57.邂逅
いや、震えたのは建物ではなく空気だろうか? ごぅんごぅんと、それはまるで巨人が鉄の扉を荒々しくノックでもしているかのような……我ながら訳のわからない喩えだが、今の揺れ方はそうとしか思えないほど大きく、それでいて短く局所的な振動であった。
不意に起きた奇妙な現象に戸惑う僕を余所に、フロントラインの面々は訳知り顔で互いを見やっていた。ぼそりとライオットが呟く。
「こんなときに呼び出しか。やっぱりどっかから見てるんじゃないの?」
「それはない。この空間は完全に私が制している。ちょっかいを出してきたら、すぐに気付く」
「ま、そうだよな。じゃあやっぱタイミングが悪いだけ……いや『良い』だけか。毎度毎度」
これまで黙り通しだったメグが初めて口を開いてぴしゃりと叩きつけた否定に、ライオットは軽く嘆息しつつそう言って。そして立ち上がり、僕の服の裏襟を掴んだ。
「ちょうどいいからライネも行こうか」
「い、行くってどこへ」
「メグ、上まで直通で頼むよ」
「ん」
僕の質問に答えることなく発せられたリクエストにメグは頷きひとつ、僕らのすぐ横に黒い歪みが生じた。これは、彼女の唯術で生み出される「門」。空間を越えるための起点だ。まさか、と思った瞬間にもう僕はライオットと共に門を通り抜けていた。
「跳ぶよ」
気付けばどこかの街中の屋上、と思いきや更に視界ががらっと変わって僕たちは自然の中にいた。平野の高台、とでも言うべき場所。遥か遠くの方に街らしきものが見える。もしや今、あそこから移動してきたのか……? この一瞬で、こんな距離を? 僕を連れたままで?
歯噛みする。【離合】の性能が、あまりに破格すぎる。恐ろしいのはなんのモーションもないことだ。メグの門も一瞬で離れた位置へ移動できる能力ではあるが、あちらが門の作成とそれを潜るという工程を経るのに対し、ライオットにはそういう手間が一切ない。術を発動させる、それだけで彼は指一本動かさずに任意の場所へ跳べてしまう。
もちろん物理的な制限を取っ払えるメグの門と違ってライオットは言ってしまえば過程が目に見えないほど素早く移動しているだけ。挙動としては単純だし、考えようによっては隙もあるように思える……が、もうひとつ恐ろしいのがそれを制御しているライオットの魔術の技量そのもの。これだけの高速移動でありながら涼しい顔で、重りをつけているのも意に介さず、肉体的な負担もかけずにやってのけている。しかも術者だけでなくそれにくっ付いているだけの僕にも負荷の類いがまったく発生していないのだから、手が付けられない。
強過ぎる。攻めにも守りにも移動にも。どこを取っても満点の力だ。強力な唯術と強力な術者の組み合わせは反則と言っていい。ここしばらくの間に何度となく手合わせてしてきた相手ではあるが、いつか必ず打ち負かすと決意した敵ではあるが。僕は未だにこの男にどうやって勝てばいいかのイメージができていない。攻略の糸口すら見つかっていないのが現状であった。
「おせーよ。呼んだらすぐ来いっていつも言ってんだろ」
「だからこうして来てんでしょ。せっかち過ぎるんだよ、君」
おそらくここは人香結界の外側。だけど僕のよく知る鬱蒼とした森林ではなく、ある程度人の手が入った、整備された場所のようだ。ライオットはただ闇雲に街の外へ出たわけではなく、人物を目印としてここに跳んだ。ということはつまり、先ほどの振動はやはり合図であり、その合図を出したのが目の前の彼女なのだろう。
親猫に咥えられた子猫のような体勢でライオットに吊るされている僕を一瞥して。真っ白な肌と、真っ白な瞳孔。それを覆う真っ黒な目を持った、人間離れした外観の彼女は言った。
「──それは?」
「拾い物。君にも紹介しておこうと思ってね。新しく仲間になる予定だから」
「予定、ってことはまだ引き入れられちゃいないってことか? よくやるぜ、こんな間際で新規雇用とはよ」
──なんだ、今。何か変な感じがした、気がする。
僕からすぐに目を離した彼女が、けれど僕にまだ視線を、意識を向けてきている感覚がある。ライオットと話しながらも何かしら僕を探っているような、そんな感覚だ。
僕もそうだ。ただ彼女の見た目が特異だからではない。それとはまったく関係なしに。どうしてか視線が、意識が釘付けになる。引き寄せられる。彼女という存在から目の離しようがない──。
「おや、何か言いたい? 俺が誰を組織に加え入れようとそちら様にはなんの関係もないだろうに」
「同盟を組んでるんだから関係ないってのは嘘だろ。だがまあ、口出しするようなことじゃねえのは確かだな。誰をいつどこで拾ってこようがそりゃあんたの自由だ。だけど一応の確認はしときたい。使えるんだろうな、そいつは? 幹部級を一人失くしたって聞いてるぞ。その穴埋めになる奴だっていう認識でいいのか?」
「もち、使えるさ。なんたって俺が見定めて俺が鍛えてあげてるんだからそこは折り紙付きだよ。その幹部を落としたのだってこのライネなんだから、穴埋めとしては充分以上だろ?」
「へえ、そうかい。なら重畳だ」
幹部、というのは言うまでもなくシスが仕留めたダインのことだ。ライオット曰くの、幹部最弱の男。戦闘要員ではないメグにも強さで劣るという、戦死していながら泣きっ面に蜂の評価を受けている彼だが、それは相対的なものでしかない。直接的なパワーはともかくとして、しかし空間を好きにできる唯術を持つメグが戦闘において弱いわけもなし。そもそも言ったように反則的な強さのライオット目線の強弱の判断は当てにできたものじゃないのだ。
彼が「強い」と言えば参考にもなるだろうが、「弱い」と言ったからって本当に魔術師として弱いとは限らない。
ダインもそういう人だったに違いない。唯術を持たず、故に魔力操作を鍛え上げて、けれどライオットからすれば目をかけるほどでもない段階にしか行けなかった人物。ゴードやランのように名前も顔も忘れられてはいないようだが、もういない彼のことを語るライオットに寂寥のような感情が一切見受けられないのはつまり、その程度の思い入れしか抱いていない証。幹部の末席にこそ属していても掛け替えのない仲間ではなかったということだろう。
否、ともすればライオットにとっては。
「で? 呼び出しの用件はなんなの。会議を抜け出してきてるんだから早めに済ませてくれるかい」
「はは、会議ね。熱心でいいことだ。喜べ、そいつがもっと有意義になる情報を持ってきてやったぜ」
ピッ、と。名刺くらいの大きさの紙片が飛び、ライオットがそれを指の間で挟み止めた。
「これは?」
「メグだっけか? あいつに渡しな。お前らの回収すべき魔石の位置が丸ごとそれでわかる」
「『丸ごと』? 砲弾用の仕上げの魔石。上質なのを厳選するために探すのにしばらくかかるって言ったのはそっちだろ。なのにもうそんなに数が見つかったっての?」
「見つかったんだからしょーがねえ。俺らとしても予想外だが、ルズリフ近辺で出るわ出るわ、イイ出来の魔石があちこちにありやがる。ラッキーだよな?」
「どう考えても罠じゃん、それ」
「だったらどうしたよ。罠だろうがなんだろうがそこにお誂え向きのブツが用意されてんだ。貰っちまわない手があるか?」
くつくつと笑って片眉を上げる白くて黒い少女に、ライオットも口元に涼やかな笑みを浮かべて言った。
「ないね。ありがたく頂戴するとしよう。それで砲弾も完成するんだろう?」
「ああ。そこに記されてるもんが全部手に入ったんなら、余裕だ。万全の出来になる。つまりお前らがしくじりさえしなければ決行の時は近いってわけだ」
決行──協会潰し。それに欠かせない砲台と砲弾、それらを用意するのがこの少女と、その仲間たちの役目。同盟というワードが出た時点でほぼ間違いなかったが、これで確定となった。
フロントラインに手を貸しているという『彼ら』の正体とは、この異形の少女であると。
「じゃあもう戻っていいかい?」
「いいぜ──ああいや、ちょっと待ちな。そいつは置いてけ。軽く話がある」
「……へえ?」
僕を指差して唐突にそう言った少女に、「思った通り」。意外そうな口振りとは裏腹にライオットはそういう顔をした。いきなりの指名に僕自身は驚くしかないが、ライオットには予想できていた展開のようだ。だからこの場に同行させたのか? 二人の意図が僕にはよくわからない。
「うちの新入り君とどんな話があるのかな」
「なに、計画も大詰めだ。俺からもちょいと喝を入れてやろうと思ってな。ついでにお前の言葉に嘘がないかも確かめたい。骨のある奴かどうかってのは話してみりゃ大体わかるからな」
「ふーん、そうかそうか。ま、いいよ。乱暴に扱わないっていうならしばらく二人きりにさせてあげよう」
話が終わったらまた連絡してくれ、と言い残してライオットは消えた。街へ戻ったのか……気を付けていたつもりだが、それでも案の定目で追えはしなかった。けれど今はいなくなった彼のことより、そこにいる少女のことだ。
謎の相手と一対一。僕の意見も聞かずに置いてきぼりとはあのライオット、やはりろくでもない男だ。何をされるか定かでない、という緊張が自然と身構えさせる。そんな僕を見て少女は可笑しそうだった。
「落ち着けよ、何も取って食おうってんじゃない。そら、この美しい風景でも眺めて深呼吸しな。リラックスできるぜ」
両手を広げて少女は周囲の景色を確かめるよう促してくる。確かに、広々とした野原はその中心にいる僕らへ清々しさを与えてくれている。気持ちのいい風も吹いており、ピクニックで訪れているのなら最高のロケーションだ。ただ問題なのは僕らがそんな長閑なことをするためにここにいるわけじゃない、ということ。
「そもそもここは、どこなんだ。ライオットに連れ去られて気付けば奴らの拠点にいたから、僕はそれすら知らない」
「あの街の名ならシオルタ。今いるここが何かって話なら、元開拓域で現未開域だ。人香結界の形を変えるために放棄された土地さ。だがまだ残り香があってな、ここら一帯にゃ魔物が近寄りにくい。下級魔物の餌になる動植物も充分に揃っちゃいねえしな。とはいえ危険区域であることに変わりもねえ。おかげで俺たちはこんな見通しのいい場所のど真ん中だろうと、人だの魔物だのっつー邪魔なもんに煩わされずお喋りができてるってこった」
残り香。そういうのもあるのか。
新開拓ないしは再開拓のために開拓済みのどこか他の土地を切り捨てることは往々にしてある、とミーディアから聞いている。管理や維持のための人員やコストを思えば、人の生息圏そのものと言っていい人香結界もいたずらに面積ばかりを増やせはしない。なのでどこかにはこういった「人のいなくなった土地」があるとは知っていたが、実際に目にするのは無論のことこれが初めてなので、なんだか不思議な感じだ。人も魔物も寄り付かない場所。
そこを呼び出しの場にする少女はまるで──。
「人でも魔物でもない、ようにも聞こえる言い方だ」
「はっは! なんだ、まだそこなのかよ? ライオットの野郎も食えねえな、お前を信用してんだかしてないんだか。ああだが心配すんな、ある意味じゃ純粋な男だ。変に捏ね繰り回したようなことはしないだろうよ。なんたってお前は特別なんだ、強者から好かれちまう。見事に奴もその餌食ってわけだ」
「……? 何を言って」
「ライネ、っつー名前でいいんだよな。随分と面白いルートを辿ってるようだ。後れを取り戻そうって腹か? それともミスってそうなったのか。まさかフロントラインに潜り込んでるとは思いもしなかったからたまげたぜ! だが見た限りじゃ術師としてはいまいち伸びてねえみたいだな。ライオットの術になんの反応もできてなかったろ、お前。大丈夫かぁ? このままだとあっさり俺が勝っちまう。それじゃあゲームにならねえじゃねえか」
「何を……何を知ってるんだ!? 君はいったい何者だ!」
状況への恐怖も忘れて、彼女へと詰め寄る。同じ身長、似たような体格。違うのは髪と肌と目の色。そして性差くらいだ。一見しただけではわかりにくいが僕たちの顔立ちは、よくよく見れば似通っている。まるで双子のように。その事実に気付いて愕然とする僕に、彼女の唇が大きく弧を描いた。