48.特大の戦力
「一命を取り留めたとはいえ、現場への復帰は難しいかと。それが治療を施した者としての率直な感想です。ダンネロ様のことですから今後私の見立て以上に回復されることも充分に考えられはしますが、それでも前線に立つとなると年単位での時間を要すると思われます」
むう、とグリンズとガントレットが揃って唸り声を上げる。支部に運ばれてきた時点で息をしているのが不思議に思えるほど重態であったダンネロだ。たとえ死の危機こそ乗り越えたと言っても「元通り」になるには非常に長い月日がかかる。当たり前と言えば当たり前のことでしかないが、特A級たる彼女の長期戦線離脱は歓迎できない。現時点では本当に復帰が叶うとも言い切れないだけに、指揮官としての二人はどうしても落胆の反応を見せずにはいられなかった。
快復させられなかったことを申し訳なく思いながらも、マーゴットの悪い報告はまだ終わらず。
「別現場でフロントラインと交戦したというC級二名……ザッツ様とギルダン様が、先ほどお亡くなりになりました」
「っ! そう、か。二人はダメだったか」
地噛討伐ポイントとは遠く離れた場所で任務に勤しんでいた彼らに何があったのかは、チームメンバーで唯一無事に帰還したモニカより聞き取りが済んでいる。不意のフロントライン主要構成員の襲撃。予期せぬ不幸に見舞われた彼らもダンネロと同じく重傷であり、極低体温の仮死状態となり保存が施されていなければまず間違いなく現場で死亡していただろう。
とはいえ、辛うじて生物学的に死んでいないだけ。そういう状況だっただけに、他者を自身の魔力で癒せるマーゴットの懸命の治療があっても助からなかった。
死を振り切ったダンネロと違い、彼らは死に追いつかれてしまったのだ。
「あそこから盛り返したダンネロが規格外なのだ。等級に恥じぬ強さと言える。新人ながらに彼らもよく頑張った。マーゴット君、君もだ。一人で責任を背負う必要はないぞ」
グリンズの励ましに、マーゴットは頷きを返す。だがそれは気遣いへの感謝としてのものであり、彼女の心の内が晴れたわけではなかった。
「モニカ様の心のケアは、いかがいたしましょう」
伏し目がちにそう訊ねる。モニカの精神は酷く傷ついている。チームの突然の崩壊。そしてそんな不慮の事態において一人だけ怪我のひとつも負っていないという事実が、余計に彼女の心を苦しめている。聞き取りを終えてからは呆然自失のままに宛がわれた部屋に籠っている。今の時間は眠っているはずだが、ちゃんと睡眠を取れているかは怪しいところだった。
マーゴットには目に見える傷の回復は促せても、見えない傷までは癒せない。それでも治療担当者として、モニカへチームメンバーの死亡を言い渡さなければならない。その責務が彼女にはあった。
たとえそれがモニカの心を尚更に苛むことになってしまったとしても。彼女が仲間の死を知るのは、それを看取った自分の口からでなければならない。
「浚われたというもう一人のメンバーの安否も不明のままです。このままではモニカ様は壊れてしまいかねません」
「そうだな……モニカは憔悴しきっている。ザッツとギルダンのことを告げるのはあいつが起きて、風呂に入れて、メシを食わせてからの方がいいだろう」
疲労困憊のまま聞くよりは精神面に多少なりともマシだろう、と希望的観測を込めてガントレットはそう言った。傷心のままにテイカーを辞める、というのであればまだいい。最悪の場合は自ら命を絶ちかねない。マーゴットの不安もそこに尽きる。仲間の死とはそれだけテイカーにとって重いものなのだ。その原因に自身の責や無力を感じるのであれば、なおのことに。
「結局、交戦して助かったのはダンネロとモニカ君、そしてミーディアだけか。後は事務員であるターナ君、と。惨憺たる有り様だな……せめてライネ君が無事でいてくれればいいが」
「捜索はできねえんですか。ライネの無事を想うなら事は一刻を争いますぜ。それに、あいつが手掛かりになるならこっちからもフロントラインを叩きやすい」
「難しいな。本部には物探しに適した唯術持ちの事務員が数人いるが、条件と用途が違う。いずれも知己ですらない個人を探し当てることなどできんだろう」
もしそれが可能ならテイカー一名が連れ去られているのを逆に利用して攻め込むために、上座がその数名の中の誰かをここへ寄越していることだろう。そうしていないというのは、つまりはそういうことなのだ。
「そもそも道理が見えませんよ。魔石を奪っていくのだってろくすっぽ意味がわからねえってのに、その裏でなんだってC級を襲ってやがんのか……ライネを浚うことになんの意味があるのか、俺にはちっとも連中のやってることが繋がってこんのです」
何をしようとしているのかがわからない。それは不気味なことだ。
通常アンダーというものは明朗にして簡潔な存在だ。何をするにも基本は私利私欲を満たすため。そのために他者を食い物とし、協会が定めている魔術師と非魔術師間のルールを平気で破る。世界の均衡を、乱そうとする。ただ欲望のままにそうするのだ。傍迷惑ながらにそこに不明瞭さは一切ない。自分のためだけになんでもするのがアンダーだとガントレットは認識しており、実際それに間違いはない。
だがフロントラインはそうじゃない。同じくルールを破るアンダーながらに他の小悪党とは何もかもが違う。やっていることの意味も、その果てに何がしたいのかもまったく判然としないのだ。見えない幽鬼とでも争っているかのようで、ガントレットは気持ちが悪い。しかもこちらの被害は増していくばかりなのだから具合も悪い。
そして何より腹が立つ。フロントラインにも、そんな連中にいいようにやられている自分にもだ。ガントレットの腸は煮えくり返っていた。ただしそれを他の誰かにぶつけるのでは支部長失格だ。努めて冷静を心掛け、されど抑えきれない怒りが次から次に湧き出てくる。それが彼の口調をグリンズの前だというのにいくらか乱暴にしてしまっていた。
苛立ち混じりに頭を掻きむしりつつ、己だけで頭を悩ませても埒が明かないと結論付けたガントレットは「グリンズさんはどうお考えで」と訊ねる。当件の責任者に任命された彼の意見を拝聴すべくガントレットだけでなくマーゴットも真剣にその言葉を待てば。「うむ」と頷いた後に考えをまとめるようにしばらく黙してから、彼はこう言った。
「はっきり言って、私にもフロントラインがライネ君を連れ去った動機はまるでわからん。だがそちらはともかく、魔石に関してはおおよそ目的は見えている。これは上座の見解でもある」
「なんなんです、その目的ってのは」
「本部の守りについては君も知っているだろう。要はふたつあり、その片方が魔石によって成り立っている。これがあるから本部はアンダーやそれに利用された者らを何人たりとも寄せ付けない。まさに命綱と言っていい防御機構だ」
「ええ知ってますとも、姿見の水晶と共に協会創立の時代から受け継がれている大魔術。定期的に質のいい魔石を加えつつメンテナンスを重ねることで実質永久に機能する完璧な結界、なんでしょう? 仕組みに関しちゃ門外漢なもんで詳しくはねえですが……それがどうしたってんです」
「そうだ、『完璧』だ。人香結界と同じく本部の結界もそう謳われている。だが……違うのだ。人香結界が必ずしもどんな魔物も撥ね退けるような代物でないのと同様に、本部の魔石結界もまた完璧ではない」
なんですって、とガントレットは驚愕した様子を見せる。声こそ出さないがマーゴットも彼と同じような表情をしていた。驚きの度合いで言えば本部に在籍している彼女の方が大きいだろう。魔石結界とはそれだけテイカーにとって絶対の守りとして知られているものであり、実際過去一度も──規模の大きいアンダー組織との衝突であっても──本部自体が危険に晒されたことはない。
これは偏に魔石による結界が優れていることの証明であり、現代においてはそれに並ぶもうひとつの防御機構まで本部を守護している。テイカー協会の陥落はない、そう言い切ってしまってもいい体制を整えているはずが、しかしグリンズはそれすらも疑わしいものであると一刀両断した。
「フロントラインの狙いはおそらく、本部だ。此度の件で連中がテイカーを殺すのは魔石を奪うついでなどではなく、協会の戦力を削る狙いがあるのだとはっきりとした。特A級の参戦を確認してなお仕掛けてくるのは奴らの悪しき覚悟の表れ。その最終的な矛先が協会そのものとも言える本部へ向かうのは想像に難くない。上物の魔石ばかりを持っていくのもそのためだと考えれば合点がいく」
「ちょ、ちょいと待ってくださいよ。なんだって魔石を奪うことが本部を狙うことの理由付けになるんです?」
「魔石による結界を破る唯一にして最良の方法が、同じく魔石を用いて攻撃することだからだ」
「……!」
「どんな魔術だろうと害あるものは通さないと言われる魔石結界とて、その依代となっている魔石と同質以上の魔石が攻め手にあるのなら確固たる防御にはならんよ。フロントラインが上級魔石を集めながらテイカーを減らしているのはつまり、私たちとの本格的な『潰し合い』を制する腹積もりなのだろう」
そこまで言い切られてはガントレットも絶句するしかない。久方ぶりに頭のおかしい悪党どもが現われたものだと思っていた彼も、よもや事態の規模が協会全体の危機にまで拡大しているとなれば──それをフロントラインが意図的に、攻撃的に仕掛けているのだとすれば、もはや頭がおかしいどころではない。連中は完全に極まっており、行き着くところまで行き着いている。
そうと知ってしまえば余計に自身の采配が悔やまれる。当初の予定よりも投入するA級を増やした、その程度には用心をしていたつもりだったが。ちっとも足りていなかった。用心も、理解も、そして覚悟も。フロントラインの悪しき覚悟に対してこちらも抱くべき覚悟が不足していた。支部長として彼はそれを後悔せずにはいられない。
黙ったガントレットに代わり「では」と口を開いたのはマーゴットだった。
「グリンズ様はこうお考えでもあるのですね? フロントラインには魔石を加工ないしは利用する技術がある、と」
「繰り返すがこれは上座の見解とも一致しているものだ。その上で言おう、連中はそれをほぼ確実に有している。協会に察知されることなくどうやってそのような技術を確立させたのかはさっぱりだが、でなければ魔石を手に入れたとてどうにもならんのだからな」
その技術でもって本部の守りを突破し、攻め落とす。仮にそうやって協会を滅ぼせたとしてそれからフロントラインがどうしたいのかまでは流石になんの予想も立たないが、ともかく明確な害意があることは確定している。そう判断した上座は故に、事態を収束させるに相応しい手を打った。指揮官や治癒者だけでなく『追加の戦力』を送ることを決定したのだ。
それも、特大の戦力を。
「指針は定められた。数少ない特A級が二人も犠牲になったのだ。なればこそ動くのは──それを超える戦力。つまり、S級だ」
「! ってことはグリンズさん」
「ああ。ここへ来るぞ。たった五名しかいない協会の最高戦力の一人。中でも直接的な戦闘力では最強とも言われる、あの男が」
次にフロントラインが表に出てきたとき。それが連中の最後となるだろう。
グリンズはそう断言した。
次回の投稿は二週間ほど後になります