39.凶獣
「山犬と、ときどき荒霊。ルズリフの周辺に出る魔物って言えば下級の代表的なこいつらくらいで強いのは滅多にいないみたいだ。でも数だけはやたら多いってんで重点的にテイカーが割り振られて、地道に減らしていっているのが今だな。魔物にぞろぞろいられちゃ開拓域を広げられないからな」
と、運転手を務めてくれている先輩テイカー(四十歳手前くらいのおじさん。運転手歴は相当なベテランの部類に入るらしい事務員)が運転しながらそう言った。先ほどミーディアたちが支部前で乗り込んだあの立派過ぎる車とは外観も中の造りも何もかもが違う、とても簡素なフォックス型という移動車で僕たちは所定地まで運ばれている。一口に移動車と言っても種類があるのだと僕はこのとき初めて知った。
「ただし、雑魚の数が圧倒的に多いってだけで厄介な魔物がいないってわけじゃないからな。山犬が増えてきたせいでそれを食いに中級魔物が寄り付き始めて、最近じゃ上級クラスのもちょくちょく出てくるようになっちまった。まーそれ自体はよくある魔物の縄張りの変遷でしかないんだが、何も再開拓予定地で湧いてくれなくたっていいのになぁ。おかげで開発計画も遅れているらしい。トモミアが流通の新たな要になる、なんて言っても実現はいつになるやらって話だ」
この人はルズリフが地元であり、テイカーになってからもこの地を離れたことがなく、今後もその予定はない。なので近辺に魔物が湧くようになったのも、そして開拓域拡充のためにそれを狩る現場員の動員が活発になったことも、運転手である自分の疲労と危険度を高める悪因として歓迎はしていないようだった。
そこそこの働きをしてそこそこの稼ぎを得る、それだけでいい。こういう人もテイカーの中にはいる。これまでやる気に満ち溢れていたり生真面目な仕事ぶりのテイカーにしか会ったことがなかったために、僕には彼のスタンスがとても新鮮に映った。
だけどそんな彼でも、トモミアに付随する形でルズリフが賑やかになること自体にはそれなりの楽しみを見出してはいるみたいで。
「もっと上の世代には今更住み慣れた街に大きく変わってほしくないって再開発に渋い顔してるのも少なくないが、俺はまだそこまで枯れちゃいないんでな。気持ちとしちゃ面倒さよりもワクワクのが上かねぇ。だからまあ、お前たちにも期待してるぜ」
「俺たちが魔物を狩るのも開発の一助ってわけだもんな!」
「そういうことだな」
ザッツの言葉にミラー越しに笑みを見せた彼は「受理する時に大まかに聞いてはいるだろうが」と続けた。
「今回のターゲットは凶獣と呼ばれる魔物の亜種だ。名前がついていることからわかる通り山犬みたく発見例も多い下級魔物だが、下級の中じゃ限りなく中級に近い油断ならない相手だ。そんで『亜種』ってのは原種よりも数が少ないからそう認定されるわけで、基本的に原種よりも強いと考えていい。戦闘力自体はそう変わらなくても、何かしら嫌な技や特性を持っていたりな」
「凶獣、と言えば確か四足歩行で駆けて突進を繰り返す魔物でしたね。その亜種というのはどういった戦い方をするのですか」
ギルダンが問えば、彼は「俺自身が直接見たことはないんだが」と前置きをしてから。
「丸いらしい」
「丸い……?」
「原種よりも丸っこくて、しかも二足歩行をするんだとか。突進の時には全身を丸めて本当に球みたいになって転がって突っ込んでくるんだ。その勢いと硬さは原種以上ってんだからお前たちも手を焼くと思うぜ」
戦う肝は突進を行なわせないこと。それを許してしまった場合に止める手段を持つこと。凶獣亜種との戦闘経験があるテイカーはそう言っていた、と彼は伝言のアドバイスをくれた。
「わたしの盾で止められるかな~?」
「俺のファイアーボールで勢いを殺せばいけるんじゃないか? で、止まったそこをライネが凍らせてギルダンが斬る! 完璧だろこれ!」
「そう上手くいけばいいが……しかし俺たちの取り得る最上の戦法なのは確かだ。まずはやってみるか」
「ライネくんもそれでいーい?」
優しい笑顔を向けてくるモニカに僕は首肯する。異論はない。というより凶獣を実際にこの目にしないことにはなんとも言えない、が正しいか。
ただ狩るべき魔物がどうであれ、この四人の唯術や戦闘スタイルからしてザッツの案が布陣として最もベーシックなものになるのは間違いない。そこはギルダンと同意見なので、口出しするまでもなく割といけそうな気もしている僕だった。
《素晴らしいじゃないですか。敵となる魔物の情報を事前にインプットし、対策を打ち立てる。チーム内の雰囲気も和やかですし、彼らは既にテイカーとしての基礎が出来上がっていますね》
確かにそうだ。テイカーならばできて当たり前のことかもしれないが、新人ながらにそれを当たり前にできているのだから上出来だろう。A級の先輩方と任務を同じにしていながらいまいち誰とも仲良くなれなかった──立場の違いを踏まえたらそう悔やむことでもないとは思うが──僕とは大違いだ。
ザッツとモニカは誰がどう見てもムードメーカーに適しているし、一見してクールで物静かに見えるギルダンも、いざ話してみればとっつきにくさを感じさせない人柄をしている。つまりコミュニケーション強者ばかりの根明な集団なのだ、このチームは。
《あなた以外は?》
そう、小心者で常日頃から悲観的な僕以外は……って何を言わせるんだ。
《勝手に言ったんでしょうに》
とにかく、僕も彼らを見習いたいところだ。テイカーとしての成長には強さを得るだけでなく人と好い関係を築けるかも大切になってくる。幸いにもこれからは僕もチームの一人としてザッツたちと行動を共にするのだから、学べるチャンスはいくらでもあるだろう。その機を逃さないようにしよう。
そう決意している間に、到着したようだ。凶獣亜種が発見されたポイントに近しいところで運転手の彼は車を停止させた。
「ここから更に四、五キロばかし進んだところだ。急な縄張りの変動でも起きてない限りは変わらず奴はその付近にいるはずだ。ちゃきちゃきと狩ってきな。俺は街道で帰りを待ってるぜ」
彼一人を残して僕たちは移動車から降り、未開域へと踏み出す。その背に車窓から言葉がかかった。
「新人だっていうのに凶獣の亜種討伐を任せられるってことは、それだけお前たちが評価されてる証だ。気張ってけよ!」
「おっす!」
先輩からの激励に景気よく返したザッツを先頭に、僕たちは目的の地点まで行軍を開始した。木々もまばらでそこまで見通しは悪くないが、鬱蒼としていようとしてなかろうと未開域はいつ何時魔物の襲撃があってもおかしくない危険地帯である。全員注意を怠らずに歩を進めていく。この時ばかりは普段賑やかなザッツも言葉少なく警戒に当たり、喋るときもボリュームを抑えていた。感心だ、なんて思っては同じ新人でありながら失礼だろうか。
「なあ、そろそろポイントじゃないか?」
「とっくに五キロは歩いているから、そうだな。それらしい反応はないが……」
ひそひそとザッツとギルダンがそんなやり取りを交わしたところで、行軍中は沈黙していたシスが口を開いた。
《見つけました。あなたから見て十時方向、五百から六百メートルほど先です》
ひとつだけの大きな気配なのでおそらく間違いない、と彼女は言う。相変わらず優れたシスの探知能力(それは僕自身のものでもあるが)に感謝しつつ、手で他の三人に発見を示した。僕も声を潜めて、シスに教えてもらった方向を指差す。
「多分、この先だ。明らかに山犬や荒霊とは違う気配がする」
「なに、本当か? 俺は何も感じないぞ」
「わたしも~。ライネくんって鋭いんだねぇ」
驚いた様子のギルダンと、こんな些細なことでも褒めてくれるモニカ。いや、先に標的を発見できるか否かは討伐任務においてかなり重要であるはずなので、些細とは言い難いか。二人の反応に少々照れつつバツの悪さも味わう。見つけたのはあくまで僕ではなくシスだからね。
「おーし、行ってみようぜ。凶獣だったらさっき言った作戦で戦闘開始だ」
ザッツの号令に従い明確に進路を定めて進む。そこからはよりいっそう慎重に、こちらの存在を気取られぬようにと息を潜め、それからしばらく。ある程度まで近づいた時点で僕も、そして三人もそれの気配を感じ取ることができた。
「凶獣、だよな?」
「ああ。訓練所で習ったのとはだいぶ形も違うがな」
けれど観察する僕らに気付かずのしのしと歩いているそいつは、動物で言うところのアルマジロを巨大化させたような姿をしており、その外見的な特徴は先ほど運転手から聞いたものと一致している。凶獣亜種と見て相違ないはずだ。全員がその結論に達したことで、チームは行動を始める。
まずザッツが少しだけ外れた位置に付き、僕とギルダンは最前に立つモニカの背後へと控える。これでいいだろう。凶獣が得意とする突進攻撃。それをさせないのがベストとは言っても、亜種の外見を見た限りその肉体は鎧のような甲羅に覆われており、一目で堅牢さが窺える。不意打ちで一斉に攻撃を仕掛けたとしても、メイン火力となるザッツの火の玉とギルダンの斬撃。これだけでは手傷こそ負わせられても仕留め切るのは不可能と僕たちは判断した。
下手に攻勢ばかりに秀でた布陣で挑み、初撃での決着に失敗した場合、反撃の突進を食らって最低一人はダメージを負ってしまう。最悪の場合はそれで戦線離脱を強いられる可能性も考慮するなら──それだけ凶獣の突進は危険だということだ──取るべき策は決着を急ぐことではない。無用なリスクをわざわざ抱え込む必要はない、そう決めて配置についた。
モニカが作る魔力の盾は優秀だ。単純に硬いだけでなく衝撃も抑えられる便利な防御手段。その性能には大元のモニカの術師としての力量も関係してくるためになんでも防げる無敵の盾、とまではいかないが、モニカ自身だけでなくザッツやギルダンも彼女の力に絶大な信頼を置いているのは確かだ。
いくら凶獣の突進が強力だと言っても、ザッツの火の玉を受けて勢いが僅かにでも減衰した後なら受け止められる公算は高い。もしもがあっても彼女の傍には僕とギルダンがついているわけだし、一か八かで一斉攻撃から入るよりもずっとリスク管理の行き届いた作戦である。
そうシスも認めてくれたからには、僕に迷いはない。
「氷礫」
開幕ののろしは僕が上げる。氷の塊に撃たれた凶獣の背中はやはり頑強で、傷ひとつ付かなかったが、振り向いてすぐさま戦闘体勢を取ったからには攻撃されたという認識ではいるようだ。多少なりとも痛みくらいはあったのかな? まあ、どちらでもいいことだ。
一も二もなく甲羅に埋もれるように丸まった凶獣が、その限りなく球体に近い形状を活かして転がり出した。地面を抉るほどの速度と重量で大きな球が真っ直ぐ向かってくるのはなかなかに恐怖体験だが、僕たちは恐れない。
「おおっ! ビッグファイヤーボール!」
最大まで火力を高めたザッツの火の玉が投擲され、凶獣の正面から衝突。そして派手に火の粉と爆風を飛び散らせた。溜めの時間を用いただけあってなかなかの威力だ。
ひょっとすればこれだけで突進も止まるのではないかと期待のよぎる一撃だったが、凶獣のボディの転がることに特化した機能美の方が上をいった。あれだけの爆発も気にせずに突進は継続されている。
が、その速度は当初よりも落ちている。目的通りにザッツは凶獣の勢いを削ぐことに成功したのだ。それを受けてモニカも慌てることなく自身の唯術で盾を展開。大きめに作ったそれで真っ向から凶獣を受け止めんとする。
「んっ……」
小さく踏ん張る声を漏らして、モニカは突進を完全に塞き止めた。これ以上進まないことに怒りを露わとしながら凶獣が変形(?)を解除したところで、僕とギルダンも魔力を解放。攻撃役の出番だ。
さあ、このまま倒し切れるかどうか。