59.罠
「罠を張りました」
と、ルズリフ支部の一室で一同を見渡してオルネイが言った。S級テイカーであるエイデンの付き人のように扱われている彼ではあるが、彼本人も特A級の等級を持つ協会の中でもほんの一握りしかいない凄腕の術師。そのことを証明するように、エイデン不在のこの場において、現場員として最も強い発言権を持っているオルネイの一言一句を皆が真剣に聞いていた。
「予告しました通り、昨日ルズリフの近辺に餌として魔石を巻きました。設置してから現時点で丸一日が経過。未だ変化はありませんが、フロントラインのこれまでの襲撃や構成員の発言からしてそう遠からず回収にやってくるはずです。しかし私の唯術を掻い潜って持ち去ることは不可能。魔石に接触の反応があり次第、私が皆さまを現場まで送ります。なのでなるべく皆さまには支部をお出になられず、常に出撃に備えていてもらいたいのです。よろしいですか?」
「まーそれも設置前から聞いていたことだからいつでも出られるよう準備はできてるけどさ」
動物や魔物は魔物の成れの果てに興味を示さない。人に殺された魔物だけが魔石を遺し、その魔石を欲するのも人だけ。より正確には、テイカーだけだ。なのでテイカー以外が魔石を持ち去ろうとするのなら、それ即ち悪しき者である。今回で言えば餌に釣られるのはまず間違いなくフロントラインとなるだろう。
連中は必ず来る。罠と勘付いたとしても、それでもお構いなしに。協会はそう確信しており、ならばそこを根絶やしにせんと最強の人員を送り込んだ。エイデンとオルネイのコンビはまさにこの作戦を象徴していると言っていい。
その意図を理解していない者は室内に存在しない。ただし、完全に支部と本部のテイカー間で情報共有が完全に済んでいるとはまだ言い難い。オルネイの確認には肯定を返しつつ、けれどミーディアは続けて言った。
「聞きそびれたことの方をいま訊いてもいい?」
「なんでしょうか?」
「オルネイさんが私たちを運ぶ手段。つまり唯術がどういったものかについて、一応知っておきたいんだ。シリンと似たようなことができるって本当なの?」
シリン。先の任務で殉職したルズリフ支部きっての実力者であったA級テイカー。その唯術は【空曲】という自身周辺の空間を捻じ曲げる独特なものだった。先日の自己紹介の後──正しくはC級三人組の模擬戦を挟んだ後だが──に行われた作戦会議にて詳細までは明かされなかったオルネイの唯術もまた、シリンのそれに近しいものである。
そこまではミーディアも承知しているが、重要な作戦開始の号砲になる力だ。単に運ばれる荷物に徹すればいいだけとはわかっていても、より具体的な知識を求めるのは当然のことだと言えた。
前回の任務同様、今回も切り込み隊長を担うつもりでいる彼女の覚悟と心構えはオルネイにも充分に伝わっている。彼は頷いて言った。
「そうですね。シリンが本部にいた頃は、共に空間に作用する唯術持ちということで私が指導についたこともあります。もっとも彼女は覚えが良く、また同系統と言ってもドーパ姉妹のようにまったく同じ唯術というわけでもありませんでしたから、その期間はそう長くありませんでしたがね」
聞きたかろうとシリンと自らの関係性も明かしつつ、オルネイは指を一本立てた。その指先が薄紫に光ったことでミーディアは興味津々といった様子で訊ねた。
「光? シリンの唯術じゃそんな現象は起きなかったけど……」
「彼女の術は『隠すこと』にも適してしましたからね。私の唯術【標点】は物や場所にマーキングを施し、そこに繋がる通路を作り上げるというものです。こうやって光っているのは発動の合図。通路の作成で空間が屈折し、特異な光り方をするのです。マーキングまではともかく私の術では発動後に隠密はできません。シリンは私にできないことができた」
そしてその逆もまた然り、という彼の言葉にミーディアは頷き返す。
「シリンにできないことがオルネイさんにはできるってことね」
「その通り。転移がその筆頭です。私自身を含め人をマーキング地点へ飛ばせられるこの唯術は、今任務の内容や参加人数に非常に噛み合っている。奇襲性はシリンの術のひとつである『隠れ蓑』よりも上だと言っておきましょう」
「付け加えて言わせてもらうなら」
と、二人の会話に手を挙げて注目を集めたガントレットが割って入る。作戦の大まかな概要は本部の上層部より与えられたものだが、細かな部分はガントレットとグリンズの両名が本件責任者として詰めている。彼は立案を担った片割れとして、今一度任務参加者たちの共通認識を強めるために発言した。
「オルネイの起用は単にエイデン御用達のお付きだからってだけじゃあなく、敵方にも高確率で転移を可能とする唯術持ちがいると想定してのものだ。それもオルネイと同じく術者当人の個人単位じゃなく、集団単位でのな」
フロントラインにも転移系の唯術持ちがいる。それは確度の高い予想、というよりもほぼほぼの事実として協会側が認知している情報であった。そうでもないとこれまでの三件の説明がつかないのだ。どこからともなく現れて、どこへともなく消えていく。まだしも人数が少数であった一件目と二件目はともかく、三件目での大所帯での襲撃。しかもそれだけの数の出現に襲われる直前まで誰も気付けなかったという点が決定的だった。
フロントラインの攻撃開始とテイカー側の察知は同時だった。唯一シリンだけは攻撃よりも僅かに先んじて異常に気付いていたが、空間を折り曲げ続けてそこに自他を隠す「隠れ蓑」──彼女にとって神経を使う技を行使していたことが仇となって警告も対応も間に合わなかった。結果として開幕からマーズという参加者内の最高戦力の片方を失い、押し込まれる形で乱戦が始まってしまった。これはテイカー側の敗北を決定付けた最大の要素であった。
「前回の再現をさせねえ。今度は攻守を入れ替えるんだ。オルネイの術ならそれが可能な上、敵方の転移への牽制にもなる」
同系統の唯術持ちは、互いの手の内が大方読める。転移系の唯術は特にそれが顕著で、他の術師には感じ取れない微細な空間の変化というものを感じ取ることができる。シリンが敵の出現を特A級のコンビよりも早く察知できたのは、転移こそできないものの同じく空間に作用する唯術を持つ者としてそこに敏感であったからだ。
オルネイはその感覚にシリン以上に鋭敏である。そして敵に手口をやり返すこともできる、となれば此度の任務に彼以上の適任はいない。戦力としての要は間違いなくエイデンであるが、重要性においてオルネイは彼に劣っていない。それだけにその双肩には重く責任が圧し掛かっているわけだが、それを感じさせない穏やかな笑みで彼は言った。
「状況から察するにこと転移に関しては敵側の術師が上と判断していいでしょう。しかし蛇の道は蛇、送り込める量や速度で劣ったとしても妨害はできる。マーキングによって相手に先駆けて空間の支配権を取り続ける。それが叶えば前回のような混乱は起きない」
「いきなりの大人数の出現以上に、迎え撃とうとしたこっちのフォーメーションが一瞬で崩されたことの方が堪らなかった。ああいう事態を防げるならすごく助かるよ」
なし崩しの乱戦が形成されたのは襲撃のタイミングを掴み切れなかったというだけでなく、戦闘の幕開けと同時にテイカー一人一人が引き離されたことも原因のひとつだった。そうでなければもう少しやり様もあったろうが、敵の物量もあってミーディアたちは陣形の再構築を狙う余地もなく個々人で複数を相手に応戦。結果として敵戦力のほとんどを無力化させたが、しかし自分たちも壊滅的な被害を受けた上に、肝心の幹部級と思われる大柄なフード男には──これもまた転移によって──逃げられてしまった。
ダンネロがあの男を抑えていなければ自分や事務員も含めて間違いなく全滅していただろう。ミーディアはそう確信している。
「二の舞は絶対に避けねばならないことです。これ以上仲間を失わないためにも、フロントラインの好きにさせないためにも。ですので私は皆さまを送って以降は様子見に徹します」
「敵が転移を使う兆候を逃さず、封じる。それができるのはオルネイだけだ。そのオルネイの集中を乱すわけにゃあいかねえ。てことで【標点】の戦闘支援は期待すんなって話だな。異論はないな?」
他の戦闘を気にしてオルネイの方が敵に封じ込められでもしたら、それこそ高確率で前任務の再現になる。瞬間的に人や物の位置を変える術の脅威は言わずもがな。だがそれを可能とする術師が敵だけでなく味方にもおり、両者が睨み合って実質的にその機能を果たさなくなるとすれば、戦況としてはイーブンである。相手方に転移系の唯術がある以上これは当然の措置。
「無論、否やはありません。オルネイ殿の支援がなくとも戦闘員を排してみせましょう。たとえ敵が何人いようとも」
ロドムがしかつめらしく受け応える。彼はむしろ乱戦の場合にこそ真価を見せる術師であるが、それはそれとして作戦が順調に進むに越したことはない。できれば自分の唯術が最大威力を発揮するようなことにはならなければいい。そう想いを込めて意気込みを語った彼に、オルネイはひとつ頭を下げて。
「ありがとう。私も皆さまを支援できないことを心苦しく思いますが……しかしこの若輩の手など貸さずとも勝利してくれるだろうと信じてもおります」
「そのつもりだよ。あとは奴さんらがいつ餌に食い付いてくるか、だね」
こればかりは敵次第でありミーディアたちにできるのは待つことだけだ。あまり待機が長期間になると万全を保つのが難しくなる──A級が揃ってこの件に拘束されているために支部の通常任務に当てる戦力が低下している問題もある──ので、できるだけ早く罠にかかってほしいところである。
これまでの動き方からするにフロントラインにそう大した堪え性があるとも思えないので、おそらく「そのとき」は遠からずにやってくるとテイカー側は予想しているが……本当にそうなってくれるかは現状、神のみぞ知ることだ。
それに付随してミーディアにはもうひとつ気になっていることがあった。
「私たちは言われた通りに備えて待ってるけどさ。主役のはずのエイデンさんはどこなの? 私はしばらく姿を見てないんだけど」
任務の最終確認のために会議室に集まっているのは、ルズリフのA級三人とC級二人。それから支部長のガントレット。そして本部の特A、A、Cが一人ずつ。治癒者であるマーゴットと執務長グリンズ。これで以上だった。ミーディアの言う通り、オルネイ以上に作戦の主要を担うはずの最高戦力エイデンがこの場に不在である。どころか罠の設置が始まって以降どこにいるのかわからない。
あのエイデンのことだ。単なる気紛れでそこらをうろついているだけではないかとも思うが、ともすれば任務前に何かしら異常事態が起きている可能性も否定はしきれない。なのでエイデンの行方を知らない者たちを代表して誰かその所在を知っていないかと訊ねてみたミーディアに、グリンズが低く唸るように答えた。その声音は怒りと呆れを同量に感じさせるもので。
「……奴なら二日酔いで倒れている。昨日、朝から夜までからどこぞの店で飲んだくれていたらしい」
「えー……」
「すまない。私が育て方を間違えたのだ」
エイデンもいい歳の大人だ。とっくに独り立ちしており、グリンズが親代わりを担っていた時期よりもそれ以降の方が長いくらいだ。本当に生み育てたわけでもないのだから彼の素行不良の原因がグリンズにあるなどとは誰も思っていないが、当の本人が強く自責の念を抱いているのだから周囲からは何も言えなかった。
ただしエイデンに対しては言いたいことが山ほどある。特に今回の所業に関しては……重要な任務がいつ始まってもおかしくない状況で酒のせいで行動不能に陥るなど、奔放さでよく知られるミーディアであっても信じられないものであるからして。
「特権持ってるS級だからっていくらなんでもあり得ないよ。もし今この瞬間に罠に反応があったらどうするつもり──」
そこでミーディアは口を噤んだ。オルネイの指先が再び光り出していたからだ。まさか、とこの場の誰もが思った通りに、彼の次の言葉はそのまさかであった。
「魔石周辺に反応あり。間違いなく、人のそれです」