54.双方
片手だ。必死の攻撃を繰り出さんとしていた両者の手元を片手だけで抑え、完全に動きを止めている。その光景だけでもエイデンが人並み外れた強者であることは歴然だった。
何せ斬れていないし、焼けてもいない。なんでも切り裂く刃となんでも溶かす炎の合間にいて彼はその脅威のどちらも見事に殺し切っている。魔力防御の域が人間のそれではない。なおかつ体術にも明るい。それを最も実感させられているのが、片腕を掴まれただけで身動きを封じられているアイナとイリネロだった。
「おい。俺様はやめだと言ったはずだぜ。なぜ魔力を引っ込めねえんだ?」
故に、彼の言葉にも逆らえない。たとえどんなにヒートアップしていたとしてもだ。
まずイリネロが炎を仕舞い込んだ。それを受けてアイナも剣を持つ手から力を抜く。両者共に蝋燭に息を吹きかけるように闘志の火を消した。そのことを確認してから、エイデンは二人の腕を放した。
「これ以上は蛇足ってもんだろう。勝負こそついてねーがつけるまでもなく、よぅくわかったぜ。お前ら二人もなかなかどうして俺様好みにイカれてるってことがな」
アイナとモニカ。単独での実力的には、甘く見積もってもB級の中位から下位といったところだろう。そもそもテイカーの等級は(S級を除いて)単純な戦闘力だけで測れるものではないために、一度の模擬戦だけで何級だと判定を下すのがそもそもの間違いと言えば間違いなのだが。間違いを前提とした上でも、この二人には素質がある。そうエイデンは見做した。
思い切りの良さと容赦のなさ。場合によっては短所ともなり得るそれらを存分に持ち合わせている。危ういが、それでこそだ。その精神性だけでもそこらのB級を遥かに超える価値があると言えた──それはまさにエイデンが好むテイカーの在り方であるからして。
「実力差から言って本来なら一撃で終わって当然の勝負。よくぞ食らい付いたもんだ。だが食らい付かれた側のこいつのイカれっぷりだって充分に見えたよなぁ?」
自身に向けられた問いに、ミーディアは審判としての役割を奪われたことに少しばかりむすっとしながらも応えた。
「そーだね。推薦されただけのことはあるって感じかな。経験の少なさからか荒い部分も多々あるけど、そこはうちの二人もそうだしねー。……でもまあ」
同じ土俵に立っているとした場合、やはりイリネロはアイナやモニカよりも先を行っている。それは魔力の質の話であり、底の知れなさの話でもあり。ただし伸びしろに関しては二人も負けていないとミーディアは思っている。
「エイデンさんが止めなければ、勝っていたのは二人だけどね」
「はっ……やっぱルズリフじゃあお前が一番イカれてんな」
相変わらず口調や態度は粗野そのものだが、死者を出さないために割って入ったエイデンの行動は良識的なそれだ。対してミーディアは、口振りこそアイナやモニカを高く認め贔屓しているようであるがその実、とても過酷なことを言っている。弟子を可愛く思わないのか、あるいは可愛がり過ぎているのか。どちらにせよ彼女が鍛えたという二人の実力は決して低くないことがわかったのだからそれでいい、とエイデンは思う。
そもそもモニカとアイナに対して隔意があるわけではないのだ。エイデンが快く思わなかったのはあくまでミーディア(正確にはルズリフ支部)の我儘であり、それを規則に厳しいはずのグリンズが容認している点であった。普段の自分が立場を笠に押し通している数々の我儘──その中には上層部から下った命令への違反など、テイカーであれば本来決して許されないものもある──も棚に上げて「面白くない」と。たったそれだけを理由にイリネロと競わせたわけだが。
面白半分に行った模擬戦で、思いの外に満足できた。これまたたったそれだけを理由にエイデンは自ら始めさせた模擬戦を中断させたのだ。
「では、いいんだなエイデン。現場での責任者としてこの二人の参加を認める、ということで」
「ああ、いいぜ」
「……後から気を変えたとしても、もう聞かんぞ。そのつもりでいろ」
へいへい、と念押しの確認に対しても暖簾に腕押しといった風に生返事を返すエイデン。その態度にグリンズの目元がピクリと動いたが、しかしそれ以上は何も言葉にせず、彼は一同へ向けて言った。
「ここにモニカ君とアイナ君が任務に加わることが正式に決定された。諸君ら各々に意見やポリシーの違いもあることとは思うが、私たちの目的はひとつ。協会に仇成す外敵たる組織、最前線域の撲滅! 果たすべき任務は全構成員の抹殺を命題とする掃討戦となる。確認されている敵戦力や未知の部分も含め、確実に過酷な戦いとなるだろう。どうか一丸となって当たり、必ず勝ってもらいたい。それが命を落とした協会員たちへの弔いにもなるだろう」
覚悟はできているな、と。最後に問うたグリンズに、皆がその目に戦意を宿して答えとした。
◇◇◇
「何してんのー。ほら、早くしないと。皆を待たせて申し訳ないとか思わないのかい、君」
「誰が急げなくしたと思ってるんだ……!」
部屋の外からせっついてくるライオットの声に反論しつつ、訓練着からいつもの一張羅へと着替える。最初は居心地の悪さと心細さしか覚えなかった独房のようなこの個室も、住めば都の言葉通り、今では不便や不満もなく利用できている。室内に簡素ながらにシャワーやトイレがあるのは割とありがたい……それらが余計にこの窓のない部屋を独房らしく仕上げている要因なのだが、まあ。実際に僕は監禁されている立場なのだからそれが正しい状態でもある。
昼夜の変化を感じずに過ごしているせいで時間の経過があやふやになってきている。僕がここに来てからいったいどれだけ経っているんだろう? 感覚だけで数えられたのは五日くらいまでが限度だった。体感的にはその倍以上は日にちが進んでいる気もするが、それも絶対とは言えない。
こういう時、シスがいてくれれば正確な時間を教えてくれたのだろうけれど。待てど暮らせど、何度呼びかけてみても彼女からの返事はない。ここまでくるといよいよ最悪の想像が頭の中で大きくなってくる。だが、めげたりはしない。僕にできるのは待つことだけ。そして訓練を続けつつ、ライオットの──フロントラインの隙を窺い続けることだけだ。
などと格好よく言ってみても、今のところ進展らしい進展は何もなし。ほぼ四六時中ライオットが傍にいるし(暇なのかこいつ?)、それ以上にネックなのが空間を越える力を持っているメグの存在だ。この部屋も含め拠点全体が常にメグによって監視状態にあり、仮にライオットの手から逃れ脱出が叶ったとしてもその能力によって一瞬で連れ戻されてしまうのは目に見えている。
僕はつい先日、彼女が「門」なるものを開いてどこかへ消える現場を目撃した。なので、自力でこの施設から脱走をしようと本気で画策するならばライオットとメグの打倒は必須の条件となる。そしてそれらは現状、僕だけでは成し遂げられない。つまり無理ゲーというやつだ。
……焦ってはいけない。ライオットの真意は未だに掴めていないが、彼が僕を鍛えてくれている内はありがたくその恩恵に預かろう。シスの助言がないことで僕の成長効率はいつもより落ちているのだろうが、それを踏まえてもライオットという(腕前だけは)一流の魔術師からみっちりと日がな一日鍛えてもらえるこの環境は、僕にとってありがたいものでもある。
成長している実感は、ある。僕だけが唯術を使っていい組手では──依然として氷霧の使用だけは許されていないが──ライオットを相手にも少しだけ粘れるようになってきている。これは当初の実力差を思えば劇的とも言えるだろう……越えるべきハードルが高すぎていまいちその達成に近づいている感覚に薄いものの、しかし確実に、遅々の歩みだとしても着実に、そこに近づいているのは確かなはずだ。
逸るにはまだ早い。少なくともこれから紹介されるというフロントラインの幹部、その顔ぶれや実力を確かめるまでは馬鹿な真似を起こしてはいけない。そう自分を戒めつつ、何度も追加で急かしてくるライオットの声に応じて僕は部屋を出た。
「ほら、準備できたよ」
「おっそいなぁライネ。デートでも待たせるタイプ? よくないなー、それ。待ってあげる側じゃなきゃ女の子にはモテないぜ」
「別に女子にモテなくても困らないよ」
「うん? あ、男子が好みだったりする? 参ったな、俺はノーマルだから惚れられても困るんだけど」
「そういう意味じゃない!」
そうだとしても誰がこんな男を好むものか。直接手を下したのはダインだが、ザッツとギルダンをあんな目に遭わせたのはライオットが元凶だ。……ないとは思うが。そう信じているが、万が一にも二人が助かっていなかったら。僕はいよいよこの男を許さない。必ず償いをさせてやる。
こいつ自身の、命で。
「いいから行こう。待たせているんでしょ」
「ライネがね」
……恨みを差し引いてもライオットは単純にムカつく奴だ。これでいて本人は自分のことをまるで人徳者のように言うのだから信じられない。鼻歌を歌いながら歩く軽薄な背中についていき、入り組んだ廊下を歩くこと数分。やがて僕たちは広い場所に辿りついた。ライオットとの訓練室とはまた別の、相も変わらず窓のない空間。その中央に置かれた円卓には五名の人間の姿があった。
一人はメグ。他の四人は、初めて見る顔だ。男性が二人に女性が一人、そして少年が一人。その中には僕をじっと見つめる者もいれば興味なさげに視線を寄越さない者もいて、反応はバラバラだ。
円卓には空席がふたつ並んでおり、僕とライオットはそこへ腰かけた。こうやって天井から豆電球がいくつかぶら下がっているだけの薄暗い地下室で、大の大人も含め畏まった雰囲気で卓を囲んでいると、今にも妙な儀式が始まりそうで少し息苦しい。けれど神妙さすら感じさせる場の空気感とは裏腹に、仲間の前でもライオットはやはり軽薄な調子のままに言った。
「まずは紹介からしようか。メグ以外は初めましてになる、この子がライネ。なんと現役のテイカーです」
「本当に浚ってきてたんだ。よくやるね、そんなこと」
「メグの協力があればよゆーよゆー」
感心とも呆れともつかない少年のリアクションにニッとピースで応えたライオットは、次いで僕へ視線を寄越して。
「で、ライネ。君も気にしていたフロントラインの主要構成員。有り体に言うところの幹部ポジションが、俺も含めたこの六人。元々はダインも入れて七人だったんだけどね。そう、ちょうどその席にあいつが座ってたんだよ。でもまあ死んだからにはしょうがない。そこはもう君のものだ」
「……これが全幹部? あとはランやゴードみたいな使いっぱしりだけ?」
「いや、前回の魔石獲りで在庫一掃セールをしちゃったからさ。今のところここにいるだけでフルメンバーだね。結成当初に逆戻りだ」
あはー、と笑うライオットに女性がため息ひとつ。
「こつこつと勧誘を頑張ってきてようやく大所帯になれたっていうのに、減るときはあっという間。報われないわねえ」
「なんて言っても最初から使い捨てるのが目的で集めた連中だろ? じゃあいいじゃんか」
「使い捨てるにしても少々荒過ぎたがな。確実に上級魔石を奪うためとはいえ前回の作戦だけで全滅とは、かけてきた労力に見合っていると言えるのかどうか……」
女性の言葉に続けて男性二人がそう会話を交わす。どうやらそれぞれ地噛の魔石の一件に関する意見、というか思うことには微妙な差異があるようだ。
「あーギド、それに関しては協会の焦り方を見誤った俺の責任だ。一旦そっちを手伝ってからライネを探してもよかったわけだしさ」
……確かに、そうされていたらテイカー側はもっと苦しかったろう。僕の方にはダインだけを先行させていれば支部への帰還は阻止できていたのだから、その間にライオットが手を貸して暴れていたらミーディアたちの被害は更に増えていたはずだ。そうならなかったのは、まだしも僥倖だと言えるのかもしれない。
それにしても、この男がギドウスか。男性二人の内の大柄な体格の方が特A級コンビの片割れを仕留めたという例の人物……見るからに武闘派の、外見だけで言えばこの場にいる誰よりも強そうな奴だ。脱出の際にはこちらも面倒な障害になりそうだぞ。どんな唯術を持っていてどんな戦い方をするのか事を起こす前に知っておきたいところだが、さすがに今すぐ安直に訊ねられはしない。
いや、ギドウスだけでなく残りの三人の力もちゃんと把握しておかないとどこでどう足を掬われるかわかったものではない。なのでどんな情報も聞き逃さないように、注意深く彼らのやり取りを観察しなくては。
「それじゃ、対協会に向けて今後の方針について話し合おうか。フロントライン会議だ」