4.資格
「し、死亡?」
不合格者の大半が死亡する。淡々と告げられたその事実に僕の口内は急速に乾いていく。
「テイカー試験って……そんなに危ないものなんですか」
「ああいえ、ミーディアさんの言い方には少し語弊があります」
と、返事をくれたのは受付の女性だった。彼女はフォローするような口調で言う。
「テイカーを務めるには高い実力が求められますから、その素質を見極めるための試験となるとどうしても危険が付き物となります。無論、合格に近づけば近づくほど見極めは厳しいものとなっていきますので……引き時を見誤って試験を続行し、結果的に命を落とす。そういった例の枚挙に暇がないことは確かですが、何も不合格がそのまま死を意味するわけではありませんよ」
無事に試験から脱落される方もたくさんいます、という締めくくりにミーディアは軽く笑って。
「ちょっとだけ誇張し過ぎたかな? でも死人が当たり前に出ちゃう試験だってことに間違いはないから、ライネもそこのところをちゃんと認識していてね」
「は、はい」
資格を得るために命を懸ける。僕の感覚からすれば考え難いというか受け入れ難いことなのだが、ミーディアも受付女性も死者が出るのを常識かのように捉えている節がある。こちらの世界での常識、もっと言えばテイカー試験においては殊更に、それだけの危険度になる必要性や必然性があるということだろう。
声はなんとしてもテイカーになれと言う。それが異世界での生存に必須であるというのなら僕としてもその通りにしたい。が、聞けば聞くだけそのハードルの高さばかりが浮き彫りになって来るな……。
「改めて訊ねるけど、ライネはどうしたい? それだけ危ないものだって知って、それでもテイカーを目指す気持ちは変わらない?」
「……厳しい道のり、なんですよね。試験に合格するのは」
「そうだね。合格率も笑っちゃうくらいに低いよ」
だけどそれも仕方ないことだとミーディアは肩をすくめる。
「テイカーの仕事には人命も懸かってくるから。共に戦う仲間とか、守るべき一般人とかね。自分の命だけなら好きに使えばいいけど、私たちにそういう自由はない。だから実力第一主義にならざるを得ない──ただし協調性も求められるからには強さだけでもダメなんだけどね」
強いことは最低条件、とはそういう意味だったのか。テイカー試験がそれだけ厳しいのも、単に実力だけを測るのではなく人格面や経歴といったその他の条件についてもシビアに求めるからに違いない。名前を名乗れない時点で受験者から弾くのもおそらくはその一環。名を明かせないとは即ち、過去に後ろ暗い点があると白状しているようなものなのだから。
「エマさん。試験の流れを説明してあげてくれる?」
「……わかりました。試験は受験資格の獲得から始まります。とある方法によって行われるそれを通過できた方だけが試験本番へと進み、いくつかの試練を潜り抜けられれば晴れて合格。即日テイカーの資格が与えられ活動が認められることになります」
「ちなみに試練の内容や数はその都度に変わるんだ。難度はいつ受けてもそう変わらないらしいけど……でもやらされること次第じゃ人によって向き不向きも出るだろうから、受けるタイミングは大事かもだけど」
「補足ありがとうございます。もうひとつ付け加えるのなら、どういった内容になるにせよ最終試験こそが最も危険なものとなる点ですね。翻って死亡率も最終試験が最も高い。ですが、一次の時点でも運が悪ければ死亡による脱落も充分に起こり得ますことを注意させていただきます」
ごくり、と我知らず喉が鳴る。複数の試練。ひとつだってクリアできる自信もないままに挑戦していいものではない。それが命懸けの挑戦になるのなら尚更に……だが、せっかくミーディアがお膳立ててくれたというのに、自らテイカーになることを希望しておきながら尻込みするのも考え物だ。それに声はここで拒否することを許しはしないだろう。
「どうなさいますか、ライネ様。テイカー試験の受験希望者として登録なされますか?」
「僕は……」
《はいストップ。そこで頷いちゃあダメですよ》
──え?
意を決して受けると応じようとしたところで、声が割り込んできた。その指示に僕は困惑する。
ど、どういうことなんだ? 僕の意思とは関係なく必ずテイカーになれと助言……否、命令してきたのは声ではないか。なのに、いざその資格を手に入れられる機会を目の前にして「ダメ」とは意味がわからない。
《お膳立てされたからって迂闊に飛びつくなってことですよ。言っときますけどあなたが今すぐテイカー試験を受けたってまず受かりっこありませんからね。合格はもちろん途中離脱よりも死ぬ可能性の方がずっと高いです》
……でも、じゃあなんのために声はミーディアの案内に従うように促してきたのか。そもそもどうやってテイカーになれと言っているのか、僕にはさっぱり彼女が何をしたいのか見えてこない。
《別にテイカー試験そのものを放棄しろとは言ってませんよ。今すぐではどうせ受かりっこないんですから、一ヵ月です》
一ヵ月?
《三十日間。それだけ貰ってください。三十日後、あなたはテイカーになる》
今すぐだとダメでも、三十日経てば試験に受かるって? そんな馬鹿な、と思う。そりゃあ準備期間がないよりはあった方がずっといいけれど、難関の試験にたった一ヵ月という猶予がどれだけ意味を持つかは怪しいところだ。今日受けても可能性がないのなら三十日を挟んだって同じく可能性はないに等しいだろう。
《普通なら、そうでしょうね。だけどあなたは普通じゃない。私がついているじゃないですか》
……いや、急に頼もしい相棒のようなセリフを吐かれたってこちらとしてはなんとも反応に困るんだけど。だけどこうも堂々と、僕には皆無である自信というものをもって断言されてしまってはやはり、その通りにしなければならない気になる。
熟考の間、黙って待ってくれているミーディアと受付の女性エマに僕は言う。
「あの、僕に三十日だけ時間をくれませんか。三十日経ったらまたここに来ますから、試験を受けるのはその時ってことで……どう、ですかね」
恐る恐るの提案に、二人はきょとんとした顔を見せた。それは驚いているというよりも戸惑っているようなリアクションで、僕にはその気持ちがよくわかった。特にミーディアに関しては僕以上に困惑が大きいはずだ。
「三十日って、その間に何するの」
「えっと」
《合格するための修行ですよ、しゅぎょー》
「ご、合格するために修行をしたいなって」
「修行……? 本気で言ってる? 君、自分のことも名前以外わからないんだよね」
そんな状態で修行もクソもないだろう、ということか。僕からすれば試験を受けるのだってそんな場合じゃないのではと思うのだが、ミーディアの中では試験に向けた修行へ舵を切る方がもっとずっとあり得ないことらしい。
まあ、試験の概要すら把握できていないやつが試験対策に何をするのかって話でもある。だけどそれを言ったら僕はまだテイカー自体だって理解しているとは言い難いのだから、そういった部分は気にしたって詮無いことだ。
「はい。僕は本気です」
ある種の開き直りをもってミーディアにそう答えると、彼女はじっと僕の目を見つめてからもう一度肩をすくめた。
「わかったよ。私には何がなんだかだけど、ライネがそれでいいっていうならいいんでしょう。どこで何をしてくるつもりなのかは訊かないよ。三十日後、私はここで君を待っている。それでいいんだね」
《よしよし、上々ですね。お礼を言っておいてください。そしてさっさと出発しましょう。三十日後に向けた修行をすぐに始めなきゃ、ですからね」
◇◇◇
ぺこぺこと頭を下げてから出ていった後ろ姿を見送り、ミーディアは薄く息を吐く。未だ協会支部の扉から目を逸らさない彼女の考え事を、エマの呼びかけが中断させた。
「いいんですか、ミーディアさん」
「いいって、何が?」
「ライネって子ですよ。このまま行かせてしまって」
エマはまだライネについて詳しくは知らない。単に顔馴染みのテイカーであるミーディアがいきなり連れてきた謎の人物でしかない、が、二人の会話を聞くだけでも何かしらの訳アリであることくらい察せられる。
「名前しかわからないって、本当なんですか?」
それが嘘でも真実でも、きな臭い。行かせてしまっていいのかと訊ねたのは何もライネの安否を慮ってばかりではなく、多少以上の不審もあってのことだった。そんなエマに対してミーディアの返答は軽い。
「どうだろうね。右も左もわからないのは本当っぽいんだけど、何かを隠してるのも間違いない。怪しいとも怪しくないとも言い切れないかな」
「アンダーの回し者だったりは」
「それはない。こんなやり方でスパイを送り込んできたりはしないでしょ」
「テイカー試験の仕様上、送られてくるのは『自覚なきスパイ』ばかりですよ。それはミーディアさんだってよくご存じでしょう」
「でも試験はそういう厄介なのさえ弾く。そうでしょ?」
「……それは、そうですけど」
しかしだとするなら。そこまで強くライネが尖兵でない確信がミーディアにあるのなら、エマには余計にわからないことがあった。
「無辜であると思うなら何故テイカー試験をそうも勧めるんですか? あんな、見るからに魔術のまの字も知らないような子に」
「だってそれが本人の望みなんだもの。死ぬかもしれないからやめておけ、なんてテイカーである私の言えたことじゃないよ」
仮にまだテイカーでなかった頃の自分が同じように忠告されて引き下がったかと言えば、絶対にあり得ない。むしろより断固とした決意を抱いたことだろう。それで万が一に死んだとしても後悔なんてしなかったはずだ。
「あの子の行き先はあの子が決めるんだ。たとえ死出の道になったとしても、私はテイカーの先輩としてそれを応援してあげたい」
「…………」
エマは言葉もない。同じテイカーの一員であっても現場と事務で活動の場が明確に分かれている彼女らには意識の差があり、中でも死生観においてはとりわけ大きな隔たりが生じている。それでいいのだろうか、と疑問に思うエマだったが。とはいえ彼女にもライネという見ず知らずの人物へ特段に入れ込む理由があるわけでもない。ミーディアがこう言っていて、ライネ自身もこちらに助けを求めないのであれば、それでいいか。そう己を納得させたところで。
「それにね」
「それに、なんです?」
「なんでかな。ライネは死なない。不思議とそう思えるんだよね」
そう言って緩く笑うミーディアに、珍しいものを見る目を向けたエマは、そこでふともうひとつの疑問についても訊ねてみることにした。
「ところで、あの子って男の子ですか? 女の子ですか?」
「さあ。たぶん男子かなって感じ」
「性別すら確かめてないんですか……」
「そんなの確かめないでしょ、ふつー」