46.提案
「どうするの? その子。ここで殺すの? そもそも生きてる?」
「生きてるし、殺さないって。それじゃ意味わからないっしょ。どーすんのさ死体なんて持ち帰って」
「知らない、そんなこと。自分で考えて」
「ええ……」
聞こえてきたのは、誰かと誰かの会話だった。目が覚めてしばらくの内は何がなんだかわからず困惑しきりだったが、体に痛みを感じると同時に思い出してきた。自分の身に何が起こったのか。──僕は負けた。そしておそらく、連れ去られた。そう理解してまずやるべきことと言えば……目覚めていないふり。まだ眠っていると思わせておいた方がいいと、咄嗟にそう思って僕はなるべく身動きをしないように気を付けた。
置かれている状況を正しく把握する。ここがどこなのか、ライオットともう一人──相当若い女の声だ──以外にも敵はいるのか。彼らとの距離はいかほどか、僕自身がどういった拘束をされているのか。起きたと気付かれる前に知っておくべきことはたくさんある。この判断は間違っていないはずだ。
だよね? シス。
…………シス?
しばらく返答を待つが、シスは何も言わない。どころか僕の声が届いている気配すらもない。どういうことだ? 人との会話中に二重音声で僕が混乱しないようにとシスがあえて沈黙したり、交代で無理をしたせいでしばらく接続が不安定になったりしたことはあったけれど。だが戦闘時から少なからず時間も経っているだろうに、ここまで無反応なのはこれが初めてだ。
この感覚は、まるで。
まるで彼女が僕の中から消えてしまったかのような。
ゾッとする。ひょっとしてシスは……いや、そんなはずはない。彼女がそうなるのは僕がそうなった時のはず。確かにライオットにやられはしたが、ダメージを負ったのはあくまで僕の肉体だ。そこに宿ったもうひとつの精神とでも言うべき彼女だけによくない何かが起こるなんて、それは考えづらいことだろう。……いや、ともすれば、そんな事態はまず考えたくもないこと。なので僕が僕にとって都合よくそう納得させているだけなのか。
初めは恐怖ばかりを感じさせた、頭の中から響く声。それが聞こえなくなって感じている恐怖は、あの時の比ではない。
心細い。あまりにも。
不安に思わず体が震えそうになるのを、ぐっと堪える。その間にも会話は進んでいた。
「だ・か・ら。協会への見せしめに使うんでもなければ俺にそういう趣味があるわけでもないって! というかどうしてこの子を浚うかってのを話したとき、メグもいたよね? なんで何も覚えてないの」
「聞いてなかったから」
「簡潔だね」
もーいいや、と匙を投げるように言ってライオットは話題を変えた。
「それより訊きたいんだけどさ、ギドはどうした?」
「今は特Aと一対一。私はもう加勢しなくていいって言うから、先に帰ってきた」
「ふーん。連れてった他の……あー、有象無象くんたちは?」
「みんなやられた」
「ガチ?」
「ガチ」
「つっかえねー。いやまあ、彼らが死んで目的を果たせたのなら尊い犠牲か。ありがたく思っておこうかな」
「うん。テイカーは思ったより強かったし、あの人たちはそれ相手に思ったより粘ってくれた。ギドウスも楽しそうだった」
「ならいいんだけど。それにしても特Aが二人も出てくるとはね。何かしら手を打ってくるだろうとは予想していたけど予想以上だな……はは、それでもギドは止められないってのが笑える」
「でも、二人まとめてだったら危なかった」
「へー、それくらいの実力は流石にあるわけね。でも一対一ならまず勝敗は動かない。だろ?」
「そう思う。不意打ちの初撃で特Aの一人を仕留められたのはラッキー。じゃなかったら私もあの場に残ってもっと働かなくちゃならないところだった」
「ラッキーってそういう意味?」
やり取りを聞く内に、孤独感とは別種の恐怖が僕の心臓の鼓動を早めていく。特A級の二人。ダンネロとマーズ。そのどちらかを仕留めたと──殺害したと、誰とも知らぬ女がそう言ったのだ。
メグと呼ばれている彼女と、ギドウスなる男。ライオット属する最前線域においてもおそらく彼に並び重要人物と思われるこの両者が、何名かの下っ端を引き連れてミーディアたちを襲った。まだ推定によるところも大きいがこれはおそらく間違いないはずだ。
戦闘の開幕に命を落としたのはどちらの特A級なのか。そしてその後はどうなったのか。それらも気になるが、僕が気掛かりなのは地噛班のことばかりではない。
僕が負け、あとにはモニカと、半死半生のザッツとギルダンが残された。三人は果たして無事なのか。それをなんとしても確かめたい。確かめたいが、起き上がって直接訊ねるわけにもいかない。そんなことしたって馬鹿正直に聞きたいことを教えてくれるわけもないからには、こうして寝転がったまま奴らの会話を盗み聞く方が情報はずっと拾いやすいだろう。
敵二人との距離は、声のする位置からしてそう遠くない。僕は彼らの程近くで(なんと縄やら何やらで縛られることもなく)地べたに転がされているようだ。行動はいつでも起こせる。完全に自由だ。だが、それをチャンスと捉えるべきかは微妙なところだった。
こうも無造作に捨て置かれているのはつまり、それだけ僕の突然のアクションなんて「恐れるに足りない」と思われている。その証拠であり、加えて言うならそれは油断でもなんでもない。あのシスですら子ども扱い……いやさ赤子扱いで捻ってみせたライオットには、そうやって太楽に構えられるだけの圧倒的な強さが確かにある。
やはり迂闊には動けない。このまま聞けるだけ会話を聞きつつ、タイミングを見計らおう。
「私も訊きたい。ダインはどうしたの。ギドウスみたいに残って戦闘中?」
「ああ、ダインね。あいつなら首を捥がれて死んだよ」
「なにそれ」
「いや本当だって。そこのライネ君に負けたんだよ。だから俺が代わりに相手して、ああして眠らせた。で、そのとき丁度メグの門が開いたからそのまま連れ帰ってきたってわけさ」
……門、というワード。それがメグという女構成員の能力だろうか? 話ぶりからするに、ライオットは僕を倒した直後にその門とやらを使用している。同じ場にいたはずのモニカたちのことは話題にすら上がらないが、その方が希望的だ。わざわざ仲間に報告するまでもない、なんとも取るに足らないこと。ライオットがあの三人をそう見做しているのなら帰還を遅らせてまで彼らの殺害を優先するとは考えられないから。そうする理由が彼にはない、と思う。
自分一人でも事足りるだろうに──自信家な彼のこと、その確信だって持っていただろうに──わざわざ他の実行役を連れてまで弱い相手とは戦いたがらないライオットなのだ。モニカたちは殺されていない。その確率はぐっと高まったと思っていいのではないか?
「その子が、ダインの首を捥いだってこと」
「そ」
……!
視線が注がれているのがわかる。横たわっている僕を、メグがじっと見つめてきている。ただ見られているだけ。それだけであり、他には何もされていないというのに、僕は物理的な圧力すら感じてしまっている。
推定年若い少女である彼女もまた途轍もない強者。そうじゃないとこんなプレッシャーは放てない。ライオットとどちらが上なのかは、僕からするとあまりに高次元の比較過ぎて判別もできないが。少なくともランやゴードはもちろん、あのダインすらも彼女にはおそらくまるで敵わないだろう。そう思わされるくらいの圧は、あった。
この流れはマズいぞ。ライオットは仲間を殺した僕に対してもまるで怨嗟を見せないが、しかしメグの場合はどうか。彼女が仇討ちを望むようであれば今の僕には抗いようもない。魔力残量が潤沢とは言えず、体もいつも通りには動きそうにない現状、推定ライオットと同格レベルにある魔術師との戦闘なんて絶対に切り抜けられるものではない……!
体が反応しないよう頑張って眠りの演技を続けつつ、生きた心地のしない緊張を強いられながらメグの言葉の続きを待てば。
「すごいね。将来有望だ」
「でっしょー?」
まさかの称賛。ライオットの軽すぎるノリの相槌も相まって僕は寝ながらにしてついずっこけそうになった。あ、危ない危ない。こんなことで寝たふりがバレたら悔やんでも悔やみきれないぞ。
「この子は育つよ、マジで。本気になったら口調とか気配とかも変わってさ、面白いのなんの。まだ『強い』とは言えないけど……いずれは確実に俺たちレベルになるだろうね」
ダインも侮ってさえいなければ死にはしなかったと思うけどなー、とどこまでも軽く言うライオットに、メグも淡々と受け応える。
「強くなると見込んで、浚ったの?」
「いや、そこは関係ない。浚おうと思ったのは別の理由だ。あいつらに対する嫌がらせにでもなればいいなってね」
あいつら……? またしても気になるワードが出た。テイカー協会を指して言っているのかとも思ったが、何度も襲撃して人員の命を奪っておきながら今更C級一人を誘拐したくらいで「嫌がらせ」の効果を期待するのは少しチグハグだ。何よりそれでは明確に僕へ目標を定めていた理由がわからない。
かといって、僕を連れ帰ることで他に誰が困るのかもさっぱりなのだが。なのでそこをもっと詳しく話してくれないかと期待したが、無情にも願いは届かず、ライオットは思い付いたように話題を切り替えた。
「メグ、いい加減にタイムアップだ。いつまでも遊ばせてちゃギドでも何があるかわからないし、もうそろそろ回収してくれ」
「いいの? 途中で連れ戻したらきっと怒るよ」
「いーよいーよ、怒らせといて。ちゃちゃっと終わらせられない自分が悪い。どうせ魔石は奪取済みなんだからいいでしょ」
「わかった。他はいらないよね」
「いらなーい。ていうよりちゃんと始末しといてほしいな。やられた中にも死にぞこないがいるかもだし、なんか協会に捕まってるのも一人いるみたいだからさ。まとめて処分といこう」
了解、とメグは返す。ライオットも彼女も、不穏なセリフを発しながらも平静そのもの。会話を聞いている僕ばかりが嫌な汗をかいている。こいつらは……本当に、人の命をなんとも思っていないのだと。その外れ具合を痛感させられる。
フロントライン。目的は未だ不明ながらに、戦力的にも精神的にも恐ろしい組織だ。
「呼ぶね」
「おっと、やるなら向こうで頼むよ」
「向こう?」
「俺はちょっとライネ君とお話があるからさ。二人にしてくれ」
ぎくりとする。眠っている僕と、お話? 素直にメグが離れていく気配を感じ取りながら嫌な予感に包まれる。まさかだけど──。
「おーい、狸寝入りかましてるライネ君。起きてくれるかい」
「っ……」
そのまさかだった。寝たふりはとっくにバレていたのだ。おそらくメグにも。それでいてなお捨て置かれていたというのだからもうどうしようもない。……ひょっとするとカマかけで声をかけているだけなのかもしれないが、だとしてもどのみちのことだ。こうして起きろと命じられている時点で呑気に寝ている場合ではなくなっているのだから、カマかけか否かにかかわらず僕にできるのは言われた通りにすることだけ。
身を起こし、こちらを見下ろすライオットへ視線を返す。彼は白々しく「おはよう」などと言って、それからしゃがむことで目線の高さを合わせてきた。
「いやー……やばいな、君」
「え?」
「最低でも丸一日は起きっこない倒し方をしたつもりなんだぜ。それをこんなすぐに意識を取り戻すとかさ、ちとショック。だけどそれ以上に興味がわくよ」
覗き込むように僕の瞳を見つめ、彼は言う。
「何者なんだい? 少なくともただの早熟な子供じゃあないよな。いくら才能があったって君の戦い方やタフさはその歳で身につくようなものじゃないんだから」
「………………」
何者か、なんて。ミーディアを始め協会の仲間にだって打ち明けていない。
転生者という事実。いずれは世界を救わされるらしいという荒唐無稽な真実を、まさか敵方であるこの男へ話すわけにもいかない。……いや、敵同士だからこそ話したって問題ないような気もするが、しかしシスならそれを止めてくるだろうと何故か感じた。
そう感じたからには、沈黙を貫くのみだ。
「はは、だんまりか。適当なお喋りでお茶を濁せもしないくらい重要な何かが君にはあるってことだ。決して人には言えない何かが……いいねぇ、そういうのは嫌いじゃない。俺たちだって似たようなのの集まりだしな」
だから提案だ。
そう彼は言った。
「ライネ。俺が君を鍛えてやろうか」