53.過熱
アイナには技がある。誰に師事をしたわけでもなく身に着けた独自の技術。幼い頃より身に宿す破壊衝動、そのはけ口としてひたすらに鍛錬ばかりしていたことで自ずと開発されたそれは、洗練とは程遠い粗削りな出来ながらに、けれど確かに彼女の暴力を武へ昇華させている。
曲がりなりにも戦闘術。それを有しているからこそ手数勝負で上をいけた。だがその事実はアイナの技量以上に、そういった技術を一切有しないながらに途中までは互角以上に渡り合っていたイリネロの異常性を示すもの。戦闘経験どころかまともな鍛錬の経験すらほぼなし。それでいて天性のセンスを磨き続けてきたアイナに悠々と追いつけるのだから彼女もまた天性の才の持ち主。
そしてもうひとつ、イリネロの特異を示すのが。
(この女……)
小さく眉根を寄せるアイナの表情。
本気の一発だった。それまでの手数を優先させた拳と違い、今の打ち込みはアイナの出せる全力。それを思い切りぶつけたというのに。顔面という無防備な場所へ叩き込んでやったというのに、手応えがない──いや、正しくは「応えた感触」が拳からしない。
確かに打ち抜いた。頬を打たれたお返しに同じ箇所へそれ以上のものを返してやった、つもりだったが。まったく通用していない。先に当てた三連撃同様、イリネロにダメージは皆無である。そう知ってアイナは良くない感じのする魔力を垂れ流す目の前の存在から自発的に下がることで距離を取った。
(やるじゃねえか。イリネロの一撃を止めてみせたのも、その直後の反撃も。どっちも悪くねえ。俺様の予想を超える善戦っぷりだ。そう言ってやってもいいが……やはり相手が悪いぜ)
イリネロのギアが、更に上がった。退いたアイナの直感正しく、まさしく彼女の本領はここから発揮される。その呼び水となったのだから二人の奮闘も「よくやった」というより「やってしまった」と評した方が正確だろう。
一見すれば嫋やかな淑女に思えるイリネロの、内面奥深くに隠された手の付けられない本性を表すような力。それが──。
「【業炎】」
「ッ!」
イリネロの体から溢れ出し、膨れ上がったモノが自らの体に触れようとした直前に、アイナは獣の俊敏さでその接触から逃れた。躱した、のではなく逃げた。先の一撃以上に食らってはいけないものだという予感が彼女に正しい行動を取らせた──イリネロが操っているのは、炎だ。それもただの炎ではない。ドロドロと粘性を得たまるで溶岩を思わせる赤黒い炎。文字通りの高火力に物理的な破壊力まで伴った、触れるもの全てを焼き尽くす恐るべき力。
それがイリネロの【業炎】。姉のダンネロ・ドーパと名称も能力も同じとする、極めて攻撃的な唯術である。
「炎の唯術……!」
相棒であった少年と同じ系統の、しかして見るからに火力や殺傷性においてより優れているその唯術を目の当たりとして、果たしてモニカの胸中にどんな想いがあったか。本人にとっても定かではないそれを燃料としてなおもアイナへ迫る炎を塞き止めんと展開された盾は、けれどその役目を果たせたのも一瞬。すぐに突破されてしまった。
その一瞬のおかげでアイナは無事だ。盾の存在にあぐらをかかずちゃんと逃げおおせている。が、モニカとしては相方の無事を喜んでばかりもいられない。今のは、壊されたというよりも焼き溶かされた。そういう盾の崩れ方だった。こんなのは初めてだ──今まで巨大な魔物や、フロントラインの構成員に強引に叩き割られた経験はあっても、魔力で作成されている盾を「溶かしてくる」敵などいなかった。
(【業炎】は魔力すらも焼く!? それって)
油断なく次の盾の展開に備えながらもモニカは内心で愕然とする。打撃にしろ斬撃にしろ、衝撃そのものを弱めるモニカの盾は対物理の性能において極めて優れている。けれどもイリネロはそれを焼くことで無視できる、となれば、翻って彼女の炎は魔力防御すらも無視して直接的に火力をぶつけられるということでもある。
全身が魔力で構成されている魔物はもちろん、身の守りを魔力で賄う魔術師からしても地獄のような炎。それが【業炎】。特A級の姉にも劣らないと言われる破格のテイカーが持つに相応しい唯術──。
という考えをミーディアは否定する。
(いや! 火力こそあってもダンネロの【業炎】はそうじゃなかった。少なくとも彼女は魔力そのものを焼くなんてことはしていなかった……同じ唯術でも使用者で差異が生じるのは珍しくない。これはイリネロの【業炎】の特性!)
まるで腕のようにアイナへと伸ばされた炎。それから受ける印象として操作精度はダンネロに遠く及ばない。が、離れた位置からでもひしひしと感じられる火力に関してはおそらく姉を超えている。あれをまともに受けては、当たり所によっては助からない。マーゴットの治癒の余地すらなく即死するだろう。そしてミーディアの見立てにおいて何より拙いのは、そういった最悪の事態を回避しようという理性がイリネロにはどうにも見受けられない点だった。
「だったら、こっちも」
「!」
アイナがその腰に提げられている交差した一対の鞘より短剣を抜き放つ。と同時に、彼女の身に纏う魔力が凛と鋭さを増した。イリネロほど激しい変貌ではないが、確かな変化が起きた。愛用する武器を構えたことでアイナはたった今「本気」になった。立ち昇り、放たれる剣気。二匹の獲物のどちらを狙うか彷徨っていたイリネロの視線が、アイナ一人へと吸い寄せられる。その程度には剣を持つ彼女の姿は様になっていた。
狙い通り。ここでモニカが標的となっては攻め手と守り手の分担の都合上、二対一の構図が崩されかねない。持ち前の嗅覚でそうなる危険性を察知していたアイナが見せつけた刃と攻勢の気配は、しかと敵の判断と攻撃の手を誘引。己の方へ炎を向けさせることに成功した。
「大丈夫」
ぽつりとそう呟いたのはモニカへの言葉。おそらくは自分を守るためにすぐにでも盾を展開させるべきか迷っているであろう彼女へ、その必要はないと端的に伝える。「自力でどうにかできる」。剣を抜いたアイナにはそれが叶う自信があった。
「斬る」
迫りくる炎へ、アイナは自ら飛び込んでいった。自殺行為。傍からはそうとしか思えない馬鹿げた選択──が、翻った短剣によって否定される。勢いよく振るわれた刃が触れた瞬間に炎が両断されたのだ。
「!?」
これにはイリネロも、そしてエイデンも瞠目した。たとえ魔石から造られた魔鋼製の刃であっても【業炎】の火力に耐えるのは生半なことではない。ましてやアイナが持つ短剣は左右のどちらも非魔鋼製。なんの変哲もない──と言うには些か研ぎ澄まされているが──どこにでもある代物。魔力すらも焼き尽くすイリネロの炎と衝突してどちらに軍配が上がるなどそれこそ火を見るよりも明らか。そのはずが、結果は誰もが思い描く結末の反対なのだからこれには何か訳がある。
その答えを知っているのはアイナにテイカー資格と魔力を操る術を与えたガントレットと、実戦的な指導を施しているミーディアだけだ。
(【切断】! 対象を斬るだけのこの上なくシンプルな唯術。アイナが振るった剣は普通なら斬れっこないものだって斬ってみせる。たとえそれが【業炎】の炎だろうと!)
どんなに硬いものだろうと柔らかいものだろうと、アイナにそれを切り裂くイメージさえあれば彼女の刃は止まらない。故にこの場合は、イリネロの炎が独自の粘性によってスライムのようにもなっていること。焼かれる敵からすれば自身に纏わりつく厄介なその特性が、かえってアイナにとっては「斬るイメージ」の補強になって好都合だったと言えるだろう。
想像した通りの手応え。イリネロの顔を打った際のそれとは違う、清々しい感触をその手に握り締めてアイナはもう一方の短剣も振るった。縦と横。十字に切断された炎は四等分に別たれ、そして力をなくしたように熱量を失いながら萎み消えていく──バラバラにされたことでイリネロが「自分で操っている」と思える判定から外れてしまったのだ。【業炎】の制御下から離れた炎は急速に力を無くす。好都合が増えた、とアイナの口元に小さな笑みが浮かび。
それに対してイリネロも口角を吊り上げた。
(簡単には焼けてくれないなんて……なんって素敵なことでしょう!)
過去にイリネロが自身の唯術を「まともに」ぶつけた相手はただ一人、姉のダンネロだけだ。同じ唯術を持つが故にイリネロの火力にも耐えられた彼女は、決着の後に妹に対してとある約束をした。イリネロはそれを破らないと誓った、だが──。
(先に破ったのはあなたの方! だったら私も、もういいよね!? もういいでしょうお姉ちゃん……!!)
自らと同じC級のテイカーに披露するには過ぎた技かもしれない。これを知れば姉は眠りから目覚めて自分を烈火の如くに叱るだろう……でもそれでもいい。未だ意識不明であるあの憎らしくも大切なたった一人の家族が起きてくれるのなら、喜んで禁を冒そう。誓いも約束もいくらでも踏み躙ってしまおう。イリネロにできることはもはやそれだけしかないのだから。
たとえ目の前の少女の未来が閉ざされたとしても、その時はその時。
「行きますよ──ッぐ!!?」
限りなく前傾姿勢だった。切り裂いて無力化するという慮外の凌ぎ方をしてみせたアイナに対し、そのやり方では防げないほどの炎をお見舞いしてやろうと。後も先も考えずにとにかく焼くことだけを目的に定めたイリネロは、そのせいで敵の片割れであるモニカへの注意を忘れた。模擬戦開始からこの瞬間に初めて両方への警戒を怠った……その隙を突かれた。
アイナが自身に視線を集めさせたのはあくまで後衛であるモニカを狙わせないための行為。彼女を守るための選択だ。その意図を理解しつつ、けれどモニカは守られるばかりを良しとしなかった。
イリネロの意識がアイナにのみ向けられた。自分がマークから外れたと認識した瞬間にモニカは予め作成していた盾を、ぶん投げた。変則的な砲丸投げのようなスタイルで腕に沿わせて三角状に展開していたそれの切っ先をより鋭く変形させながら、思い切り標的に目掛けて発射。普段のモニカからは想像もつかないパワフルなモーションで放たれた鋭利な盾は、あたかも自らの意思で敵へ襲い掛かったかのように。まるで吸い込まれるように無警戒のイリネロの頭部へと命中した。
「っ……、」
モニカの盾は彼女の手元から離れても術的繋がりが消えない。そうでなければ他者を守るための盾の展開などできるはずもない。撃ち出した盾から、確かに感じられるもの。それはアイナが拳で味わった感触と同じ。当たってはいてもダメージにはなっていない。そうはっきりと伝わる虚無の手応えであった。
「あはぁ……♪」
口だ。顔面に突き刺さったかに見えたモニカの盾は、イリネロの口で。歯によって噛み止められていた。その隙間から涎の如く灼熱の液を滴らせ、盾を溶かしながら彼女は壮絶に笑った。
「あなたも、いいですね」
奇襲失敗。モニカがそう悟った時にはもうアイナが次なる攻めのために動いていた。機を逃さない。そして機を与えない。イリネロに勝利するためにはこれらを徹底しなければならない、そう本能で感じ取っているアイナは果敢に挑む。両手の刃を翻して一気に距離を詰めた彼女に──しかして今度ばかりはイリネロも正しく対応する。
モニカへの注意も怠らず、かつアイナを迎え撃つべく魔力を練り上げる。灼熱の勢いを更に増加させる。迫る短剣を見据える彼女には、年下の少女二人が凝らす可愛らしい工夫や努力をまとめて焼き尽くせる自負があった。
終わらせよう。イリネロの全身からどろりと垂れる熱気。それにも怯まず突き進むアイナ。そんな相方のフォローをすべく構えるモニカ。この後、どちらか一方は大きく負傷する。あるいは、死亡する。そう予見させる決死の激突──それを。
「やめだ、お前ら」
今まさに衝突しようとしていたアイナとイリネロの狭間。一等の危険地帯であるはずのそこに、いつの間にかエイデンが立っていた。