットにも迷いがあった。
「先刻シオルタ支部からライネ君を保護したとの連絡があった」
「!」
シオルタ。ルズリフよりも大都に近い、それなりに発展した街の名だ。そこには確か本部からの勧告という名の懇願を半ば振り切る形で大都から移住したS級の最古参もいるはず。その知識を持つのは室内の現場員ではオルネイだけだったが、大都との地理関係くらいなら──些か常識に疎い面のあるアイナを除き──誰もが存じている。
そこにライネが? シオルタのどこかに捕らえられていたのか、それとも逃げた先にたまたまあった人里がシオルタだったのか。彼の身は、無事なのか。特にライネと縁故のある少女たちが顔色を変え、今にも質問攻めが始まりそうな気配を敏感に感じ取ったグリンズは片手を上げて落ち着くようにとそれを制した。
「ライネ君は傷ひとつ負っていないし受け答えもしっかりしている。本人確認も取れた、とのことだった。その点に関しては安心してくれていい。──問題は彼から寄せられた情報の方でな」
まだいくらか猶予があると見積もられていた協会本部への直接攻撃。それがなんと今すぐにでも行われるかもしれない、という確定ではないものの全テイカーに緊張を強いる情報。それ以上に衝撃なのが、上座や本部所属の協会員による精査を待つまでもなくその報告が正しかったと判明したことだった。
「つい先ほどだ。本部の魔石結界が破られ、内部に賊の侵入を許したと報告が入った。……確認されている賊の人数は極めて少数だが、既に多くの被害が出ているようだ」
岩のように硬い声音で、自身が持つ専用の本部直通の端末。著しい緊急時にしか使用されないそれから知らされた信じたくない「事実」をグリンズが口にする。五人の反応は様々だった。しかし言葉を発する者はいない。もはや問答にかける時間もないと誰もが理解したからだ。
「諸君を呼び戻したのは本部へ応援に向かわせるためだ。──大変な任務の直後に頼めることでないとは重々承知しているが、それでも頼む。襲撃の報を最後に本部とのコンタクトが取れなくなっている。動ける者だけでも動かすべきだと私は判断した」
オルネイから連絡用にと渡された棒手裏剣で「即帰還せよ」の合図を送ったのは、無論のこと帰還困難な状況にあるのなら無理を押して帰ってこずとも良い、という配慮も込みでのものだった。現場の戦況をこちらから知る術がない以上全てはオルネイと、後から支部を出発したリーダーのエイデン。彼らがどういう判断を下すか次第であった。
だがグリンズの予想に反してそう待たされることもなくオルネイの唯術に見られる空間の歪みが室内に現われ、そこから一同が顔を出した時。彼はもうひとつの予想外に打ちのめされる結果となった──エイデン・ギルフォードの敗北、そして死亡。
同じく戦死したロドムや、現場員としての復帰が困難と見られるロールマン。取り返しのつかない被害を受けた二人を悼む想いもあるが、けれど何よりグリンズを動揺させたのはやはりエイデンという我が子にも等しい存在の喪失であった。
見誤っていたのだ。フロントラインの実力を? いいや違う、「組織」としての敵の強さは上座やグリンズが想定した範囲を出ない、実力者揃いではあっても「どうとでもなる」程度の戦力しかなかった。測れていなかったのはただひとつ、一度もその強さを協会側に観測させなかったライオットという男。フロントラインの頭目らしきその一個人だけが、あまりにも突出していた。想定の範囲の遥か外、まるでS級の如き埒外の実力を有していた。
ライオットさえいなければフロントラインは全滅していた。少なくとも魔石回収に乗り込んできた人員は一人残らず敗北し、死亡ないしは捕縛されていたはずだ。しかし現実は、幹部クラスと見られるメンバーの中でも特に組織として重要度が高いと思われる大男「ギド」と空間系術師「メグ」がおそらく無事のままに逃れている。ライオットと合わせてこの三人だけでもフロントラインの脅威は未だ健在だと言えるだろう。
敵を二人は倒せた。更にもう一人、シオルタでライネが幹部を倒している。──たったこれだけの戦果を喜べはしない。喜んではいけない。S級テイカーを失った。それはこの先の影響が計り知れないほどの損害であり、また補填の見通しもまったく利かないが故に。
「あり得べからざることだ。S級が敗北するなど。S級に勝てるアンダーが存在するなど、あり得なかったことだ。これまではそうだった──しかしエイデンは負けた。誰よりも強いと自負する男が、それを周囲にも信じさせてきた最強が、差し違えることもできずに命を落とした。現場で何があったか詳細を聞いてもまだ信じられん。あいつが、死んだなどと……私には」
常識は覆されるためにある。とは言うものの、協会の絶対性の一因でもあったS級という単なる魔物狩り等で動かすには過ぎた力を持つ途方もない戦力。その一角が崩れるなど……それも単純な戦闘力で言えばS級でもトップと目されていた男が「力負け」するなどと、二重三重の意味でグリンズにはどうしても信じ難かった。
勿論オルネイたちの報告を疑わっているわけではない。その真偽を訝しんでいるわけではなく、ただ純粋に……グリンズには想像がつかないだけなのだ。エイデンの敗北する姿というものが。
情けなくも声が震えそうになるのを努めて抑え、グリンズは続ける。
「恐ろしいと、心から思う。S級を超えるアンダーがライオットだけではないかもしれない。それが私には本当に恐ろしい」
魔石を奪うグループに当初ライオットが含まれていなかったこと。そしてほぼ同時に行われている本部への襲撃に、おそらくは高確率でライオットが参加していること。それらを踏まえれば現在本部を襲っている者たちはその全員がS級クラスである可能性も決して低くない。少なくともこの考えるだに身震いするような推測を否定する材料は、どこにもなかった。
「私たちは二度も後れを取った。そのせいで今、瀬戸際にまで追い詰められている。ここで押し込まれれば崖下まで直下だ。協会は滅び去る、そう思ってくれて構わない。それだけの危機に陥っているのだと認識してくれ」
だから恥も外聞もなく、責任者としての責務を果たせていない自覚を持ちながら頼むしかないのだ。傷付いた戦士たちにまだ戦ってくれと。また立ち上がってくれと。どうか協会を守ってくれと。長らく前線から遠のきもはや戦士としての力を失っているロートルは、ただそうやって頭を下げる他にない。
「諸君の力と命を、今一度貸してくれ」
専用端末が報じたのはあくまでも協会本部に襲撃があったというその一点のみ。増援を寄越すようにと指示があったわけではないが、しかし事態を知った支部はそのほとんどが──手段を有しているかはまだ別として──人員を選定し、本部へ急行させようとしていることだろう。
ルズリフ支部にはオルネイという戦力を届けるにこれ以上ない人材がいる。惜しむらくは彼自身が怪我のためにまともには戦えそうにないことだが、だとしても【標点】は支援として便利だ。送り出さない手はなく、ならばそれに伴って他戦力も追随させる判断は適切と言えた。
無論、その行為がオルネイも含めて「死地へ送り出すようなもの」である点に目を瞑れば、であるが。しかしこれはグリンズだけでなく支部長であるガントレットの決断でもあった。
「今回は俺も出る。支部長としては新参のペーペー、気分としちゃまだまだ現役の現場員だからな。過去に例のない窮地、久々に命張るのに不足はねえ」
グリンズとは違い、事務員に転職していながらまだ戦士側である意識が強いからだろう。慌てることも騒ぐこともなく、むしろガントレットは強い死の予感にワクワクすらしているように見受けられた。それはテイカーとして命を懸けねばならない場面において最も相応しい、お手本のようなメンタルだ。
尻込まず、かといって過度に興奮することもなく。ベストのパフォーマンスを引き出せる精神状態。今の彼は言葉通りに支部長ではなく一人の戦う者でしかないのだろう。
戦意を滾らせたままに「だが」とガントレットは言う。
「何も俺と一緒に死ねとは言わねえ。戦れる自身のある奴だけでいい。死ぬ気で生き残れる自信のある奴だけ、だ。でなけりゃ足手纏いにしかならねえからな」
きっぱりと言い切る。これはガントレットなりの優しさでもあった。こう聞いて少しでも臆したり、今の自分では役者不足だと思うようなら、ついてくるべきではない。ついてきては本当にただ死ぬだけになってしまう。
本部を襲うということは即ち、支部の人員とは比べ物にならない数のテイカーをまとめて、それも残りのS級までも相手にして勝てると。その算段があるからこその蛮行だ。今本部は地獄の有り様となっているだろう。そこはまさに赴くとなれば誰であろうと命の保証がない最前線。
「どうだい。向かう前にきちっと線引きをさせてくれや」
「……私は行きます。ですがお二人のお勧め通り支援に徹し、こまめにこちらと往復しようと思っています。状況が許すようであれば要救護者を運んでも構いませんか?」
「元々そのつもりでマーゴットには言ってある、是非そうしてくれ」
「了解しました」
静かに頷いたオルネイに続き、ミーディアが腰の剣へ手をやって口を開いた。
「行くよ。皆と違って万全なんだから行かない理由がない。仮に向こうにいる敵が全員ライオット級だとしても、私なら確実に時間稼ぎできるしね」
敵を引き付け、自身に釘付けとする。それができれば本部の被害を抑えつつ他支部からの救援も間に合わせられるかもしれないのだから、時間稼ぎには大いに意味がある。
大なり小なり消耗している他の面々と違って唯一大した疲労すらも残していないミーディアは、強敵との対峙によって分泌されたアドレナリンが未だに収まっていないことも合わせてコンディションは最高潮。
いくらでも戦える、とその眼差しが語っていた。




