7.実践
人殺し。声が告げたそのワードに、否応なしに僕は反応してしまう。
「知っているのか。僕の過去を」
《むしろ知らない方がおかしいでしょう、私はあなたの中にいるんですよ? 一心同体であり運命共同体。あなたを助けるのが私の使命なんですから、あなたが過去に犯した所業だって当然に知り得ていますとも。ねえ、殺人犯さん》
「…………」
《あなたの行いは結果的に多くの人間を死なせました。直接手にかけた数人だけでなく、あの一連の出来事によって命を落とした者は大勢います。ですが、それによって救われた者もまた大勢いる。殺人犯ではあってもあなたはただの殺人犯ではない──功罪どちらも合わせ持っている。ですからチャンスが与えられたんですよ》
「チャンス……?」
《煉獄のようなものです。罪を禊ぎ洗い、穢れなき命へと戻る場がこの世界。あなたにはその機会が与えられて然るべきだと判断された。それは神のような何かの思し召しに添える人間だと見込まれたということでもあります。お眼鏡に適った、ってやつです》
「そんなもの」
《要らなかった、なんて言えないはずですよ。あなたは死ぬ瞬間確かに思ったでしょう? まだ生きていたいと、まだ死ぬわけにはいかないと。罪悪感と責任感でそう足掻いたはずです。まあ、懸命の足掻きも虚しく死んでしまったんですが、そこで『終わり』とはならなかった。だったら義務があるんじゃないですか》
「義務?」
《足掻き続ける義務が。あなたの死、それに付き合わされた者たちの死。それらを後悔の箱に入れて終わったことにしてしまうよりも。あの時願ったようにより良い自分になって、より多くを救える人間になって。是非とも全てを払拭してください。あなたはそうしなければいけないんです》
私はそのための協力を惜しみません、と。声は淡々と、けれど真摯にそう締めた。
「……そうか」
神の存在と介在。それはやっぱり突拍子もないことで。死んだはずの自分が生きておりまったく知らない世界にいる、そういう奇想天外の出来事を踏まえてもなお信じられない気持ちだってあるが……不思議と声の言葉を疑おうとは思わなかった。もっと言えば、疑わなくていいと思った。もしもこれが真っ赤な嘘だったとしても構わないと。それくらいに、罪の払拭の機会。それを与えてもらえたのだという考え方は僕を救ってくれるものだった。
「でも、君はそれでいいのか? 僕なんかに付き合わされて」
声の言い方から察するに、僕が死ねば彼女もおそらく……もしかするとそれは勘違いで、僕に何かがあっても彼女は無事。ただ神のような何かしらの下へ帰るだけかもしれないが、もしもそうでないとするなら。心から申し訳ないと思う。だって義務があるのは僕だけで声にはなんの関係もないのだから。
《……言いましたよね、使命だって。あなたの使命がそうであるように否も応もないんですよ。やるべきことをやるだけなんです、私もあなたも。そしてそれが一番いい。そうは思いませんか?》
そうなのか。そうかもしれないな。なんにせよ幸運なことではある。やり直しのチャンスを貰えて、それを手厚くサポートまでしてもらえて。僕なんかには過ぎた幸運で、だったらそれにちゃんと応えなくてはいけないだろう。
「なんて呼べばいい?」
《はい?》
「僕を助けてくれる君のことを、僕はなんて呼んだらいい」
《なんとでも、お好きにどうぞ。あなたの呼びやすいように》
「だったら……シスでどうかな。システムから取って」
単純すぎるかと少々不安になりつつ訊ねてみたら。
《いいと思いますよ、あなたが思い付いたものならそれで。その名を呼ぶのはどうせあなたくらいなんですから》
声改めシスは、思いの外に明るい調子でそう同意してくれた。
◇◇◇
かくして目的をより明確に定めた僕の訓練は続き、九日後。つまり魔力操作の訓練を開始してからちょうど十日経ってからシスの許しが出た。それは次の段階への移行の許し。修行の本格化を意味するものだった。
《その時機だと思いますよ。もうあなたの魔力の流れに淀みはありません。体のどの部位を指示しても一秒とかからずそこへ集められる。欲を言えばコンマ一秒以内が基準なんですが……まあそこを突き詰めるにはあなたの集中力をもってしても十日どころでは済みません。ちっとも効率的ではないので、次へ行きましょう》
ここまではまず魔力を動かすことと、その速度と精度を高めることのみに時間が費やされた。だがその段階を過ぎたというのなら、次の段階とはいったい何を求められるのか。
《実践編です。私がやったように肉体と共に魔力を動かしましょう。褒めはしましたが勘違いは禁物ですよ、突っ立ったままなら正確に素早く魔力を動かせるなんて魔術師にとっては朝飯前。どころか寝る前のホットミルクのようなものでしかないんですから》
喩えの度合いはよくわからなかったが、とにかく僕はまだ「魔力を操れる」とは言い切れないようだ。じっと動かず、目を閉じて過度に集中した状態で操れる魔力に意味はない。その魔力で何がしたいって、敵を。魔物を倒さねばならない。テイカーに求められるのは強さ。僕はそれを追求する段階に来ていた。
《甘く見ないことですよ。魔力だけを動かすのと、肉体の動きに魔力を伴わせるのではまったく違ってきますからね。習熟でどうとでもなりはしますがここでもセンスが物を言います。できてしまう者は初めからできる、そういうものです》
シスの言うことはもっともに感じられた。そもそも拳を振るうという一動作を取ってもできる人とそうでない人の差は著しいのだ。そこに魔力操作まで加わるとなると確かに幾重にもセンスが必要となる……時間さえかければできる人との差を埋めることも可能だとしても、スタートラインが変わってくるだけに不利になるのは仕方ない。そしてシスはこの部分に関して懸念を持っているようだった。
《前のあなたよりも動ける。魔力も不足なく有している。だとしても、このふたつのギフトが上手く結びつくかどうかはまた別問題。体術も知らないあなたが戦闘時、それに適した魔力操作ができるかというと……はい、未知数ですね。その如何によっては残り二十日間のスケジュールを大幅に見直さなきゃかもです》
山犬を屠った際の堂に入った打ち下ろしからして予想はしていたが、シスは体術の方にも明るいらしい。と言っても本人曰く知識として納めているだけで戦闘の達人ではないとのことだが、だとしても僕にとっては良き師となる。魔力操作のやり方を直接体で覚えさせてくれたみたいに、まずは敵と戦うための動き方というものを同じ方法で習得できないものかと提案してみたら。
《感覚ひとつで理解できる魔力操作と違って肉体面はそうもいきませんよ。一個の動作をひたすら繰り返せばすぐにも身に付くでしょうけど、あなた自身がやるのと変わりあります?》
なるほど。体術となると一個覚えればそれで終わり、とはならない。となると魔力操作のように手順のスキップという効率化は図れないということになる。シスに代わってやってもらうメリットがあまりないわけだ。だったら最初から僕のまま、自力でできるようになった方がいい。
《ですので行きましょうか》
「? 行くってどこへ?」
《実践なんですから訓練相手がいないとでしょう? 魔物探しへレッツゴーです》
……僕はまたてっきり、空手の型でも稽古するように体の動作に合わせて魔力操作を行う訓練だとばかり思っていたものだから、シスの言う実践がそのまま実戦のことだと知ってひどく驚いた。というより、真面目に言っているとは思えなかった。いきなり魔物と戦う前にもう少し踏むべき手順があるんじゃないのか。いくらなんでもスキップのし過ぎではないか。そういう疑問へのシスの返答は、名の通りどこまでもシステマティックなもので。
《いざとなれば私が代わって戦えるんですから恐れることはないでしょう。実戦から得られる経験値はダンチですよ。あなたの性能上、効率を求めれば求めるだけ強くなれるんですからそうしましょうよ》
正しく言うなら常人に必要な手順を通ることが僕にとっては甚だ非効率である。とのことなので、だとすれば慎重な訓練になんて意味はないのかもしれない。十日間も飲食不要のまま元気にしている自分がシスの言う通りに「特別性」であるという自覚も抱き始めている。生まれ変わって得たこの肉体を存分に活かすためには一見しての無茶も率先してやっていくべきだろう。……肉体の方はともかく精神面での負担がぐっと増えるけれども。
《精神もその内に追いつくと思いますよ。その体に慣れれば慣れるほどそれは早まるでしょうし、早まるだけあなたの成長速度も上がるでしょう。人の形をしていて中身の造りも同じ。赤い血だって流れている。それでもあなたは人間じゃあない。神の使いというならあなたこそがそうなんですよ、ライネ》
大人しく耳を傾ける僕に、シスは続ける。
《能力的にはあくまで人の範疇に留まっていますが、人が超えられない限界をあなたなら超えられる。超えられて当然だという意識も持てる。これは運動神経の有無なんて些末事にしかならないくらいの比類なきアドバンテージですよ。そこまで自覚しておいてくださいね》
「……わかった。今すぐにとは言えないけど、なるべく早くそうしたい」
ということで出発だ。未だ恐怖はあるが、もう魔物と戦うことに否やはない。どのみち残り二十日のリミットを思えば急がなければならないことだし……いやまあこのリミットはシスが勝手に取り付けたものなんだけどね。
それはともかく、僕が探すのはやはり山犬でいいんだろうか?
《山犬ですか……ですね、この辺りには目ぼしいのがいないようなのでそうなりますか。ある意味ではいい訓練になると思いますから探しましょう》
「ある意味では?」
《実はあなたの瞑想中にも度々山犬は出ていたんですよ。水辺には動物たちが立ち寄りますから、それを狙って山犬もやってくるわけですね》
「え、そうだったの? でも僕ら一度も襲われていないよね」
《分の悪い相手との対立を避けるのが魔物の基本行動です。あなたが体に張った魔力が山犬除けになっていたってことですよ。襲っても敵わない、あるいはただじゃ済まない。そう判断されたんですね》
少なくとも同格以上だと思われ、戦いを向こうから避けたということか。実際には魔力を覚えたてのペーペーもいいところだとしても、山犬側からそれを見抜ける材料はない。犬という名とそれらしい見た目をしていてもそこまで知能は高くないようだし、彼らからすれば感じ取れる魔力だけで敵の強弱を測るしかないわけだ。
《なので今は魔力を抑えましょうか。外に漏らさず、けれどすぐに出力を上げられるようにしてください。いつ戦闘になってもいいように》
そうでないと山犬が逃げてしまう。かと言ってまったく魔力の用意がないまま戦闘に突入しても危険極まりないので、オンとオフをパッと切り替えられないといけない。
《できますよね?》
「うん、たぶん」
《そこは断言してほしかったですねぇ》
ミーディアが山犬へ接近する際に魔力を使わなかったのは、魔力がいらなかったというだけでなく山犬の逃走を防ぐ意味もあったのかな。まあ彼女ならきっと踵を返して逃げる山犬にだって瞬く間に追いついてどうせ切り捨てていただろうけど。つくづく凄い。と、魔力を知った今だから余計にそう感じる。
基準に据えるにはまだ早いとシスには言われたが、初めに見てしまったのだから仕方ない。あの見事なまでの一刀。大きな後ろ姿。目にも記憶にも焼き付いて離れない。僕にとっては彼女こそがテイカーの象徴だ。
《右前方。少し先にいますよ》
言われて向きを修正しつつ進めば、すぐに感じられた。僕以外の魔力の気配。そうか、こうやって魔物の位置を把握するのか。相変わらずシスは僕の察知能力で僕よりも先に見つけているが、それはもうそういうものとして受け入れている。気配を掴めているからにはシスの先導も必要なく、僕はあっという間にそいつを視界に捉えた。
間違いない、山犬だ。そう認識すると同時に向こうも僕の存在に気が付いたようだった。
都合三度目。山犬と真正面から向き合う。
戦闘開始だ。