66.修行
視界と進行を遮る鬱陶しい氷の林を破壊しながら駆け抜けて、目についたのは様相の変わったライネだった。
(全身が凍っている? ……いや、氷を『纏っている』のか!)
まるで薄い衣を羽織るように。元々着ている衣服の上から、氷で出来た服とも鎧とも言えない衣装を身に着けている。巨大化させたぬいぐるみを身に纏って戦う【愛着】の唯術を扱うリントだからこそよくわかる。ライネのそれも自分のと同じく各関節等の可動域を損なわない造りでいながら、可能な限りの耐久性を持たせていることが。
(それでボクのテディに対抗しようってわけだ。どこまでも舐めやがって)
構わず接近する。氷を纏うことでライネの防御力が増そうが、あるいは重量からくる攻撃力に転じようが、土台がただの氷だ。敵を凍らせたり氷そのものを武器にしたりと応用の幅は広いかもしれないが、鎧としての機能はそのものずばりそのための唯術である自身の【愛着】には遠く及ばない。及ぶわけがない。
初撃の突進をライネがまるで受けられなかったことからも彼我の力量差は歴然。それは氷で身を守ったところで埋め切れる程度のものではない。リントが肌身離さず持ち歩き、愛情を注ぎ。そうして【愛着】の行使対象としているテディ。その普段はふわふわだが現在は本物の熊の爪以上に硬質化している鋭い五本の爪を、思い切りライネへと叩きつけんとする。
そこでリントはおやと思う。
突進をライネは確かに避け切れなかった。なので二度目の突進が行われる前に自ら攻撃を仕掛けることを選択したのだろう。そして今は、その攻撃の名残である群生した氷の柱を壊しながら進んだことでリントは先の突進並の勢いを得ていない。故にリントとしては、おそらく自身のリーチに捉えるかその直前でライネがそこから逃れるだろうと予想していた。
それならそれでまだ見せていない攻撃方法をお披露目してやるつもりでいたのだが……しかし諸々の予想に反してライネは同じ立ち位置についたまま。テディの爪が迫ってもなお逃げ出そうとする気配がない。
まるでその必要などないと言わんばかりに。
(馬鹿だこいつ。互いの術の得手不得手も理解できていないのか。だったらわからせてやるよ!)
その身に深く傷を負うことで勉強代とするがいい。もっともリントは──泣きながら土下座でもして謝罪するなら考え直してやってもいいが──このままライネの命を奪うつもりでいるために、学びが活かされる機会は永遠に訪れないことになるが。それも腐れテイカーの末路には相応しいものであるとリントは嘲笑う。
「テディのフルパワーでぶっ潰れろ!」
腕を交差させて守りの体勢を取ったライネを、その防御ごと粉砕するつもりで打ち抜く。テディの爪を立てた掌打は抜群の破壊力を誇る。本気のライオットやギドウスには一歩劣るものの、彼らとの殴り合いが成立するくらいには【愛着】を受けたテディのパワーとタフネスは強化されている。その性能を遺憾なく発揮した一撃を食らったのだから、このように。トラックにでも撥ねられたみたいにライネが吹っ飛ぶのは当然のことで──。
「お、っとと」
「なっ?!」
体重差から堪え切れずに吹き飛びはした、けれどライネは姿勢を崩すことなく両の足で着地。構えを解かず、油断なくこちらを見据えている。そのダメージを感じさせない挙動にリントは少なからず動揺する。
(無傷!? あり得ない、ただ氷を纏っただけで得られる硬さじゃないだろそれは……! そもそも殴った感触もおかしかった。手応えはあるのに、まるでそれが奥まで──ライネ本体にまでは届いていないような)
感覚的なことなのでリント自身、打撃を通して己が何を悟ったか言語化するのが難しい。だがこれだけは確実だ。ライネが着飾った、彼の瞳と同じ色をした薄青の衣は。美しさすら感じさせるそれは、氷で出来てはいても単なる氷ではなく、何かしらの細工が施されている──!
「!」
ライネの両腕部のボロボロになった氷が元に戻っていく。負った損傷が直ちに修復される、そんなところまでテディと一緒かと思うとますます腹が立つ。そして「面倒だ」とも感じる。
地面から生える氷柱が直撃しても大したことがなかったが故に、リントにはライネがどう攻めてこようともテディで防げる自信がある。その反対にライネは自分からの攻撃を防げないだろうと思っていたのだが、事情が変わった。氷を装着したライネはどういう原理かテディ渾身の一打でも倒し切れないほどの強靭さを手に入れている。互いが互いの防御を貫けない。僅かにダメージを与えたところでそれも直ちに修復されてしまうのだから勝負は否応なしに泥沼になる。
無論、たとえチマチマとした削り合いになったとしても負ける気など毛頭ない。繰り返すが武装としての性能はテディが上である。とリントは確信している。それは修復機能に関しても同様であり、費用対効果において上回っているのは間違いなく自分だ。つまりどちらかの魔力切れを待つような泥臭い戦いになったとしても、装備の維持や修復により多くの魔力を消耗して先に音を上げるをライネの方である……が、そうだとしても「あまり悠長にはしていられない」というのがリントの本音だった。
魔石回収に向かった仲間たちはきっと大した時間もかからずに帰ってくることだろう。するとこの状況が、言い付けを守らず独断によってライネを処分しようとしているのが露呈してしまう。
最悪はライオットにその知らせが行き、彼まで戻ってきてしまうこと。他のメンバーはまだしも……ライオットは何故だかライネをいたく気に入っている。処分などまず確実に許されない。良くも悪くも明朗な性格な彼のこと、手酷く叱りつけてくるようなことはないだろうが、しかし戦闘は続けられない上に無理矢理に「仲直り」をさせられてしまうことは間違いない。そんなのは何がなんでもご免だった。
自分の過去を知った上で。協会の失敗を承知した上で、煽ってきたのだ。リントが何より大切にしているフロントラインの絆を侮辱し、居場所を容易く奪えると宣った。それらはリントにとって何よりも許し難い暴言であり、よりにもよって現役のテイカーを名乗る人間が口にしたとあっては、堪忍袋の緒など一瞬も持ち堪えずに千切れ飛ぶというもの。
皆が帰還する前に仕留める。最低でも半殺しにして先の言葉を心から後悔させる。それくらいはしなければ腹の虫が収まらないし、こんな奴を招き入れたライオットのことまで嫌いになってしまいそうだ。
(ボクだって時間はかけない! すぐに終わらせてやるよ──まずは油断を誘う、精々しばらく得意になってろ!)
やはりライネは動こうとせず、こちらを待ち構えている。突進の的にならないためにちょこまかと動き回るか、先ほどのようにタイミングを見計らって氷柱を生み出すべく備えるか。そのどちらかを実行すれば少なくとも真正面からの衝突は高確率で避けられるというのに、それがわかっていないはずもないのに、彼はそうしようとしない。
掌打を浴びても多少押されるだけ。それを「受け切れている」と判断して持久戦の構えを取ったか? だとすればメンバーの帰還よりも早く決着を付けたいリントとは裏腹に、ライネはメンバーが帰還するのを待っている。そうして仲裁によって戦闘が終わるのを期待していると見ていいだろう。
ふん、とテディの中でライネの消極案を鼻で笑ったリントは一歩ずつ距離を詰めていく。ライネとの間にもう氷柱はないのだから突進を邪魔されはしない──もっとも一度勢いにさえ乗れば何本の氷柱があろうとも突き砕いて進める自信もある──が、あえてひと息に突っ込むことはせず再び己がリーチ内にじっくりとライネを捉えた。
これは殴打戦に臨むという意思表示。応じるようにライネもまた落ち着き払ってこちらを見つめている。その凪の海を思わせる冷静な青い瞳が、気に食わない。
「お望み通りだっ、耐えられるもんなら耐えてみろ!」
「……!」
足を止めてのインファイトへと移行する。それは本来、体格にも重量にも勝るリント有利の展開。突進を何度となく繰り返してライネを削り続けるよりも遥かに手っ取り早く片が付くだろう。だというのに、ライネは忌避しない。あくまでもスタンスを広く取って、逃げる気はないとこれ以上なくわかりやすくその意思を示している。ならばそれも良し。何を考えているにせよ、何も考えていないにせよ。リントもまたこの展開を避ける理由はなかった。
「おらおらおらおらおらおらぁっっ!!」
優れた体格と重量を誇り、だからこそ一直線の突進を除き機動力の側面には難のあるテディだが、しかし腕の取り回しについては決してノロマではない。リントの攻撃的な性格と相まって連撃の速度は見かけによらずかなりのものだ。パワーとスピードを兼ね備えた猛撃の嵐。果たして氷の装備にどんな小細工があったとしてもライネが抗えるか否かは良くて五分五分。ここで大方の趨勢が決まる可能性も大いにあり得る、というリントの予想は、けれどまたしても外された。
(っ、ホントに耐えやがるのかよ)
いなし、逸らし、躱し、時には受けて。しかし単純に守っているだけではないのか、今度は吹き飛ばされることもなく完全に防ぎ切っている。連撃が見えているし、対応が追い付いている。ひょっとしたらこれでも大してダメージを与えられないかもしれない、程度には思っていたリントもここまで綺麗に捌かれるのは予想外だった。
(テディの攻撃速度に慣れてきているっていうのか……!? そしてどうすれば対処できるかも理解し始めている?)
殴れば殴るほど、攻撃を続ければ続けるほどにライネに当たらなくなっていく。余裕を持って受けられるようになっていく。めきめきと上達していく応手の技量を目の前に、なんとなく、薄っすらとだがリントにはライネが何を思ってこんな戦い方をしているのか。その謎が解けたような気がした。それはますますもって彼を苛つかせてやまぬもので。
(まさかこいつッ、修行のつもりなのか!? このボクを練習相手に!?)
学んでいるのだ。
学びこそが目的なのだ。
大胆不敵にもライネは実戦を以て訓練の場とし、何かを確かめるように自身よりも強大な相手との格闘に挑んでいる。気概過たずその成果が表れている、それがリントの攻撃が通じていない現状だ。
なんという成長速度。なんという魔術センス。この時リントは初めてライネという存在に、一人の魔術師を見る目を向けた。
ダインを相手に勝ちを拾ったらしい。という時点でライネの実力は決して低いものではないが、だがそんな事実はリントからすれば特段気にするようなことでもなかった。元々が殺人鬼でありどんな汚れ仕事も厭わないことからライオットに──主に彼が面倒臭がる雑事めいた「片付け」において──重用されていただけのダインが、その陰気な雰囲気も含めてリントは元からあまり好きではなかった。とはいえ同じ夢を掲げる仲間である。訓練として手合わせ自体は幾度も経験してきており……そしてその度に完勝してきた。テディを纏ったリントに対しダインは手も足も出なかった、それくらいには力量に違いがあった。
だが、そんな自分に対してこのライネは。精々がダインに競り勝てる程度の強さしか持っていなかったはずの、見かけにはヤワな印象しか受けない女だか男だかもよくわからない謎のテイカーは。今にも並び立とうとしている──いや。
圧倒しようとしている。
「うっ!? っぐ、」
凌ぐばかりでなくなった。連打を掻い潜りながらライネは自ら攻める余裕まで持ち始めた。しかもその拳がまた、重いのだ。テディの上から衝撃をリント本体にまで伝えてくる。明らかにおかしい。初撃ではああも力負けしておきながら急にテディと互角以上に渡り合うなど……つまりこれも。
(纏った氷の効力? まったく原理がわからない、いったい何をしてるんだこいつ!)
妙な硬さも、力強さも。氷なんかを着込んだところで何故そうなるのかわからず、仕組みが読めないだけにどうすれば無力化できるかアイディアも思い浮かばない。じれったさが心を焦がす。その内に段々と、今度は自分の方が一方的に殴られ始めていることに気付き、もはやリントは我慢ならなくなった。
ある程度は打撃で削ってから見せるつもりだったが、順番変更だ。まずは「これ」で削ってから打撃で仕留める!
一際深く入ったライネの打突。その衝撃を利用してリントはテディを後退させ、数メートル分だけ離れる。と同時にできる限りの魔力を練り上げた。一瞬にしてリントが発せられる最高潮に達したそれに、これまで一向に変わらなかったライネの顔付きも少しばかり険しくなった。そのことに気分を良くしながら、リントは言う。
「──発射だ」