76.聞きたくなかったこと
姿見の水晶。ガントレットもテイカー試験前の面接で用いた協会秘蔵の嘘発見器(この言い方が本当に正しいのかはよくわからないが)によって僕が本物の「ライネ」であると確認が取れてからは、メリオスは迅速果断だった。何を置いても本部へ僕がもたらした情報を報告することを優先し、それ以外にもやらねばならないことがあると途端に忙しなく動き始めた。
で、そういった支部長だからこそ可能となる対応を彼に任せている間に僕は何をするかと言えば、待機である。……うん、待つだけ。それ以外にできることがない。
事態が事態なだけにここでも焦れる思いは募るばかりだが、まさかシオルタ支部を飛び出して一人で本部のある大都にまで向かうわけにもいかない。そんな真似をして輪を乱すのはせっかくまともに取り合ってくれたメリオスやビリオの顔に泥を塗る行為に等しい。
《しっかり釘も刺されましたしねぇ。おそらく捕らわれの身から敵幹部一名を殺害して脱走を遂げた、という部分で彼らはあなたのことを多少ならずとも向こう見ずな武闘派だと捉えているのでしょうね》
僕もそう感じた。退室する直前に告げられた「君に会わせたい人がいるからくれぐれも大人しく待っていてくれ」というセリフからはこちらの暴走を危惧している気配がありありだった。最低限の伝達も終えたからには、と本気でたった一人本部を目指してもおかしくないと思われたのだろう。
突飛な誤解を受けている……とも言えないんだよな。連中のアジトから逃れるにあたって僕が無茶をしたのはその通りだし、もしもメリオスからの信用を得られなければなんとしかてこの支部からも脱走し、別の街の支部もしくは直接本部へ赴くことも視野に入れていたのだから彼らの危惧も決して的外れではない。
無論これらは、戦闘なくしてライオットたちの手からは逃れられなかったが故の無茶であり、フロントラインの──そしてイオの企みを阻止するには本部へ正確な現状というものを伝えないわけにはいかないが故の行動指針であり。つまりは必要に迫られてやっているだけであって何も僕自身が無鉄砲な行動を好んでいるわけではないのだが……まあそれをメリオスにわかれと言ってもそれこそ無茶なので、甘んじて見張り役として傍にいるのだろうビリオの光る目を受け入れるしかあるまい。ちょっと納得はいかないけどね。
「本部はメリオスさんの言うことを信じてくれるでしょうか」
「……それは、難しいかもしれないな。私たちだって確証があるわけではない、言うなれば可能性の危険を知らせるわけだからね。そうなると知らされた側の対応としてはどうしても中途半端なものにならざるを得んだろう」
まさに難しい顔付きでそう答えたビリオは、続けてこうも言った。
「だが私たちがそうであるように、決して無視もできないはずだ。一笑に付すには君が語った内容は重過ぎる」
襲撃の懸念を本部の偉い人たちも抱いていたというのだからなおのことに、か。でもそれは一から十まで僕の伝えたことを鵜吞みにする理由にはならない。
本部が得られるのはフロントラインが協会そのものを崩そうとしているという確信であり、どのタイミングでそれが実行されるか、またどうやってその手筈を整えようとしているのか、それらを僕の言葉だけで断じる真似はしない。というかできないだろう。
なので、もしも本部がメリオスからの報告を最大限に重く見たとしてもその対策のみに振り切ったりはしないはず。かと言ってなんの備えもしないわけにもいかない……ビリオが言う中途半端とはそういう意味だ。
備えようと思ってもらえるだけ完全な不意打ちをされるよりはずっとマシだと思うべきなのだろうけど……できれば手早く大都周辺の捜索を行なって、襲撃自体を起こさせないようにしてほしいところだ。
《それも難しいでしょうね。協会には強力な魔物を探知する技術があるようですが、それがイオの用意する砲台と弾に反応するとは思えません。当然、探知対策くらいはしているでしょうから。そうなると人海戦術で直接発見するしかないわけですが……いくら本部所属のテイカーが数多くいると言ってもそれだけの人員を割いて手隙にしてしまってはそれこそ敵方の思うつぼ。絶好の攻め入るチャンスを与えてしまうことになります》
それは、リスクが大きいな。決行前に見つけられたら一気に有利に立てるが、人が出払った状態で魔石結界が破られてしまったらもはや無血開城も同然だ。ライオットが狙っているのは末端の構成員ではなく協会を動かす──確か「上座」とか呼ばれていたっけ──上層部の命に違いない。それをむざむざと許す事態になっては大変どころの騒ぎじゃない。これは協会には負えないリスクだ。
となると厳戒で守りを固める、がやっぱり正解なのだろうか? 協会が思いもしていなかったタイミングで襲われることはなくなったのだからそれだけでも良しとして、それ以上を求めて欲張らない方が選択としてはベターなのかもしれない。捜索を逆手に取られてはある意味で不意打ちよりもよっぽど危機的な状況に陥る。そんなことがわからない上層部ではないだろうから──しかし、その「常識的」な判断は敵側にも筒抜けになる。
《ま、どちらにしても裏をかかれるリスクはありますよね。あなたの脱走によってライオットもイオも自分たちの計画が協会に伝わったことはわかっているわけですし。どうも守りを固めるのに忙しくて打って出てこないようだ、と見抜かれたら悠々と襲撃の手筈を万全以上のものに仕上げようとするでしょうねぇ》
それはそれでマズい事態か……そうなってくると僕が情報を伝えたことが間違いだったんじゃないかとすら思えてくるが、そんなはずはない。それはさすがにネガティブが過ぎる考え方だ。ライオットもイオも止める。あの二人を好きにさせては信じられない数の死者が出る。それがわかっているのだから、そうさせないためにも。僕だって選択は誤れない。いや、選んだ選択肢を正しいものにしていかなければならない、と言うべきか。
とにかく報告・連絡・相談という組織が欠かしてはいけないものをひとまず満たせはしたのだ。あとはメリオスの決断と「会わせたい人」とやらを待って、それからその後の行動を彼らと共に決めよう。
そう決めて深く呼吸し、心を落ち着かせる。惑ってはいけない。初志貫徹、僕は僕のできることを精一杯にやる。それだけだ。
「待たせた」
と、僕とビリオが並んでソファに座っているところへメリオスがやってきた。各所への連絡は済ませたようで、渋い顔付きながらに先ほどよりもゆったりとした雰囲気を見せている。
「どうだったね、兄さん」
「うむ、感触は悪くない。ただし特別態勢まで敷くかというと微妙なラインだな。ルズリフ支部にも報告を入れて向こうの支部長との連名の嘆願という形式にしたのだが、口頭のやり取りだけではどうにもな……」
そこでちらりと彼は僕の方を見た。言いたいことはわかるつもりだ。いくら姿見の水晶を用いたという前提があっても、僕の訴えを対面で直に耳にするのと又聞きするのとでは受け取り方に差が出るのは当たり前である。僕もできることなら直接上層部、それも最高意思決定機関であるという上座へ談判したいくらいだ。
「ライネ君。本部も君の話を聞きたがっている。仮に直近の襲撃がなかったとしても、フロントラインという久しく現れていなかった悪質なアンダー組織を確実に根絶させるためにも君の証言は重要だからな」
「お呼びがかかっている、ということですか」
「ああ。それも可及的速やかに、だそうだ」
そう言われて困惑を隠せない。いや、言われずとも本部へ向かう気は満々だったのだ。それをあちらからも招いてもらえるのであればこれまた話が早くて助かるというものだが、しかし可及的速やかになどと言われても。
そりゃあ僕だってなるべく早く到着できたらとは思うが、シオルタから大都までは決して近くないようなので移動手段は精々がタクシーか、決められたルートだけを走る長距離移動用のバスくらいだ。
この世界では人香結界で守られている範囲で生活圏が成り立っているためにその高度の外に出てしまわぬようにタワーのような高い建物はないし、航空機というものも発達していない。空を飛ぶ魔物はどうしてかほぼいないようだが皆無ではないために危険を避けるならそうもなろう。それに街道でしか街と街が繋がっていないために鉄道の類いも広大な面積を誇るという大都の敷地内でしか運行されておらず、つまり何が言いたいかと言えば、離れた都市間の移動にはどうしたって時間を要するということだ。
タクシーにしろバスにしろ、あるいはシオルタ支部の移動車を出してもらうにしろ、短時間での到着はどのみち無理だ。だからこそ僕も自制が利いてこうしてメリオスからの言葉を待ててもいたわけだが……。
《交通手段を利用するより走った方がよっぽど早く辿り着けるでしょうね。とはいえ、戦闘を見据えているというのに移動の段階で魔力や体力を消耗するのはナンセンスですが》
まったくもってその通りだ。だからこそテイカーだって基本、任務地へ赴くには移動車を使うのだから。長距離移動に適した唯術でも持っているならともかくとして、言わずもがな僕はそういったタイプの魔術師ではない。
本部はどうしろと言っているのか。と戸惑っていると、メリオスは訳知り顔で頷いて言った。
「まずは屋上へ行きなさい」
「お、屋上ですか」
「ああ。そこで会ってもらおう」
◇◇◇
有無を言わさぬメリオスの言葉に従い、普段は開放されていないというシオルタ支部の屋上にまで上がった。傍らにいるのは引き続きビリオ、ではなく、新たに紹介されたこの支部には二人しかいないというA級の一人、まだ若い女性であるコメリだった。
「もう一人のA級は任務で出払っています。ちょうど良く」
「ちょうど良く?」
「はい」
よく意味のわからないことを言いながら彼女は僕ではなくシオルタの街並みを見ていた。明らかに年下で等級もふたつも下の僕に対して丁寧な言葉遣いをしてくれてはいるが、なんだか癖のある人だな、とこの短い間にもそれがよく伝わってきた。まあボクが知っている限り癖のないテイカーなんて誰一人もいないんだけど。
《常人には持ち得ない感性というのも優れた魔術師の素質の内ですからね。例に漏れず、彼女、強いですよ。ルズリフの大半のA級たちと比較してもなんら劣らない程度には……いえ、あるいは彼女の方が優れていると言い切ってしまっていいくらいには》
……テイカーの等級は強さだけで決まるものではない。それは逆に言えば、どんなに強くてもその強さに見合った等級にいない例もあるということだ。このコメリという女性が必ずしもそうだと決めつけるつもりはないが、しかしシスの言う通り、何気なく風景を眺めているだけの姿からも只ならぬものを僕も感じている。
「私は隠し事を好みません」
「え?」
気付かれないようにそれとなく観察していたつもりだが、それを咎められたか。とギクリとしたがどうもそうではなく、こちらへ視線を向けた彼女は深い海を思わせる瞳のままに──。
「ルズリフ支部からはかなりの数の死者が出ています。その中には、あなたとチームを組んでいたという少年二人も含まれていますよ」
「……!!」
今僕が一番聞きたくなかったことを言った。
ぐらり、と平衡感覚が揺らいで視界が黒く染まりかけた。僕とチームの少年二人。それは、その情報は、間違いなくザッツとギルダン。彼らを示すもの。
死者。フロントラインが出した犠牲者の中に、彼ら二人も含まれている? ──助から、なかったのか。
《……帰還できたのはモニカだけ、ですか。全滅しなかったことを幸いと言っていいのかどうか。彼女も相当に傷付いていることでしょうね。体が無事だったとしても、その時は余計に心こそが》
冷静に、やはり僕以外の被害については他人事に。淡々と語るシスの声が今は逆に良かった。モニカの無事という、その点だけで見るなら喜ばしい事実にまで思い至らせてくれたからだ。けれどただ喜ぶことなんてできやしない。モニカだって五体満足でいるとは限らないし、仮にそうだとしても心に負った傷は深刻だろう。「その場面」を目にしていない僕と違って彼女はおそらく二人を見送っているのだ。
ザッツとギルダンがもうこの世にいない、その実感がまだない僕とは違って──。
「……っ」
しょげている場合ではない。ショックに打ちのめされてなどいられない。
気をしっかり持つのだ。シスのように冷静に、だけど感情には蓋をせず。
二人に仇を取るためにも、僕は。
意識して強く。ぐっと拳を握り込んだ。