52.模擬戦
「馬鹿な。任務参加の是非を戦闘で決めるなど、いくらなんでも乱暴が過ぎるぞ。だいたい研修や昇級監査でもないのにテイカー同士が矛を向け合うなど──」
エイデンの提案に対しグリンズは当然に待ったをかけようとする。だが。
「私は構いませんよ? 私も、私以外も、不義があればこれを正す。当然の行いです。戦うことでそれが成されるのであれば、私は喜んで誰を相手にも戦いましょう」
「アイナも、それでいい」
「わ、私も構いません。腕前を疑われているなら、テイカーらしく力を証明したいと思います」
「君たち……」
当人たちは既にやる気になっている。長年「おあずけ」を食らっているイリネロは誰でもいいから戦いたい欲が隠しきれておらず、またどうしても此度の任務への参加資格を得たいアイナとモニカもそれが手っ取り早く認められるなら否やはない。その意思が表情に表れていた。
特にモニカのモチベーションが凄まじい。グリンズをもってしても何を考えているのか非常に読みにくいアイナとは違い、彼女には一目で見て取れる並ならぬ気迫があった。
「グリンズさん、それにガントレットさん。どうかお願いします。たった数日ミーディアさんに鍛えてもらっただけの私たちじゃ、本部の皆さんに認めてもらえないのはわかっていました。お二人は『反対させない』と言ってくれましたけど、でもそれじゃ私自身が嫌なんです」
ぐっと手を握り締めてから、決意に満ちた顔でモニカは言った。
「共に命を預け合う仲間には、それを心から認めてほしい。じゃなきゃ同じ戦場に立つべきじゃないと、そう思うから」
──モニカは変わった。約一年前に彼女の試験を監督し、その後に本部にある訓練所へ送り出したガントレットとしては、その目覚ましい変化に感じ入る。……ザッツと二人一組で助け合っていた、どこかぽやぽやとした雰囲気だった少女はもういない。彼女は見違えて逞しくあった。
チームメンバーの死。それがテイカーに与える影響は良くも悪くも大きい。そこで折れてしまう者も少なくないが、逆に奮起した者は伸びやすい。魔術師の成長とは必ずしも鍛錬に費やした時間に比例するものではない──強い衝動や情念。感情は魔力へ作用する最大の要因にしてその燃料ともなる。それを得た魔術師が一気に段階を駆け上がる例は長くテイカーをやっていれば何度も目にする。今もまた、そうだ。
モニカ・サンテナの皮は剥けた。剥き出しになったそれが彼女をどこへ転がすかはまだ誰にもわからない。だが、モニカにテイカー資格を与えた者として。そして彼女の所属する支部の長として、ガントレットはできるだけその意思を優先させてやりたいと思っている。彼とてまた、仲間を失う痛みはよく知っているのだから。
その想いはグリンズも同様だ。なので自身の眉間を強く指で揉みながら、彼は確認として訊ねた。
「話が早いというならその通りだ。ただ名前や所属を知るだけより余程よく『知り合える』ことも間違いない……だが、本当にいいんだな? 模擬戦だろうと魔術師同士の戦いなのだ。事故は付き物。最悪の場合だって覚悟しなければならない」
ここに治癒者であるマーゴットがいることが果たして幸いなのかどうか。余程のことでも起きない限りは彼女が元通りにしてくれるだろう、という保証こそあるが、それでもグリンズは諸手を挙げて賛成などできない。責任者としての彼は「戦力の低下」に繋がりかねない行為を忌避しており、また立場を抜きにしたとしても人の好い彼のこと、味方内でいがみ合うシーンなど目にも入れたくない。が、そういった個人的な諸々を抜きにしてでも今はぶつけ合わせるのが吉だと「テイカーとして」の彼は言っている。
まったくもって度し難いことだが、テイカーとはグリンズ自身も含めてそういう生き物であるからして。
厳めしい顔付きで眉間に指をやるのは不承不承の了承の合図。それを知っているガントレットとミーディア、またエイデンには、続くグリンズの言葉が聞かずともわかっていた。
「それでもやると言うのならもはや私は止めん。どうする?」
「やりましょう」
「やる」
「やります」
声を重ねるように少女三人がそう答えた。グリンズはしばし間を空けて誰か他に否を唱える者はいないかと待ってみたがそんな者は現れなかったため、黙って頷いた。
◇◇◇
「ご安心を、グリンズ第二執務長。危険と見れば私が止めますので」
「うむ……頼もう、ロドム君」
ロドムの唯術についてはグリンズも把握済みである。彼ほど場を納めるに適当な魔術師も他にはいまい。が、それも模擬戦が通常の模擬戦の範疇にあってくれればの話だ。
ヒートアップしてついやり過ぎる、というところでストップをかけられるのならいいが、こと今回に関しては……向かい合っている二人と一人に関しては、初めからヒートアップしているのだから一旦戦闘が始まってしまえば果たして止め所など存在するのか。何よりそれがグリンズの気掛かりだった。
気を揉む彼を余所にして、諸先輩方に見守られて少しばかり固くなっている様子のモニカと、どこまでも自然体を崩さないアイナに、あたかもセコンドの如くにミーディアが語りかける。
「二対一。だからって有利とか思っちゃダメだよ? 連携って案外難しいから。下手をすると一人でやるより戦力が落ちちゃう。それに唯術によっては敵に囲まれている方が強いってパターンもある。なんにせよまずはお互いの穴を埋めること最優先、それから相手の手札を見極めていくって感じで。いいね?」
二人がしっかりと頷いたのを見てミーディアは笑顔を作った。そのやり取りに、こちらもイリネロのセコンド……というよりは試合のプロモーターのように傍についているエイデンが「ほー」と感心した素振りで言った。
「割と実用的なアドバイスをするじゃねえか。ご丁寧によ」
「へへん。これでもこの子らの師匠みたいなことやらしてもらってるもんで」
まだほんのちょっとしか教えられてないけど、と付け足す彼女にがりがりとエイデンは頭を掻いて。
「だから褒めてねえって。アドバイス自体が無駄だって言ってんだよ。ただの新人上がりが上座お墨付きのイリネロと戦ろうってんだからよぉ、教えてやるべきは戦い方じゃなく逃げ回り方だろうが」
「うーわ。エイデンさんって挑発なしじゃ喋れない人?」
「はっ、今の内になんとでも言ってろ。この模擬戦は俺様とお前の代理戦争でもある。その娘共が負けたら二度と俺様に舐めた口を利くんじゃねえぞ」
ギロリと凄みを利かせてミーディアを一睨みしたエイデンは、あえてモニカやアイナには直接言葉をかけることなく背を向け、しかし聞えよがしにイリネロへとこう言った。
「半殺しまでだぜイリネロ。あんな雑魚相手じゃそれも難しいだろうが、即死はさせねえように手加減してやれ」
「承りました。半分は、殺してしまっていいのですね?」
「ああ。マーゴットもいるんだからそれくらいならどうにでもなる」
天使のような優しい笑みを浮かべながら物騒な確認をするイリネロにエイデンも頷き、それから対戦相手の方をちらりと見る。不穏なセリフはちゃんと聞こえていたことだろう。ミーディアも傍から離れ、いよいよ模擬戦が始まろうというこの瞬間。新人上がりである小娘たちがどんな顔付きでいるのかを彼は確かめた。
(ほお……)
そして驚く。彼女らにとっては否応なしにプレッシャーの高まる場面であろうに、モニカもアイナもそれに潰されている様子がまるでない。一意専心。ただただイリネロを倒すことを考えている。それだけに集中しているのがよくわかる、戦士の顔付きをしていた。
(なるほどなぁ。馬鹿な推薦をされるだけのことはあるってか?)
イリネロとは訳が違うのだ。特A級すら戦死している任務に今更C級の人材を追加するなど、たとえその人物がどれだけ有用な唯術を持っていようと通常ならあり得ない、あり得べからざる判断だ。馬鹿な推薦としか言いようのない行為。だが、それをミーディアやガントレットは自信をもって行い、なんとグリンズまで反対的ではないとくれば、示される答えはひとつだけ。
最低でもA級が足切りライン。という厳しいハードルを乗り越えて任務に参加し得る強さがあると、この新人上がり共は認められている──。
(面白ぇじゃねえか。確かにそういう魔術師もいらぁな。悲劇や挫折を切っ掛けに別人になる奴ってのを俺様も何度か見てきた……この佇まいからしてこいつらもそうなんだろうよ。だが)
だが、相手が悪い。これがルズリフ支部のA級に胸を借りるだけの模擬戦であったなら、何も問題はなかったろうが。しかしよりにもよって二人が挑もうとしているのはイリネロ・ドーパ。特A級の姉と同等以上の戦力になり得ると前々から上座がその有効活用の機会を窺っていたとびきりの強者。ダンネロという抑制がなくなった彼女はこれから自身が持つ才能を遺憾なく発揮していくことだろう。その始まりに宛がわれたしまった獲物がモニカとアイナ。
実戦経験に浅い。三人共にその点こそ共通していても、これは間違ってもC級同士の戦いなどではない。狼と子羊二匹、それくらいの戦力差があるとエイデンは見ている。それはいくら「切っ掛け」があろうと容易く埋まるような差ではない。
逆に言えば。「切っ掛け」ひとつでそれを埋めてしまえるようであれば──二人がかりであろうとイリネロに食い下がれるようであれば。それは即ち、彼女らにもまたイリネロに劣らないだけの才能があることの証明にもなるだろうが。
「勝負──開始っ!」
腕を上げ、高らかにミーディアがそう宣言した。セコンドのくせに審判までやるつもりかとエイデンが文句を付けるよりも先に状況は動いた。
アイナだ。そしていの一番に仕掛けにかかった彼女を迎え入れるようにイリネロも前に出る。モニカだけが何かを見極めるようにじっと動かないまま、支部の地下のワンフロア。テイカー試験にも用いられるその広い空間の中央で好戦的な二人の少女は激突を果たした。
先に手を出したのはアイナ。だがその意図は攻撃というより牽制であり小手調べ。ミーディアからの言い付け通りにまずは敵の手の内を探ることをせんとして──手技の応酬。ひと息の間に何往復も交わされたそれに、「っ!」アイナは打ち負けた。
受けも攻めも潜り抜け、自身の頬を打ったイリネロの手の甲にアイナは後ろへ一歩追いやられる。様子見の攻防。ギアを上げ切らずとも手数でなら上回れる自信のあったアイナにとってこれは予想外の結果だった。一旦手を止め、薄ら笑いの抜けないイリネロを見て、切れた口内から唇の端へと垂れてきた血を拭って──ギアをフルスロットルにした。
「!」
今度はイリネロが予想外に驚く番だった。一気呵成に襲ってきたように見えた先ほどの姿。それすらもアイナにとってはひどく自重したもので、よほど上品な攻め方だったのだと理解する。先のそれとは比べ物にならない踏み込みで、一心不乱に打撃を叩き込んでくる今のアイナはまるで獣であり、それでいて人の技を使いこなす言い表し難い怪物であった。
回転を増した手技は速度をどんどんと上げていく。イリネロもさるもので意表を突かれたにも関わらず負けじと手数を増やして応戦。途中までは攻防を成立させていたが、次第に捌くので精一杯になり、やがては防戦すら保てなくなって。
「……!」
彼女の受けは決壊し、連続で三つ。アイナの打突を貰い受けることになった。
──ダメージはない。イリネロがアイナへ打った裏拳と同様、これは重さよりも速さを重視した拳。イリネロの魔力防御を抜けるほどの威力はなく、三発分を合わせてもイリネロの一打と差し引きで言えばゼロ、もしくは負けている。その程度のものでしかないが。
「ふ、──ふふふふ」
火をつけるにはそれで充分だった。
イリネロのギアが上がった。彼女の纏う魔力の質が、そして拳に集う量が一変したことでその場の誰もがそう理解した。これは、食らってはマズい。そうアイナが悟った瞬間にはもう振るわれた拳が目の前にまで迫っていた。
回避不能の、致命的な一撃。アイナにはどうすることもできなかった──けれども。
モニカは別だ。
「【境界】……!」
アイナを守る。攻めるアイナに代わり守りのみに集中していたことでモニカの唯術が間に合った。魔力で模られた半透明の板──盾がイリネロの拳を塞き止め、そこに宿る殺傷力の全てを殺し切っていた。まさか、防がれるとは。此度の予想外にはさすがのイリネロも動きを止めた。その僅かな一瞬をアイナは見逃さず。
抜群のタイミングで盾が掻き消え、同時に繰り出された反撃の一打が確かにイリネロの頬を打ち抜いた。
クリーンヒット。
最初にそれを奪ったのは、モニカ・アイナ陣営であった。