44.ライオット
先手必勝。標的が氷霧内に立ち入った瞬間に冷気を伝わせて遠隔凍結を狙ったのは、正しい判断だったろう。だが、それ故に敵からしても読みやすいものだったのか。「おっと」と軽い口調で自身目掛けて伸びてきた氷路をライオットは躱してみせた。そこに焦りはなく、また緊張もない。
彼の表情にあるのは純粋な楽しみ、その一個。反対に初手が通じなかったシスの顔付きは険しい。
(この男も当たり前のように空中氷路を察知しますか)
目に映らない、術者であるシスにしか感じ取れないはずのそれを、ダインに続きライオットもまるで見えているかのように対応してくる。空気の流れ? もしくは唯術に費やされる魔力の微妙な変化を読んでいるのか。どうやっているにせよ、遠隔の凍結では決着の一手となり得ないことがこの時点で明らかとなった。
ただ、それは初めからわかりきっていたことでもある。総合的な実力で言えばダインは格上の敵であり、このライオットはそれより更に格上。楽な技ひとつで勝ちを拾えはしないだろう……機転と、ある程度の無茶が、どちらも必要不可欠。
であるなら。
「氷礫」
ライネの唯術【氷喚】はその名を象徴するように氷の生成を得意とする。他の何かを凍らせるのに比べれば高速度・低消費で行えるというだけで特段に優れているというほどでもないものの、凍結よりも氷礫のレスポンスがいいのは歴然の事実。そして己が生み出した氷の霧が満ちるこの空間内においては元々得意な氷礫にも恩恵があった──サイズが二回りは大きい。そして、常時よりも勢いがある。
拳大から頭部大ほどに変化した氷の礫が、なのに速度まで増して射出される。これには放ったシス自身も驚いた。つくづくライネが編み出した氷霧は優良な補助技だ。「これが持つ間に」勝たねば本当の意味で勝機はゼロになるだろう。そうさせないためにシスは仕込みをする。
(氷霧がそうであるように。ライネならばできる「土壇場で新しいものを生み出して切り抜ける」ということが私にはできない。今あるものの組み合わせでどうにかしなければならない──ライネが私に託した以上は、必ずそうする。その義務が私にはある)
彼を生かす。唯一にして絶対のシスの使命。ライネでは荷が重いと判断したのはシスも同じ、だから交代したのだ。この場の解決を請け負った。からには、なんとしても倒さねばならない。
ライオットという超のつく難敵を。
「よっ」
迫る氷礫を、裏拳一発。迎え撃つのではく横方向に弾くことでライオットはあっさりと軌道を曲げた。そこまではいい、予測通り。本音を言えば彼が氷礫を打ち砕いてくれれば更に冷気が充満するという期待もあったものの、それに関しては贅沢の域だ。最低限、ライオットに勘違いをさせたなら。自分は攻撃を凌いだのだと誤解さえしてくれたなら──。
「危ないな」
「!!」
すぐ真横。正面に見据えていたはずの敵がいつの間にか手の届く距離に立っている、そう認識した瞬間に反射で繰り出した拳は。
「それも危ない。受ければそこから凍らされるんだもんな」
確かに届く距離だった。はずなのに、届かない。あたかも初めからそこにいたように、ご丁寧にも拳一個分だけ遠い位置にライオットは移動していた。
これだ、この不可思議な移動。ライネの感覚で言うところの『距離の無視』。いったい何をしているのか、何をされているのかがまるで掴めない。腕を引き戻して構えを取るシスに、ライオットはどこまでも自然体で言った。
「うまいやり方だったよ。飛ばした氷の後を追うように氷の道を繋げたろ。ああいう隠し方をされると大抵の奴は感覚を誤魔化されて捕まっちゃうだろうな……まあ俺はそんな雑魚い男じゃないわけで、通じやしないけどね」
それに、とライオットは続けて。
「ダインには自分から詰めていったのに俺に対してそうせず遠距離攻撃ばかり仕掛けてくるのは、『待っている』からだろ? それもうまい。というか賢いやり口だ」
氷霧内で活動し、呼吸する。すると体の内外に冷気と水気が付着し、動作は鈍り凍結の危険性も増す。その結果をライオットは既に見ている。だというのに彼が躊躇なくライネが設けた死の領域へ侵入したのは、つまりダインと同じ結果にはならないという自信があったからであり。その内訳をシスはこの時、ようやく看破した。
「……体内も魔力で守っているんですね」
「その通り。呼吸で取り込まれる異物から身を守るっていうのはちょっとしたコツのいる技術なんだけども、俺にとっては朝飯前。なんてったって天才なもんでね」
魔力で肉体そのものを強化する。あるいは、魔力を漲らせてそれ自体を防御の手法とする。そういった対戦闘における魔力操作の基本とは一線を画す特殊な術を、基本の如くにやってのける。それも観察力に優れたシスの目ですらも見抜くのに時間を要するほど、なんの苦労も気負いも感じさせないままに。
──恥ずかし気もなく天才を自称するだけのことはある。確かにこの男はランやダインといったまだしも与しやすい敵であったアンダーとは一味も二味も違う、ステージの異なる強者である。シスはそう認め、故に果敢に攻め込んだ。
(冷気の付着を待つのは無駄、ならば時間の経過は私に不利しかもたらさない。まだライオットが遊びのつもりでいる内に攻め落とす……!)
体内への侵入こそ果たせていないが、ライオットの身体が氷霧という水気に晒されているのは間違いない。接触凍結の殺傷力は高まっている。ダインの際のように一撃とはいかないだろうが急所に重ね掛けでもできれば充分に殺し切れる。氷霧内での凍結は格上相手にも勝ちの目を見出せる最高の鬼札。あとはそれを通せるかどうか、そこにかかっている。
押し通す。そのつもりで遠ざかった分の間合いを詰め直して仕掛けたシスの連撃は。
「はは。子供は元気があっていいなぁ」
「ッ……!」
躱す躱す躱す。ライオットはシスの打撃をステップで躱し続け、なんとその最中に両の手をポケットに突っ込んでしまった。そんなふざけた体勢のままでも、彼は余裕をもって回避を行なう。あえて距離を取ろうともせず、シスのリーチ内に留まったままに、いつまでもいくらでも避ける避ける避ける。
素早く無駄なく。効率よく攻めるシスにも体力の限界がある。延々と攻め続けることはできずその手が止まったところで、ライオットも足を止めて。
「とまあ、使わなくても別に困らないってことを見せたところで種明かしといこうか。気になっているんだろう? 俺の唯術がどういうものか」
「教えてくれるというのなら、是非お聞かせ願いたいですね」
「解説するまでもなく君はいい線いってたけどな。距離を無視するって表現は俺の唯術を評するにかなり的確な表現だ」
けれどもっと正しく言うのなら、とライオットはポケットから取り出した手でピースサインを作って見せつける。
「【離合】にできることは大まかにふたつ。物と物の距離を引き離すか、引き寄せるか。これらの使い分けで俺は彼我の距離を操るってわけだ。たとえば──」
ライオットの姿がシスの視界から掻き消える。そして、真後ろから聞こえる声。
「こんな風に一歩も動くことなく君の背後を取れたりもする。これは引き寄せの応用だ。単純に使うだけじゃ直線的にしか動けないから細かく調整しながら複数回発動させなきゃこうはできないけどな」
シスが振り向くまでもなく、次の瞬間にはもうライオットは元の立ち位置に戻っていた。やはり、見えない。唯術の発動のタイミングを捉えようとしてもなお、目で追うことができない。彼の言っていることが真実ならば不可思議な現象の正体はワープの類いではなく高速移動であるはずだが、しかしその過程がまるで把握できないとあっては同じようなものだ。
(背後に回るのにも、そこから戻るのにも。どちらにも唯術を複数回発動させているなんて信じられない……というよりも信じたくないですね。いったいどれだけの練度があればここまで精緻な術に仕上げられるのか、途方も付かない)
唯術の使用には魔力の消費が不可欠。つまりその際には必ず魔力の動きがある。鍛えられた魔術師はそれを隠すのにも見破るのにも長けるものだが……この前提が示すのは現状のシスとライオットの間にある実力差がどれだけ甚大なものか、という明確なまでの「彼我の距離」であった。
「便利に使うにはけっこー苦心させられる系の唯術だと思うよ? 俺以外が使い手だったらね」
「…………」
どこまでも自信家。されど自惚れではない。彼の自己評価は尽くが正確であり、言うことには間違いがない。
計算は完全に狂っていた。先は自らがダインの計算を狂わせた身ながら、シスの目論見は音を立てて瓦解してしまった。ベストのコンディションだろうと、時間的な余裕があろうと、ライネが残してくれた氷霧という補助があろうとも。
ライオットには勝てない。
その現実を覆す手段がシスにはなかった。
「──仕方ないですよね。それでもやるしかないんですから」
「諦めないか。いいねぇ、そうでなくっちゃ張り合いがない」
拳を解き、開手のままに身構えたシスを見てライオットはくつくつと笑う。何を狙っているのかは明白だった。
とにかく触れようとしている。接触凍結を決めないことには話にならない、からには、打撃のついでに凍結させるなどという欲目はもう出さない。形振り構わずその手を届かせんとしている。それがよくわかるだけに。
「無駄だけどね」
接近。わざと唯術を用いず、腕も上げず。無防備としか思えぬ佇まいでレンジへと入っていく。シスはそれに構わず仕掛けた。ライオットが何を企んでいようと、いなかろうと。自ら近づく手間が省けたのだから彼女としてはその機を逃す手もない。無造作に近寄る彼に向けて先制し──そう、先制したのだ。構えを取っている彼女の方が間違いなく早くに攻め、機先を制したはずだった。なのに。
「ッが?!」
打ち込まれたのは彼女だった。腹部へ飛び込んできた剛拳の威力に血混じりの唾が飛ぶ。動き出しは間違いなくシスが先であった、それは確かだ。なのに攻撃を届かせたのはライオット。拳を引いた彼は「強烈だろ」と悶絶するシスへ友人のように語りかける。
「これも引き寄せの応用だ。俺としては軽く殴っただけだが、君自身がそれに喜んで殴られにいったせいで威力は数段増し。カウンターがクリーンヒットしたようなもんだね。俺との格闘戦はつまりそういうものだと思わなくっちゃな」
「……!」
「それにしても、やるもんだなぁ。あのタイミングで防御を間に合わせるなんて」
拳が当たる瞬間、被弾箇所を守るように体表に張られた氷。それごと打ち砕きはしたものの一発で昏倒させるつもりだった打撃の威力がいくらか散らされ、思った通りの成果にはならなかった。何か予感でもしたのだろうか? そうだとしても攻めに意識を割いておきながら咄嗟に要所の守りを固めた技量をライオットは高く評価する。
「守ったと言っても辛うじて、だけどね。もう何もできっこないだろ」
その見立ても正しい。どうにか倒れずに済んだ、ただそれだけ。鳩尾を抉られた痛みで肉体はまともに動かず、魔力の流れも著しく悪い。たった一撃で彼女は戦える状態ではなくなってしまった。言葉も返せず睨むことしかできないその様子は、もはや勝負の決着がついていることの証明となっていた。
「お疲れさん」
ごっ、と顎が打ち据えられる。ぐるりとシスの眼球が回り──そしてライネの意識が表層へと戻る。倒れかけた体がすんでのところで堪えたことで「おっ?」とライオットは声を上げた。
「おいおい、マジでどうなってんだよ君。今のは確実に沈めたつもりだってのに」
「はぁっ、っはぁ……!」
シスがやられた。意図的でない交代が起こったのはその証拠だ。ライネは彼女の代わりに戦いを引き継がねばならない。
が、できそうにもない。ライネがシスに代わる際と同様、シスからライネへ代わる際にも肉体的なコンデイションはそのまま引き継がれる。交代したとて不調が消えるわけではない。まともに顔を上げることもできないままでいるライネに、今度こそ完全に終わらせようとライオットの手が伸びる。
それを阻止すべく展開された魔力の盾を容易く突き破り、突き進み、首へ触れた彼の指と指に優しく血流を止められて。ライネの意識はそこでぷっつりと途切れた。




