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43.氷霧

 ダインの挙動は彼の身体能力を由来とする。術式由来であろうライオットの不可思議なそれとは違って、種も仕掛けもない純粋な肉体的駆動。を、卓越した魔力操作で強化したものであり──そこがライネにとっての勝算であった。


 何故って、目で追えるのだ。対応こそ間に合わずとも見えはする。ギルダンが知覚すらろくにできないダインの高速駆動を、魔力で補足されたライネの動体視力はきちんと捉えていた。ならば、シスならば。己が肉体を己以上に上手に扱える、十全に扱える彼女ならばあるいは。ダインを相手にも勝ち目があるのではないかとライネは考えた。


 問題は、ダインを乗り越えた先に彼よりも厄介であろうライオットがいること。ともすれば魔力操作の技量だけで言えば彼ら二人は互角なのかもしれないが、そこに瞬間移動めいたことを可能とする唯術が加わるのだからどちらが戦闘相手として手に負えないかは比べるべくもない。


 ダインを下したところで状況は解決しない。それがわかっているからライネもただシス任せにはできなかったし、しなかった。


 シスの唯一と言っていい欠点。百点を取れても百一点目が取れない。成長ができない、新たな何かを生み出すことができない。そこはライネが担当せねばならない部分であり、ライネだけが持つ長所であり。そして彼は今この場面においてその長所を存分に活かし、交代前にしっかりと残していった。


 強敵二人を相手取ろうというシスへの、ライネ精一杯の手向け。彼女の助けとなるそれの名は──。


「氷霧。そう名付けたようですよ」

「!」


 攻撃の予感。有害な何かが向かってきていると本能で察してその軌跡から外れたダインは、その後からまず間違いなく今のが凍結の起点であると勘付いた。


(目に映らぬほど薄く散布された氷の霧、それが俺の倦怠感と凍結の範囲が広がった訳か)


 だが奴から走ってきた「何か」から察するにまったく凍結の予兆を探れぬわけではないらしい、と彼は推察する。起点はある。おそらくは冷気、というより空気中の濃い水気を伝って繋がる。地表ではなく宙に描かれるそれでライネと結ばれた瞬間、その箇所は氷漬けになる。そう見て間違いないだろう。


「気付きましたか。戦闘勘、ですか? 先ほどの洞察力といい実にお見事だと言っておきましょう」

「……随分と上から目線の口を利くじゃないか」

「おや、そちらの察しは悪いのですね? 見下される側がどちらか、なんて。考えるまでもないことだと思いますが」


 ゆらりと踏み出し、シスはダインへと近づいていく。自ら接近する。それは優れた身体強化によって格闘戦に秀でた相手への選択として一見悪手にも思える行動。それに対し、明確なミスを咎めるべくダインが先んじての一撃を決めようとしたのは正着だったろう。


 ただし彼には見えていないものがある。それが全ての計算を狂わせる。


「なっ、」


 ──シスならばダインに勝てる、というライネが立てた目算。シス本人の見解も概ね同様であった。


 ダインという男の強みはなんと言っても最低点と最高点の激しい差、それを引き出す速さにある。起こりは低く静かに、しかし次の瞬間には高く爆ぜる。ギルダンがダインの初動すら知覚できなかったのは、彼の体捌きが優れているからではなく魔力操作が引き起こす極端なまでの落差に知覚と反応が追いつかなかったせいだ。


 仲間ライオットがわざわざ敵に自慢するだけあり、まったくもって見事な技量だ。そこはシスも認める。今のライネでは、たとえその肉体をシスが扱おうともここまでの落差は望めない。魔力操作の一点で戦闘技能を測った場合はライネの信頼あえなく、シスであろうともダインに対して勝ち目などないことになる。ただし。


「魔力操作は基礎にして奥義。それを習熟しているあなたは確かにお強い──ですが、たとえどんな要訣であろうとも。戦闘の優劣とはそれ『一点のみ』で測れるものではありませんよ」


 ダインの放った拳。彼得意の手刀ではなく殺意を控えた、しかしそれ以外はなんの加減もない確かな破壊力を秘めた一撃を、シスは絡め取った。自分から当たりにいくような危うさで、されど抜群のタイミングで身を捩り伸びた腕に自身の腕を巻きつけたのだ。間近で薄青を映したダインの目が大きく見開かれる。


 視線の交錯で、伝わるもの。最前線域フロントラインの仲間集めに伴って少なからず出会うことになった不用品並びに不良品の処分を担当してきた彼の経験。それが知らせてくれるはずの死線を、知らずの内に己が越えていた。自分以上に濃密な殺意を奥に輝かせた青い瞳に晒されて彼はそれを自覚した。


 ライネとシスの目算は概ね一致している。ただひとつ異なっている部分は、ダインへの勝算の多寡。シスは既にこの男を強敵ではあっても難敵とは見做していなかった。


 その理由はそれこそ彼の魔力操作の技量にある。その『一点のみ』があまりにも卓越し過ぎている。唯術を持たないために懸命に鍛えたのか、元からそこに才能が集約されていたのか。いずれにしろダインの戦い方は洗練の魔力操作に頼り切るあまり体術の方が疎かだ。これはあくまで相対評価によるものであって彼の無才を示すものではないが、少なくとも体術そちらの面にも明るいシスの目からはそう見えた、ということ。


「その上で。氷霧によって普段取りの動きができないのですから如何にも与しやすいというものです」

「ッッ……!」


 シスの手が触れた部位。つうと指先でなぞるように撫でられた通りにダインの腕が凍り付く。しかし気に掛けるべきはそちらではなかった。腕を封じながら辿り着いたその先。首にまで彼女の指が届いたことがダインにとっては何よりも問題だった──呼吸ができない! 体表だけでなく喉の内部まで凍り付いて気道が塞がったのか。と敵の手を振りほどきながら自己分析する彼に向けられたシスの眼差しはどこまでも冷ややかで。


(この、ガキめがっ!)


 その見下す目を痛みと絶望に塗り潰すべく放った拳は、けれど空振るばかり。一段と動きが鈍っている。そう気付いて愕然とした彼は──否、たとえそれに気を取られていなくとも、躱すことはできなかっただろう。


 キン、と彼我の間に満ちる冷涼な空気を切り裂く掌打。拳を打ち込んだ体勢のため下がり気味だった頭部を掬い上げたその一撃は、可能な限りに魔力を乗せた現在のシスに繰り出せる最大威力。とはいえ普段のダインであれば、たとえ肉体の反応こそ間に合わずとも魔力防御によって充分に受け切れる程度のものでしかなかった。


 普段通りの彼でさえあれば。


(あ……?)


 ぐるりと視界が反転。それに対する疑問が、ダイン最期の思考となった。首の捥げた彼にそれ以上ものを考える猶予は与えられず、意識は暗転。そのまま生涯に幕が下ろされた。絶命である。


 原因は、やはり氷霧にある。空間を伝う目に見えない氷路こそ経験からくる直感で回避してみせたダインだが、しかし氷霧の範囲に身を置いて常にその冷気に晒されていることに変わりはない。体表に纏わりつく霜だけでなく呼吸によって少なからず「体内にも冷気を取り入れてしまっている」こと、それに気付けないままでいるのがどれだけ危険であるか、彼には最後の最後まで知り得なかった。


 体外と体内、双方の冷気に補助されて対象を凍らせる接触凍結は、ダインの首を氷で覆うだけでなく肉体そのものを氷化させたのだ。生身と氷の中間とでも言うべき状態になった首では呼吸が止まるのは当然。更には肉体強度を著しく低下させる要因ともなり、本来なら余裕を持って受け止められたはずのシスの一発が充分過ぎるほどの致命打へと変貌したのだ。


(魔力防御も完全ではなかったですしね。体が弱れば心も弱るように、肉体的不調は魔力操作にも影響を及ぼす。そこを誤魔化せるのが優れた魔術師というものでしょうが、まあ。自分の体が氷に変わったまま普段通りに戦うなんてまず不可能でしょうね)


 咄嗟に編み出したにしてはよくできた技だと感心していたシスだが、評価を改める。よくできているどころではなく、氷霧は恐ろしいまでに機能的かつ殺意の高い魔術だ。敵の弱体化に加えて自身のやれることは増え、接触凍結に至っては文字通りの必殺の一撃と化す。これを一挙に成立させてしまえるのだからライネの発想力、そしてそれをすぐ形にできる瞬発力は素晴らしい。


 ただ、無敵ではない。あくまで特定条件下でのみ強力さを発揮できるタイプのニッチな技だ。実を言えばダインだって氷霧の脅威から逃れるのはそう難しくはなかった──距離を取る、ただそれだけで攻略できた。氷霧の満ちる空間から、術の範囲から出てしまえば終わる話だったのだ。


 彼がそうできなかったのは、言わずもがな表に出たシスの実力を測り損ねた油断と、それ以上に。


「あなたが見ている。無様な戦い方はできないという思考の枷が、彼から本来の強さを奪った。なんとも無体なことですね」


 私としては助かりましたが、と転がっているダインの頭部に触れて凍結を進め、それから拳で打ち砕く。そこまでやって初めて敵一人の排除を完了させたとシスは認識する。その徹底ぶり、そして思わぬ展開に全てを眺めていたライオットは……楽しそうに破願した。


「あっは! マジか!? 負けちゃうのかよダイン! っていうか勝っちゃうのかよ君!? ウケんだけど! あははは!」


 大笑いである。手を叩き、目じりに涙が浮かぶほどにライオットは笑い声をあげる。そこに仲間を失った悲しみや怒りといった負の感情は欠片もない。ただただ彼は目の前で起こった現実に腹をくすぐられている。演技などではなく、本心から笑っているのだ。


 やはり、異常者。この男が見張っている場で敵に背中など見せられるはずもない。ダインに対する憐れみなど一切持たないのはシスとて同じだが、さしもの彼女もほんのちょっぴりばかし彼の境遇へ手を合わせたい気持ちにはなった。


(正しくは憐れんでいる暇もない、と言うべきですがね)


 言ったように、シスはまだ敵の一人を下しただけ。状況を解決させたわけではない。魔力の残量にも交代時間にも猶予は残っている、とはいえ、それもライオットという謎多き強者を相手にどこまでの保証になってくれるかは怪しいところだった。何より手痛いのは、取れる最大の手立てを戦う前から披露してしまっているという事実。


 難敵ではなくとも、強敵ではあった。次なる敵を見据えるために手を抜いて勝てるほどダインは甘い相手ではなかった──だから全力で殺した。氷霧の特性も、強化された接触凍結も、丸ごと詳らかとしてでも確実に排除した。そうする以外に選択肢はなかった。たとえそれが、続く更なる強敵との戦闘を不利にしたとしても。


「ここらで手打ちとしませんか」

「うん? それはどういうことかな」


 ようやく笑いの波も引いてきたかというところで唐突に出された提案に、ライネが目元を拭いながら続きを促す。シスは淡々と言った。


「どういった目的かライネをかどわかしたいように見受けますが。そのために仲間の一人、あなたにとっての『手』を失ったのですからこんな子供の身柄をひとつ手に入れたところで釣り合いなんて取れないでしょう。引いてはいかがです? こちらもチームメンバーへの被害は水に流しますよ。恨みつらみは、お互いになしということで」

「あ、そういうことね。つまり、ダインはともかく俺には何をやっても勝てっこないってわかっているから、なんとしても戦わずに済ませたいってわけだ」

「……さてそれは」

「どうもこうもなく事実だろ。俺からの答えは、『冗談言うなよ』だ」


 ぐっと大きく伸びをして。あたかも退屈な時間が終わったとばかりにライオットは軽やかに一歩を踏み出した。それは明らかに、交戦の意思を見せつける一歩。


「面白くなってきたところじゃないか、ライネ。俺とも戦ろう。そして君を貰う」

「自ら動いて汗を流すのはお嫌だったのでは?」

「そりゃあ下らないことに対してはね。雑魚とバトるのとかその筆頭。だけど興に乗らせてくれるなら話は別だぜ?」


 それに君、涼しいしな。とどこまで本気で言っているのかわからないセリフを吐きながら、ライオットは堂々と仲間の死地となった氷霧の範囲へと踏み入った。



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