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78.手本

 唯術【念力】。それを持つA級テイカーのコメリは手足を使わずに任意の物を任意に動かすことができる。その「物」は生物・非生物を問わず、また自他も区別しない。本人の認識としては対象そのものに作用しているというよりも、対象を見えない力で掴み、動かしたい方向へを引く感覚だ。


 大き過ぎたり重過ぎたりして術の行使が上手くいかない場合を除けば概ねそのイメージ通りに物体は独りでに動いてくれる。勿論、彼女の魔力が作用している時点で独りでという表現に正確さはないが、あくまでコメリの内々の世界ではそうなっている。


 放り投げた物が放物線を描いて離れた場所へ落ちる、物理的な自然現象と同じ。線を引けばそれに沿って──速さや距離に彼女の恣意が深く関われども──勝手に移動する。


 そういう使い方がコメリには最もしっくりくる。


「よっ、と」


 まずは軽く自分を含めたこの場の三人を宙へ浮かせた。これは短く上へ引いた線をそこでぐるぐると回す意識だ。そうやって一旦滞留を挟んだ方が、長い距離を素早く動かすには都合がいい。これもまたコメリの認識上のこと。経験によって培った効率のいい術の扱いであった。


「上へ参ります」


 滞留、からの射出。強く空に向けて線を描く。それに従ってコメリ、ユイゼン、ライネは揃って立った姿勢のまま上空へと飛翔した。


 彼女らがいたテイカー支部の屋上はここら一帯で突出して高度の高い場所だ。故にそこから空へ飛び上がるのは、頭上が人間の死角であることも合わさって人目には付きにくい──が、絶対に目撃されないとも限らない。なのでこれは魔術の隠匿が義務付けられているテイカーにとって決して褒められた行為ではないのだが、しかし今は先を急ぐ緊急の時。


 ユイゼンが支部の壁を登ることでショートカットを行なったように、大目に見てほしいものだ。それに一介のテイカーがS級からの要望を断れもしないのだから……とユイゼンに言われるがままに唯術を使いながらコメリは言い訳めいたことを考える。


「高さいっぱいです。後はお願いします、ユイゼンS級」

「あいよ」


 人を三人運び続けるのは、コメリには少々荷が重い。瞬間的に巨大な物を動かすよりもそこそこの重さの物を長時間だらだらと動かす方が彼女にとっては負担になるのだ。なので、目立たぬように上空まで移動して以降はユイゼンの出番であった。


「【氷天】」


 手を組んだユイゼンの足の下に出現した氷が三名全員を地上から覆い隠すように広がった。急激に体積を増加させながらもそれは術者の意思の下に明確な形を得ていく。──ドラゴン。氷で出来た巨大な竜が、三名を背にして羽ばたく。その当事者でありながらライネは呆然とするばかりだった。


「こ、これがユイゼンさんの術……ですか?」

「そうだよ。あんたと同じ氷系統だ。系統、なんて言ってもテイカー生活五十五年。あたし以外の氷の唯術持ちに会ったのはあんたが初だけどね」


 という言葉も果たして耳に届いているのかどうか。かなりの速度で空を行く氷竜。それから感じられる力強さや魔力の濃密さ、そして生物的な躍動感にライネは心を奪われている様子だった。強大にして精緻な術。自身と同じ「氷を操る唯術」でこれだけのことを可能とするとは……そう驚くしかない彼に、ユイゼンは続けて。


「氷の屈折率を調整して下から見る分には空しか映らないようになってるから安心おし。魔術師だろうと相当に感知力に優れた奴じゃなきゃあたしらの存在には気付かんさ」


 その説明を受けて初めてライネは都市の上空を竜が飛ぶことの異常性、その目立ち具合にようやく思い至ったようだった。普段なら根っからの小心者である彼のこと、いくら本部へ急ぐためと言ってもここまで人目を引く術を街中──いやさ街の遥か上空を指して「街中」と称するのが適切であるかはさておき──で使ってしまってよいものかと不安に駆られていただろう。


 しかしそんな心配も元より無用のもの、ユイゼンは人目対策もしかと組み込んで氷竜を作った。「屈折率の調整」なる自分には思い付きもしなかった、思い付いたとしても実行は不可能であろう卓越した技巧によって、だ。


 ますますライネの目は皿になる。年若い者から隠されもしない尊敬の眼差しを向けられて、けれどユイゼンは泰然と竜の進行方向だけを見据える。


「ぼさっとしてんじゃないよ坊や。コメリを見習いな」

「え……」


 言われてコメリを見てみれば、彼女は竜の尾側を向いて物静かに佇んでいる。その姿にライネはハッとした。


 竜はあらゆる障害を飛び越えて一直線に本部へと向かっている。その軌道は勿論、街とそれを繋ぐ街道に沿っている人香結界をなぞらない。既にシオルタの範囲から抜け出ている彼らは現状、魔物の寄り付かない結界の外部に在することになる。つまりいつ魔物の襲撃に見舞われてもおかしくない状況にあるということだ。


 空を飛ぶ魔物は極端に少ないが、ゼロではない。そして天然の魔力生物である魔物は魔術師ヒトで言うところの唯術でしか叶わぬような挙動・特殊能力を自前の機能として所持している個体が大半だ。中には飛行能力だけでなく隠密に長けた種類だっているかもしれない。そしてそれが今この瞬間にも不意の来襲を果たすかもしれない。


 そういった起こり得る事態ピンチに備えてコメリは竜の操作主として前を向くユイゼンの背後、死角を預かる心積もりで背を向けて集中しているのだろう。隠形の敵も見逃さぬよう、いつでも撃退できるようにと臨戦態勢を取っているのだ。


 そう理解して息を呑んだライネに、後ろの会話を聞いていたらしいコメリが振り向いて言った。


「いえ。足が冷えるなぁ、とぼんやり思っていただけです。街の方を見ていたのは三日前から後回しにしていた任務報告書を書かないまま出てきちゃったなぁ、とそれが気掛かりだったものですから」


 今日こそは書いて出すってメリオス支部長に約束してたんですけどね、などと宣う自らの後輩にして新人ライネの先輩にあたるテイカーに対してユイゼンは盛大なため息をついた。


「コメリ。これでもあたしゃあんたを買ってるんだ。A級らしくおし」

「ユイゼンS級がいらっしゃる場でA級如きが偉そうにはできませんよ」

「あたしに恥ずかしい思いをさせるなと言ってるんだよ。ほら、警戒!」

「りょーかいです」


 なんとも気の抜けるやり取りではあったが、何もコメリも本当に氷竜の背の底冷えやらやり残してきた報告書やらに気を取られていたわけではないだろう。では、どういうつもりでC級の少年の前で道化役を演じたのか。それは定かではなかったが、少なくともユイゼンとコメリが単に同じ支部にいるテイカー同士というだけでなく、それ以上に親しい間柄であることはライネにもわかった。


「何が来たって大概はあたしとコメリでどうとでもできるがね。けれど対処に時間を奪われるってこと自体がよろしくない。坊やもテイカーらしくするんだよ」

「は、はい」


 つまり頼りになる先輩と一緒だからといって全て任せ切りにはするな、ということだろう。それはまったくもって正しい理屈であるためにライネは頷き、氷の術師として遥か先を行く先達へあれこれと訊ねたい気持ちをぐっと抑えて自身も魔物の接近に警戒する。


 ユイゼンが前方、コメリが後方を見張っているので、彼が担当するのは左右だ。下方に関してはユイゼンが言ったように氷内の屈折率操作による光学迷彩めいたカモフラージュと極限まで静かに編まれた術という二重の隠蔽により、視覚的にも魔力的にもほぼ完全に「見えなくなっている」ので元から考慮する必要がない。


 この布陣における唯一の穴と言えるのが上方だが、けれどこれまでに人香結界の限界高度を越える高さを飛ぶ魔物は観測された試しがない。ので、その高度を飛んでいる氷竜よりも更に上から襲撃される可能性は限りなく低い。


 要するに穴などない。未開域をここまで安全に移動できるのは、言わずもがなユイゼンの超絶的な技量に寄るところが大きい。移動に適した唯術持ちであっても同じだけの安全性の確保はなかなかできることではなく、それでいてユイゼン自身の術理はあくまでも「氷を生み出し操作する」というもので、本来は移動に向いたものではないのだから凄まじい。


 ライネはシスの優れた感知にも手伝ってもらいながら言われた通りに周辺を見渡しつつも、どうしても考えを巡らせるのをやめることができなかった。


(生き物の形にする、っていう発想。後々の操作のことを思えばこれは確かに効率的かもしれない。氷鱗は我ながらいいアイディアだと思っていたけど氷竜これは明らかにそれ以上の発明だ)


 こんなに巨大な氷の塊が滑らかに、なんの歪みも軋みもなく、まさしく一個の生物の如くに躍動している。なのにそこから感じられる魔力がちっとも荒々しくなく、まるでごく簡素な術のそれにしか思えないというのは、あまりにも常軌を逸している。魔術の常識や法則に反しているとしか言えなかった。しかも、生成速度もまた異常。


 年季の差。だけでなく、才覚の差。ユイゼンと自分の間に谷の如くにその深く長い溝が横たわっている。そう思わざるを得ない──ところだった。つい先日までのライネならば。


(良いお手本だ。氷鱗の開発で僕も氷の操作に関してはぐんと腕が増した自覚がある。竜みたいな規格外は無理でも、そう。現実にもいる、サイズもそう大きくない生き物を模倣すればきっと──)


 手本を目にしたとはいえ空想上の怪物を生み出すのはいくらなんでも難しい。試すまでもなく現在の自身の許容を超える術になるとわかる。だが、キャパシティさえクリアすれば。スケールさえ落とせばユイゼンと同様のことが自分にも可能だとライネの感覚は訴えていた。


 周囲へ目を走らせる彼の視界に、ふと斜め下。竜よりも随分と下を飛ぶ鳥たちの群れが入ってきた。


 その速度、翼の動かし方をじっと眺めて確信はより深まる──できる。そして一度術として確立さえしてしまえばその難度は氷鱗よりもずっと容易いものになるだろう。そういう予感が、否、それ以上に確かな実感があった。


 今すぐ試してみたい。が、ユイゼンからの指示に逆らうわけにはいかない。今ここで新術の練習なんて真似をするのはS級、A級の先輩たちを舐め腐っていると取られてもおかしくない、というよりそう思われて当然の蛮行だ。またまた逸る気持ちをぐっと抑え込んで、しかし手の内にある感覚だけは手放さないようにして警戒を続ける彼を、そっとユイゼンが瞳だけを動かして見ていた。


(ほう、あたしの術を見ただけで何かを掴んだかい。なるほどねぇ……要らん情報まで書かれるわけだ)


 ルズリフ支部が作成した被害報告書においてライネは唯一の行方不明者として、他の被害者や任務参加者以上に詳しく人相や唯術の種類、そしてその将来性に関してまで掲載されていた。


 発見の一助となるように、という配慮だけが理由なら本人確認のためにも唯術の情報までならともかく──因んでおくと唯術とは魔術師にとって最も重要な生命線のひとつであり、仲間内であってもおいそれと広めるようなものでもない──ルズリフの支部長のものであろう個人的な見解まで書き加える意味はない。しかし今ならその注釈が付け加えられたのもよくわかる。


(確かに有望だ。つい数ヵ月前に魔術を習得した子供としてはあり得ない。常軌を逸しているとしか言いようがないね、この坊やは)


 奇しくもライネがユイゼンの技術に対して抱いたのと同じ感想をユイゼンもまたライネへ持った。彼女ほどの魔術師ともなれば戦わずして相手の力量、魔術の練度というものを高精度に見抜ける。その観察眼が映すライネという少年は──一言で言えば「よくわからない」。


 身に宿す魔力の淀みなさから新人らしからぬ実力を有していることは察せられるが、逆に言えば海千山千の経験をしてきているユイゼンをもってしても判ぜられるのはその程度。


 だからこそ、だ。


 自分ですらも正しく見通せない何かがライネにはある。その事実だけでもユイゼンによっては充分であった。


(危ういね。あたしの体験上、こういった手合いは何かの拍子で──)

「ん?」


 最初に気付いたのはユイゼンだった。


 S級というともすれば空想生物ドラゴンよりも規格外と評されるに相応しい地位にいる彼女が、その評価に違わない鋭さによって五感でも魔力感覚でも気付きようもない段階から第六感によってその接近・・を感知。遅れてコメリが、そしてそれとほぼ同時にライネ(シス)が氷竜の後ろから途轍もない速度で迫ってくる正体不明の物体を確認。


 三者は揃って戦闘体勢に入った。が、しかし。


 回避行動を優先するために止む無く速度を落とし、進路を変えられるようにと備えた氷竜の遥か左方を虹色・・に輝く巨大な何かが一瞬にして通り抜けていった。狙いは自分たちではない。そう気付いた時、既にこの場所が大都の目と鼻の先であることを知っているユイゼンが舌打ちと共に言った。


「アレは本部行きだね」


 氷竜の速度を上げ直した、その直後にライネたちの耳にも届くほどの凄まじい撃音が大都に響き渡った。



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