56.暗部
僕はS級の強さを知らない。この目で直接に確かめたわけではないからだ。話に聞いただけ。それが協会の最高戦力だと耳にしただけ。だから脅しに力が籠らなかったのか? 真実味が、足りなかったのか。
いやそうじゃない。S級のことはよく知らなくても、A級の強さならよく知っている。ミーディアたちがどれだけ優れたテイカーであり、どれだけ優れた魔術師なのかを、僕は間近で確かめた。そして戦闘力においてA級を上回るという特A級。実際に戦闘の場面を目にしてこそいないが、しかし直に相対してダンネロとマーズ。彼女と彼がどれだけの実力を秘めているかは、朧気ながらにも理解はできているつもりだ。
それすらも超えるのが、S級。強さの一点において他の追随を許さない最高峰。実物を知らずともその凄みに関しては、僕自身が力不足を痛感している魔術師だからこそより重みをもって伝えることができたはずだ。
だから、そんなことはきっと関係がないのだ。僕の言葉に真実味があろうとなかろうと。どちらにしたってライオットはこうなのだ。
S級を殺る。最強のテイカーを、打ち負かす。そのつもりでいるし、それを成し遂げる自信がある。
「なん、で」
「なんで? いやだなライネ。こっちこそなんでって訊きたい気分だぜ。俺たちが伊達や酔狂で協会潰しを目論んでるわけじゃないって君にはもうわかっているだろ? 遊ぶつもりではいるけど遊びじゃないんだ、敵の抱えてる戦力くらいちゃんと調べる。その上で勝てると踏んだから動くことにした。『彼ら』と手を組んでなければ計画の実行はもっと遅れていただろうし、全面戦争にもならなかったかもしれないけど……俺は今がベストだと思っているよ。真正面から叩き潰す、これ以上に気持ちのいい勝ち方はない。物言いのつけようもない負け方をしてほしいんだよ、テイカー協会にはさ」
「なんで、そこまで」
「またなんでか。ライネには共感能力が欠けるようだね。いーよいーよ、それは君が特別であることの証だ。だって想像もできなかったんだろう? 一緒くたに無法者扱いされる協会外の魔術師。その中に協会が生んだアンダーもいるってことが」
「……!?」
「リントがわかりやすい例かな。彼の両親と妹はテイカーとアンダーの争いに巻き込まれて命を落とした。不必要に戦域を広がらせたテイカーには大したお咎めなし。孤児になったリントへの援助は必要最低限もなくさっさと施設送りだ。その理由は魔力による攻撃で命の危機に晒されながら、当時のリントが魔力をまるで知覚できていなかったから。要するに魔術師の才能がないと判断されて『どうでもいい奴』の烙印を押されたわけだ」
「でもボクはそれでよかったと思っているよ。その時のことが切っ掛けなのかどうか、今では結局魔術師になっているけど。もしもあの日に力が目覚めていたら否応なしに協会に取り込まれていた。心底ゾッとするよ、そんな未来になっていたらと思うと」
「テイカーなら知っているんじゃないか? 所謂『飼い殺し』ってやつ。それともライネは新人らしいからまだ知らされていないかな? そういう協会の暗部は」
「暗部……」
思い返せば、納得のいくことではあった。テイカー試験においても既に魔術を行使できる者や、合格こそさせられずともその芽生えが確認できる者に関しては、協会は決して手放さない。僕の試験時で言えばアイナがその枠であり、また僕自身も途中で脱落していれば彼女と同じように雑用枠という名目で囲い込まれていた。だがそれは、言ったようにあくまで魔術の素養が認められていたからだ。
そうでなければ? 魔術を使えない、どころか魔力の無自覚な知覚にすらも至らない者に対して協会は何をするか。答えは「何もしない」だ。それは最終試験まで残った他三名がただ不合格者として放逐されるだけに終わっていることからも明らかである。
特にあの女性。人一倍の根気があって、ガントレットを相手に堂々と戦い、ズタボロになり、けれどまったく魔術の才を持たなかったらしい彼女が、もしあそこで少しでも目覚めの素振りを見せていたら。きっと彼女もアイナと一緒に囲い込まれていた。──それは魔術師の保護のため、というよりも。テイカー以外の魔術師が増えるのを嫌う協会の思惑の方が強いのかもしれない。雑用枠の話を聞いて僕もそう感じなかったわけではない。
だが、その裏までは考えなかった。魔術師を手厚く抱え込もうとすることは非魔術師に対する酷薄さに通じる、などと。今僕の目の前にいる彼ら彼女らが、その施策の被害者とも呼べる者たちであることなど。確かに僕は予想だにしていなかった。
「よくやってるよ、協会は。既得権益をガチガチに守っている。一個の組織として当然のことを当然にやっている。偉いとすら思うよ。『大変そうだな』ってさ」
「その言い方は……まるでお前には恨みがないように聞こえるけど」
「うん? そりゃあそうだろうね、まるでも何もその通りだよ。俺は別にリントや、協力を申し出てくれた他のアンダーみたいに、協会に恨み骨髄ってわけじゃあない。なのに『なんで』協会を潰そうとしているかって? ──俺はね、ライネ」
ぐいっと。こちらに身を寄せて、顔を寄せて、僕の顎に手をやって。強制的に髪色と同じ輝く金の瞳と真正面から僕を向き合わせて、ライオットは言った。
「自分の生い立ちを不幸とは思っちゃいない。ただ、気に食わないだけ。たくさん取りこぼしているくせに如何にも全てを救っているみたいにデカい顔でのさばるテイカーたちが邪魔なだけさ。俺たちが作る新しい世界には、絶対にいらない。この時代に置いていかなくちゃならない。だからぶっ潰す。おわかりかい?」
「──わからないよ」
ライオットの手を払いのける。そうして僕は自ら奴へ顔を近づけて、至近距離で睨みつける。金の瞳に、薄い青が映し出されている。
「魔物はどうするつもりだ。人の社会が成り立っているのはテイカーが危険な魔物を狩っているからだろ。協会がなくなったりしたら誰が人を、社会を守る? まさかお前たちが取って代わるなんて言わないだろうな。たったこれだけの人数で」
もしも協会潰しが叶ったとしても、その先は地獄。ライオットの目指す新しい世界とやらはただの混沌でしかない。僕からすればそうだが、けれどライオットには違うものが見えているようだった。彼は椅子へ深く座り直し、肩をすくめて応じた。
「それってそんなに肩肘を張ることか? 魔物がいる、人を襲う、強い人がそれを狩る。協会主導じゃなくたってそういう形になるでしょ。自然の摂理みたいなもんさ。そりゃー協会がなくなって間もない内はごたごたもあるとは思うけど、それもすぐに収まるよ」
「そーそー。人香結界さえあれば協会なんか消えたって社会は維持できるんだから。人が暮らせているのは日々のテイカーの頑張りのおかげだ、なんて、間違っても思っちゃいけないぜ?」
ライオットの言葉に乗っかってリントが僕を小馬鹿にするような表情でそう言った。対魔物の面でも協会が不必要である、というのはどうもライオット個人の私見などではなく、フロントライン全体の共通認識のようだった。
「えーと、人香結界の保全に関わってんのは協会だけじゃないんだっけか」
「統一機構と治安維持局も携わっているな。三位一体、などと謳っているが。知っての通り機構は協会ありきの法を敷くお飾りのパートナーでしかなく、治安局に至ってはただの犬だ」
「いいんじゃないかしら? それくらいの方が扱いやすくて。私たちが協会に代われば今度は私たちに尻尾を振ってくるんでしょう。そう思うとかわいいわね」
「どこがだよ……ミュウ姉さんの感性はわっかんねー」
バーツに、ギドウスに、ミュウ。和やかに会話する彼らもまた自信に満ちている。協会を壊せる自信と、壊した後の支配。それも上手くいくという、上手くいかないわけがないという確固たる自信が満ち溢れている。
──何を言っても無駄。僕がどれだけ言葉を尽くしたってこの場の誰も耳を傾けてはくれないし、その心を揺さぶることもできない。そう理解せざるを得ずに拳を握った僕に、ライオットは追い打ちをかけるように告げた。
「それで、君はどうする」
「え……?」
「仕上げの魔石集めが終わればいよいよ戦争だ。それまでは手解きを続けるつもりでいるけど、そこから先は流石に俺も忙しくなる。フロントライン自体もね。そこが君も身の振り方を決めなくちゃいけないラインだ」
「……決めるも何も、お前が浚ってきてお前が閉じ込めているんじゃないか。僕に決定権はない。それに、僕に対してあれやこれやと条件を付ける気はないってお前は言ったはずだぞ」
「だから何も要求せずにただ鍛えてやってるだろう? でも無料お試し期間は終わり。ここからは有料の会員制ってことにしよう」
「しようって……」
そんなことを言われたって僕に払えるものなんてない。金銭の話だけでなく、他に渡せるものもできることも、本当に何ひとつ思い浮かばない。まさかライオットだってここで戦力として僕を登用しようなどとは考えていないだろう。そんな采配をすればいざ戦闘という場面で裏切られるのは見え透いていることだ。
しかしだとすれば彼はいったい何を要求するつもりでいるのか。とうとうこのときが来たかと胸の内に少々の怯えが混ざるのを無視し、僕は動揺を表に出さずにライオットを見つめ返す。
彼は笑って。
「仲間になる、とはまだ言わなくていい。だけど協会潰しを邪魔しないっていう宣言くらいは欲しいところだな。お互いの譲歩としてさ」
「譲歩だって?」
「ああ。何も君にばかり払わせようってわけじゃない。こうして馬鹿な真似をせず大人しくしてくれているだけでも俺としては大助かりなんだ。手ずから君を鍛えているのはそのお礼みたいなものだと思ってくれ。で、その上で協会潰しを黙認までしてくれるっていうなら、こっちからも新たに支払おう。そうだな……君が死んでほしくない五名を『殺さないと約束する』。ってのはどうだい」
「……!」
「俺が約束を守る男だってのはライネもよくわかったね? ここで君が頷けば必ずその五名は助けよう。協会潰しの際に立ちはだかってきたとしても、絶対に死なせない。怪我くらいは覚悟してもらうがそれ以上の苦痛も与えない。どうかな、割と魅力的な提案だと思うんだけど」
「そんなの……そんなの、何が魅力的だ。結局は脅しじゃないか!」
「おいおい。おいおいおいライネ、脅しはないだろ。どうせ何もできない君が、何もせずとも親しい人を助けられるんだ。それって望外の幸運だぜ? いい子ぶるなよ、そんなの見てるだけで窮屈だ。見捨てればいいんだ協会なんて。君だって特に思い入れがあるわけじゃあないんだろう?」
「っ、お前になんでそんなことが」
「わかるさ。俺と同じだ。凡人からは理解されない目的がある。志がある。それを成すために君はテイカーになっただけ。だけなんだ。それは俺が俺のために協会を排すると決めたのと何も変わらない。使命に準じるなら、あるいは殉じるなら。勝ち馬には乗っておくべきだよライネ」
ライオットの口調は優しかった。彼が僕に何をさせたいか。何を期待しているのかは杳として知れないが、けれど出会った当初とその印象は変わってきている。物を見る目だった。初めは確実にそうだった、なのに今は。
まるで僕の全てを知るように。見透かすようにその瞳には、人を見る温かみがあった。
「そうだな、なんならもっと譲歩してもいい。君の態度次第じゃ助ける人数を五名よりも増やしていい。どうだい、これなら頷きやすくもなったんじゃないか? 協会よりも仲間を選ぶ理由付けに、なったなら。もう悩むフリなんてしなくていいはずだ──、っと」
その時、突如として部屋が──建物が震えた。