61.ギドウス
ミーディアが放つ剣閃をギドウスは掌で受けて逸らす。いくら魔力で手を覆っていようと、接する刃にも敵の魔力が込められている。しかもそれはただの刃にあらず、魔石を用いて作成された魔鋼製のとりわけ魔力と相性が良い業物だ。そこにA級テイカーの、それも特段に魔力の一極集中に秀でた魔術師の魔力が注がれているのだ。その斬撃は悠々と相手の魔力防御ごと肉体を切り裂けるだけの威力を得ている。はずが、そうならないのはつまり。
それだけギドウスという男が強靭であることの証左であった。
言わずもがな、とにかく攻撃を最大威力で当てさえすればよかった水噛戦とは異なり、現在のミーディアは剣とそれを振るう腕のみに全ての魔力を集わせてなどいない。敵と至近戦に興じている最中なのだから身体強化や全身の防御を疎かになどできるわけもなく、故に彼女の必殺技とも言える水噛を仕留めた『極斬り』こそ披露できてはいないが……しかしそれにしたって異常だ。
その他一切の何もかもを投げ打って炸裂させる極斬りには及ばずとも、今のミーディアが振るう刃とて充分に致死。通常の戦闘速度を維持したまま繰り出せる魔力集中の練度がミーディアは他のA級と比較してもずば抜けているのだから、それを易々と素手で受けられるギドウスの堅さは尋常ではない。
何か種がある、とミーディアは連続で剣を振るいながら確信する。ギドウスの肉体は見るからに堅固であり、魔力も嫌になるくらいに漲っているが、だとしても素の堅さだけでこう何度も止められてしまうほど己が剣技は安くない。おそらくはモニカやロールマンのような防御系の唯術を持っている。剣から伝わる硬度にそう当たりをつけた彼女の戦闘勘は、真に正しく。
ギドウスの唯術はそのものずばり【強靭】。自身の肉体の強度を上げるというシンプルの極みのような能力である。言わば彼は魔力と唯術による二重の身体強化を行なっているようなもので、接近戦に優れたミーディアであっても出力で追い抜かれてしまうのは半ば必然のことでもあった。
一対一で戦っていれば既に彼女は敗北していたかもしれない。だがそうならず、曲がりなりにもこうして互角の攻防を演じられているのは。
「!」
「斬る」
ミーディアが作り出した僅かな隙。ギドウスの意識が疎かになったと見える瞬間を狙ってその死角からアイナが短剣を突き刺す──が、躱される。小さな隙など突かれる前に埋めてしまえるのがギドウスだ。アイナの攻撃は無駄に終わった……わけではない。ギドウスは躱したその先で、一際に魔力の籠ったミーディアの剣撃を頭部に受けていた。
「っ、」
「隙を埋めた先に隙ありってね」
強靭無比、とは言っても無敵ではない。彼が生物である以上、強化しているのが人体である以上は、二重の強化があろうと攻撃に対し完全無欠とはならないのだ。綻びもあれば限界もある。このように狙うべき部位とタイミングを見極めさえすれば多少なりともダメージを与えることは可能で、そのタイミングを生み出すのにアイナは適任だった。
アイナの唯術【切断】は彼女が持つ刃物へ対象の硬度の高低を無視して「なんでも切り裂く」魔性の切れ味を与える、非常に攻撃的な力である。これがギドウスの【強靭】に対して特攻の相性を示している。あくまで物理的な破壊力に留まっているために魔力を身に纏う相手の場合、如何に切れ味が優れていようと問答無用に切り伏せられるわけではないが、しかし彼女の刃は魔力越しにも限りなく理不尽にその鋭利さを届ける。
ギドウスの左手の甲。そこに浮かぶ、決して浅くない一筋の傷がその証となっていた。
「……」
受けた瞬間、違うと悟った。理解に瞬発力が追いついたのは彼に取って僥倖。刃がより深く食い込む前に受けから払いへ変更し、飛び退いた。そのアイナの初撃からこっち、ギドウスは彼女からの攻撃に対しては防御を選ばず回避を続けている。その隙をミーディアの素早い剣撃に突かれ、そちらへ意識を向け過ぎればアイナの致命の刃が迫る。かと言ってアイナを先んじて片付けようとすればミーディアの攻勢が激しさを増すのは無論のことで──。
「──チッ」
顔を強かに打たれたのにも構わず、否、その衝撃すら利用するようにアイナの方へ身を寄せて放った左拳。は、その進路上に飛来した魔力弾によって勢いを削がれた挙句、アイナの目前に出現した半透明の魔力の板によって完全に止められてしまった。
これだ。アイナは厳重に守られている。彼女の刃こそが唯一の決定打になり得ることは当然ながら彼女たち自身も把握している。からには、チームを上げて徹底して守り抜くのは道理である。それがギドウスからすれば鬱陶しいことこの上ない。アイナとミーディアの剣が同時に振るわれ、ギドウスは後退してその脅威から逃れる。
けれどミーディアはそれについてくる。そして連撃。それに対応している間にアイナがまた死角へと回り込み、彼女が攻めることのみに集中できるようにとモニカとアイアスが援護に控える。先ほどからこの繰り返しだった。
ギドウスはアイナかミーディアのどちらかを落とせないかと画策しているが、どうにも上手くいかない。流石はテイカー、といったところか。まるで四人が一個の生物の如き見事な連携だ。チームで戦うとはつまりこういうことなのだと、一対一を好む彼からすれば異質ながらに確かな強みを味わう。
(まあ、いい)
移動を邪魔してきたモニカの盾を突き破りながらギドウスは冷静に思考する。ミーディアの剣や時折飛んでくる魔力弾は彼にとってなんら痛手ではない。まともに受けようとせずとも充分に凌げる範囲。アイナの振るう短剣にこそ気を付けていればいい。そこだけに注意しつつ、彼女を落とす機会を窺う。下手に欲張らずそう徹すればいずれは自分が制する。彼はそう算段を付けていた──その推量は、正しい。
今の状況が続けば、負ける。破られた盾を新たに展開し直しながらモニカはその悪寒に苛まれていた。寒々しい心中とは裏腹に、近接職の高速戦闘についていく彼女は必死であり、大粒の汗に塗れている。息は荒く、動悸が鳴りやまない。そしてそのことに本人は気付いていない。それだけ援護に集中していながら、モニカには手応えらしい手応えがなかった。
最低限。事前の取り決め通りにアイナを中心に守りの援助はできている。だが本当に最低限だ。モニカは自分がこの戦闘に役立っているとはとても思えずにいる。何せギドウスが化け物なのだ。元々凶獣の突進すら防げるほどの性能の盾が、覚悟と鍛錬によって更に伸びた。というのにそれを腕の一払いや体当たりで簡単に突破してしまうのだから恐ろしい。硬く、力強く、それでいてミーディアの速度にも劣らない素早さもある。
こんな人間がいるのか。これだけの魔術師がなんでアンダーをやっているのか。……どうしてテイカー協会の敵でいるのか。
テイカーに命を救われたことを切っ掛けに自らもテイカーに志願したモニカには、まるでわからない。助からなかった家族の、ベッドに寝かされたザッツとギルダンの、冗談のように青褪めた顔が視界をよぎる。力があるのに何故、何故、何故。何故それを、悲劇を起こすために振るうのか。己が欲望のためだけに使えるのか、彼女にはちっともわからない。
わかりたくもない。
「【境界】!」
滴る汗を吹き飛ばすように力強く唱える。わざわざ名称を口に出さずとも唯術は効力を発揮する。だが魔術師の中には行使する際、明確に言葉にした方が術がより効果的になると主張する者もいる。モニカのそれは自身への発破のようなもので、詠唱が唯術の力を引き上げるなどと声高に喧伝するつもりもなかったが、しかしこの時に限ってはおそらく。いや確実に効果はあった。
これで何度目になるかわからない、アイナに差し向けられた拳打を阻むべく展開した盾。そこから伝わる感覚がこれまでとは一線を画していることにモニカはハッとする。
アイアスの射撃によって打点をズラされていないギドウスの拳は、ほんの一瞬だけ停滞した後にこれまで同様容易く盾を突き破ったが。その一瞬の間を利用してアイナが避難を完了させるのも既に何度となく繰り返された光景ではあるが、その中でモニカには何かが見えた気がした。命懸けの実戦。A級テイカーを含む複数人で囲んでも勝利の目の薄い強敵。それらを目の前にしていながら──しているからこそ、彼女は得ようとしているのだ。
更なる成長の鍵。扉を開くために必要なそれを、掴みかけている。
──とはいえ鍵を使って扉の向こうへ行けるのはまだもう少し先のこと。今すぐに飛躍的なパワーアップが望めるわけではなく、けれどモニカが欲しているのはまさにそれなのだ。
今すぐ使える力。現状の維持が緩やかな敗北への道筋としか思えぬからには、状況を打開するための何かが必要だ。何かとは例えば援軍でもいいし、敵の大きなミスでもいい。それらが起こる可能性はゼロではない……だが限りなくゼロに近い儚い希望だ。そんな藁に縋るに等しい奇跡に期待するくらいなら、「今すぐ使える力」を求めるべきだ。
それこそ本来なら望むべくもない、都合のいい奇跡。だがモニカは知っている。
「二人とも! 使います!」
来た。アイアスが発した合図に、数日前に彼から聞かされた言葉を思い起こす。
『私の唯術は敵を撃つもの。ですが例外的に「味方を撃つ」場合もあります』
味方を射撃してなんになるというのか。先輩テイカーが何を言っているのかわからず困惑するモニカに、その時のアイアスは淡々と続けた。
『譲渡弾。ただ撃つのではなく、弾に込めただけの魔力を受け渡す術ですよ。私はそうやって他者を強化することができる。一定以上の力量の魔術師にとっては邪魔にしかならないですが、モニカ君やアイナ君には恩恵の方が大きい。時間制限のリスクはありますがそれでも、使うべき時が来たら使うつもりでいます』
勿論、あなたたちがそれを受け入れてくれるなら、ですが。そう言って返事を待つアイアスに、二人が返したのは了承であった。否やなどあるはずもない。参加を認められたと言ってもC級上がりたての新人だ。A級以上が集う──イリネロだけはその例外だが──重大任務に臨む面子において自分たちが場違いであることは自覚している。
使えるものはなんでも使うべきだ。たとえ時間制限を越えたら反動によって一時的に「使い物」にならなくなるからといって、しかしアイアスがそれを見越してでも強化が必要と判じたのなら、そもそも既にその時点で二人が使い物になっていないということでもあるのだから。
だからモニカは、そしてアイナも、迷わず頷いた。実行の際には許可など待たず撃っていいとも伝えた。譲渡弾は術者と被術者間に意思疎通がなければ機能しない、言葉通りの譲渡を行なうためのもの。よって一定以上の力量を持つ敵へ阻害を目的に用いることも、事前説明や予告なしに味方へ適用させることもできない、割合に使いどころの限られる術ではあるが──A級とC級が混在するこのチームにおいてアイアスの奥の手は限りなく有用であった。
返事はないが、その心はわかっている。両手で定めた二人の背中へ向けてアイアスは譲渡弾を発射せんとする。その刹那にギドウスは地を蹴った。アイアスの宣言は当然ながら味方だけでなく敵たる彼の耳にも届いている。見た限り魔力弾を仲間に対して撃とうとしている。その理由や意味をギドウスは解さないが、解さずとも明白だ。
短剣も盾も銃のその行為を見るからに受け入れている。だけでなく、その顔に、その目に、勝機を見出す光がある。ならば何かしら戦局に重要な影響を与えんとしていることもまた明白だった。
「させ──」
「──ないよ」
脚部への過度な魔力の装填。そうすることで瞬発力を獲得したギドウスが、それを活かそうとしたそのタイミングで。寸分の狂いもない絶妙なそこへ、ミーディアが剣を割り込ませた。
意図は明白。ならば勿論、それを阻止せんとする意図もまた。
「劣・極斬り」
「ヅっ……」
魔力の全集中を為すための溜めを挟まない、劣化版の極斬り。とはいえ通常の斬撃よりも遥かに高威力であるミーディア渾身の一振りが、ギドウス自身の推進力と相まってこれまでにない破壊力を生んだ。それは【強靭】に守られた彼の肉体を、意識を否応なしに怯ませるほどのもので。
「強化完了……!」
稼いだのは一瞬。精々が数歩だけたたらを踏ませた程度のもの。依然としてギドウスに目立った外傷はなし──だが確かにその「一瞬」が、戦局を変えた。
「【切断】」
「【境界】!」
複数展開された盾に崩れた体勢のまま硬直を余儀なくされたギドウスに、盾の合間を縫ったアイナの刃が届いた。