60.開戦
通路、と言っても彼らを運ぶそれは言葉通りの代物ではない。【標点】はマーキングした地点までの移動を物理的な距離を飛び越えて行う。それにかかる時間はほぼ皆無。室内にいた集団の転移は一瞬にして行われた。
着地、と同時にいの一番に駆け出したのはミーディア。転移の瞬間に抜剣を終えていた彼女は剥き出しの刃を最も近い位置にいた敵へと叩き付けた。ギン、と硬質な音を立てて剣が腕に受けられる。ミーディアの口角が吊り上がった。剣撃を難なく防いだそいつは、奇しくも彼女が戦いたくて仕方なかった相手。あの日にマーズを殺し、ダンネロに重傷を負わせた例の大柄な男であったからだ。フードの奥の冷徹な眼差しを見据え、ミーディアのボルテージが上がった。
彼女の背後で他テイカーたちも続々と行動を開始。ミーディアの援護に動く者と他の敵を相手取ろうとする者に別れる中で、唯一既に交戦状態にあったのがオルネイだった。
会議室からここまでの集団転移を果たしたばかりでありながら迅速に彼が術を行使すべく魔力を練ったのは、察したからだ。四人いる敵の内の一人。フードを下ろして顔を見せている少女が、姿を現す前から自分たちの出現を察していたことを。そして何らかの術を使おうとしていることを──故に彼はそれを阻止すべく対抗する。魔石から作られた棒手裏剣を彼女と自身の中間地点へと放ち、空間の支配権を取りにかかる。
ぐわん、と両者を取り巻く空気の層が乱れて歪み。互いが互いの術に干渉し合った結果、少女とオルネイはどちらにとっても半端な位置へとお互いを飛ばすに至った。
「やりますね」
「邪魔」
皮肉を込めた称賛と、純粋な敵意の言葉。邂逅地点の遥か上空、高度約千メートルの空にて空間の掌握合戦が始まった。
迷いなくミーディアの補助へ向かったアイアス、モニカ、アイナというルズリフの面々とは異なり、ロドムだけは別の敵へ向かっていく。男女のペアだ。大柄な男の戦闘力は聞き及んでいるが、彼一人に戦力を傾け過ぎては他が危うい。数の有利を作るためにもロールマン、イリネロの本部コンビと共にそちらと戦うことを選んだのだ。その判断に間違いはなかった。彼は戦局を読んで限りなく正しい判断をした──けれども。正しい判断をしたものが生き残れるとは限らないのが、戦地というもので。
「ッづ!?」
何が悪かったと言えば、運が悪かった。ロールマンは己が唯術で全身鎧を身に纏っており、イリネロは全身から炎を噴出させる彼女の最高技を最初から繰り出している。生身のままに敵の前に立ったのはロドムだけ。そして彼はちょうど真正面から向き合う形で歩を止めてしまった。そこを見逃すバーツではなかった。
唯術【吶喊】。一直線の運動に限り自らにも制御できないほどの速度を生み出せるバーツの力が、ロドムが術を使うよりも、魔力で身を守るよりも早くにその身を貫いた。
「まず一人ぃ!」
唯術を解除し急停止。バーツの感覚としては敵を穿つ前から止まろうとしていたが、それでも彼はロドムを通り過ぎてずっと先まで移動していた。それほどの超速。その圧倒的な速度から生じる破壊力から無条件に身を守れるのは術者であるバーツのみ。魔力防御もなしにそんなものを食らってしまったロドムの右脇腹が大きく抉れているのは当然のダメージだった。
「ぬ、ぐ……」
助からない。彼は自身の終焉を悟る。
プランのひとつにもあったようにオルネイが様子見のままフリーでいたなら、瞬時に治癒者のマーゴットが控える支部会議室まで飛ばしてくれていただろうが。しかし現在オルネイは危惧していた通り現場にいた敵の転移術師を一対一で抑えているところで、他に気を回す余裕はない。そもそもこの傷は深すぎる。たとえ瞬時の転移があったとしても命を取り留められるかは怪しい。そんな致命傷を負ってしまったからには、彼のすべきことは。できることはたったひとつだけ。
イタチの最後っ屁というやつだった。
(そちらから私に触れたのだ……一瞬しか効かぬだろうが、しかしその速さは! 一瞬でも十二分の成果となるだろう……!!)
「【陽、炎】……」
背後で再加速の気配がする。それに合わせてロドムは、血反吐を吐きながら。倒れながらも唯術を発動させた。そしてバーツが地を蹴る。一直線に駆けて敵を討つ、それだけのシンプルな戦い方をする彼は、シンプル故に敵からすれば厄介。ロドムの惨状を受けてロールマンもイリネロもともすれば自らの防御も貫かれるかもしれない。そう危険視し、もう一人の敵である女の方にも注意を払いつつ彼がどちらへ突っ込んでくるか見極めるべく身構えた──が、バーツの進行方向はそのどちらでもなく。
「──あッ!? ああ……ミュウ姉さん!!」
ロドムの唯術は対象の認知を入れ替える。その術中に嵌った者は倒すべき敵が味方に思え、守るべき味方が敵に思える。発動に条件があり、効果時間も決して長くはないが、上手く機能すれば敵が多ければ多いほど大打撃を与えられる恐ろしい能力だ。その力にまんまと魅入られてしまったバーツは、ロールマンでもなければイリネロでもなく、ましてや死にかけのロドムでもなく。敵であるはずの彼らの間を駆け抜けて、己が仲間であるミュウミュウへと攻撃していた。
我に返ったときにはもう遅い。ロドムと違いミュウミュウはしっかりと全身を魔力で守っていたが、彼女の防御はそう堅くない。目で捉えるのすら困難な速度の、それでいて全体重の乗ったバーツの殴打を受けて無事で済むわけもなく。今すぐに命を落とすほどではなくとも、助かるか怪しい。それくらいには深い傷を負ってしまっていた。当然にその状態で戦闘に参加はできない。
「しゅ──集中、しなさい。私のことは、いいから……」
「でも、ミュウ姉さん!」
「だい、じょうぶよ……このくらいで、死んだりしない。ほら……わ、私の力をつかって……のこりも、た、倒して」
喉奥からせぐり上がる血に邪魔されながらも、自分を支えるバーツにそう言葉をかけたミュウミュウは懸命に魔力を練って術を発動させる。【加護】。それは自身が親しみを持つ相手のみに適用できる一時的な強化。その効果は魔力の総量や出力も含めた対象者の身体機能の全ての底上げだ。
強化の比率は【加護】をかける対象が増すごとに下がる。普段は自分自身も対象として自己強化し戦闘に臨むのが彼女のスタイルだが、今のミュウミュウはそうしなかった。これだけの傷を負った自分を強化したところで役立ちはしない。ならば、自らを捨ててでもバーツ一人にのみ強化を施す。それが最善だと彼女は判じた。
(強化時間は一定。たとえ途中で私の魔力が尽きたとしても一度発動した【加護】の効果は持続する……! そうきっと、尽きるのが魔力ではなく命だったとしても……)
自己の死を勘定に入れた強化術は、バーツへしかと彼女の想いを届けた。力の入らないミュウミュウの体をなるべく優しく横たわらせたバーツは振り向きざまに唯術を発動。一歩分だけに絞った加速によって、間近にまで迫っていた炎を蹴散らした。
(! 私の【業炎】をああも容易く)
熱を伝える間もなく炎弾が掻き消された事実に、イリネロは緊張を強いられる。粘性を得た炎を纏うことで攻防一体とする自身の術が、奴には通用しない可能性がある。標的にされてはマズい。そう理解した彼女を庇うようにロールマンがずしんと重く一歩を踏み出した。
「俺が奴を止める」
そこを討て、という言葉は省略してずんずんと敵へ近づく。ロールマンの武器は堅牢な鎧を着込んでいることで得られる耐久と重量である。敵の能力が直線状に素早く動くだけだと──『だけ』のレベルがあまりに高すぎるが──見抜いた彼は、ならばそれを止めてみせんと矢面に立つ。どれだけの速度であろうとも正面から受け止め、その場に縫い付ける。攻撃を二度目にしたことで彼自慢の鎧なら耐えられると算段を付けたのだ。
体格のいい全身鎧が気迫を漲らせて迫ってくる様は端的に言って恐怖の場面と言って差し支えない。それが魔術師であるなら尚のことに。だが、バーツは敵の放つプレッシャーなど微塵も感じていなかった。彼の精神状態はそれどころではなかった。
ぐぐ、と両膝を曲げて過剰なほどの準備態勢を取る。バーツが得る加速は唯術がもたらす、物理法則を半ば無視したもの。初動に関しても最低限でよく、彼が半歩でも前に動ければそれで事足りる。逆に言えばどんなに力強く一歩目を刻もうとそれで最高速が上がるわけではない──術者として己が能力の術理をバーツが知らぬはずもない。それでも彼がその姿勢を取ったのは。無駄にも思える行為をしてみせたのは、そうせずにはいられなかったから。
敵の卑怯な術によって仲間を自ら傷付けさせられたバーツを突き動かすは、唯術以上に激情。それが彼の魔力を常時よりずっと激しいものとする。怒りとミュウミュウの【加護】。二重の強化を果たされた状態で発動された【吶喊】は。
「ッ……!!」
堅牢無比であるはずの鎧ごと、ロールマンの右腕を持って行った。
高々と宙を舞い、そして離れた場所へぼとりと落ちる片腕。唯術で生成された鎧が解けて剥き出しになったそれの傍にいたのはアイアス。手の甲に彫られた見覚えのある入れ墨からその腕が味方のものであると察した彼は、現状が想定以上に拙いものであることを理解して眉根を寄せた。
飛んできたモノへ逸らした視線をすぐに戻す。アイアスが見据えるのは今やフードを取り払って顔と全身を露わとしている大男、ギドウス。その拳がアイナを標的としていることを察した彼は、拳銃を思わせる形にした右手の人差し指をギドウスに向け即座に発射。【狙撃】の唯術によって通常はひたすらに効率の悪い術として知られる「魔力放出」を低燃費・高威力・高精密で繰り出せる彼が放った魔力弾は、狙い過たずギドウスの拳の軌道を変えた。
が、確かに当たったそれにギドウスはなんら痛痒を見せない。
自身の力がまるでダメージ源にならない。その事実にアイアスは歯噛みする。もしもギドウスに傷を負わせたければアイアスは長く時間を使って【狙撃】の力を最大まで溜めねばならないだろう……けれどそんな悠長なことをしている暇はない。撃つ。撃つ。撃つ。仲間を巻き込まない射線で、かつ最もギドウスの動きを阻害できるタイミングで射撃を続ける。──そうしなければ均衡が崩れる。
主軸として常に敵へ張り付きながら攻撃を加え続けているミーディア。彼女とは反対側からギドウスを挟み込むように攻める機会を窺うアイナ。そんな二人を盾の展開で守るモニカと、牽制射撃を行うアイアス。この布陣でようやく互角。四対一で密に連携を取りながら尚も攻めきれない、押し込めない。
(この大男、話に聞いていた通りの……いや聞きしに勝る強さ。おそらくは実行役の筆頭!)
あまりにも強過ぎる。ミーディアがしきりに気にしていた金髪男も特段の警戒対象であはあるが、今は不在。そしてこと戦闘に関してはこの男こそがフロントラインの最高戦力と見て間違いないだろうとアイアスは結論する。
実際のところリーダーはまさにその金髪男であり、強さの一点においても彼がフロントラインの最高であるが、しかしアイアスがそう勘違うのも仕方ないほどにギドウスの戦いぶりは強烈かつ、洗練されていた。何より最悪なのはこうして四人を相手に渡り合いながらも彼から確かな余裕が、焦りの無さが伝わってくること。
──この調子で戦い続け、いずれ均衡が破られるとすれば。それは間違いなくあちら側へ天秤が傾くことを意味する。テイカーとしてアンダーと戦ってきた経験が、魔術師として積んできた研鑽がアイアスにそう警句を発する。予感よりも確かな予見となって敗北の未来を幻視した。それを拒絶するためには。
他の面子は別の敵に縫い留められている。主戦力のはずの最強はいつ戦線に加わるか知れたものではない。他者の参戦による打開は望めない……故にアイアスは決意を固める。
──切り札を切る。という決意を。
「唯術拡充」
右手だけでなく左手も拳銃の形を取り、狙いが付けられる。アイアスの銃口たる指先は……ギドウスではなく味方である二人。
アイナとモニカへと定められていた。




