49.それぞれの
静かに素早く、それでいて爆発的に。魔力の流れを明確に意識して肉体の動きに沿わせる。そうして打ち込んだ拳は、手応えとは裏腹に簡単に受け止められてしまう。
「くっ……」
「や、よく魔力の込められたいい打撃だけどね。こっちはそれ以上の魔力で防御してるんだからこうもなるさ」
渾身の一撃がピッチャーフライのように軽くキャッチされてしまっては立つ瀬がない。が、ライオットの言うことはやはり正しい。10の魔力を乗せたところで20の魔力で受けられてしまえばダメージなんて通るわけもない。その出力差も頭が痛くはあるが、より問題なのは魔力操作の速度で追いつかれてしまっている点だ。
言わずもがな、通常の格闘戦と変わらず攻めと守りでは攻める側が有利だ。ただ攻撃すればいい攻めと違って守りはそれに反応してから正しい防御をしなければならないのだから、後手でありながらやることが多い。反応できなかったり対応が追い付かなければモロに攻撃を受ける。そこに魔力の要素も加わるのだから魔術師同士の戦いにおいては尚更に攻めに立った側が強い。
しかしながらライオットの防御は万全だ。どこをどう攻めても、どれだけ力を込めてもひとつ残らず受けてくるし避けてくるし返してくる。僕が拳や足に集めた魔力以上の魔力で被弾箇所を守り、それでいて僕以上に余裕がある。それは彼と僕との間に根本的な実力差があるからこそできることであり、その差を少しでも埋めるべくこうして修行しているわけだが、果たして成果は上がっていると言えるのかどうか。
打ち込み続け、たまに打ち返されて。そうやっている内に少しずつ自身のキレとでも言うべき魔力操作の瞬間的な爆発力が向上していること、それは確かに実感しているが。向上すれども一向に太刀打ちできない、まるで近づけている気がしない。あまりにもライオットが遠すぎる。そのせいで僕には焦りばかりが募っていた。
それを「いいことだ」と彼は言う。
「もっと焦ろ、どんどん焦ろ。先を急げば急ぐだけ上達は早い。ただし──」
「ぐっ!」
入りが甘かった。自分でもそう思うままに放った一撃を、きっちりと咎められた。顎を打たれて揺さぶられた脳を回復させるために僕はライオットから距離を取った。そんなことをしたって彼が詰めてくるなら逃れようはないのだが、その気配はなく。
「急ぎつつ無駄を省く。身になることだけをするのが大前提だけどな。……しっかし、何度も言うがマジで君の体はどうなってんだよ。加減してるとはいえ急所を打ち抜いてんだからさぁ、白目剥いて倒れるくらいはしてくれてもいいんだぜ?」
確かにライオットの拳には大して魔力が乗っていなかった。だが僕の方も魔力防御が間に合っていなかったので威力としてはそこそこ。この肉体が特別性でなければきっともんどりうって倒れていたはずだ。
殴り合いを続けている内にライオットも僕を「どれくらい殴っていいか」を理解しだしているように感じるが、まだ完璧に掴み切れてはいないようだ。それだけ僕という存在が頑強にできている、ということだろう。シスがあれだけ強調してきたのも頷ける特別っぷりである。
……フロントラインのアジト(のうちの一個だろうか)で目覚めてから三日。この間にやったことと言えばメグという少女が持ってくる食料を頂くか、眠るか、こうしてライオットとド突き合うばかりだ。それ以外は本当に何もしていない。シスの声もまだ、しない。いったい彼女がどうなってしまったのか気になって仕方ないが、知りようのないことに気を取られていたってそれこそ仕方がない。ライオットから手解きを受けると決めたのと同様に、今はとにかく開き直って現状を受け入れるしかない。
受け入れて、飲み込んで、少しでも強くなるのだ。
ライオットを、そしてフロントラインをこの手でどうにかしたいと思うならそうすべきだ。僕には圧倒的に強さが足りていないから。
「コォオオオ」
「!」
返事の代わりに口から冷気を吐き出す。零度以下の息を吐くなんて我ながら人間のすることじゃないと思うが、唯術とはそういうもの。ライオットのそれだってとてもじゃないが人にできていいことではない。インチキにはインチキで対抗するしかない。特にこの男は唯術なしでも唯術込みの僕を遥かに見下す怪物めいた強者。使える手札を使わず挑むなんて選択肢は端からありはしなかったのだ。
「氷霧か。君の唯術の必殺技、というか。強化技ってところかな」
どこにも窓の類いが一切ないことからおそらくは地下に造られていると思われる、簡素ながらに広くて頑強そうな建物の一室。その空間内にほんのりと薄く霧がかかる。ライオットが言った通りこの術は僕の術全般に冷気アシストによるバフをかけると同時、敵には体温低下と霜の張り付きによる身体機能の不調というデバフを振り撒く、一石二鳥の便利技である。
ただ、ちょっぴり便利過ぎる。デバフに関しては得しかないのでいいとしても、バフの方は「やれること」が増える&強化されることで僕自身がそれについていけない。シスのように使いこなせる気がまったくしない、ということでここまでは自重してきたのだが……三日粘ってよーくわかった。そんな自重をしていたらいつまで経ってもライオットには勝てない。それどころか一撃だって当てられやしない、それが重々に理解できたからには。
やってやろうじゃないか。ここからが僕の全力だ……!
もちろん、シスですら敵わなかった相手だ。氷霧を解禁したからといってすぐにどうこうできるとは思っちゃいない。だけど今まで以上に食い下がることはできるはずだ。そしてあわよくば、せめて一発だけでも奴を殴りたい。まずは一発目を命中させることに全神経を注ぐ!
「あー……張り切ってるとこ悪いんだけど。氷霧、やめようか」
「なっ……!?」
パンッ、とライオットの全身から目に見えない力が全方向へと発散されて。それで僕の氷霧は散り払われてしまった。あっさりと、無効化された。その事実に僕は言葉もない。
「これは引き離す力の応用ね。ま、こうしていればあの時も霧なんてすぐ取っ払えたってこと。俺がどれだけ優しく手折ってやったかわかるかい?」
「っ……」
「はは! そんな顔するなよ、今にも噛み付いてきそうで怖いな。俺は君の師匠だぜ? もう少しくらい弟子らしくしたっていいんじゃないの」
別に師匠と呼んでほしいわけじゃないけどさぁ、などと割と呼んでほしそうに呟くライオットだが、そんなことはどうでもよかった。心の底から。
「どうして氷霧を使わせてくれないんだ。お前には通じないかもしれないけど、皆が皆そうやって氷霧を蹴散らせはしないはずだろ」
強力な【離合】という唯術があるからできることだ。別の術理で氷霧に対処できる者だっているにはいるだろうが、誰も彼もがそうであるわけではない。氷霧の扱いを学ぶことが強くなる一番の近道。僕はそう考えたが、ライオットはすげなく否定する。
「ダメダメ。俺が見るに氷霧って術はそれそのものを鍛えるより、扱う術者当人が鍛えられてこそ伸びる。君の素が強ければ強いほど氷霧下での強化率も上がるんだから、まず下地をしっかりさせること。それが今のライネにお似合いの段階ってやつだ」
それに、と彼は両手を広げて現状を示すように続けた。
「氷霧ありきで修行したら伸びがイマイチになるだけじゃなく、それ頼みの魔術師にしかなれないよ。こうやって氷霧を封じられたらその後はどうすんのって話になるだろ? 君くらいなんでもやれそうな子が自ら成長の幅を狭めるのは勿体ないことだぜ」
……急ぎつつ、身になることだけをする。氷霧前提で戦闘を組み立てるのは、確かに目先の強さにはなっても長期的に見て「身になること」とは言い難いかもしれない。それを証明するように僕は今、勢い込んで攻勢に打って出ようとしていながら、その頼みの綱である氷霧が払われたことでどうしたらいいかわからなくなってしまった。思考も肉体も止まっていた。それは純然たる隙であり、敵を前に見せてはいけないものだ。
アクシデントひとつでそんなものを晒してしまったのだから、現段階でも自分がどれだけ氷霧を特別視していたか……してしまっていたのかは明白だった。
シスも絶賛してくれた新技。彼女の評価に違わず、これから先の僕を大いに支えてくれるであろうもの。その出来に心を奪われて固執しかけていたのか。それは、その自惚れは、ライオットの言う通り。いつか僕を殺す致命的な弱点になり得る。
「いつでも正論で腹が立つ……でもやっぱりお前の言葉は正しい。そうだ、僕は氷霧なしでも強くならなくちゃいけない。この一手が通じなければ何もできません、なんて、そんな魔術師にはなりたくない」
「そうだろう、そうだろう。俺たちみたいに才能に愛された人間はそれを最大限に輝かせる義務がある! 他の有象無象に見上げられる存在でなくっちゃあな。烏合の衆の上に立って導いてやるんだ。選ばれし者の宿命を俺は果たすぜ? 君はどうかな、ライネ」
「偉そうなことを言われなくたって──僕はお前を超える!」
魔力を漲らせる。気の持ちようはやはり大事だ。いざとなれば氷霧に頼ろうと画策していたさっきまでとは違って、もう切れる奥の手はない。僕にあるのは氷礫と凍結だけ、そのどちらもライオットには通用しない。そうわかっているだけに、困難を前にしているだけに、それを打破せんと僕の感情は燃え上がっていた。それが出力に繋がっている。
氷霧展開分の魔力を無駄にしたばかりだというのに、むしろ残量が増したように感じる。これは勘違いなどではない。現にライオットも目を見開いている。今この瞬間、確実に僕は強くなった。体術も、それに伴う魔力操作も着実に「身になっている」。あとはこれを繰り返して、レベルアップを繰り返して──最後にはライオットを。この高い壁を越える。
きっと不可能なんかじゃない。
「いくぞ、ライオット!」
「はっは──ああこいよ、ライネ! 君の力を見せてみな!」
◇◇◇
支部長室から出たミーディアは、まるで自分を待ち構えるようにしてそこに立つ人物に驚いた。
「マーゴットさん」
「ミーディア様。よろしければお部屋までお供させていただきます」
待ち構えるように、ではなく本当に待ち構えていたらしい。彼女の開口一番の申し出にミーディアは苦笑する。
「お目付け役ってこと。ガントレットさんにでも頼まれた? 信用ないなー。この状況で勝手にどっか行ったりしないって」
「滅相もございません。私はただ、治療担当者としてすべきことをしているだけですので」
そう言われてしまえば返す言葉もない。肩をすくめたミーディアは大人しく先を行くマーゴットのあとをついていく。ルズリフ支部ではミーディアこそが古株であり、マーゴットはつい先日やってきたばかりの新参だというのに、この構図はあたかも自分が客人のようだとミーディアは思った。
ゆっくりとした歩調に沿って、いくつもの思考が形を伴わずにぼんやりと頭の中を行き過ぎる。その中のひとつを選び話題の種として、ミーディアはマーゴットの背中へと声をかけた。
「四日も眠ってたんだってね、私」
「はい。私が到着する前からですので、正確には四日と十時間ほどお眠りになられていたことになりますね」
「そっか……今回は随分と死んだな。前借りまでしちゃった」
ねえ、と声の調子を落としてミーディアは訊ねる。
「本部からS級様がいらっしゃるようだけど。何もその人に全部任せるってわけじゃあないよね?」
「……ミーディア様」
闘志。目覚めたばかりだというのに確かなそれを燃え滾らせている彼女へ、あえて遅々とした歩調、緩やかな声音のままにマーゴットは告げた。
「今はお休みくださいませ。まだ本調子には程遠いはずですよ」
「わかってますって。ちゃんと万全にしてちゃんと奴らに返してやらなきゃだしね。全部全部、利子も付けてさ」
やがて辿り着いた個室の前でマーゴットは恭しく一礼して去っていった。それを見送ったミーディアは、彼女との約束を反故にするつもりもなく部屋に入った。言われた通りもうしばらく横になっていよう。そう思ってベッドに近づいたところで扉がノックされる。
「はーい……ん?」
と、何か伝え忘れでもあってマーゴットが引き返してきたのだろうとすぐに扉を開けたミーディアは、しかしそこに予想していなかった顔ぶれがあったことで目をしばたかせた。
「君たちは……」
女子二人だ。どちらも見覚えがあった。一人は確かライネと同じチームの少女。もう一人は、ガントレットが直々に「囲い込み」を決め、D級に属しながら個人指導を受けさせられているという色々と噂の少女。
「モニカです」
「アイナ」
「うん、知ってる。何か用?」
「私たち……ミーディアさんにお話があって、伺いました」
片や確かな決意を、片やそれとは正反対の感情を窺わせない無表情を見せる二人。その組み合わせにミーディアは笑みを浮かべた。
「入って。中で話を聞くよ」