51.事情
協会本部のテイカー所属数は現場員・事務員の区別なく膨大である。支部とは規模が違う、故に、本部の特徴としてそこに務める事務員は十人前後の班としてまとめられている。
本部の事務員が口にする「同僚」とは一般的に自身の班員を指すものだ。班員は現場員が組むチームの如く──事務員の場合は自由意思でメンバーを選ぶことができないものの──密接な関係を結ぶ、特に繋がりの強い仲間だ。そこに隠し事を持ち込むのが難しいことは自明の理。
「ダンネロの、妹……?」
その前提があってもミーディアには疑問が尽きなかった。同僚だけが知っている、そこは何もおかしくない。イリネロが知られることを良しとしていないのなら情報が班員間のみで共有され、それより外には「ダンネロ・ドーパの妹も本部所属のテイカーである」と漏れていないのは納得のいくことだ。
しかしミーディアは、ダンネロ個人と既知である。本部に籍を置いていた頃には特別にヒューロと彼女の世話になった自覚がある。ヒューロほど気安い間柄でこそなかったが、しかし彼女が持つ、短い付き合いだけではわかりにくい優しさというものは、自分なりによく理解しているつもりだった。
違和感がある。口が少々悪くとも基本的には情に熱い人柄をしているダンネロが、ミーディアの前では「妹」の話題を口に出していなかったこと……否、彼女の周辺の者たちもそれを知っている様子がなかったからには、自分に対してだけでなく彼女は本当にその事実を誰にも一切教えていなかったのだろう。そこがどうにも変だ。
「ああ、ミーディアさんは本部時代に姉と親しかったのでしたか。でしたら驚かれるのも無理はありませんね。ですが妹のことを知り得ないのは当然のこと……何せ私たちはお互いにそれを隠していたのですから」
「それはどうして?」
家族が同じ職場にいるのが気まずい、程度にしてはいやに隠し方が徹底している。イリネロの方はともかく、あのダンネロがうっかりと口を滑らしていないという事実からしても、余程に彼女が妹の存在を知られないため気を付けていたことが手に取るようにわかる。
何故そこまでするのか。その問いにイリネロは眉尻を下げ、些か大仰に悲しそうにしてこの場の一同へと訳を打ち明けた。
「約束です。姉がドーパ家の顔としてその力を振るい続けられている内は、私は表に出てはいけない。そういう約束だったのです。亡き父と交わしたそれに、私も姉もこれまで忠実に従ってきました」
しかし姉は倒れた。と、まるで曲の転調のように声音の調子を変えて彼女は続ける。
「私を押し留める楔。いえ、蓋はもうないということです」
「……ちょっとよくわからないな。そもそもなんであなたのお父さんはそんな約束を残したの? あなたも強いなら姉妹で仲良く活躍すればいいじゃん」
「ええ、ええ、私もそう思います。心からそう思うのですが……父や姉の言うことには、私には少々『品がない』のだとか。おかしなことですよね? 戦いに上品も下品もないでしょうに。納得してはいませんが、しかし苦労して私たちを育ててくれた父が唯一遺した言葉です。姉が無事である内は、私は決して戦ってはならない。守り通してきましたとも。今日まで、ずっと」
「ってぇことだ。こいつの同僚だってこいつの強さは理解できてねえ。それを知ってんのは上座とその直下くらい、なんだとよ。面白いだろ? なんたって特A級のダンネロがあからさまに妹のことを怖がってんだから」
怖がる。ダンネロが、自分の妹を? にわかには信じ難いが、けれどイリネロの言葉が全て真実であるとするなら、そういうことになる。
父と姉が恐れる妹。家の体面を気にしてか被害の面を気にしてかは定かでないが、とにかく実力があるにもかかわらず戦闘行為を禁じられていたとなれば確定的だろう。一度彼女が暴れれば、ダンネロですら手綱を取れない。そう判断されていたということだ。
であればなるほど、C級事務員がS級に同行してきた異常事態にも納得がいく。その決定を下した上座はしかとイリネロの強さを承知しており、此度の任務へ送り出すに相応しい駒だと判じているのだから、共闘相手として不満などない。事情を聴き終えても若干渋い顔をしているガントレットやマーゴットといった協会の良心とでも呼ぶべき二人とは違って少なくともミーディアはそう思った──そのついでに、こちらからも要求が通しやすくなったと喜びすらして彼女は「じゃあ」と会話の流れを持っていく。
「ルズリフからも出していいよね?」
「あぁ?」
「C級テイカー。おーい、いるんでしょ。入っておいでよ」
この場の誰もが、ミーディアと事情を知っているガントレット以外の全員がぽかんとする中で扉のノブが回る。開いたそこから入ってきたのは、二人の少女。一人が深々とお辞儀をしてミーディアの傍まで移動し、その後ろからもう一人の方はなんの挨拶もなくそれに続き横へと並んだ。今、何が起こっているのか? 戸惑いの空気感もなんのその、にこやかに紹介は続行された。
「この子がモニカで、そっちの子がアイナ。どっちもフロントラインに攫われたC級テイカーのライネと仲が良くてね。彼を助けるために二人とも任務に参加したいそうなんだ。いいよね?」
「いいよね? てめえは何を根拠にしてっからそんな堂々としてやがんだ。足手纏いはいらねえとハッキリ言ってやんなきゃ理解できねえおつむか? おい」
「えー、でもさ。C級だけどこっちは一応現場員だよ? イリネロは事務員で、今回が現場員としての仕事のお初なんでしょ。対フロントラインの任務難度を考えたら無茶苦茶な参加のさせ方してるのはそっちだと思うけどなぁ。だったらちょっとくらい支部にも融通利かせてくれてよくない?」
「支部の独断を認めてやらなきゃならねえ理由はどこだよ。そもそも無茶も何もねえんだよ、イリネロの参加は上座の決定だっつったよな?」
「あ、そういう感じ。偉い人が言うことだからなんでもOKってスタンスなんだ、エイデンさんは。S級でもそういうところはただのテイカーと変わらないね」
「ほぉおおおお?」
がたりと椅子を揺らしてエイデンが席を立った。それに合わせてこの顔合わせの「立会人」であるガントレットが壁から背を離し、マーゴットが密やかに唯術の発動に備える。万が一にも本部と支部の現場員同士で争わせるわけにはいかない。もしもここでエイデンが事を起こすようであれば、その初撃だけでもまずは防ぎ、そして頭に上った血が下がるように説得しなければならない。S級テイカーを相手にそれを成し遂げられるとは両者共に自信を持って言い切れはしなかったが、しかしやらねばならないとなればやる。その気概はあった。
高まる周囲の緊張や警戒もなんのその、エイデンはミーディアだけを見据えて言った。
「一線を余裕で越えてくんなぁ、ミーディア・イクセス。一度ならず二度までもこの俺様に舐めた挑発すっとはな。噂通りの……いやそれ以上のイカれっぷりじゃねえか」
「あは、どーも」
「褒めちゃいねえよ。だが嫌いじゃあねえぜ? 頭のおかしな奴はむしろ気に入っちまう質でね。お行儀がいいばかりでつまらねえ奴よりかはずっと好感が持てる。しかし悲しいかな、真理ってやつだろうな。そういう面白ぇ奴ほど早死にしてくのがこの業界だ……!」
バチバチと何かが連続で爆ぜるような音を立ててエイデンの体が光と熱を持つ。練り上げられた魔力は膨大かつ異質の一言。A級並びに特A級がほとんどを占めるこの空間内においてもエイデンのそれは過酷が過ぎた。
人ではない。人の形をした災害が、この男。事前にガントレットよりきつく言い含められていたために腰を下ろしたまま動かずにいたルズリフのA級三人も、これには思わずを臨戦態勢を取ろうと──しかけたところを「やめんか」という一言に押し留められた。
「何をしているエイデン。ルズリフ支部の人員や設備をほんの少しでも傷付けてみろ、貴様の給与は向こう一年ゼロどころかマイナスになると思え」
「……よう、グリンズさん。責任者のあんたが遅刻はいけねーんじゃねえの」
ふっ、とエイデンの渦巻かせていた魔力が立ちどころに収まる。同時に室内を満たしていた緊張感も消え去った。誰ともなく安堵の息が漏れる中をグリンズは足早に移動し、用意されていた自身の席へとついた。
「確かに申し開きのしようもない。少し遅れただけでこれだ、貴様を迎えるに当たって備えがよくなかった。知らぬ土地で子供から目を放す保護者がいないように、私もここでは常に貴様を見張っていなくてはな」
「はっ、勘弁してくれよグリンズさん。そんなことされて息が詰まっちゃあますます子供みてーな我儘をしちまうぜ、俺様は」
「ふん……考えたくもない事態だな、それは」
嘆息するグリンズを笑うエイデンは、見るからに機嫌が良くなっていた。
天賦の才をもってテイカー資格の取得から瞬く間にS級という「等級外」と言っていい存在にまで登り詰めた彼でも、何も誰の助けもなくそうなったわけではない。グリンズはエイデンをテイカーに勧誘した張本人であり、まだ子供だった彼の衣食住を賄った親代わりでもある。
また、不安定だった彼の魔術の腕を鍛えてやったのも当時官職についておらず平の事務員だったグリンズだ。故にエイデンにとってグリンズは今の自分を形作った全てと言ってもいい。憎まれ口をたたきはするが、けれどグリンズに向けられたそれは明らかに他の者に対するのものとは温かみが違う。話に聞いていた通りだとガントレットは今一度安堵のため息をひっそりとついた。
グリンズがいる以上、血の気の多いエイデンも馬鹿な真似はそうそう仕出かさないだろう。
「エイデン。荒れていたのは大方モニカ君とアイナ君の参加に難癖をつけていたのだろう」
「難癖っつーのかぁ? 当然の拒否だと思うがね」
「難癖だとも。彼女たちの参加は本件責任者に任命されたこの私が許可を出したものだ」
「──へえ、堅物のあんたがそんな横紙破りを認めるってのか」
「ああ。実際に私はこの目で彼女たちの強さと覚悟を見定めた。その上での決定だよ」
言いつつグリンズはちらりとガントレット、それからミーディアに視線を配った。これは彼がこの会合の場に遅れた理由──アイナの等級を任務に参加できないD級から参加可能なC級へ上げるための手続きを完了させたことの合図であった。
そもそも試験に合格しておらず通称「裏道」と呼ばれる特殊な方法でテイカーとなったアイナなので、その昇級に関しては本来(どれだけガントレットが働きかけたとしても)もっと時間と手間がかかるはずだったところを、本部所属かつ高官であるグリンズが直接手を下すことでそれらをオミットさせたのだ。
ガントレットやミーディアからは良識ある人物として信頼され、エイデンにも堅物と称される彼が、普段ならばまずやるわけのない自身の権力を用いて露骨なまでの贔屓に踏み切ったのは、つまりそれだけアイナを、そして彼女と連れ立っているモニカを逸材だと判じた。対フロントラインへ向けた攻勢に彼女らを組み込まないのは失策だと考えた、その証だった。
薄々とそれらの事情を嗅ぎ取ってもいるエイデンは、だからこそそのアイディアを思い付いた。
「指揮官の言うことは聞かなきゃならねえ。兵隊としてそんくらいは心得ているぜ。他ならぬあんたから教えられたことでもあるしなぁ……だが指揮官だって兵隊の言葉にはなるべく耳を貸さなきゃいけねえはずだ。しかもそれが現場上のトップからの意見だってんなら神妙に拝聴する必要があんだろ」
「つまり彼女らの参加を認めさせたいなら貴様の言い分も聞けというのか。なんだ、勿体ぶらずに言ってみろ」
「なぁに、そう難しいことじゃねえし一方的なもんでもねえよ。俺様はC級の娘っ子を煙たがっている。そちらさんも俺様の連れてきたC級の実力を疑問視している。だってんなら話の早ぇやり方があるぜ」
ニヤリと楽しげな、そして好戦的な笑みを口元にエイデンは言い放った。
「バトらせんだ。うちのイリネロとそこの二人がどんだけやれるのか見極めんのさ! それ以上にわかりやすい方法もねえだろう!?」
戦闘で雌雄を決する。どちらが任務へ加わるに本当に相応しいのか、白黒つける。そのエイデンらしい粗野な提案に室内は先ほどとは別種の緊張感に包まれた。